2010/12/26

時には自分を甘やかそう


以前にもお話したかと思いますが、私はドSによく間違われますけれど、実際はドMです。

そんな私の苦労話をこのブログで読んでいるからなのか、最近お客様のお話を聞いていると「ドMか!」とツッコミたくなるような、たくましい修練をなさっている方がよくおられます。

実際にドMであれば、私がここに書いているようなM気味の特訓、「ラッキーなことに傷口ができたので試しに塩を塗ってみたら実際痛かったッス!すごいすごーい♪キャハ♡」みたいなことをやってみてもよろしいかと思いますが、普通の人はつらいだけなので、オススメしません。


「ビギナーは無理をしやすいので、体をいためやすい」とヨガのインストラクターもよく言いますが、こういう精神鍛錬にも同じことが言えるかと思います。

「つらくなったら休んで結構です。ご自分のペースでやってくださいね。」とインストラクターは言ってくれますが、確かにビギナーほど、「つらいけど、自分だけ休んでいいのかな」とか「多少耐えないと進歩しない」とか考えて、結果休み所を逃し、逆に倒れそうになったり、その後ずっと休むことになったりすることがあります。

なので、ある程度「耐えた」と思ったら、無理せず休む、これが大事です。

つらい・・・と思ったら、休む。

復活したらまたトライする。

って感じでいいんです。筋トレです。そうやって鍛えられていくんです。

頑張れない自分、この程度で弱音なんて吐いて!と、何かと頑張りすぎている方が多いようにも感じましたので、アドバイスさせていただきました。筋肉がついていくには、時間が必要です。ジワジワ気長にやりましょう。


ドMの道も休み休みです。

幸いなのは、私はドMですが、それ以前にかなりの軟弱者である、という点かもしれません。割とすぐに「無理」と思うので、あっさり脱落します。

脱落を繰り返しながら、自分のできる範囲で地味にやっている、そんなところです。

自分を律しすぎると疲れて全てが嫌になってしまいますので、時には「どーでもえーわい」と甘やかしてあげましょう。
甘やかしてあげられるのも自分だけですから。

ということで、みなさん無理せずに。ほどほどに。

2010/12/25

都合よく忘れる



ジングルベ〜ル ジングルベ〜ル ♪

・・・

・・・別にクリスマスとかやってませんけど。


昨日、特にイブだからといって、これといった予定もなかったので、ヨガをしにいってみました。

というか、うっかりすると「クリスマスイブ」とかそういうことを忘れてしまいがちで、「今日はヤケにカップルが多いな・・・」などと思っていると、イブなのでした。

ヨガクラスもイブのせいかいつもより人数が少なく、そこでも、「イブか・・・」と思い出すことができました。

ヨガが終わり、楽しみにしていた「聖おにいさん」を買いに本屋へ行くことにしました。

本屋に行くときにケーキ屋の前を通るのですが、いつもはガラりーんとしているのに、昨日は行列・・・。しかも、カップルの行列。

いや〜、今日はなんでこんなにケーキ屋混んでるんだろ・・・

・・・ってイブか!

とまた一人ツッコミしつつ、古武術の技を使いその人混みをすり抜け、一目散に本屋へ行き、まんがを片手に、帰りました。


・・・

思い起こせば・・・、
「30日間で理想のパートナーを見つける法」を読み終わって、約150日あまり・・・。

読者のみなさまも気になっていたでしょうが、特に変わりなく過ごしております。オホホホホ〜!

こんな生活ぶりでいいのだろうか。

・・・否、いいのだ。良しとしましょう!

メリークリスマス♪


2010/12/19

クリスマス

いや〜、もうすぐクリスマスですね。

・・・

クリスマスだからって何があるわけでもないんですが。
あ、聖おにいさんが発売だ。一応イベントありました。

それはさておき、特にこれといったイベントはないにも関わらず、クリスマス向けにリースを作ったり、トピアリーを作ったりしてみました。

以前からフレッシュフラワーを使ったアレンジメントをやってみたいな〜と思っていたのもあり、フラワーアレンジメントレッスンに2回ほど参加してみたところ、時期的に両方ともクリスマス系のものでした。


1つはリース。
結構な重労働。しかも、花はなく、基本、スギやもみの木をワシャワシャと木枠に巻いていくという・・・繊細さのかけらもない作業でした。
リースといえば、飾り付けが重要ですが、いざやろうとしてみると、なかなか難しく、というか、私がノープランすぎたので、なんか子どもように好きなものや気になったものを全部つけていったら、おもちゃ箱のような作品になりました。
作っているときも、飾っているときも、樅やスギの甘くスッキリした香りが部屋中に漂ってとっても癒されます。
クリスマスってこんなにスッキリした香りを漂わせながら迎えるものだったのね〜、と偽物のツリーしか飾ったことのない私はいたく感動しました。



2つめはトピアリー。
トピアリーは以前プリザーブドでグリーンのトピアリーを作ったことがあったので、ああいう丸いものがくっついた木のことをいうのだと思っていたら、「刈り込む」という意味らしく、刈り込んで形を作ったように作るものをトピアリーというそうでした。
アレンジメントでは実際に刈り込んでいくのではなく、「刈り込んで作ったように」見せますが、例えばディズニーランドなどにある動物の形に刈り込まれた木があると思いますが、ああいうのがトピアリーだそうです。

で、今回はツリー型のトピアリーということで、今年のトピアリーのテーマは「ゴシック風」「ヨーロピアン風」だかなんだかだったので、花器や使うお花たちも少しそのような雰囲気のもの。。。になっておりました。

リースに比べれば花や実のようなものも使ったので、こちらの方はやや繊細でした。
でも、思ったのが、「フラワーアレンジメント=繊細な作業」というのがそもそも間違いで、先生の作業を細かく観察していると、「ハイ、ここに」とグイグイ、ガシガシ、花をねじ込んで挿していくので、優しい感じでやっていたのではダメなんだな!と勉強になりました。
グイグイ大胆に行かないと!そして決断力も問われます。

これも作ってるときに、スギやヒバ、コニファーなのかな?の香りがとってもスッキリした気分にしてくれました。今家に飾ってますが、プーンとヒバやスギの香りがして、浄化されるゼー・・・って感じです。
かつては、冬の風邪を防ぐために、このような木々の葉を使ってリースやアレンジを作ったりしてたのでしょうかね〜。

しかし、プリザーブドのときもそうでしたが、同じ素材で同じものを作っても、個性や性格が如実に現われてしまうのがおそろしいところ。



このトピアリーも、自分で見ても自分そっくりで、作っている途中からおかしくなってきて、クスクス笑っていたら、一緒に参加してた方が「なぜ笑っているんです
か?」というので、「自分と同じでワシャワシャになっているから」と言ったら、「えー!そんなことないですよ〜。ステキです〜」と励ましてくれました。

でも、その方の作ったトピアリーは、まるでおとぎの国のトピアリーかと思うかわいく繊細な仕上がりで、自分も本当はそのように仕上げるはずだったのに・・・と、ふと自分のトピアリーに目を移すと、「モモ」の挿絵のモモの頭のようなワシャワシャ感。

カワイイんですけど・・・。
カワイさと、エレガントさとを合わせ持ち、オモローが見え隠れする・・・そんなトピアリーとなりました。

来年はもっとフラワーアレンジメントをやってみようかな〜と思っています。たのぴー。

2010/12/12

むしろ、肉まんになれ!


最近、ヨガスタジオにはドロップインというサービスがあることがわかり、気が向いたときには運動不足と肥満解消のためにヨガに参加しています。

そんなおり、初めて参加したビギナーズ向けのヨガで出会ったインストラクターの発言に度肝を抜かれました。

大体、クラスが始まるとインストラクターの軽い挨拶や小話みたいなものがあるのですが、そこで、そのインストラクターが、

「今日は自分がふっくらした肉まんだと意識してやってみてください!」

と・・・。



人はその潜在意識にあるものを自ずから呼び寄せるという・・・。



「ふっくらした肉まんになれ」とは・・・。

あれから早1ヶ月。肉まんあっため器を使っても、1度たりとも満足のいくふっくら肉まんに仕上げられていない私へのメッセージなのだろうか。
いつだって適当にあっためている母が、オールウェイズふっくら肉まんなのに対し、私は適当にやってみても、きちんとやってみても、中途半端にパサついた肉まんにしか仕上げられないことへの悔しさと嫉妬心を手放せないでいるために、このインストラクターを引き寄せたのだろうか。

そんなことで、ギクリとしている私に気づくわけなく、インストラクターは早速レッスンスタート!

ビギナー向けの簡単なポーズから教えてくれているのですが、要所要所で・・・、

「はい!ふっくらした肉まんだと思って!残念な肉まんになっていませんか?ふっくらです!ふっくらさせて!ふっくらをキープしたまま・・・」

・・・残念な肉まん・・・

このあたしがいつも作ってしまうのは、そう、残念な肉まんに他ならない。

ふっくらをキープ・・・

キープできるもんなら、こっちだってやりたいワ!(マツコ風)

そんなモンモンとした気持ちを抱えつつ、またとあるポーズをとったとき。そう、それは手のひらを上向きにするポーズ。

「はい!手のひらを上にして!そうです!肉まんいかがですか?って感じで〜!」

・・・ここでもっ!

肉まんいかがですか〜・・・

ふっくら肉まんいかがですか〜・・・

・・・でも、どうせ私の手の上にあるのは、中途半端にパサついた肉まん・・・


・・・と、私が悲しい気持ちになりかけると、それを見抜いてか、インストラクターは、「残念な肉まんにならないように〜。ふっくらした肉まんに。内側からふっくらした・・・」

ええ。ええ。私の肉まんはふっくらしてませんとも。

結局、最後の最後まで、私たちをふっくらした肉まんに例えたインストラクター。

いいんですけど。個人的な問題なので。

でも、確かに自分がふっくらした肉まんだとイメージすると、自分のエネルギーが柔らかくふんわりしたいい感じになるのはわかりました。

実際の肉まんは、パッサパサにしかできないけど、せめて自分だけでも・・・。ふっくらした肉まんに・・・なれたらいいな・・・。

(哀愁)

2010/12/08

野生の証明 2


私の休日といえば、そのへんのおやじに負けないぐらいのゴロゴロ度合いですが、もともと家でじっっっとしているのが好きなので、問題ありません。

ただ、家にいるとき、必ずと言ってよいほど、夕方の4時〜5時の間に昼寝に入ります。そして大体6時半頃に起きます。
ちょい寝ですね。

ちょうど日が暮れ始める頃、何をしてても急に「寝よ」と思うのです。外出していたり、人と会っていると、急に寝ることはできませんが、そのあたりの時間になるとだるくなってきます。

赤ちゃん子育て中の人にその話をしたら、「赤ちゃんとおんなじや!」と言われました。赤ちゃんもそのぐらいの日の暮れかけにグズるそうです。私は大人なので、グズりはしませんが、せいぜい「だるいだるい」「急に風邪ひいたかもしれない」と言い触れまわったり、あるいは突然ふとんに入って「寝る」だけです。
母なんぞは、さっきまで一緒におしゃべりしてたのが急に静かになったかと思うとふとんに入って寝ていてビックリした、と毎度言っています。

変な癖、あるいは、休みの日の趣味のようなものかな、と思っていましたが、先日母が不眠症の特集かなにかをTVで見ていたところ、「人間は体温が高くなると眠くなり(あるいは、眠くなると高くなるのかもしれませんが)、朝起きてから体温が急に上昇するのが日が暮れてくる夕方4時〜5時」と言っていたそうです。

おそらく、メラトニンの発生と関係しているのではないかと睨んでいますが、それにしても、ちょうど4時〜5時でした。

なんだか熱くなってきた・・・寝よ。

と思っていたわけではなく、ただ、「寝たい」と思って寝てただけですが、体の変化に敏感に反応していた・・・もっと言ったら、何らかの時間の動きに反応しているらしい・・・。もはや、詳細不明。

そういや、この時間、寝ることができず外にいるときに、妙に熱さを感じるときがあったのを思い出しました。その時は、「早くもプチ更年期障害(ホテリ)が来たか・・・」と思っていましたが、これだったんですね。ちょっと安心しました。

夕方のチョイ寝はオススメです。
まー、そんなに器用に急に寝れないかもしれませんが(^^


2010/12/05

キウィおこぼれ留学記


「かもめ食堂」の原作を読んでみようかな〜と検索していたら、関連で小林聡美の著作がいくつか出て来ました。

私はもともと小林聡美の本が好きで、以前は新刊が出るとすぐに買って読んでいました。とはいえ、作家さんではなく女優さんなので、定期的に本が出るというわけでもなく、いつでるかわからなかったので、気にしていないと気づかないという感じで、最近はすっかり忘れていました。

最後に読んだのは「ワタシは最高にツイている

だったかと思います。
セドナに行く時に持っていったような・・・。

で、しばらくぶりに小林聡美の本か〜と思い、見ていると、別に新刊じゃないですが、ニュージーランドに留学したときの本があるのを発見!

ニュージーランドといえば、私がそろそろ行こうかな・・・と思う国ランキング1位の国。

キウィおこぼれ留学記 」はすでに文庫にもなっているようで安かったので、久々に聡美ワールドに触れてみることに。

小林聡美の本を読んだことがある方なら既にお気づきかもしれないが、親戚か!と思うほど、語り口が私と似ています。

別に私が意識して似せているわけではないですが、この「キウィおこぼれ留学記 」もまるで自分が書いているかのような読みやすいリズムでした。(自画自賛しているというわけではない)

そして、おもしろい。

小林聡美の本といえば、読んでいて爆笑してしまうことがあったりするが、この本も当たりの方と言えるでしょう。

神戸からフェイシャルを受けにきてくれたKさんにレンタルしましたが、「笑ってしまうので電車では読めない」と連絡が。
そうですね。私も電車で読んで笑いをこらえるのが大変でした。

また、ニュージーランドに滞在したことがあるKさんによると、ニュージーランドの様子もきちんと描かれているという。

ニュージーランドに興味があり、笑いたい方は今年の年末年始のお楽しみにいかがでしょう。

ちなみに「アロハ魂」という本も買ったのですが、こちらは私的にはオモシロ度はキウィの方には劣りますが、ハワイ島についてとてもよく描かれていて、私が訪れたところもほとんど書いてあります。「そうそう!そうだよね〜」という感じでハワイ島の雰囲気を感じられる一冊ですので、ハワイ島に興味のある方にはオススメです(^^





2010/12/02

ユキちゃん


先日クリアサイトの通訳Kちゃんがアドバンスヒーリングコースの実習に遊びにおいでよ〜というので、行ってきました。

帰りにお茶しよう、ということで、てくてくとファミレスのジョナサンの方に歩いていくと、「桜ヶ丘カフェって知ってる?」とKちゃん。

「知ってるよ」

というと、

「あそこヤギ飼い始めてさー、超かわいいんだよ〜。」

と。

「へぇ」

と答えたものの、ヤギに一切興味がない、むしろ、ヤギ好きじゃないし。ぐらいの私は、そんな彼女の桜ヶ丘カフェへの軽い誘いをサラリと無視し、ジョナサンへ。

翌月、Kちゃんに本を借りる用事もあったので、また実習に遊びに行き、帰りにお茶をしに。

先月のことを全く覚えていないかのようにKちゃんが、「桜ヶ丘カフェって知ってる?」と言ってくるので、「知ってるよ」と言うと、「ヤギ飼ってるんだよ。かわいいの〜。」と同じパターンに。

「すでに先月聞いた」

と言ったところ、「見に行こうよ〜」というので、しぶしぶ着いていくと、ヤギは小屋で寝ていた。

「寝ていて見れないね〜」と残念そうなKちゃん。

なんとなく不憫だったので「桜ヶ丘カフェでもいいよ」と告げ、そこでお茶しました。

カフェから出て帰るときに、Kちゃんがレジで何かやっていると思ったら、店員にヤギのエサを頼んでいた模様。

そう、このカフェでは頼めばヤギにエサをやることが可能。

(・・・そんなにヤギが好きなんだ)

と思いつつ、自分はヤギがむしろ嫌いぐらいの感じだったので、そっと横で見守っていると、Kちゃんがおもむろに、「はい。あなたの分」と私の手にヤギのえさ(草)をぎゅっとつかませました。

「え・・・(いらないし。つーか、ヤギやだし。)」

「え」の一言でその後に続いた私の心の声をKちゃんが察するわけなく、Kちゃんはヤギたちに(2匹いる)「ごはんだよ〜」と草を見せていました。

すると、ヤギたちは「ハッ!」と顔をあげたかと思うと、ものすごい勢いで小屋から出て来て、檻から顔を突き出して「メェ〜(エサくれ)」と。

Kちゃんは大喜びで、黒ヤギことショコラちゃんにエサをあげ始めました。

仕方がないので、物欲しげなもう1匹のヤギ、白ヤギのサクラの方に私も草をやってみると・・・

ハムっハムっハム・・・ムニュ

ほれ、もう1本(草だよ)

ハムっハムっハムっハムっ・・・ムニュ

※最後の「ムニュ」は、サクラの唇が私の手に触れる、、、というか間違って手まで食べられそうになっている音です。

・・・(ほれ)→心の声。

ハムっハムっムニュ

・・・


かわいい〜ん!

気づいたときには、無我夢中で白ヤギの頭をなでていました。

「ユキちゃん!」と心で叫び、草を一心不乱に与えました。
最終的には、ユキちゃんが食べてる途中で落とした草を拾ってまで、また与えたりして、草が全部なくなると、非常に寂しいキモチになりました。

またユキちゃんにエサをやりたい・・・

そんな風に思いながら帰る坂道、Kちゃんに「意外とかわいかった」と告げ、「あれは、サクラというより、ユキちゃんだね」というと、「ハイジのユキちゃんね。スイスなのにユキちゃん。日本の名前だよね(笑)」というので、本当は宮崎駿が勝手につけちゃったとかそんなエピソードをうっすら知っていたのに、

「きっと、フィンランドとかあっちの方ではミカ・ハッキネンとかユキとかいるじゃん。だから、スイスと言えども、遠い北欧への憧れを込めて、ユキちゃんって名付けたんだよ」

とユキちゃんのかわいさが私にウソをつかせてしまいました。

だが・・・、

どっちにしろ、おかしいだろ。

あー。ユキちゃんホントかわいかったな〜。都会のただ中であんな癒しに出会えるなんて。

桜ヶ丘カフェに行った時は是非エサあげてみてください。
食べ過ぎで小太りになっちゃってますけど。(ヤギが)

2010/11/30

笑う門には福来る


先日、ものすごーく久しぶりに大学時代の友人たちと食事をしました。

久しぶりに会ったみんなはなんだかえらくなっている、、、というか、地位が結構上がっているというか、、、年月を感じました。

とはいえ、ちょっぴり白髪頭になっていたり、おっさん風のヒゲが生えていたりする以外は学生の頃と全然変わらない。それは馬鹿さ加減が変わらないという意味ではなく、顔の部分だけ見ると昔のままなのだ。

なので、「毛染めさえすれば、大学時代とおんなじだね〜」などと言って、「だろ〜。だからあえて毛染めしてないんだよ。若く見られて舐められちゃうし。でも、おまえも全然変わらないよ〜」と言い返されたりして、盛り上がりました。心の底から「(見た目が)全然変わらないな」と感じたんです。
むしろ、内面的には少し大人になったかもしれない。

・・・だが、その話を母にしたところ、「あ〜。そうよね〜。私たちも、全然変わってないね〜って、みんなに会うといつも言ってるもん。」・・・と。

え?「私たち」ってもうすぐ70歳のあなたたちのことですか?
・・・ぜってぇー変わってるべよ。

「そこは変わってるでしょ!」とツッコむと、「いや、ところが変わってないと思うのよね〜。不思議ね〜。そう思ってるのは自分たちだけってことよ。」と最終的にコチラに対しても攻撃され。

そうか。みんな「変わらないよね〜」って思うんですね。
年をとるほど、細かいことが気にならなくなるから、「(多少白髪なだけで)昔と変わらないよね〜」とか、「(多少中年太りしただけで)全然変わらないよね〜」ということになるのでございましょう。

ひろ〜イひろ〜イ うみに 出るがじゃよ〜。(by福山龍馬)
※全然関係ないけど急にモノマネ。

まー、歳で目はやられちゃってたみたいですけど、笑いの勘はみんな冴えており、久しぶりに笑いすぎて泣きました。号泣です。

会に行くときは偏頭痛で体調が悪かったのですが、笑って笑って泣いたら、帰るころには体がスッキリ。。。

笑いって大事〜、って思いました。
お笑いテレビでの笑いは瞬発的な感じですが、やっぱり生の掛合いでの笑いは持続性があるため、体力も消耗します。軽い運動したあとと同じ感じですね。

こんなにエネルギーが軽ーくなるんだから、笑う門には福も来るわな〜。

2010/11/26

レイキ伝授


一時はリコネクションなどにその地位を奪われたかのように思われたレイキでしたが(そうだったのか!?)、今年は弊サロンはレイキ伝授祭りといっても過言ではない一年でした。

年明けから年末までまんべんなくレイキ伝授しました。
例年とは比べ物にならないくらいの方々に伝授し、今年だけで一体何人のレイキヒーラーを産み落としたんや〜!レイキヒーラーの宝石箱や〜!という感じです。

伝授された方々、ちゃんと活用してくださいましね。

レイキは私がこの道(スピリチュアル道)に入るきっかけとなったもののひとつです。初めてスピリチュアルに触れたのがレイキだった、といえるでしょう。

レイキを伝授された当時は、マスターに教わったことも「ふ〜ん」もしくは、「ケっ(→斜に構えた感じ)」ぐらいにしか思っていませんでしたが、最近みなさまに伝授するたびごとに、「ああ、レイキって本当にスピリチュアルの基本が学べるなぁ」と感じています。

レイキ伝授の際にお伝えする内容は、主に「レイキについてのこと」としてお伝えするのですが、実際はヒーリング含めどんなスピリチュアルなことにも共通していることだと私は思っています。
なので、「レイキ」の伝授とはいえ、レイキ伝授は「スピリチュアル概論」とも言えそうです。

サロンMのレイキ伝授はおおらかで適当なのが持ち味ですが(ウソです)、今年レイキ伝授希望者が増えたのはそんな噂が広まったからというわけではなく、やはり世界のエネルギーの変化をみなさんが敏感に感じ取っているからなのかなぁ・・・と思っています。

なので私にとっても今年は第2のレイキ元年というか、レイキを大いに楽しみ、そのパワーを再確認した年となりました。


・・・終わった風ですけど、今年もまだ受け付けてますから・・・。

2010/11/18

合う人、合わない人


友だち・・・というのともチョット違うのですが、なんか一緒にいて居心地の良い人というのがいます。性別問わず。

そういう人は、おそらく、「波長が合っている」状態なのかなぁと思います。

この「合う人」というのは、自分の変化や相手側の変化で移り変わるもので、先日まですごく居心地が良かったのに、今日はなんだかもう満腹な感じがする、ということも私なんぞは多々あります。

昔から知っている人でも、これまではむしろ合わないと思っていたのに、ふとしたことで再会したら、なんだかいい感じだなぁと思うこともあります。

「古くからの友人」というのは、うまくしないと結構クセものであることがあり、ハッキリ言ってもう合わなくなっているのに、なんだかそれを認められずにいつまでもつきあいを持つことがあります。とはいえ、そこに楽しさがなかったりするんですよね〜。

私の知り合いで、ある時期に「古くからの友人」とのつきあいをバッサリと切った人がいます。
理由としては、「もう思い出したくないのに、いつまでも学生の頃の自分に戻らされる」ということでした。

確かに、学生時代の友人にあうと、なんだか当時の自分という立場や関係性に引き戻される感覚になることがあるように思います。本当だったら、成長した現在の自分たちにあった関係性に成長させれば良いのかなぁとも思いますが、なんかそうならないですよねぇ。。。学生時代のつきあいって。

で、そのバッサリ切った人は、まあその後しばらくは、誰とも付き合いがほとんどない状態でしたが、一人でいる方が無理に古い友人たちといるよりも楽だったので苦にはならなかったようです。そうこうしているうちに、ヒョンなことから新しい友人ができたりして、その友人の方が今の自分に合った感じでとても楽しくつきあえて良いと言っています。

かと思うと、バッサリ切ったうちの一人から急に連絡があって、なんだか復活愛ならぬ、復活友情みたいなものが生じたりもして。

こういう人間関係の移り変わりは、自分のエネルギーの変化によって引き起こされているのだと思いますが、とても興味深いです。これらは自分の「外部環境」にあたるわけですが、そこに登場する人物たちを見ているだけでも、現在の自分のエネルギーがどんななのかわかります。
合う人にのんびりした人間が増えたとか、愚痴が出ない人ばかりだとか・・・。
一方、嫌だなぁと思う人には、セコい人が増えたとか、威張る人が増えたとか・・・。


来ては去り、来ては去りという、、、
人間関係もその他の「物」となんとなく同じですね。

2010/11/12

脳からさらに・・・


脳について書いていて、ふと思ったのですが、脳が社長だとすると、「オーナー」という存在がいることになります。

多くの企業では社長=オーナーという感じですが、実際はイコールでなくてもいいわけです。社長だとわかりにくければ、店長とオーナーとして考えるとしっくりくるかもしれません。

成長した企業だと、社長を左右する存在として、「株主」というものが出て来たりしますが、これはオーナーとは異なり、身体でいうところの、「自分の外側」ということになるでしょう。

株主が出て来た場合、株主・・・特に影響力の強い大株主の意見に企業が左右されてしまうことがありますが、これは自分以外の影響力の強い人だったり物だったり信念だったりに自分を渡してしまうことに似ているかもしれません。
自分で決めないで誰かが代わりに決めちゃってそれに従うって感じですね。

そうすると、段々社長も不満が溜まってきて、その企業を営むことが苦痛になったり、つまらなくなったりすることもあるのではないでしょうか。(そんなこと口が避けても言わないでしょうけど)

そういう状態が、私たちでいうところの、毎日がつまらないとか、自分の人生じゃない気がするとか、そういう感覚なのかもしれません。言うなりはよくありませんが、かといって、はねのけるのも発展的ではない感じがします。やはり、お互いの意見を尊重しつつ、新しいものを創り上げるというのが理想的ですよね。社長がんばれ!

オーナーの話に戻りますが、そうなるとオーナーというのは、魂ということになるでしょうか。オーナーの意志に従って社長に会社を運営していって欲しいと思ってますが、オーナーと社長の関係があんまりよくないと、そうもいかない。
するとオーナーは、強い態度に出て社長の制御がきかないところで、方針変更をしてしまったり、社長以外の従業員をオーナー派にすることで企業に不協和音を起こすかもしれません。
オーナーと社長のコミュニケーションは重要だと言えるでしょう。

一方、このオーナーは資金は豊富なのかもしれないので、もしかしたらこの会社がダメになってもまた次作ればいいや、という節もあると思われ。
あるいは、潰れても潰れなくてもあまり気にしてない可能性もあり、ある程度社長の自由にさせていることもあるかもしれません。

この「オーナー」の意識に近づくというのが、私たちのいう覚醒意識ということなのかなぁと思いました。

脳について その2


クリアサイトで言うところの、「オーラの画像」というのは、結局のところ脳の神経プログラミングの状態のことかな、と思いました。

脳は電気信号みたいのを発してますよね。その電気エネルギーを感じ取る力が人間にはあって、それをビジュアルに変更して表現したものが「画像」と言っているものではないかと思いました。
過去世と言われるものについては、その人が持っている観念傾向を過去に自分が体験したかのようにストーリー化したものを「画像」として見ている場合もあるでしょうし、実際に古い時代の電気エネルギーがその人の中に存在し、現在に影響を及ぼしているということがあるのだと思います。
その人の魂が実際に体験したとかしないとかということはあまり重要ではなく、そういう風に処理させているエネルギーが現在その人の中に存在しているということに着目することが重要かもしれません。

体中で行われている活動は電気エネルギーを発しているので、それが「オーラ」といっているものでしょうから、オーラを見れば、その人の状態や考えていることがわかるというのは事実でしょう。ですから、オーラを見ることは数学の公式のようなもので、やり方を知れば誰でもできるテクニックということになりますね。

では、身体の外側との関係はどうかというと、身体を取り囲んでいる電気エネルギーどおしが出会うと(自分以外の何かや誰かと出会う)、プラスとマイナスなどのように極が違うものだとくっつきやすかったり、同じ極だと反発しあったりというような反応があるのだと思います。

場合によったら、反応しあって新しいエネルギーが生まれたり、元のエネルギーが変化したりすることもあるかもしれません。


また、エネルギーには強い/弱いもあるでしょうから、弱いエネルギーは強いエネルギーに影響され似たようなエネルギーになったり、全部じゃなくても一部の弱くなっている部分にそのエネルギーが何らかの影響を及ぼすなんてことが、「他人のエネルギーが自分のオーラに入ってきている」なんていうことになるのかなぁと思いました。うまく変化できれば、そんなこと気にならないことですからね。

で、この身体の周りの電気エネルギーに起こっている反応は身体の各部門を通して脳にフィードバックされ、脳のエネルギーにも変化が起こり、身体にも影響を及ぼしたり、脳が創りだしている思考や感情にも変化が起こったりするのではないでしょうか。

案外重要なのが、「各部門は脳にフィードバックする」ということで、これがあるから、ボディワークをすることで考え方の偏りが改善されたり、感情に影響をしたりすると思われます。

だがしかし、大きな役割を担っているとはいえ、実は脳も全体の一部でしかなく、最終的には脳の余計な働きを静めることが心の平安をもたらすことにつながるんですよね。

でも脳の余計な働きを静めるには、脳をバランスよく使うことが助けになるわけで・・・。

ということで、脳のケアもおざなりにはできないわけです。

・・・ってこんなこと、当然!って感じでみなさん感じてましたよね。
私もこれまでぼんやりは思ってましたが、最近ようやく整理ができてきたようです。


脳について その1


スピリチュアルなことに触れる前から、私は何気に「脳」のことには興味がありました。

一時などは「脳」主義とも言えるくらい、脳が全てだと思っていました。

スピリチュアルなことに触れ始めると、「脳じゃなかった」と思いましたが、最近また脳が復活してきています。

以前みたいに「脳が全て」とまでは思いませんが、「脳を侮る者は脳に泣く」くらいに思い始めています。

こんな風に思い始めたのは、フェイシャルリフレクソロジーを学んだせいもあるかと思います。また、ブレインジムやらNLPやら、勉強はしていないもののその理論を聞いたりしてみると、やっぱ脳だな、と思ってしまいます。

脳は言わば、企業でいうところの社長のような存在ではないでしょうか。

脳は社長で、身体のその他の部分は社員です。
大企業ともなれば、社長がいちいちしゃしゃり出て、一般社員にまで指示を出したりしないように、脳も大枠の指示を出し、あとの細かいことは各部門の部長などに任せます。

部長にあたるのが、例えば他の臓器だったり、各器官で、器官を作っている細胞やら何やらが一般社員。場合によったら、課長にあたる部分や係長、主任、などもあるかもしれません。

各部門の一般社員の側も、大概のことは社長に一から百まで報告はせず、せいぜい直属の部長に報告するくらいです。
なので、末端の細胞などがいろいろやっていることも、もしかしたら直属の部長どまりで脳まで到達していないものもあるかとも思いました。

とはいえ、任せきりすぎてもだめで、脳(社長)も、部長たちに任せっきりだと、いざという時に全然指示したとおりにならなかったり、知らないところで大事件が勃発してしまったりするので、ある程度全体を掌握している必要があるわけです。

でも、現代人の私たちの脳の使い方は大体偏っているので、思いどおりにならないことがあったり、思う前に勝手にやってしまっていたりするということです。

フェイシャルリフレクソロジーでは、脳のありとあらゆる部分に刺激を与えていくので、偏りが修正され、これまで注目していなかった部門にも目がいったり、負荷をかけすぎていた部門にテコ入れしたりと、社長自体が万遍なく会社全体を見れるようになるため、活き活きとした企業になっていくわけです。

やっぱり社長のかざしたビジョンに向かって社員が一丸となってやるべきことをやっている会社は(ビジョンがへぼくなければ)ふつう成長していきますよね。

あそこの部署は社長のお気に入りだけど、どーせうちはお荷物部門だよ!・・・なんて考えのところがあると、大概企業全体(身体)がなんだかブーブー文句を言っているような雰囲気になることがありますが、そういうお気に入りとかそうでないとかいうものがなくなり、「みんなで一つ、がんばろう!」と脳がバランスの取れた活動をするようになれば、健やかになり、物事もスムーズに進んで行き、望むこと(ビジョン)の実現にもつながっていくのかなぁと思いました。

2010/11/09

脱・しあわせ

現代人が強く感じるストレスは、「孤独」とよくいわれていますよね。

確かに、右を見ても、左を見ても、私を見ても「孤独」という言葉に振り回されて、さみしー、さみしーと言っている人はたーくさんいるように感じます。

「孤独」とはいつ訪れるのでしょうか。

一人になったときでしょうか。
二人でいても心が通じ合わないときでしょうか。

私は、「孤独」を意識したときに「孤独」を感じ始めるのではないかと思いました。

つまり、一人だろうが、二人以上だろうが、なんだろうが、孤独とかそういうことを意識してなくて、例えば何かを夢中でやっているとか、集中しているとか、要するに「孤独」に気づいてない、「孤独」から気がそれているときは、孤独を感じないわけです。

ハタ!と、「もしかして孤独!?」と思っちゃったときから孤独が始まるのではないでしょうか。
そういう風に考えると、孤独は自分の内側にはなく外側にあるものなのかなぁと思いました。

そんな風に考えていくと、

「じゃあ、幸せも『幸せ』って気づいたときにやってくるものかしら?」

と思った訳です。

・・・ま、そうでしょう。じゃあ、「幸せ」ってどんどん気づいていけばいいじゃん!とも思いましたが、

でも、そこでさらにわかりました。

「幸せ」って意識した瞬間に、背後に「幸せ・・・でない」ができあがります。簡単にいうと「不幸」ですかね。

そうです。ここは二元論の世界なのです。

だから、「幸せ」ができあがると、「幸せじゃない」も同時にできあがるのです。

じゃあ「幸せ」ってないの!?

ま、ないでしょう。
私たちが普段「頭で考えている」ようなものは。

幸せとは、それを自覚しない状態であること。
孤独と同じで、何も意識してない、幸せを意識してない状態であることが、「幸せ」なのだなァ・・・と、ちょっと哲学しちゃいました。

タロットでいうところの、「0」の愚者ですね。

なーるほど〜。

2010/11/07

第3次肉まんブーム

おそらく第1次ブームは中学校ぐらいの頃に母がどこぞのデパ地下で高級肉まんを買ってきてくれたときだと思う。

コンビニの肉まんとは違い、小さくてきゅっとした本格中華まん。ジューシーで美味しかったため、割高なのにバクバク食べてヒンシュクだったのを覚えています。

第2次ブーム。
それは、肉まん、あんまん、カレーまん、ピザまんのベーシックまん以外に、ホイコウロウまんやらなんやらと、コンビニオリジナルまんが充実したときのことだった。
普段行かないサンクスで見つけた、なんとかまん(既に忘れている)は、コンビニ中華まんの常識(当時)をくつがえす、なが細い形だった。
コンビニ中華まんといえば、丸が普通だったが、そのなが細い形に度肝を抜かれ、興味本位で食べてみたところ、あまりの美味さにそれからしばらく食べ続けたのを覚えている。
今でこそ、ディズニーシーの餃子まんがなが細いので、なが細かろうがなんだろうが、ああいう生地で包まれていれば「肉まん系」であると思われているが、ほんと衝撃だった。


そして今、第3次ブームが訪れた。

先日、ヨーカドーを流していた時、「肉まんいかがですか〜?今できたての肉まんどうぞ〜。」と、ヤマザキの肉まんの試食をやっていた。
肉まんに魅了されたわけではなく、空腹だったため、「どれ・・・」と肉まんを試食してみたところ、意外とジューシーでうまい。
母に「あの肉まん買って」とお願いし(アラフォーの発言と思えまい。)、肉まんあんまん2個ずつセットを買い、母とそれぞれ1個ずつわけることにした。

あんまん、というのは、若い頃の私には「中華まんが甘いなんて邪道!」と思われ、おばちゃんが肉まんと間違えてあんまんを入れた時以外は食べなかった。しかし、中年を迎えた今、なぜかあんまんも妙に魅力的に映り、まずは、あんまんから食してみた。

袋に書いてあるレンジでの温め方を見ると、「500W 35秒 1000W 20秒」だかと書いてあった。注意書きには、「やりすぎると、生地がパサパサになるので気をつけろ」と書かれている。調子にのってあっためれば良いというわけではないらしい。うちのレンジは800W。・・・大体25秒ぐらいかな・・・。ということで、やってみた。

微妙にあったまった気がしなかったが、こんなもんなのかもしれないと自分に納得させ、食べた。あんこが美味しかった。

続いて母が肉まんを食べるというので、ついでに私の分も温めてもらうことにした。母はこういう微調整に弱いので、1個25秒程度だとつげたが、案の定2個同時に温めたため、温まりが弱く、「じゃ、もう10秒くらい」と言って、温めた。私は内心ドキドキしていた。この10秒で皮が硬くなって、食べれる代物じゃなくなってしまったらと、うっすらとイライラしたりしながら、レンジがチンというのをまった。
取り出してみると、先のあんまんのような微妙なあたたまり具合だったが、これ以上やると皮が硬くなる!という恐れが私を包み込んだため、私は「あ、あったまったあったまった」と、あたかもこれができあがりの理想であるかのように食べ始めた。

ところが、食べるの大好き3種体癖の母は、このできあがりに納得がいかなかったらしく、「皮が硬くなる」という恐れすら感じていないかのように(たぶん感じてない)、肉まんにさっと水をかけてラップで包み、「あと30秒ね」と言って温め始めた。

「そんなにやったら皮が硬くなって食べれたもんじゃない」と思う気持ち半分、「こういうときの3種の感は鋭いから、案外美味しくできあがるのかもしれない」という気持ち半分様子をうかがっていると、なんと、ほっかほかの絵に描いたような「THE・肉まん」ができあがった。

「あつっあつっ」などと、ハフハフ言いながら食べる母を横目で見ながら、絶対に自分はあたために失敗したと思われたくなかったので、悔しさを内に秘めながら、「案外この肉まん、美味しいよね〜」と言ってみせた。

そして、今度こそは絶対ほかほかを食べてやる!という決意を胸にしつつ、しかし、それを悟られないように「良ければまた買ってきて」とさりげなく依頼した。

母は私の気持ちを知ってか知らずか、ほどなくしてまた肉まんあんまんセットを買ってきてくれた。

「肉まんあるよ」と言われても、すぐに温めを実践すると、あたかも「前回失敗したことを気にしている」と思われるといけないので、大して興味のないそぶりで、「あ、そ。」と言ってみたりした。

すると母が、「今回はおまけつきだった」というので、「何?」と聞くと、なんと、「肉まんあっため簡易蒸し器」だった。ヤマザキ!オレの悔しさを察してくれたんやな!

やはり、「あっためが難しい」というご意見がヤマザキに相当数寄せられていたと思われ、信じられないくらいのありがたい特典が実現したのだ!

早速やってみたい気持ちを抑え、興味があまりない風に「あっため器なんてヤマザキも気が利いてるね」と言ってみたが、油断するとついついあっため器の話題にしてしまったりしたので、気づかれたかもしれない。(何を!?)

母が早速あっため器で肉まんを温めてみるということで、何やらセットしたりしていたが、見ると興味あると思われるといけないので、ガラスに映る反射で様子を少し確認したりしながら、できあがりの具合を探った。

母のセットはあいかわらず適当みたいだったが、それでも上手に温まっていた。

早くやりたい!

と思いつつ、その日はお腹がすかなかったので翌日に持ち越すことにした。

夜、キッチンをふと見ると、肉まんあっため器が、無下に置かれていた。
「私も使うのに!」とわき起こる怒りを抑え、興味があると悟られまいと、気づかれないように、さっと洗い、あっため器を次回に備えて、準備しておいた。

早くあっためたい。

2010/11/03

お告げ

あー、骨盤いじってるせいか、顔の右側だけがツッてる感じがする・・・。

・・・とかいうと、恐いですよね。
気にしないでください。

最近、夢見がいいんです。・・・良いというか・・・おもしろくて。

先日なんぞは、とうとう、夢に、某有名な神・・・神の子といった方が正しかろうか。そう、○エスが登場し、私に「今やれることを精一杯やれば良い」と言ってくれました。

こんな風にいうと、「大天使ミカエルが私の夢枕にたちました!」的な感じにとられそうですが、私にはこの夢がその手のお告げ系でないことがなんとなくわかっています。

というのも、寝る前に「聖おにいさんの新刊そろそろ出ないかな」とふと思ってから寝たからです。
そのせいで、○エスが出て来ちまったな〜。

にしても、その夢で○エスに励まされたわけですが(励ましたわけじゃないかもしれないけど)、そのとき私は、「そうね。過去世で布教活動してたときは、なんでこれが大事なことなのか結構ブーブーだったけど、なんか今になって、わかる気がする!やれることをやれば良かったんだよね!」とか思ってるわけです。

・・・まったく、宗教にほぼ無関係だし、聖書の内容とかまっっったく知らない私の夢に○エスが出て来ちゃうなんて、なんかハバかられるね。みんなに平等なのね。彼。

次から次へといろんな神が出て来てお話できたらいいな♪
神についてあまり詳しくないから、神だってわからない場合もあるかもしれないけど。

ちなみに、新刊が出たお告げだったのかと思って本屋に行ってみたけれど、まだでした。残念〜。

2010/10/31

骨の歪みをなおしてまう


ちょっと調べものをしていたときに、「図解手を添えるだけで、骨のゆがみがなおる!」という本にバッタリ出くわしました。
Amazonのレビューなんぞを読むと好評価で、内容も私の好みっぽい。。。
だからといって、、、ブツブツ。。。
と1週間ほど悩みましたが、結局買ってしまいました。

レビューにあったとおり、サラっと読み終われるライトな内容ですが、早速ここに書かれている「骨盤の歪みを治す」というのをやってみました。

・・・治った!

という実感などが一切ない程度のソフトなタッチングで行うため、骨盤の歪み自己調整というのが終わっても「・・・果たして調整されたのだろうか?」とよくわからず、「実感」を求めて、引き続き、顔の歪みを治したり、捻挫を治したり、目の疲れをとってみたり、背骨を調整してみたり、まー、平たくいうと書かれていたのを大体やってみましたが、「・・・これでいいのかな?」という感じで、ズレが治ったのかはわかりませんでした。

こういうときは、とりあえず寝れば変化が起こるはず・・・と思い、ひとしきり調整したあと、昼寝してみました。からだは寝ている間に調整するものぞ。

数時間眠り、起きると・・・

い、痛い。からだ・・・た、す・・・け・・・て・・・。

中高生時期の成長期のときのように、骨という骨が軋み、うずいている〜。
あー、どーにもなんねー。ぎゃー。

ということで、一応調整されているようです。

骨盤調整したあとは、簡単に片足立ちできるようになる、と書かれていたので、早速やってみると、確かにすっとできました。

感動のあまり、母に「見て!調整したら片足立ちしてもぐらつかないわ!」と見せたところ、母が、「私もできるわよ!」と調整もしてないのにさっと片足立ちして見せたので、なんか骨盤調整のせいじゃないのかな、とかも思いました。毎度萎えさせる女だよ。あたしの母。

とはいえ、これだけ骨がきしむってことはなんらかの変化が起こっているということだとは思うので、引き続き人体実験し、歪みを調整してみたいと思います。
でもこの本では主に、上下方向の骨盤の歪みの調整法(右が上がってるとか左が上がってるとか)しかないのですが、私は捻れているわけで、これはどうしたらよいかわからないのですが、なんとなくそれっぽくやってみたいと思います。

とりあえず週1くらいかな。やりすぎると地獄を見るからな。

2010/10/28

かもめ食堂


最近HPを少し変えようかな〜と、時間ができるとポチポチ試してみています。より今の自分にあったものにしてみようかと。


そんなことを考えていると、最近ハマっている「かもめ食堂」で、主人公のサチエが言った言葉を思い出します。

かもめ食堂のことは食パンのCMを通じて知ってはいたのですが、映画は観てませんでした。本も読んでません。
少し前にTVで放送したのを初めて観たですが、何がとはうまく言えないものの、とにかくその空気感に惚れてしまって、ことあるごとに何回も観ています。観るたびに、何か心が・・・なんともいえぬ・・・「は〜(^^)」みたいな感じになるんですよね〜。
私は気に入ると何回でも同じのを観れるタイプなので、ある意味経済的。あと少なくともきっと10年くらいは楽しめます。

で、主人公のサチエはヘルシンキで一人で食堂をやっているのですが、そこに片桐はいり演じるミドリがジョインしてきます。食堂は全然お客さんが入らないので、ミドリがガイドブックに載せようと提案してくるわけです。
するとサチエが、なんかそういうのは「この店のにおいと違うと思う」と言うんですね。

なんかそれって大事なことだな〜と、観るたんびに思うんですよね。
私もそろそろ、そういうのを嗅ぎ分けていかないとな。

嗅ぎ分けるといえば、サロンMはどんなにおいだろうと考えてみました。サチエは「におい」って実際の匂いのことを言った訳ではないでしょうけれど、ここでは敢えて実際のにおいをイメージすると・・・。

木のにおい
湿った土のにおい
浜辺のにおい
太陽で乾かした洗濯物のにおい
魔女の家のにおい
セドナのにおい
ふとんのにおい
ふかふかの毛布のにおい
フレーバーティーのにおい
いれたてのコーヒーのにおい
コットンのにおい
草系のハーブのにおい
ストーブつけたときのにおい
レモン水のにおい
アイルランドのにおい
ヨーロッパの一般家庭のにおい
ハチミツのにおい
パンケーキっぽい焼き菓子(あまり甘くなさそう)のにおい
他人の家のにおい
スープのにおい
ハンバーグのにおい
かすかに花のにおい

・・・うーん。こんな感じかな〜。

必ずしも「ハンバーグのにおい」がしているというわけではなく、するとしたら、ステーキよりもハンバーグのにおいかと。
そんな感じです。

9が来てる・・・

来年は私にとって、ヌメロナンバー「9」の年。
でもまだ8の年のはずなんですが、さすが既に今年を振り返り済みだけあり、すでに「9」の予告編のようなことが身の回りに起き始めています。

先日も言ったように「8」が財、パワーを表しますが、「9」は1〜8まで全部の要素が入っていて、総仕上げ的な年なのだと思われ。

大いなる流れに従う、ということを表すとも言われますが、タロットでいうと、ランタンを持って暗闇を照らしている人物がそれに当たるわけです。

要するに暗闇を照らして皆を先導するという役割ですね。

でもそれは、有名な絵画のように群衆に対して「こっちじゃ!」と手をあげて導くのではなく(西欧のあの絵ね、アノ絵)、私が歩いてたら勝手に後ろついてきとるやん!的な導きです。

「気づいたら勝手にうしろに人続いとるやん!」みたいなことって日常的に遭遇することって普通だとあまりないですが、最近このような象徴的な出来事が頻発してきました。「来年9ですから、こんな感じでよろしくッス」ということでしょうか。

9は私の誕生数ですので、あまり出現しない8よりは馴染みやすく、早くも居心地良い感じです。

しつこいですけど、9の年の前に「ニュー・アース」読んどいてよかったです。まだ読み直してますけど、引き続きすごく、ためになってます。

・・・でも急に飽きる日がくると思うのであしからず。ブームなんで。ブーム。

・・・チャックは飽きたわけじゃなくて、既に身の一部に吸収されたんですよ・・・。

さて、ご自分の来年のナンバーはなんでしょうか。

2+1+1+自分の誕生日を分解した数

ですよ。11月27日生まれなら

2+1+1+1+1+2+7 ッすね。

15なのでさらに1+5で6と。この人の2011年のナンバーは6となるということです。

やってみるとおもしろいですよ。

2010/10/26

好雪片片不落別處


「好雪片片として別処に落ちず」

舞い落ちる雪のひとひらひとひらは、落ちるべきところに落ちている

という意味です。

最近この言葉が気に入っていて、思い出してはなんだか安心しています。

2010/10/21

修行せよ



肉体疲労がMAXに達したため、先日プレムクリニックへ行ってきました。

すると先生から「2010年を振り返るの早すぎるでしょう。」とツッコミが。

そうは言いますが、私は大体いつもこれぐらいの時期になると、一年を振り返ってしまうのです。でも、ブログに書くと早いかな〜と思うので、これまでは振り返った内容をメモしておいて、年末に書いたりしてました。だから、振り返りの振り返りだったわけですが、「自分の流れでええやんか」が極まりて、もう振り返りました。ハイ。ありがとうございます。(なんのこっちゃ)


先日テレビで映画「陰陽師」をやっていました。私は野村萬斎が好きなので、前にも見ましたがまた見ちゃいました。IIの方を見ていたら、晴明が中井貴一に、時が経てば全ては消えてなくなるものだ、というようなことを言っていました。

野村萬斎をガン見していた私でしたが、その台詞に、ハッとしました。「ニュー・アース」に書いてあったな、と。(もう、ニューアースネタいいよ、って感じですか?)

チャック後、チャック前と同様に、ニュー・アース前とニュー・アース後では、自分の中では何かが大きく変わったのですが、要するに晴明が言うように、全ては幻想。消えてなくなるものだと、改めて悟ったわけです。

だから、振り回されずに、のほほん行こう!ということですよ。

この世の幻想に振り回されないためにはどうするか。

修行です。修行する必要があります。
別に瞑想じゃなくてもいいんです。瞑想すると、幻想がわかりやすいだけで、自分にあったやり方で良いと思いますが、とにかく日々修行です。

・・・なんていうと、なんかイニシエ風ですけど、現代風にいうと、要は、「メンタルトレーニング」です。

少し前に、ダライ・ラマのしゃれた名言集を集めた、「抱くことば」という本を読んだのですが、その中に、

「・・・(省略)・・・アドバイスしたいことは、ほんとうの満足感や心の安らぎは、メンタル・トレーニングによってのみ得られるもので、・・・(省略)」

とありました。

仏教系には疎い私が(ていうか、何でも疎いけど・・・)ダライ・ラマのことが結構好きなのは、雰囲気がただのオジサン(つか、もうおじいさん?)ぽくて親しみがあるからと、説明が上手だからです。


ラマの言葉を翻訳したものを読んでいるので、多少は翻訳者の力もあるでしょうが、以前DVDで見たラマもそんなに難しいことを難しくいっている感じはしませんでした。

現代風にわかりやすく言ってくれる、表現できるのが、彼のすばらしいところで、そのせいで尚親しみを感じるのかなぁと思ったり。


話がそれましたが、ダライ・ラマも言うように、メンタル・トレーニングってやつですよ。自分が幻想に惑わされちゃってる瞬間に気づくことがまず最初です。大概気づきません。
修行していると段々気づけるようになってきますので、しぶとくがんばることが大事です。

「抱く言葉」文字も結構大きく、すぐ読めちゃいますが、おススメです。結構良いこと書いてあります。
なんせ、冒頭が「人生の目的は幸せになることです。」ですから。

最近、なんせ が口癖になっちゃったな〜。


2010/10/17

2010年を振り返って


来年用の星ダイアリーをすでに購入しました。

今年は浮気して、某有名な方が作った似たような手帳にしたのですが、結構一般的な感じのものだったので、水瓶座の風変わりな思想を満足させることはなく、結局年の途中からほとんど見ないという・・・。

ということで、初心に返り、というか、何度見ても案外楽しめる星ダイアリーに戻りました。

来年の予報を先読みしていると、このところ10年以上水瓶座に滞在していた海王星が来年いよいよ移動するという。

・・・だからかな。

だから、最近自分というものの捉え方に変化が起こってきているのかな、と思ったり。

海王星が第1室にいると、本当の自分というものが見えにくくなったりするらしいので、これがいよいよ移動し始めるっつーことで、自分自身というものの捉え方に早くも変化を感じつつのあるのかもしれません。

なんせ人の1.3〜1.5倍ぐらい先取りなので、超ゆっくり移動するこの星のうねりは既に私が感じられる範囲に来たのでしょう。

来年はヌメロロジーで勘定すると第2ピナクルの9の周期の年にあたり、その年に海王星が自分の星座から移動するというのは、なんだかとても象徴的で計算されつくしているような気さえしますね。

今年は私にとって8の周期の年で、ヌメロロジーでいっても、西洋占星術でいっても、財やパワーの年でした。

早くも振り返ってみると・・・。

7の年に比べ、よくわからないことも多く。
というのは、私のヌメロチャートの中に8が登場しないことが理由かとも思うのですが(7はある)、とはいえ、ここにきて、自分が本当に満足することとは何なのか、ということがハッキリしてきたような感じはします。

そんな風に自分にとっての大切なものが浮き彫りになってくるまでには、自分が「これを手に入れたら幸せがやってくるに違いない」と信じていたものを手に入れ尽くしたからこそです。

以前にも言ったと思いますが、私が「これを手に入れれば幸せになれる」とか「きっと自分は満ち足りるだろう」と思っていたものはいずれも私を満足させてくれはしませんでした。

所詮は自分が抱いていた幻想であったことがハッキリしたんですね。
それにより、「ハテ?ではいったいどうしたら?」と改めてじっくり自分の奥深くに入り、今ようやく、「足るを知る」とはどういうことなのか、少しわかりかけたような感じです。

これが、私にとっての8の周期で得た大きなものなのかもしれません。

2010/10/11

野生の証明

以前にも何度かカミングアウトしていますが、ヒーラーで透視リーダーでありながら、私は案外エネルギーに疎い方です。

ヒーラー仲間の中には、「ここ、変な感じがするから嫌だ」とかそういうのをパッと察知して、その場から退散する人もいます。
そういうときも私は、「え?そうなの?」という感じでよくわからないけど、一緒に退散したりします。念のため・・・ね。

先日、セイクリッドアロマカードの原画展に行ったときのこと。
アロマカードの絵を描いたヒロさんとお話していたら、ヒロさんも今年の5月ごろにハワイ島に行ってきたとのこと。やっぱ、ハワイ島いいっすよね〜、なんていう話をしていると、ヒロさんは、「ハワイ島のエネルギーってさ〜」と、ハワイ島がなぜ良いと感じるのか、ハワイ島のエネルギーについて語ってくれました。

「どう?そう思わない?」的に聞かれ、私は思わず「・・・私はそういうのは、感じないんですよね〜。ただなんとなく好きなだけで・・・。」というと、ヒロさんは「おめぇーまたかよ」風のあきれ顔でしたが(私がわからないのは毎度なので ^^;)、一緒に行っていた友人が「なんとなく好きならそれがいいんだべ」と言ってくれました。

この北海道出身の古馴染みの友人は、特にヒーラーでもリーダーでもない単なるオッサンですが、建築家のオッサンです。なので、クリエイティブなことには、多少の意見はあるようで、「理由なんてよくわからないけど、とにかくカッコいいと感じる」とか「良い」とかそういういわゆる、「フィーリング」っていうのが大事だと思ってるとのこと。

そう言われて自分を振り返ってみると、好きなことわざが「牛に引かれて善光寺まいり」だけあり、自分では意図していなかったけど、結果ラッキーだった、とか、結果いい感じだった的なことが結構あります。

でも、これって透視リーダーとしてどうよ?

とか思っていたんですが、「ニュー・アース」に(また読んでんのか!?)、「2004年の津波災害でも野生動物には事実上被害はありませんでした。」とあり、「人間よりも全体と触れ合っているから見たり聞いたりするよりもずっと早く津波の襲来を知って、高台に逃げることができたんです。いや、これも人間の目から見た言い方でしょうね。動物たちはただ高台に移動した、それだけかもしれない。」と書かれていたのを読み・・・

わ、わかるわ〜。その(動物たちの)キモチ。

きっと私もこの野生動物と一緒で、あまりにも全体と触れ合っているため、理由とかよくわからないけど、ただ行ってみたとか、気づいたらやってた、的な部分が多いんだわ!

・・・とニューアースのおかげでまたポジティブに自分を受け止めることができました。

めでたしめでたし。

2010/10/06

エゴと離れよう!


先日紹介した「ニュー・アース」を一度読み終わったにも関わらず、またすぐ読み返しています。
読めば読むほど、なるほどとエゴについて再発見することが多いです。

エゴのまやかしに惑わされることなく、自分の本質的な部分にいつも気づいている、そのまま(本質のまま)でいることができれば、マジでいろいろなことが解決されます。

私も日夜練習中ですが、この「エゴのまやかしに気づく」トレを始めてから、段々自分のエネルギーが変わっていくのがわかります。

内側からビカーンって光るのが時々なんとなくわかります。
目をつむって瞑想しているのに、「ま、まぶしい・・・なんだこの光は・・・」と思って目を開けそうになります。・・・ま、それが自分の内側の光かどうかはさておき・・・。

「ニュー・アース」を読む前から、何度か似たようなことをお話したことがありますが、自分の本質的な部分に接触すると、「何もやらないでいいや」とか思っちゃうんですよね〜。私は。

つまり、逆説的にいえば、私が普段やろうと思っていることなんて、所詮は何かの補償行為(罪悪感のあまりやっていることとか)だったり、エゴのまやかしの同一化でやっていることばっかりだということになりますな。ワハハ。

エゴと距離ができると、何かになる必要も、手に入れる必要もないという感覚になるので、毎日なんとなく楽しければいいや!みたいになっちゃうんですよね〜。ほんと欲がなくなって、平安です。ある種、平凡でヒマな生活です。
そして、それでいいんだと思っています。

「ニュー・アース」には自分の本質に気づいた状態でいれるようになってくると、エゴでやろうとしてたことはやらなくなるけれど、そのかわりに、突き動かされるような衝動で突然何かをやり始める場合がある、と書かれていました。そうでない場合もあるとも書かれていますけど。
ある種のヴィジョンみたいなものが浮かぶという・・・。
当の著者も、そういう衝動でこういうスピリチュアルなことをやっているという・・・。

・・・そういう衝動がナイ方の場合だな。私は。

超気づきの状態になると、「何もやらなくていいや」と思うのですが、気づきの状態から離れてしまうとすぐに、「次はアレをやろうかな」とうっかり考えています。「・・・これが衝動!?」とか一瞬思いますが、私の場合はそうではなく、「何かやってないといけない」という癖のようなもので、やる対象がなくなると、次から次へと提案してくるエゴのまやかしであると気づきました。

あぶねーぜ。また騙されるところだった。

と思いつつ、眠ったある日の明け方、夢を見ました。

目が覚めたとき、「あー、超楽しかった!」と思ったその夢は非常に興味深いものでした。

楽しかった夢の中で私がやっていたのは、女の子どうしで、あーでもないこーでもないとアクセサリーとか洋服を選びっこすることでした。

なんかこういう、チマチマした、いかにも女の子っぽいことが実は私の楽しみなのだなぁ、と我ながら驚きつつ、この夢の楽しい感覚を現実化するよう、がんばってみようと思いました。

とりとめのない内容になっちゃった。

2010/09/29

宇宙におねがい


何かを欲しがったり、なりたがったりするのはエゴの策略だ!

ということに、そうだそうだ!と納得しつつも、ついつい「あーしてこーして」とお願いごとをしてしまいます。(宇宙に)

ハッキリスッキリお願いすれば、大体そうなると以前からお話していますが、私は最近こんな風なことをお願いしました。

「DVD全部買うと大変だからチャングム再放送して」

「キムサムスンDVDに撮りたいから再放送して」

「ギルバートグレイプもう1回放送して」


・・・10月に全部やるんです〜。やったね〜。
うれしさのあまり書いちゃった♪

再放送のお願いまで叶う。あー。これでDVDに落とせば、何回でも見れるわ〜。うれしい。老後の楽しみだわ〜。

「自分の本当の願いを知りましょう」

とか言っておいて、おまえの願いはそんなんやったんか!
・・・って感じっすよね(笑)


2010/09/26

ニュー・アース



数ヶ月前に、人に勧められた本でしたが、何となく読む気になれず、そのまま記憶にとどめていました。

先日、「SHAMANIC TEST」中になったこともあり、「導きと思われるものはやってみろ」ということで、この本のことも「読むなら今だな」と思い、読み始めました。

あまり前情報もなくいきなり読み始めたので、どんなことが書いてあるのかよくわからずに読んでいましたが、なんと冒頭には「読みすすめることにより目覚めの変化が起こるだろう」的なことが書かれていました。

ふーん。。。

と、思いながら、読み進めると、この本はエゴについて書かれている様子。
・・・というのは正確ではなかったようで、私たちの「本質」、スピリットのことを書くために、それじゃないものとして、エゴとか、その中の種類であるペインボディというものなどについて、大変詳しく書かれていました。

この本に書かれているエゴについて知ると、「俺、エゴの塊じゃん!」と思う次第で。。。おはずかし。

とはいえ、「気づく」ことが第一歩。気づけば変えられるし、エゴに騙されることも段々少なくなっていきます。
私もこの本を読んでいるうちに、また自分の奥底に潜むエゴをことごとく知らしめられ、読み終わるころにはだいぶ内的に変化が起こりました。

エゴと自分を混同することがなくなると、非常に自由になり、幸せと充足感を感じられます。

というのも、エゴと自分を混同しないための手だてとして、「いまに在る」ということがとても重要になってくるからです。「いまに在る」ことができれば、即ち自由であり幸せであり、満たされます。

この本では、この「いまに在る」ということの重要性やよくあるエゴの引っかけなどについて知らせることにより、強いセンタリングを読み手に起こさせてくれます。

センタリングとは自分の中心に意識をおくことで、グラウンディングと同じようにスピリチュアルな世界では重要なものとしてしばしば登場します。

ちゃんとセンタリングすると、自分とよく似ているけど自分じゃないものがわかってくるようです。私は今までセンタリングの重要性をあまりよくわかっていなかったのでいつも適当にやってましたが、今回まじめにやるようにしてみて、重要性がハッキリわかりました。やったほうが良いです!

ちゃんとセンタリングして、心を静めじっと感じているとわかる、自分の「意識」・・・言い換えると「スピリット」と言われる部分に触れると、そこはいつも平安な状態のようで、とても安心します。

ここ(スピリット)は今も昔も変わらず平安なのだからこの状態でいつもいればヒーリングとかやる必要ないじゃん!
と率直に思いました。

確かにそうではないかと思います。

私の考えでは、オーラでさえ自分を取り巻くものではありますが自分ではないのではないかと思いましたし、そう思うと、オーラに何があろうが、潜在意識に何があろうが、平安でいられそう・・・と思うのです。

でもふと気づいたことがありました。
センタリングしていても、どうしても少し気が緩むとスルーッと少しずれてしまったりします。で、なぜかというと、これも私の考えですが、オーラや潜在意識というようなものの中にあるエネルギーに引っ張られてしまうのです。掃除機のように吸引されていく、というか。

以前に第6チャクラの付近に思考のエネルギーがモンモンとしていると、チャクラの方に意識がひっぱられて前に出気味になると感じたことがありましたが、それと同じことが、自分のそこかしこで起こっているようでした。
「ニュー・アース」によると、エゴはエサを欲しがるヤツで、エサとなりそうなものがあると、むさぼり食う(今さっき見たバイオハザードみたいだな〜)ということなので、スピリットの無限のエネルギーも油断するとスルーっとエサになっちゃうのかしら・・・とも思いました。

そういう意味では、センタリングをし続ける練習をしながらも、発見した引き寄せるエネルギー(この場合「エゴの思い込み」)をヒーリングするのも有効かな、と思いました。
究極的には、スピリットとブレずにあれれば、こういうオーラの中のなんやかんやを3次元的に処理する必要もなく、もっと高次の次元で同一のエネルギーに変化させることができる、というか、変化させる必要さえなく、それもこれも同じエネルギーとして受け入れられるのかな、とも思ったりもしています。

先日のアロマエンライトメントで、「自分の本質」のエッセンスが「第3の目を開く」というものであったことが何となくわかってきました。
この3次元の世界や、時間という次元(時間という概念についてもニューアースに結構書いてあります。ややこしいですけど)を超越した視点というのを最近自分の中に感じていて、なんかそれが第3の目と関係しているのかな〜と思ったり。
かつ、目覚めた自分のエッセンスが「精霊との交流」でしたが、その意味もなんとなくわかってきました。精霊って私たちのことです、おそらく。今見えている次元を超えたところにある、スピリットの世界。そこではみんな、なんていうんでしょうね〜、つながりあっているんです。無。。。ま、空(くう)ですかね。

自分のスピリットを感じると、つながりあいみたいなものも同時に感じることができて、あ、なんかこゆこと?って思いました。

今日はいつもより少しスピリチュアルな内容でしたかね〜(^^


2010/09/21

シータヒーリング&アロマエンライトメント


「大いなるものの導きと思えるものはとりあえずやってみろ」

ということだったので、たまたまシンクロ的に背中を押されたシータヒーリングというのを受けてみることにしました。あんど、元々「精神的な疲れを癒したい」というのもありましたのでアロマトリートメントもプラスして。

目黒のルブランさんでシータヒーリング&アロマエンライトメントを受けてきました。

まず、シータヒーリング。
初めて聞いたのですが、おそらく、潜在意識とか思考とか、無意識とかそういう部分に入っているプログラムとか、思い込みをシュッととり、代わりに高次の概念的なものをダウンロードして入れる、というもののようです。

私の場合1つめは、「パートナーほしい」というお悩みでやってみました。セラピストさんがいろいろヒアリングしてくれて、その中で、目的達成の障害となっている思い込みをまずは見つけてくれます。途中からあんまり覚えてないんですが(とにかくたくさんやってもらったので ^^;)、印象的だったのは「愛ってなんだか知ってるか」というものでした。

「愛がなんだか知っているか」
「愛されるってどんな感じか知ってるか」
「愛するってどんな感じか知っているか」

そして
「自分を愛しているか」

という質問で筋反射テストをされたところ、ことごとく「いいえ」でしたので(笑うしかないよね〜アハ!)、「愛」という概念を注入してもらいました。

そんなこんなでいろいろやってもらった結果、驚くべきことに、短時間の間に私の考え方に変化が起こっているのがわかりました。
すごいね〜。シータヒーリング。

原理としては、私がやっているオーラヒーリングと同じですが、効果の度合いと実感度が高く感じるのは、おそらく、筋反射テストで思い込みがあることを本人と一緒に確認できることと、ダウンロードした結果を同じく筋反射テストで目検で確認できること、そして、「根こそぎとる」ということが上手にできているからだと思いました。

なので、家に帰ってから自分でもシータヒーリングもどきオーラヒーリングをしてみたところ、同じように筋反射テストでも確認でき、どうやらできているようでした。
おもしろいですね。新しいヒーリングの手法の勉強にもなりました。

で、シータヒーリングが終わったらアロマエンライトメントへ。

アロマエンライトメントとは、普通のアロマトリートメントではなくて、オーラソーマのように自分で使用するエッセンシャルオイルを4本選び、それにセラピストさんがそれらを促進するような1本を選んでくれて、それでレインドロップを行うというものです。

レインドロップとは、エッセンシャルオイルの原液を背骨に沿ってポタポタと垂らして行うパワフルな浄化のトリートメント。かつ、このアロマエンライトメントの場合は「本当の自分らしさ、幸せな生き方」を潜在意識の底から目覚めさせてゆくというものだそう。

潜在意識・・・重要。浄化してほしい。
だって、俺、SHAMANIC TEST中。

ということで、早速エッセンスを選んでみると、

1本目 あなたの本質 ローズマリー(第3の目を開く)
2本目 現在抱えてる課題、ブロック、足りない部分 セージ(浄化)
3本目 目覚めの鍵、多すぎる部分 ユーカリ(過剰な自己表現、自己主張)
4本目 目覚め、統合された自分 スプルース(精霊との交流)
5本目 目覚めを促す1本 ローズウッド(上下のバランス)

ということ。
・・・スプルースってあまり聞かないエッセンスでしょ?
なんと、ネイティブアメリカンのラコタ族がグレイトスピリットとのコミュニケーション能力強化の為に使用したと言われているそうです。。。
ラコタね。私がセドナでお世話になったラコタ族ね。
奇遇奇遇・・・とセラピストさんに告げると、

「というか、レインドロップという手法自体、ラコタ族が起源です」

・・・という。え?そうだったの?知らんかった。

なんでもラコタ族は、北へオーロラを浴びるための旅に出ていたそうです。
オーロラの七色の光を背骨に取り込むという儀式をしていたそうで、ラコタのメディスンマンからそのヒーリング法を聞いたゲリーヤング(このアロマエンライトメントで使用するエッセンシャルオイルを作っているヤングリヴィング社の創設者)がインスピレーションを受けて創ったのがこのレインドロップという・・・。

なんてラコタな!

ちなみに、「北へオーロラを見に行っていた」と知ったとき、ゾクっと来ました。
私は、アラスカの国立公園のところにある、白き大きなものだかなんだかとネイティブアメリカンに言われているという景色を見た時に、「ここは行った方がいいな〜」と思ったんですね。北と言えば、ナバホなので、てっきり自分のことナバホかと思っていましたが、ラコタも北行ってたんじゃなーい。それか〜。


自分のこーと、ラコタ族っておーもうーのね、 可愛いね、タンジー♪(歌です)

ネイティブアメリカンの過去世があるなら、多分ラコタ族のときもあったな、と思っていたのですが、なんだか、今回の件で、やっぱりラコタとは何かあるな、と思いました。家に羽ものが多い時点でラコタな感じ漂ってますよね〜。

って、話をアロマエンライトメントに戻しますと、そういうわけで上記に選んだエッセンシャルオイルを使ってレインドロップしてもらったわけです。

揉んだり押したりとかはほとんどないんですが、おそろしいくらいのリラックス感。寝た。セラピーで寝ない私が久々に寝ました。

終わってスッキリ、というか、エネルギーが上にあがりすぎてぼんやり、という感もありつつ、外に出るとやけに木々の匂いを強烈に感じ、あー五感が冴えてるのだな〜と感じました。

で、その日の夜から鼻水が2日程度止まりませんでした。好転反応!?だと思います。
あんど、お腹下しました。
浄化じゃー!

で、レインドロップとラコタな縁に感動したので、その次の日にレインドロップを早速習っちゃいました〜♪キャハ!

なのでそのうちサロンMでもレインドロップやれると思いますので少々お待ちくださいませね。うふん。

ということで、このレインドロップによる浄化で、なんとなく少し8月末からのドタバタが落ち着いてきた感あり。
嵐のあとの散らかりを片付けている感あり。
SHAMANIC TESTはうまく通過できたのか、まだ実感ありませんが、一番激しいところは過ぎたような気がします。


SHAMANIC TEST


NEWリバランシングが終わって、「今回は特に気分のアップダウンとかなかったな〜。」なかったな〜・・・かったな〜・・・ったな〜・・・な〜・・・〜・・・ ・・・。(※エコーです。久々)

と思っていましたが、内的なアップダウンがなかっただけで、周囲の環境に「おいおい・・・」と思うような出来事が連発で発生しました。
これで相当凹みましたね。

マイブームのチャックに助けを求め、「セルフ・セラピー・カード」で見たところ、第1チャクラを表すカードに「シャドー」というカードが・・・。

「シャドー」。そう、それは自分とは認めたくない自分のことです。

・・・カ〜ぁ・・・とはいえ、受け入れられねぇな〜・・・

とウダウダしていると、問題は解決するどころか、なんだか雪だるま式に自分の潜在意識に潜むドロドロした部分を引き出し始める結果に。

・・・た、助け・・・て。

ということで、また!セルフセラピーカードで見てみたところ(遊んでるでしょ!?)、問題事態を表すカードに「SHAMANIC TEST(試練)」というカードが・・・。

解説を見てみると、まずはカードを手ではじき飛ばしてみて、表が出るか裏が出るかで意味が異なる、と書かれていたので、早速やってみました。

裏でした。裏、つまり表が下になった場合、「次の高度なレベルのテストに直面している」とのこと。なんせ、高度なレベルのテストなので、これに失敗すると「世界が崩壊したかのように感じるでしょう」とのこと・・・。こえぇぇ。
大いなるものの導きに従い、乗り越えましょう、ってことでした。
そして最後に「頑張れ!」と書かれています・・・。

大いなるものの導きと思えるものはとにかくやってみろ、ということだったので、パッと頭に浮かんだフラワーエッセンスに助けを求めてみました。

選ばれたエッセンスは、まー、なんでしょうね〜。全体から漂うメッセージが「がんばれ」っていう感じっつーんですかね。
ちなみに下記のようなものが選ばれました。おそろしか〜!

フィンドホーンから
 デイジー(つねに自分を失わない)
 ジャパニーズチェリー(スピリチュアルな存在との回路を取り戻す)

マウントフジから
 アカツメクサ(例え周りが嵐でもセンターに留まり続けること)
 イカリソウ(人生の目的と情熱の具体化)
 トネアザミ(不遇に負けない力)
 フジ・つぼみ(変化による衝撃から守る盾)
 マルバアオダモ(不必要な防御を取る)

で、ま〜、2週間程度がぶ飲みしましたところ、少し状況が変わってきて、というか、状況が変わったというより、自分のドロドロした部分とじっくり向き合うことができ、少々落ち着きました。

潜在意識って結構いろいろなものが残ってるな〜。そして、それがずいぶんと現在に影響しているな〜などとぼんやり思っていました。

つづく

NEWリバランシング



・・・思えばここからガタガタといろいろ始まったと言えるだろう・・・。
いや、始まったというより、始まらないように固めていた壁を猛烈に破壊されたので、当然のごとく、何かが流れてしまったのだな・・・。

なんて、意味深な始まりですが、少し前に新しくなったリバランシング療法を受けてきました。リニューアル記念にお得意様サービスプライスで受けれるということで、いつものように「せっかくだから」と行ってきたわけです。

何が新しくなったかというと、以前までのリバランシングに加え、クラニオセイクラルというのを加えた療法だということ。
届いたはがきによると、「これまでとは違ってソフトなので痛みを感じない」とか、「相当集中するので、やってるときは電話に出れない」などと書かれており、あの悶絶な痛みに耐えるリバランシングじゃなくなったのか〜と、いささかドM的な寂しさを感じつつも、プレムクリニックへ向かいました。

どれどれ、と早速やってもらうと・・・

「・・・先生、痛いんですけど!」

「はい。痛いです。」

「ハガキに痛くないって書いてあったけど!」

「痛くない訳じゃないです。ここは前と変わらないからね〜」

「・・・インチキじゃ〜っ!」

ということで、リバランシング部分はこれまでと変わらず、適度な痛みを伴うトリートメントです。

このリバランスで体を整えたあとに、クラニオセイクラルで脳脊髄液のリズムを整えていくので、ただクラニオセイクラルだけやるよりも良いらしい。
なんせ、背骨を通っている脳脊髄液のリズムを整えるわけですから、背骨周りの筋肉や背骨の曲がりや歪みや縮みなんぞを整えてからやったほうが良さそうというのはわかりますよね。

で、ガシガシからだを整えてもらったあとに、ようやくクラニオセイクラルに・・・。ちなみに、しゃべれないのはこれをやっている10分間くらいで、あとはトークOKです。

やられた感想としては、「ん〜。パルス整ってる・・・」とかそういうのはわかりませんでしたが、最後の方でなんか、潜在意識にあったかと思われる映像がバババッとフラッシュバックしたみたいになり、「へ?なんじゃらほい?」と思っている間に終わりました。
あ、あと、いつでも誰にでも指摘される左上半身のエネルギーが通りがよくなった感がありました。・・・そうか、そのせいで、あとからいろいろあったんだな・・・ブツブツ・・・。

大体リバランシングをやった後は、1週間くらいの間にどん底と高揚を味わうのですが、今回はそれがありませんでした。

だが・・・だからといって万事順調に終わったわけではありませんでした・・・。

つづく

2010/09/16

どこで、というより、何を。


前々から何度も書いてるかもしれませんが、パーソナルカラーを勉強し、勉強したことを実践するようになってから、「いつもおしゃれですね〜。お洋服どこで買っていらっしゃるんですか〜?」と、言われること多数。

実際にどこで買っているのかと言われれば、特定のブランド・・・を持つとそこは必ず撤退するか消えるという個人的法則があるので・・・は持たず、必要なものを、ありそうな場所をぶらついて探して買っているわけです。

でも、毎度思うのは、重要なのは「どこで」買っているのか、もしくは「どのブランド」のものなのか、ということではなく、「何を」買っているのか、ということだと思う!

要するに、ヨーカドーで買っていても、エルメスで買っていても、自分に似合うものを選んでいるか、ということが大切なのです。

このことについて考えていて、ふと思いました。

もしや、
「自分に合う」ということをあまり気にかけていない人が多いのでは?
・・・と。

自分に合うものを着ているかどうか、ということについては、

1)自分に似合うものを知っていて実践できている

2)自分に似合うものを知っているが実践できてない(特訓中)

3)自分に似合うものを知らない

4)似合うとかそういうことを考えない

という各段階があると思います。

で、多くの人がもしかして4なのではないかと・・・。

じゃ、4の人たちは、服を選ぶとき何に着目をしているのか。
鏡の前で服をあてがったときに一体何を見ているのか。

もしかしたら、

「自分ではない誰か」

を鏡の中に見ているのではないでしょうか。

「自分ではない誰か」とは、自分が同一視したいと思っている誰か、つまり、憧れの存在や、お気に入りのモデル、歌手、俳優、ファッションスタイル・・・などです。

鏡の前に立った時、それらと「同じになっている」かどうかだけに着目し、「自分に合っているか」を見ていないのではないでしょうか。

そんな風に思いました。

まずは、冷静に鏡に映った自分を観察してみること。

それが、第1歩か・・・、などと思う今日この頃、、、ですな。

2010/09/15

人間パワースポット


今日は、「1/f ゆらぎ」の話。

一時期話題となった「1/f ゆらぎ」は、一見規則正しくあるものの中にみられる不規則さ、といったようなことかと思いますが、人の体のリズムも「1/f ゆらぎ」になっていると言われ、そのため「1/f ゆらぎ」が人にとって快適に感じるという。。。

小川のせせらぎ、ろうそくの炎、木漏れ日などからも「1/f ゆらぎ」が発見されていて、自然現象の中には多くの「1/f ゆらぎ」があるため、その中に身を置くと癒されるという。。。

有名なのは、美空ひばりや宇多田ヒカルの声が「1/f ゆらぎ」だと言われていることですよね。

最近私が聞いた話によると、ダライラマの声も「1/f ゆらぎ」で、そのため、講話を聞きにきた人で寝る人続出(^^ っていう話。

こうして聞くと、「1/f ゆらぎ」を持つ人って特別な人なのかな〜とか思っちゃいましたけど、冷静に考えると、万物の持つ不規則性が「1/f ゆらぎ」なのかな〜と思ったり。

でも、とある人から発見され、とある人からは検出されないのはなぜか。

直感的に思うのは、その人がリラックスしているか、ということかな〜。人間もリラックスしていたり、あるいは、すごく集中しているとかでもいいのかも。そういうとき「1/f ゆらぎ」の状態になっているのではないかなぁ。

私は、母が台所で夕飯の準備をしている音を聞きながら昼寝するのがとてもリラックスできて心地よいのですが、それもおそらく「1/f ゆらぎ」だからじゃないかな!

だから、「1/f ゆらぎ」というのは特別なことではなくて、この世のベーシックな原則なのかもしれないなと思います。
名のある芸術家などが、「神はまっすぐな線をこの世に創っていない」というようなことを言っているけれど(要するに、自然の中にはものさしで引いたような直線のものはないという意味)、それが「1/f ゆらぎ」ってことじゃね?みたいな。

こんなに連発して「1/f ゆらぎ」と言ってるわりにはこれについて大して知っているわけでもなく、いつもの単なる直感的な妄想です。

先日、つるべが坂東玉三郎のことを「人間パワースポット」と言っていたけど、結局この「1/f ゆらぎ」状態で常にいれる人が人間パワースポットと称されるような人なのかなぁと。

リラックスして集中している状態。
つまり、ま、ある種、「目覚めている」、ってことですかね。

2010/09/05

特技


誰にでも特技のひとつはあるもの・・・。
でも自分の特技が何か、自分では気づいていない人も多いですよね。

私もそんな一人でした。
ところが最近、「もしかして特技かもしれない」ということがひとつわかってきました。

それは、

「近日中に妊娠する、もしくはしているのがわかる」

という特技です!

自分が妊娠しているかどうか、わかるという意味ではありません。
他人の状態のことです。

最初にそう感じたのはもう何年も前ですが、久しぶりに友人(女性)にあったときに、パッと見た瞬間に「妊娠したな。」と思ったんですね。
で、「妊娠した?」と聞いたら、第5週とか6週とかなんかすごい早い段階ではあったけど、確かに妊娠しているとのこと。

「当たった」

とか思いましたけど、「きっと、シチュエーション的にも妊娠したっていう報告の可能性もあったし」などと思い、自分の特技とは思いませんでした。

その後しばらくしてですが、以前一緒に働いていた女性にトイレであったときに、「・・・妊娠したのかな?」とふと思いました。
なので、「妊娠されました?」と聞いたところ、「いえ、してませんよ〜」なんて言われ、その時は「錯覚か〜」と思っていました・・・
・・・が、その半年後ぐらいに、妊娠5ヶ月だか6ヶ月です〜なんて報告があり・・・。やっぱりあのとき、妊娠してた、もしくは受精してた(下世話 ^^;)んじゃね?とか思いました。

でも、よくよく計算すると(するなよ・・・)、確かにあのときは妊娠しているというわけでもないかも、と思い、もしかして、先んじて妊娠するのを感じているのかもしれない、と感じました。

とはいえ、この特技を実験することは難しいため、そういうタイミングだったときに、「やっぱりそうか」とか思うことが積み重なって段々、「特技かも」と実感してきたわけです。

身近な人だけではなく、芸能人とかでも、テレビを見てて「妊娠したな」と思っていると、大概後日発表があります。
今日発表があった香椎由宇ちゃんも、最近のアジエンスのCM見て「妊娠してる、もしくは、まもなくする。」と思っていました。
やっぱり当たったね!オホホ。特技だわ!やっぱり。

オーラ業界的には、「赤ちゃんの霊的存在がオーラの周りをうろついている」とか言ったりもしますが、私の場合は赤ちゃんの霊的存在がうろついているのが見えるというより、その人自身のエネルギーが急に変わるのでわかるっていう感じですかね。女性エネルギーに変化を感じるっていうイメージです。

見ず知らずで初めて会った人でもそれがわかるのかはわかりません。でもテレビでたまに見た程度の芸能人でもわかったので、大概はイケるかもしれません。

この能力を活かせば、「今、結ばれなさい!」とか、そういう子づくりプランニングとか・・・できるのだろうか。。。

あまりどう活かしたらいいかわからない特技。
でも特技ってそんなものが多いですよね。

2010/08/31

頭は使いよう


・・・今日も試されたな・・・

・・・それはさておき、
少し前に、ふと腑に落ちたことがありました。

それは、直感と思考の関係です。

よくこういうスピリチュアルな世界では、思考っつーのは邪魔者で、直感の方を重要視するのですが、それというのは、我々が直感というものにあまりにも疎くなってしまっているからそう言われているだけで、思考が直感より大事じゃない、という意味ではないのでは?と私は常々思っていました。

でも、大体直感的にピンときたことを、思考でこねくりまわしているうちに、好機を逃したり、全然関係ないほうへ行ってしまったりと、そんなことばかりで、思考が働くと確かにろくなことはありませんでした。

ですがあるとき、ふと、「思考の使い方を間違っているのではないか」という考えが頭に浮かびました。考えといっても、これは直感って方ですね。

どのように間違っているのかというと、私は大抵の場合、直感でピンときたことを評価したり、それが正しいのか間違っているのかを検査や調査するために思考を使っていました。
ですが、本当は、直感でピンときたことを、どのようにして実現化したり、実行したりするか、ということを考えるのが思考なのではないかな!と思ったんです。直感で。

そんな風に思うようになったら、直感が降りてきても、あんまりそれ自体に疑いの目を向けることもなくなり、それはそれとして捉えて、「んじゃ、どうしようか」ということを考えるようになりました。そのほうが建設的だし、前向きな感じで、さらに現在に立っている気がして、気に入っています。

疑いやら、判断やら、批判やらのために思考を使う癖がついていたので、直感で得たものを現実化する足かせになっていたようです。
直感には思考のもつような体系だったものが欠けているので、直感と思考をバランスよく使うことにより・・・まさに鬼に金棒やがな!

みなさんも、思考の良い面を全面に引きだして使ってあげてくださいましね。

2010/08/29

試しの使者


6月にフェイシャルリフレクソロジーヒーリングコースを受けていただいたお客様より、その後の激動の数ヶ月についてのメールが届きました。
フェイシャルリフレクソロジーは、肉体からエネルギーに働きかけるセラピーだと私自身は考えていますが、ご本人の変化の後押しとなれたようで大変うれしいです!

フェイシャルリフレクソロジーを受けていただいたその他のお客様からも感想をいただいておりありがとうございます!マニアックな肉体と事後反応の詳細レポートは私にとって大変参考になります。今回は激動ぶりが大変印象的だったYさんの感想を掲載させていただきました♪

→「お客様の声」よりご覧ください♪


さて、話は変わり・・・

最近発見したことがあります。
・・・といいつつ、もしかしたら以前にも発見していてブログに書いているかも・・・。歳をとると何度も同じ話をしてしまう、ということで既知でしたらお許しを・・・。


で、何を発見したかというと、「決意すると試される」ということです。

先ほどのYさんの感想でも、「一旦決めてみたら、周りの環境がまるで舞台装置が切り替えられるようにごろごろんと変わって」とありましたが、「こうしよう!」と選択して決めると、このように変化が顕著になるのはよくあることです。

私の場合は、こういうスパっと切り替えることがあんまりできていないのか、「よし!こうするんだ!」と思っていても、幾分かまだ未練や迷いを残しているようです。でも、理性とか意志の多くの部分では、「もう戻らないんだ!」としっかり踏ん張っています。

こういう状態のとき、私が手放そうとして今勇気を持ってゴミ箱へポイッと捨てたものに対して、あたかもそっちのほうが価値があるのだ、というように言ってくる人たちが現れるのです。

これを最初に実感したのは、屋久島旅行のときでした。
屋久島での旅では「自分の選択に責任を持つ」ことがテーマでもあったのですが、「一人で屋久島に行った」こと自体が私のひとつの選択だったわけですね。

で、今から思うとくだらない感じさえしますが、「一人で来て本当によかったのか?いや、これいいはずだ・・・。でも・・・」と、モジモジグダグタ考えていたりしたわけです。
とはいえ、テーマは自覚していたので最終的に腰が引けつつも「いいんだ!これで!」と自分に言い聞かせていた訳です。

すると、旅の最初の方の行程では、なぜか、私が一人で屋久島へ来たことに否定的なことを言う登場人物が何人か現れました。
バス停で一緒になった地元のばあちゃん。女の一人旅完全否定。
ま、ばあちゃん、島から1回も出たことないっていうから、女の一人旅が信じられないのはあたりまえかもしれないのですが、「ありえない」と言われると、ユラユラ私の心はその度に揺れちゃうんですね。
でも頭では、「ばあちゃんだから仕方ない」と自分に言い聞かせるわけです。一人旅なんて普通よ、見て!周りを!と周りを見渡すと、偶然、周り中、カップルやグループで、一人の人0%。マジ!?あれ?旅の情報ウソ!?とか思って、またユラユラ。

山で会ったオッサンたちにも、「ありえない」と否定され、その度に「マジ!?ダメだった!?」「間違ってた!?」とかドキッとしましたが、段々、「ええい!うるさい!あなたと私は違うんだからいいんだ!」と腹がようやく座るようになってきたわけです。

そうすると、不思議なことに、その後は、一人旅を肯定するような人物ばかりが目の前に登場してきたのです。

なんかそのとき、「・・・もしかして、試されてた?」と思ったんです。

で、そんなことがあったのですが、最近も、停滞していると思われる大きな2つのことにようやく手を付け始めたのですが、「少しスムーズになってきたな」と思うや否や、またもや試す者が出現したのです。

そのときは屋久島でのことを忘れていたので、一瞬、「・・・え?やっぱり私間違ってる?」とまた思いそうになりましたが、「・・・ていうか、試されてる!?」とハッと気づいたわけです。

私の近くには、エネルギーの変化に妙に敏感な「母」という存在がいるので(本人の自覚なし)、私が密かにエネルギーを変えていると、母がなぜかその話題を話し始め、今回はその試しの使者になっていました。

試されている → もうすぐ変化がうまくいく

ということが経験済みなので、試しの使者が現れると、「おっしゃ!来たな!」と、もっといったるで〜!という気持ちになれるようになりました。

私の前に出現する試しの使者は、大体私がやろうとしていることと反対のことを支持してきます。私が特にその話をしていなくても、自動的にそういう話題が出て、「こういうのって絶対こうだよね〜」とか聞いてもいないのに言ってきたりします。

わかりやすく反対のことを言ってくるので、使者だな、と段々すぐわかるようになってきました。

みなさんにももしかしたら同じようなことが起こっているかもしれませんので、気をつけて観察してみてください。おもしろいですよ。


2010/08/24

望みを叶えたいなら


望みを叶えたいとき、いったいどうしたらよいでしょうか。

私が最近思う、望みを叶えるためにもっとも大事なことは、「何を望むのかをハッキリさせる」ことです。

「これはやだ」とか「あれじゃない」などとはキッパリ思うものの、では何が良いのか、具体的にどうなってほしいのか、と考えると、案外ぼんやりしか思い浮かばなかったりします。

もしくは、「他の誰かが前に考えたおアツラエ向きのこと」がすぐに頭に思い浮かぶかもしれませんが、実際はそれは自分自身が本当に望んでいることとは違っていたりします。

私の場合は、望みがハッキリしてくるまで少し時間がかかります。

まず最初には、「これじゃないんだよな〜」という感覚が生じ、
「こうなってほしい」という考えがすぐに思い浮かぶのですが、それは実際には自分の本当の望みとは少しズレていて、反射的に出て来た「これじゃない」と思ったものと反対のことです。
で、やっぱり「でも、ちょっと違うかな〜。えーとえーと・・・」と日々思いをめぐらせて、余計な考えを取り除いたり、ぼんやりしている部分を具体的にしていていきます。

そうやってしばらくやっていると、自分が望んでいることをシンプルにハッキリと表現できるようになります。

そうなって初めて、宇宙や世界やワンネスやハイアーセルフとか、自分が願いを叶えてくれると信じているもので良いですが、それにスパッと伝えます。

そうすると、割とすぐに叶います。実現化してきます。
もちろん、グラウンディングしておくことや、自分のエネルギー体を自分の肉体と一緒にしておくことなど、そういうごく基本的なことはやっている前提ですが。

で、このスパッとシンプルにハッキリと望みを表現できないで、ぼんやりしたままお願いしても、全然叶って来ない・・・。というか、もしかしたら実現化してるのかもしれませんが、自分の本当の望みでなかったり、実現化されたものもぼんやりしているので気づかないのかもしれません。

自分が本当に望んでいることを知ることは、意外と難しいです。

自分が何を望むのかすぐにハッキリしてこなくても焦らないこと。
自分のことなんですから、ゆっくり冷静に考えればわかるはず。

慌てず焦らず、ゆっくりじっくり自分を見つめればわかってくるでしょう。

2010/08/22

恐れ


マイブームのチャック・スペザーノの「ヴィジョン心理学」。
そのどういうところが気に入っているのかというと、ほんわりした精神世界の知識を、理論だった心理学をベースにチャックが上手に整理してくれているところです。
今までバラバラのピースで存在していたものが、ひとつの絵のどの部分にあたるのかよくわかるようになり、非常に勉強になります。

そのおかげで、罪悪感とか競争心、完璧主義、犠牲、などなどいろいろな事柄についてより深く理解することができました。

チャックの考え方としては、私たちの性質として、なぜか変化を恐れるという傾向があると言います。成長を恐れる気持ちがあるのです。
「変化(成長)した結果どうなるのか教えてくれれば(成長)する」というスタンスの人が結構いるのではないでしょうか。ですが、大概変化というのは、先が見えない曲がり角のようなもので、曲がってみなければ先に何があるのかわかりません。

で、大体の人が「ということは、何か恐ろしいことが待ち受けている可能性がある」と思うようで、「ということは、幸せが待ち受けているかもしれない」と思う人はあまりいないようです。

この「変化への恐れ」が大枠全てのベースになっていて、この恐れを無視しようとしたり、見ないようにしたり、気をそらしたりするように、表面的ないろいろなものが出て来ているのだと思います。

たとえば、

「私は強烈な劣等感があり、そのせいでいつも人間関係がうまくいかない」

と思っている人は大抵、この「強烈な劣等感」を解消しようといろいろなワークをやると思います。
それは間違っていないことだと思います。

でも、もう一歩踏み込むと、「強烈な劣等感がある限り、私は変化(成長)することを免れる」という気持ちがある可能性があります。

その場合は、「もし、この劣等感が解消されたら、次のステップはいったい何なのだろうか」ということに思いを巡らせてみます。

すると、もし劣等感がなくなったら、今までうまくいかなくても劣等感のせいといって逃れられていた人間関係に真正面から向き合わなくてはならなくなる、ということがあるかもしれません。

ということは、劣等感を解消しつつも、「新しい人間関係を創ることと真正面から向き合うことへの恐れ」も解消することが遅かれ早かれ必要になってくるということです。

こういう観点でみてみると、自分が認識しているうまくいっていない部分というのは、大概その先のステップへと進むことへの恐れがあるようで、いつまでも「言い訳」を創っては、停滞した状態でいることを自分で選択しているように思えてきました。

今はなんとかやっているのに、今はしあわせなのに、変化したら不幸になるかもしれない

これ自体も変化しないための言い訳にすぎません。

今幸せなら、自分がどんどん次の段階へすすめば、今の自分には想像もできないほどの喜びと幸せが自分のもとへとやってくるでしょう。

今幸せと感じていなくても、それは同じことです。

チャック曰く、「幸せでなければ、それは真実ではない」そうですから、基本私たちは「幸せ」であるはずです。

だから、恐れの罠に引っかからないように注意してください。
目の前にもっともらしい深刻な事態がチラついたら、それが自分の言い訳じゃないか、よく確認してみましょう。

人はごまかせても、自分はごまかせない、とよく言いますが、
案外自分もごまかされていることがありますよ(笑)

選択するということ



いつもお世話になっていて、ブログを楽しみにしてくださっているお客様から、直々に・・・メールで・・・「ブログを更新してください」とご要望をいただきました。

・・・すんません。更新せず。

毎度の言い訳ですが、水星の逆行のせいです。

あれ?最近更新ないな?ってときは、そろそろ水星が逆行するのかもしれない、と思ってください。

ブログ更新の直訴のついでに(直訴のほうがついでかな^^)、フェイシャルリフレクソロジーとニューロフットリフレクソロジーの感想を送ってくださいました。

フェイシャルリフレクソロジーを受けていただいてから数ヶ月経っていたのですが、受けて以後から怒濤の変化を体験し、今に至るとのこと・・・。とてもすばらしい体験をされたようでした。(ご本人は体験中は大変でしたでしょうけれど)

いただいた感想の中に、

「一旦決めてみたら、周りの環境がまるで舞台装置が切り替えられるようにごろごろんと変わって、」

と書かれていました。

「決める」「そうするのだと選択する」というのは、物事を変化させていく上でとても重要なことのようです。

以前にもお話したかもしれませんが、現在の自分及び自分の周りの状況は「自分が選択して創っているもの」です。

だから、現状にブーブー文句を言うにしても、ブーブー言わなきゃいけないのは自分に対してだったりするんですね。

でも、自分で創っているわけですから、現状が嫌なら、好みの感じのものを創りだせばいいわけです。そのときに使うのは、特殊な霊能力というわけではなく、「選択」です。
「あっちじゃなくて、こっちにする」という選択を自分ですれば良いだけです。

マイブームのチャック・スペザーノの本にも、選択の重要性が書かれています。
選択は一見したところ、とても簡単そうに思えます。
実際問題、それ自体は難しいものではないですが、難しくさせているものがあります。
それは「恐れ」です。

恐れがあって、選択することを邪魔しているのです。

この「恐れ」というものについて、私は最近ようやくわかってきました。
今までわかっていたつもりでしたが、恐れのさまざまな姿に惑わされて、恐れなんて案外ないな、なーんて思っちゃってました。
でも、実際は、私の心の奥底には恐れがたっぷりあって、発見の仕方のコツを掴むと、あっちからもこっちからもその恐れを簡単に見つけることができて楽しいです。お!みーっけ。これも恐れだな!的な。
(そのコツについてはまた次回書きますね。)

とにかく、
一瞬一瞬、自分が今何を選択して、その結果が何なのか。
それは自分の周りを見回せばすぐにわかることです。
深いところでは、いかなる選択も自分自身がしています。
だからといって、もし現状が自分の理想とかけ離れていても、自分にがっかりするのは止めてくださいね。
さっきも言ったように、選択すれば変えることができるのですから。
自分の創りだしてきた過去にいつまでもがっかりしているよりも、これからどうしたいのかを決めることの方が創造的だと思いませんか?

そんな感じで、「選択」ということをこれからもう少し自覚的に行うようにすると、自分の人生というものの輪郭が徐々にハッキリ見えてきて、自分が今ここに生きていて物事を変化させている、という感覚をよりハッキリと感じられるようになってくると思います。






2010/08/21

ヤギ


遅ればせながらTVで紹介されているのを見て、初めてこのヤギの存在を知りました。

疲れたり、腹が立っているときに、一緒に叫ぶと癒されます。(一緒に叫ばなくてもいいけど)
私の中では、このモノマネするのがマイブームです。
絶対、わーって言ってるよね・・・。



2010/08/08

関係性の罠


先日ふと思ったことがありました。

私にも一応人並み程度の悲しい出来事の経験があるのですが、それが原因で人と人との関係に対してとても悲観的な一面があるなぁと。

私は自称とっても繊細な・・・これは霊的に繊細なというよりも、精神的にナイーブな、といった方が正しいですが、そういうところがあったので(過去形?)、人並み程度の悲しい出来事を非常に重く受け止め、いつしか深い人間関係を避けるようになっていたようです。

私の言い訳としては、「もう何も失いたくない」という気持ちがあったからなわけですが、「失わない」最良の方法は、「手に入れないこと」だったわけですね。

なので、誰とも親密にならないし、そうこうしているうちに、自分が「もう何も手に入れない」と決めたことさえ忘れてしまっていました。
例によって(^^

ですが、最近「そういや、そんなこと決めたっけなぁ」と思い出しました。思い出したので、当然ヒーリングしたわけです。

ヒーリングしている途中も、それはそれは恐ろしかったものです。これをヒーリングしてしまったら、また失うことを体験するハメになるのではないかと・・・。

でも、それでも勇気を振り絞ってヒーリングしていると、それが単なる自分が創りだした幻想であるような気がしてきました。

つまり、こうです。

「失うことへの恐れ」を理由に、誰かとの関係をブチ切っていたのは自分の方であると。
思い返してみると、私とさらなる関係を深めていきたいと手を差し伸べてくれていた人たちはたくさんいたように思いますが、どうやら私はめんどくさかったようです。
そして、どうやら「親密になること」の方を恐れていたようです。
誰かと親密になり、自分のより深い部分を見つめることになったり、世界のもっと深い部分を理解することを潜在的に恐れていたのだと思いました。

「何かを失う」ということはもしかしたら本当に幻想なのかもしれません。
少なくとも人間関係においては?

続けたければ続けられる。

距離が離れていても。

相手が霊的なエネルギーに変わってしまったとしても。

もし相手に拒絶されたとしても。

自分の深い部分にある、根深い恐れを知ることは大事なことですね。


2010/08/07

透視リーディングについてなど

8月は透視リーディングのキャンペーンということで、少し透視リーディングについて書きたいと思います。

SalonMには、透視リーディングコースとオーラ・チャクラヒーリングコースというのがありますが、オーラ・チャクラヒーリングコースにも透視リーディングを使います。

肉体的、エネルギー的に不調を起こしている原因について透視リーディングで見ていき、それぞれの原因にあったヒーリングをしていきます。

一方、透視リーディングでは、ヒーリングは行わず、主にお客様がみてほしい何かを見るという感じでした。

なので、私自身も「ヒーリングコースの方が結局透視リーディングもあるし、ヒーリングもあってお得じゃない?」と思うところもありました。

ところが最近、コレット・バロン・リードの「直感能力者が伝える人生の真実」という本を読んで少し考え方が変わりました。

コレットは以前紹介した「魔法の王国オラクルカード」を創った方でもありますが、有名な霊能者です。自分もオラクルカードを使ってリーディングもするようですが、実際はカードから何かを読み取っているというよりは、カードは「見てもらう側」のためにあるようなもので、自分は勝手に降りてくる情報を相手に伝えているという感じのようです。

コレットはこれまでに何人もの悩みをその直感能力を使って解決に導いてきたわけですが、彼女自身はヒーリングは特に行っていません。
というよりむしろ、この「霊的なメッセージ」こそがヒーリングを起こしているように思いました。

「霊的なメッセージ」は、ときに長い間悩んでいて、自分ではどうにもこうにも外に出られないと思っていることや、受け入れられないできごとなど本当にさまざまなことに対して、奇跡的な癒しを引き起こすことがあります。
それはなぜかというと、ひとつには、「霊的なメッセージ」を得ることにより、悩みを抱えていた人々に「深い理解」が訪れるからではないかと私は思っています。

なぜこんなことが起こっているのかわからない、という状態だと人は割とジタバタあがいて、気がついたら自分で自分に縄をグルグル撒きにしていたりするものですが、なぜだかわかると、急にその状況にあらがわなくなったりします。

肉体的な現象に例えていうなら、ずっとお腹が痛かったりすると、何か恐ろしい病気が自分に起こっているのではないかと不安になったり、もっとひどいと、勝手に「自分はもうダメなんだ」と思い詰めて、悲しみのどん底に落ちていったりしますが、病院に行って結果「便秘です」などと言われると急に元気が出て来たりする。便秘を解消するために、何かを始めようとしたりするかもしれない。
そんな感じと似ているのではないでしょうか。

だから、必ずしも「ヒーリング」という「行為」自体が必要なのではないのだなぁと思いました。
「ヒーリング」とは「変化を起こす」ことであるわけですから、メッセージだけでも十分起こりうるわけですね。いずれにせよ、「ヒーリング」を起こす側はヒーラーではなくヒーリングを受ける側ですから、本人にとって変化を起こすきっかけとなればなんでもいいわけですね。
道端の花を摘んでみた、とかでも大きなヒーリングが起こる場合もあるということです。

というわけで、透視リーディングのすばらしさを改めて実感したので、今月はキャンペーンにしてみました(笑)

よろしければ是非体験くださいませ。

SalonMの透視リーディングコースについては→こちら


2010/08/06

エネルギーが変わると・・・

なんやかんやで、2年くらいなんとなく足踏みしてたような、もしくは牛歩だったような気がしてましたが、昨年から急激に私の世界が動き始め、この8月に至ります。

私が「う〜む。ようやく自分のエネルギーが変わってきたのだな〜。」と実感したことの1つには、「行きたいところができたこと」があります。

あちこちウロチョロ行っているのはみなさんにもブログからわかると思いますが、とはいえ、何気に同じとこだったりするわけですね。

なぜ同じところばかり行っているのかといえば、「好きなものはとことん吸い尽くす」性分だからで、じゃがりこが気に入れば10年じゃがりこ一筋であることからもわかると思います。
それに、他に行きたいところが思いつかなかったんですね。
なので危うく、セドナ、バリ、ハワイを何度もウロチョロしてしまうところでした。

ですが、8月に入り、なんとなく「次に行くなら・・・

ニュージーランド
とか
ユタ
とか
ヨセミテ
とか

だな!」

とか思い始めたわけです。たぶん、絶対行くと思います。
※もちろんフィジーも。

パスポート無意味に10年更新してよかった♡ 高かったからね〜。

こうして、好みが変わってきたのも天王星が移動してしっくりしてきたせいかもしれませんが、なんにせよ、切り替わりがハッキリしてきているのかもしれませんね。
私にとっての今回の天王星の位置は、「好みが変わる」という位置になっているので、なるほど・・・といった感じです。
それに、最近結構、潜在意識下にあった古いエネルギーを急ピッチで浄化しているので、それも影響しているのでしょう。
卵が先か鶏が先か、といった感じですが、これも全て生まれるときに計算済みのことなのかもしれませんね。

そして、もうひとつ。

我が家に地デジ対応テレビとブルーレイHDDレコーダーが来た〜!
ひゃっほー!遅いぜ〜!ぎりぎりセーフ!

「地デジなんて、ケっ!」

と思って踏ん張っていましたが、とうとうテレビの調子が本格的に悪くなってきたのでこれを気に買いました。それになぜか、ハワイに行っている間に再放送が終わってしまった「私の名前はキムサムスン」の放送が8月だと勘違いしていて(ハイアーセルフにそうされた気がする)、「再放送までにブルーレイかわなきゃ!」と思ってあわてて買った次第です。

キムサムスンは録画できませんが、地デジテレビではBSなどのいろいろなドラマを観れたり、録画方法もかつてのVHSに比べものすごい簡単なのでむやみに録画してみたりして、もうテレビの前から離れられません。

私がテレビを真剣に操っているところを母が見て「小さい頃ファミコンやってたときと同じね」とつぶやきました。

アラフォーですが、まだ少女の頃の心を失わずにいれたようです!

といった感じで、惑星の影響が如実に現れ始め、私の世界がまた一段と色鮮やかになってきております。

2010/08/01

借りっていいね

「借りぐらしのアリエッティ」観ました。
志田未来ってホントただモノじゃないね。すごい。
全然違和感なかったな〜。アリエッティとして受け止められました。

今回は駿は、企画と脚本のみで、監督は若手ということで、どうかな〜と思いつつ見に行ってみたところ、結構いい感じでした。私はこういう乙女チックなの、好きです。
見終わった後に心があったか〜くなるような、ステキな映画でした。

小人の映画ですが、私はてっきり「妖精」の映画かと思っていて、間違えていました。妖精について少しは勉強になるかしら、と思って観に行ったというのもあったのですが。小人っす。

よく、「寝ている間に小人がやってくれる」とか言いますが、小人っていうのはやっぱり見られちゃいけない人たちなんですかね。この辺にはいないだろうな〜。隠れるところないしな〜。私から借りていいから、多少部屋を片付けて欲しい。(希望)

この映画の中では「借りっていいね〜」みたいな台詞があるんですが、最初「狩り」かと思って聞いていましたが「借り」でした。

一般的には、借りたらなるべく早く返す、のが常識かと思いますが、私は自分が何かを貸した場合「いつ返してくれるんだろう」ということがすぐ気になっている方でした。なんかセコくて嫌だったんですよね〜。

でも、先日ハワイに行ったときに買ってきたぬいぐるみに「このぬいぐるみの性格」みたいな紙がついていて、「この子は必ず借りたら返します。でも、返すのは100年後かもしれませんが。」というようなことが書いてありました。

・・・なるほどね。なんか、そう考えると、あまり借りたとか貸したとか気にならないな〜と思いました。特に誰かに何かを貸したときも、「ま〜、遅くとも1,000年以内には返ってくるだろう」と思うと、のんびり待っていられるようになりました。物理的なものでも、そうでないものでも(^^

私に何かを貸してくれる人も、そのようにノンビリ構えていただけると幸いです。

2010/07/27

Go or Stay ?

私はドラクエ(ドラゴンクエストというロールプレイングゲーム)が好きで、昔は寝ずによくやっていました。
最近は、新作が出るたびに新しい機種を買わなければいけないような状態(な気がして)で、もうやっていません。

ふと思うと、私の人生もドラクエの勇者のようなものだと思いました。
ドラクエのゲームでは、勇者(主人公)に好きな名前がつけられます。勇者以外も命名できるときもあったような。。。遠い記憶。
自分の名前でもつけようものなら、「Tanziは毒におかされた」とかなって、「Tanziは死んだ」とか出るわけで、何気に悲しいものです。

そんな勇者も最初は、普通の家の息子で、なんらかの事情で、一人で旅に出ることになるわけです。最初は、布の服とひのきのぼうでおそろしい敵がたくさんいる世界に旅に出て、スライムなどの弱小な敵にも何度か殺されそうになったり、殺されたりします。
瀕死になって、薬草や魔法を覚えて回復させて・・・という繰り返しで、段々強くなって、お金も手に入りより良い武器や防具を手に入れられます。

そんなこんなしているうちに、旅の仲間が増えてきたりします。仲間たちは、自分の持っていない力を持つものたちが多く、武芸に秀でたもの、戦いの魔法に詳しいもの、ヒーリング能力に優れたものなどなどがいて、みんなで自分の得意技を駆使しながら、一人だとあっさり殺されるような相手と戦って勝利したりします。

旅の中では、お金では買うことのできない、誰かを助けなければもらえない剣や、おっそろしいダンジョンに飛び込まなければ手に入らない鎧なんかを手に入れる機会があります。

そこは、場合によっては「手に入れずに通過する」こともできるのかと思いますが、それを手に入れるために、智慧と勇気を使って立ち向かったり、持てる力を鍛えたりするおかげで、その後の最後の敵と戦うときに、最強の武器と最強の防具、自分も仲間も最強の状態(ステータス)で、あまり時間がかからずに立ち向かいにいくことができます。

途中を、「ま、いっか」的に通過して先を急いでも、結局は最後の敵などの手前で、スキルアップをするために足止めを食らうことになります。それでも瀕死になりながら戦うこともできますが、死ぬか生きるか、乗るかそるかの運任せの戦いになり、自分の力で勝利した、というよりも、敵がしょぼい技しか出して来なかったために勝ったという気分です。

それでも勝ったことは勝ったので同じではありますが、自信と達成感を得たというよりも、「あぶなかった〜」という気持ちが戦いの後にも多く残っていた気がします。。

人生もこんな風なもんだなぁ・・・と思いませんか?
私は思っちゃいました。

ドラクエに限らず、こういったゲームでは、最後の敵を倒して一見終わり風になるんですが、「引き続き次の世界へ行く」ことができるものもあります。
隠れ面、裏面だったり、っていうんですか?そんなようなやつです。

それまではとにかく先へ進むしかなかったストーリーも、一度1つのストーリーが終わりみたいになったあとでは、その先へ行くか、ここで止めるかの選択肢が与えられます。
私は当然先へ行きましたけど。(無類の戦い好き。いやいや、戦略家と言って欲しい。)

今私は、ある面では、この「1つのストーリーが終わった」段階へ来ているようです。このままいることもできるし、次の面へ行くこともできる。
どうしようかなぁと考えていましたが、次の面へ進むことにしました。その方がおもしろそうだからです。

「1つのストーリーが終わった」段階にカレコレ2年近く留まっていたのかもしれません。
ドラクエの選択は、1つのストーリーのエンドロールが終わったときにすぐ決めなければならないけれど、人生の選択はいつでも行うことができます。

やっぱ、こっちにしよ〜。ってなこともありです。
自分がどちらにするか決めたときに、もう一度選択すれば良いのです。

ストレスの可能性

私にとって、今月は精神的なストレスがない1ヶ月でした。

大体1週間程度ののんびりする旅行に行った後にはお肌がプリップリになるんです。
今月は、もちろんハワイには行きましたが、ハワイの夏の日差しを舐めていたためガングロになってしまい、環境ストレスという面ではすごかったと思われます。

にも関わらず、フェイシャルリフレクをいつもやってもらっているQちゃんが開口一番「肌に透明感があるね〜」と。

自分でもそうは思っていましたけど、やっぱり端から見てもそう見えるようで、これはやはり、ストレスなく、ホゲッと過ごしていた賜物ではないかと思われ。

あとは、化粧しなかったからかな。いつももしてるっていうほどはしてませんけど、それにもまして、スでいることが多かったので(ハワイでは眉毛しか書かなかったし)それも良かったのかもしれません。


日焼けするとシミができるとか、毛穴はポアレス美容液で縮むとか、たるみにはマッサージとか、いろいろなことを言われますが、結局はストレスをうまく解消できて、体の状態がよろしくなると自然と美しくなれるってことなのね!と実感。

フェイシャルリフレクの創始者ロネも、「上からいくら塗っても無駄。体の中から美しくならなければ解決しない。」と言っていましたが、本当にそうですね。

体を含めた私たちのエネルギーは、それ自体で自然と浄化していく力を持っているので、ほっておくとこのように(私のように)ぷりぷりしてくるのだと思います。
しかし、日常的には、浄化と負荷とのバランスが崩れているため、毛穴がバッコリ開ききってしまったり、お肌がだる〜んと下に下がったり、シミができたりしてしまう。なので、自然の浄化作用を促進するような、フェイシャルリフレクとか、ニューロフットとかもそうですし、アロマトリートメントなんかもそうかもしれませんが、そういうものを受けるとぷりぷりしてくるのでしょう。

みんながこういう健やかで穏やかな状態になれるようにお手伝いできたらいいなぁと思う今日この頃です。

ワンネスヒーリング

本日、「ワンネスヒーリング」なるものを体験してきました。

私の友人の中で「ワンネス」といえば、Yちゃんなのですが、今回のヒーリングは別の友人。フェイシャルリフレク&ニューロフット仲間の方です。
私の周りに「ワンネサー(ワンネス派のこと)」が増えてきたようだ。

日本語でいうと「キューピット(以後Qちゃん)」という名を持つ彼女は、いわゆる、「ナチュラルボーン霊能者」(本人が読んだら「霊能者って私のこと!?」とか言ってましたけど)で、ナチュラルボーンだけに霊能力の扱い方に困ってるところに、ひょっこり「扱い方」には詳しい私が現れ、お互いの持てる力を使って互いを高めあうような関係になりました。

で、前回私めのヒーリングを受けたお礼にということで、Qちゃんのワンネスヒーリングをやってくれることになりました。

Qちゃん曰く、ワンネスヒーリングを受けると、古いものが出て来て感情がワッとなったり、あるいは肉体から出て気持ちのよいところをしばらくフラフラしてきたりと、人それぞれどんな反応が出るかはわからないとのこと。

そんな話を聞いて、若干オーラの中の恐怖画像がギラギラしましたが、なんかそろそろ受けなきゃいけないような気がして(実はやってくれると言われてから早くも1ヶ月以上逃避していたので・・・)、腹を決めてやってもらうことにしました。

たまたま、本日水瓶座の満月でしたので、きっとこのヒーリングには大それた意味があったのでしょう。帰って来てから、マイブームのコレットサイトの1枚リーディングで見てみたところ、「Swan Queen」でTransformってことでした。
やはりな・・・といった感じっすね。流石っすね(byカニ蔵)。

ワンネスヒーリングでは、無事(!?)肉体を離れることもなく、感情がワッとなる(途中、ムショーにおもしろくなったけど)ことも例によってなく・・・。ただただ気持ちよかったです。私の知ってるヒーリングでは、レイキに近かったですけど、Qちゃんの知っているヒーリングの中ではリコネクションに近いそうです。
私の場合は、すごくリラックスできました。
また折をみてやってもらおうかと思います。とらんすふぉーむな時に。

そういや、トランスフォームの代名詞と言えば、コレットにとってはスワンらしいですが、一般的にはバタフライですよね。
先日、造りものかと思うほど美しい蝶が、うちのマンションのロビーのコンセントのところに止まっていました。見た時は、「こんなところに蝶か」ぐらいにしか思いませんでしたけど、よく考えると不自然すぎますので、オラクルメッセージだったのかもしれませんね。
このように、日常に現れるオラクルメッセージは気づかないでやりすごすことも多いので、注意注意。

ついでにフェイシャルクリスタルヒーリングもしてもらいましたけど、スカっとして気持ちよかったです。顔周りにあったモヤモヤしたエネルギーがスッキリとれた感じでした。ますます、見えてまうやろ〜!(透視)って感じです。

Qちゃん私と同じ年で3児の母。
太ってませんけど、なんとなく「ビッグママ」的素養を持ってるような感じがします。

得意のアーユルヴェーダは今お休み中みたいですけど、アーユルヴェーダ的視点からもいろいろアドバイスしてくれたりします。

まだ作成途中みたいだけど、こちらQちゃんサロンのHPです。
興味がある方はワンネスヒーリング受けてみては!?

2010/07/25

扉を開ければ

時間があったので新しいことを勉強しようといろいろ探していた時に、「ビジョン心理学」というのに出会いました。
同じヒーラー学校の卒業生の方が確か学んでいたな〜と思い、少し調べてみると、おもしろそうな予感。でも、また学校に行って学ぶというのとはちょっと違うかな〜と思い、本でも出てないかと思ってアマゾンで探してみました。

チャック・スペザーノの出している本はいくつかあるのですが、以前にどなたかのブログで紹介されていた、「30日間で理想のパートナーを見つける法」を読んでみることにしました。

前にも書いたかもしれませんが、今年になって何人かの霊能者から「近々結婚する!」とか「もうすぐ母になる!」と言われていたのですが、にも関わらず・・・。・・・ってことで、お試しということで、実験の意味も兼ねて読んでみました。

30日間で・・・、というように、1日1ワークという構成になっていて、30ワークあります。
でも、1ワークだともの足りず、どんどん先が気になっちゃったので、掟破りの1日2〜3ワークで読んでしまったため、20日間くらいで読み終わってしまいました。この本が保証してくれている「完璧なパートナー」はまだ現れていませんが、現れそうな予感はしています。それがいつなのかは・・・わかりませんけども!

この本には、潜在意識下にある自分の観念とかそういうものがわかるためのワークや、ハイアーセルフにお任せするやり方、等々興味深かったいくつかのワークがあるのですが、なかでも、「扉を開ける」というイメージワークがおもしろかったです。いろんなことの扉を開けるように活用しちゃってます。

今、パートナーがいなかったりする場合、人間関係の扉をいつかの段階でバタンと閉めてしまっている可能性がある、と書かれています。
もし、完璧なパートナーを望むなら、その扉をただ開ければ良い!というのです。イメージの中で閉まっている扉が見えたら、ただ大きく開け放ち、あとは待つだけ。という。

もちろん、私の人間関係の扉は、鉄の重たそうなもので、1mmの隙間もないほどにガッチリ閉まっていましたので、とりあえず、破壊してみました(^^ (乱暴者!?)ま、あとは待ってみましょう。

この「扉を開けて待つ」ということについて、以前レバナ先生も話していました。本当に「オープン」な状態になっていれば、ただドアを開けて待っているだけで、いろいろな人があなたの元に訪れてくる、という話。ま、これは、ヒーリングルームをやるときの心得的な感じで教えてくれた話でしたが、何に置いても「オープンである」ことが欲しいものを得る条件の1つではあるのかなぁと思いました。

恐れ、失望、劣等感、罪悪感、競争心、完璧主義などなどのさまざまな理由でドアを開けれないでいたり、うすーくしか開けてなかったりする人が多いかと思いますが、それらを解消するとともに、ドアを開けることもお忘れなく(笑)

私は、案外いろんなことに扉を閉じていることを発見しました。

2010/07/24

クレドン

「クレドン」とは先に紹介したコレットの本に書いてあったものなのですが、「大精霊からのメッセージが全くそのことを知らずに意識していない人から届けられる」というものです。

ちなみに、コレットの本でいうところの「大精霊」とは、ハイアーセルフだったり、内なる声だったり、大いなる存在だったり、そういうものを指していると思います。本の英語版タイトルが「Messages From Spirit」なので、単純に「スピリット」と思っても良いかと思います。

こういうある種のシンクロニシティに「クレドン」という名称があるということを知りませんでしたが、ちゃんとした手法のひとつだったようですね。

知りたいと思っていたことを、電車の中で誰かが話していた、とか、テレビで言ってたとか、日常的に結構ありますよね。

おもしろそうなので、意識的にクレドンを体験してみたいと思い、「今回ハワイにまた行ってマウナケアまで登ることになった理由を『クレドン』で教えて」とお願いしてみました。

クレドンは、根気強く待つ必要があるとのこと。すぐにクレドンが訪れる場合もあるし、なっかなか来ない場合もある。

また、来ても気づかない場合があるので、ある程度意識をしっかり持っていないとダメとのこと。

お願いしてからカレコレ・・・10日程度経ち、半ばどうでも良くなった頃、ぼんやりテレビを見ていたら、どうやらクレドンらしきことが起こりました。

「僕らの音楽」を見ていたときのこと。マッキーとくさなぎくんがツカコウヘイさんについての話をしているときのことでした。
それが私にとってのクレドンでした。
星の話です。
ツカコウヘイさんがくさなぎくんに10年前くらいに言ってくれたことが今になって理解できるようになった。あのときの星の輝きが今時間がたってやっと自分の元に届いた、という比喩で話していました。
マウナケアで星空観測しているときに、ガイドさんも同じ話をしていました。(ツカコウヘイさんの話じゃなくて、もちろん天体の説明で。笑)
最近第6チャクラについてのワークが終わりつつあり第7チャクラに取りかかり始めたので、この時空とか次元のことについていつも考えていたところでした。

クレドンを待っているときは、「クレドン、もう終わっちゃったのかな」とか、「今のかな?いや、、、どうかなぁ」とか「これだ!」と思うものがなかったのですが、いざクレドンが起きてみると「ぜってーこれだったな。」と思えるもので、わかりやすかったです。

オラクルカードでメッセージをもらうのもおもしろいですが、クレドンにも注目してみてくださいネ。

魔法の王国オラクルカード


以前に無料でオラクルカードを引けるコレットのサイトをご紹介しましたが、いよいよ日本語版のオラクルカードが発売になるようです。「WISDOM of the Hidden Realms」の日本語版名称は、「『魔法の王国』オラクルカード」となったようです。
7月には発売するという噂は聞いていましたが、8月になったようですね。
私はいろいろなオラクルカードを持っていますが、最近のマイブームはこのカードです。
というのはネットで1枚引きすると、結構ビンゴな感じのカードが出てくるからです。
それは、、、私がクリアーだから・・・の可能性もありますが、カードとの相性とか、そういうのもあるでしょうから、そういう意味ではまあまあ相性が良いかと思います。


コレットの本「直感能力者が伝える人生の真実」を先日読み終わったのですが、語り口もおもしろく、考え方やスピリチュアルとの触れ合い方にも非常に共感できる部分が多かったので、そういう点でも相性が良いのかもしれませんね。
コレットをなぜ知ったかというと、よく読んでいたブログでHAYHOUSE RADIOのことが紹介されていて、英語の勉強も兼ねていろいろな人のを聞いていたところ(ドリーンバーチューなんかもいる)、コレットのがなんかおもしろかったので名前を覚えていました。私が聞いた回は、ものすごい早口でずーっとコレットがしゃべりまくって終わった回で、ヒアリングは当然無理でしたが、「この人早口すぎ!」というのが気になって、何回も聞いたのでした。
各ホストの1番上の回だけ無料で聞くことができますよ。
発売になったら現物を眺めにいってみようと思います。

2010/07/23

マウナケア



戻りました〜。

・・・

どこに行ってたか、というと、訳あってまたHAWAIIです〜。
例によってまたビッグアイランド マウナラニリゾートに滞在しましたが、いつも同じだとつまらんので、今回は初オアフしてきました。
しかし、いつもは秋口に行っていたので夏のハワイは初めて。
夏のハワイの日差しを舐めてたな。久々に社会人失格の黒さになってしまいました。

それはさておき、今回のハワイでは、やっとマウナケア山に登頂してきました。

マウナケア山といえば、女神ポリアフがいるところっすね。ということで、Poli'ahuでも聞きながらお読みください。

たまたま・・・そのときしか予約できなかった日が日食の新月のときでしたので、また山頂にてお願いごとをしてきました。

にしても、マウナケア山といえば、富士山よりも高い4,000m以上の山で、Wikiによると、「海洋底から測ると、10,203メートルの高さがあり、エベレスト山を抜いて世界で最も高い山である。」だそうです。
登ったどー!

とはいいつつ、こんな楽な登山はない。頂上までずっと車で連れて行ってくれます。ハイ。
しかし、酸素が薄くなるので高山病にならないようにケアは必要です。

大体2,800m付近にあるオニヅカビジターセンターで1時間ほど休憩して体を慣らすのですが、オニヅカセンターなんてまだまだ。問題はそこから先ですよ。

このころのハワイでは、連日ヤシの木が折れんばかりの暴風が吹き荒れていたのですが、我々が登頂する日はまんまと風はおさまっていました。よかったよかった。

ですが、なんとオニヅカビジターセンター付近では、久しぶりの雨模様とのこと。こんな悪魔でも出そうな感じの雰囲気でした。


こんな雨でサンセットや満天の星空なんて見えるのかしら・・・

と若干不安になりつつも、先日の屋久島で天気コントロールに自信を持った私は「まんまと晴れてくれ」とビビッと念じて後は天にお任せ。

オニヅカビジターセンターでの休憩を終え、山頂へ向けて出発するときにツアーガイドから、

「ここから先、酸素が薄くなるので眠くなります。・・・が、眠ったら死にます。起きたときに体が低酸素に急激に適応できないからです!絶対に眠らないでください!これから少し苦しくなったり、めまい、吐き気、頭が痛くなるなどしたら高山病の可能性があります。ひどくなったら最悪死にます。急いで下山するしか治す方法はありません!・・・ですが、リラックスしていけばなりません。ゆっくり呼吸をしてリラックスして行きましょう!」

とものすごい恐いことを言われたあげくに、リラックスしろという最高に難しいことを言われます。「最悪死ぬ」「具合が悪くなる」という言葉に、ツアーの人たちは真っ青状態。不安の海の中にどっぷり入ってしまいました。
まだオニヅカビジターセンターを出発して間もなくても、「なんだか苦しいわ」とか「頭が痛い気がする」という声がちらほら。

ツアーガイドの注意事項によって、完全にオーラの中の恐怖画像をビッカビカに光らせられました(^^;。

ということで、車の中のエネルギーをハッピーモードに切り替えてみたところ、少しリラックスムードで、夕日を楽しめる雰囲気になんとなく変化。
そんなこんなしていると、雨模様から晴れに変わり、おかげさまで、虹とずっと並走する幸運に。3,200mかそこらで一旦車から降りたので虹を撮ってみました。見えるかな?


晴れたのか、雨雲の上まで来ちまったのか不明ですが、とにかくイメージ通りのサンセットを山頂で拝むことができました。


ご覧ください。太陽が沈むと、地球が反射して空に写って見えるとかで、このぼやっとしている空の色は地球の色だそうです。(確かそんなようなことを。。。酸欠のせいであまりおぼえていない!?)


天文台と空。


さて、これからオニヅカビジターセンターまで戻って、星空観測です。
しかし、雲の下に戻るわけで・・・。星なんて見えんのかい!?

と、思いつつ、またもや「☆が見たいので晴れてくれ」と念じて待つ。

すると、夜がやってきて星を見る頃になると、空には雲一つなくなり、「ちっ!あの雲だけどうしても邪魔だぜ!」と思っていたのは、なんと雲ではなく天の河でしたので、とってもキレイに星を眺めることができました。
土星の輪っかも見えましたよ。(もちろん天体望遠鏡でですけど)

なんだかんだで、風もなく温かくサンセットを見れて、かつ、星空も文句なしの状態。死者も出ることなく、大満足でマウナケアツアーを終えました。
ありがとうございました。

オニヅカビジターセンターのところに、銀剣草(マウナケアシルバーソード)があるのですが、ちょうど花が咲いていましたよ。