2011/12/31

次のピナクルへ向けて



数秘でいうと、第2ピナクルの最後の年の最後の方を迎えているのですが、12月は中旬くらいに風邪らしきものをひいてから、なんだかずっと尾を引いて今日まできていました。

風邪か・・・それとも、花粉じゃないけどなんらかのアレルギー反応なのか・・・などと思いつつ、ただゴロゴロとしていました。

一昨日に今年最後のフラワーエッセンスの遠隔リーディングを終えたときに、なんだか愛のエッセンスがたくさんで、新しさを感じさせるものばかり選ばれたのがうれしくって、ヒッサシブリに自分のためにエッセンスを選んでみることにしました。

だがしかし、自分のエッセンスには別に愛とかなく・・・。いや、いんですけどね。

だけどそのエッセンスときたら、キーワードが「保護」「豊かさへの同調」「解放」「自由」「再生」「開拓」「男性エネルギー/女性エネルギーのバランス」とかそんなんで、なんか、9の年の最後で、次1ですから・・・って言われているような感じがしました。
私的には。

ということで、ハッ!と「この風邪って、停滞してるってこと!?」と何となく思ったので、「具合が悪いから」とサボっていた瞑想をがっつりやったところ、今日にはほぼ回復して、たまたま予約がとれたスパに行ってデトックスしてもらったら調子良くなりました。

停滞してたのね〜。鼻。鼻炎。エッセンスの「再生」も活躍してくれたかも。

エッセンスを飲んでいるせいか、なんだか新しい方向性やらおもろいことなどが思い浮かんで、ワクワク。

実は1つのピナクルの最後にあたるので、10月頃からすご〜く「終わった感」があり、11月12月と終わった感は色濃くなるばかり。というよりも11月末ゴロからは、終わった感というか、もう終わったね、という感じだったので、よし!では次のピナクルではどうするか考え始めよう!時間はまだ十分ある、ゆっくり構えて考えよう、とあぐらをかいて座ったまま早1ヶ月。新しいピナクルへのビジョンもなく、濃厚な「終わった」「終わってる」という雰囲気の中にどっぷり埋まってしまっていました。
で、風邪ひいて。それを理由に片付けもほっぽらかし。

・・・典型的な停滞パターンやん!

ということで、神の助け、お客様の助けで、エッセンスを選んでみる流れとなったので、なんとか停滞を抜け出せたようです。

次のピナクルのテーマは4。ちなみに今のピナクルのテーマは8。そう、4は8の2分の1です。エリ佳さんによると、8「力、構築する、達成、成功」というテーマの年で得たものを、4「現実的、安定、着実さ、成果」は具体的に形にしていくときということで、超ストーリーできてるね〜って感じです。誰の人生でもそれなりにストーリーがあるものですね。しかも、次のピナクルの課題となるナンバーは3。つまり創造性と自己表現です。このあたりを意識することで、現実的に、安定した、着実な、成果が得られるかもしれませんね。


とりあえず、来年のテーマも自分なりにピンとくるものが見つかったので、そこをヒントにあと1ヶ月、9の年の最後を堪能したいと思いまする。

まずは大掃除だ〜!(遅い)

2011/12/21

八卦掌その後



20日以上もブログを書くのをサボると、いざ書こうかなと思ってもいったい何きっかけで書こうかなんて考えちゃって、ついついまたサボってしまいますね。

という言い訳はさておき、、、

そういえば、コンマリちゃんの片付けの特集がTVでも放映されていましたね。おかげで、本だけではわからなかった靴下や下着のたたみ方や、片付けの途中で疑問になっていたことが解決されました。ラッキッキ。

でもまだ片付け終わってませんけど。先日ようやく書類が終わったところで・・・。いや正確にいうと、書類を捨て終わったところで、整理はこれから・・・。最後まで年内に終わりたい。

太極拳では、陰陽をはっきり分ける、「虚実分明」を教えられるのですが、片付けを行うことで虚実分明の特訓になったことは以前にも書いた通りで、これにより普段の生活でも陰もあり陽もあるということを意識できるようになってきました。なので、物事に対してある種のあきらめというか、今は陰だが陽の場合もあるだろうとか、今回は陽だが陰もまたあるだろう、などとあまり執着なくやり過ごせるになってきています。

太極拳や太極剣の話ばかりで、で、ところで八卦掌は?とお思いの方もおられることでしょう。

八卦掌を初めて早三ヶ月。歩く禅とも言われる八卦掌。確かに練習しているとトランス状態のような不思議な感覚になることがあり。中国4千年の歴史を感じます。

八卦掌も上級になると結構早い螺旋の動きでクルクルとスネークのように動き回るのですが、初級では逆に超スローな動作で基本の型をひたすら繰り返します。だがしかし、この「超スロー」というのがすごく良いのです。
都会生活では、何かとせかせかとしたリズムで過ごしてしまいますが、「超スロー」に意図的にペースを落とすことで、今まで感じられなかった世界が広がる感覚があります。これは、なぜか座って行う瞑想では味わえなかった感覚です。
ん〜、やっぱり座って瞑想していても頭の回転を留めたり、スローにすることって結構上級にならないとできないんだと思うんです。それが体をスローに動かすことで、体の動きに意識を向けることができ思考が消えて、気がつくと無心になっている、つまり集中しているんだと思うんですが、そんな感じです。

八卦掌の練習でこのスッと空白になったような感覚を毎度味わっていることで、それが脳回路にインプットされ座って行う瞑想でも同じ状態に早く入れるようになりました。
これこそまさに相乗効果や!

そして、なんと日常生活中にもそんな真っ白な心というか「ス・・・」という感じの空白な状態にいつでもなれるようになってきました。(特訓中)

この「ス」になれると、「氣をどこかへ向ける」という感覚もわかるようになってきました。氣をひざへやってみる、とか、氣をのどにやってみるとか。

この「ス」の効果は他にもいろいろあるんですが、長くなってきましたので、今回はこのへんで。(・・・大して長くもないが)

2011/12/01

みなさんのおかげ


私はつい数年前くらいまで、自分ががんばったおかげで今の状態が得られている、すべては自分のおかげで、他の誰のおかげでもない、という考え方でした。

自分より年齢の若い人の話を聞いているときに、よく同じようなことを言っているのを耳にし、「あ〜、そういや私もそんなこと言ってたな〜」と振り返ります。

今はというと、「誰ががんばったからじゃない。自分のおかげで今の自分がある」という気持ちは消え去り、みなさんのおかげで今の自分がある、という気持ちです。ピュアに。

この心境の変化がいったいなぜ起こったんだっけな〜と思い起こしてみると、おそらく、幼い頃から現在に至るまでの人生でのさまざまな因果関係について気づきが起こったことがきっかけだったように思います。

どんなささやかな出来事や登場人物でさえ、よくできたドラマのように、後々のアレのためだった、これの元となったとか、1つのできごとが無数のできごとに絡んでいたりと、自分の人生はものすごく手の込んだストーリーになっているということがわかると、自ずと自分の部分じゃない他の人物の働きや我が人生への絡みが見えてきて、自分だけで成し遂げたことなど実はないのだなぁと感じたわけです。
とはいえ、自分がせっせとそのストーリーの中を生きてきたから、達成できた部分もあるので、自分の働きも重要です。
すべての登場人物や舞台がどれも等しく重要で、どれが欠けても今の状態はないかもしれないのです。

人生に対して、生命に対してある種の俯瞰した視点を持てたとき、ひとつエゴが落ち、みなさんのおかげ、という気持ちになれるのかもしれません。

それがさらに極まっていくと、「生かされている」という、有名な境地に至るのかなぁと思います。タオですなぁ。


2011/11/20

はじめてのYoga瞑想

最近、本とか歌とかの紹介ばっかりですが、秋・・・ということで。お許しを。

以前から何度かブログでも登場しているヨガのキミちゃんの新刊が出たということで、読んでみました。
「はじめてのYoga瞑想」という本で、タイトルの通りヨガの瞑想方法についてわかりやすく紹介されています。 ヨガの・・・といっても、大体瞑想は同じようなものを目指していたり、手法だったりするので、瞑想に興味がある方にはわかりやすくてオススメです。 

先日レイキの伝授を受けてくださったお客様が、「瞑想というと無になるとか言って意味がよくわからないし、難しそうと思った」というようなことをおっしゃっていました。このヨガ瞑想の本にも瞑想の最終的なゴールは無になる(=自然界を司る意識と同格になる)と書かれています。 

無・・・がどういう状態かわからない、ということでしょうかね。 この本によると無はゼロではなく完全だそうです。大いなるもの、とかと一緒でしょうか。

 私もヨガでのいわれについては詳しくないので無についてはあまりよくわかりませんが、太極拳の先生が非常に興味深いことを話していました。 

先生は、インド人は無をゴールとしてヨガや瞑想をしているが、やっぱり一般人には難しい面もあるので、中国人は無の前のステップとして、陰と陽に分けて考えられるようにした、と言っていました。 陰陽という二つになると割とわかりやすく、こっちが陰でこっちが陽だね〜、なんていうことを理解していくうちに、それらが実は右手と左手を合わせて合掌すればひとつになるように、つながる・・・というか、元は一つのものという理解ができ、陰陽という太極から無極(分かれる前の状態)の境地へと近づけるようになる、ということだそう。

 この無極がヨガでいうところの無と同じことらしいです。 先生は練習中にいつもこういうことをサラッと話すのでうろ覚えですが、大体あってると思います(^^;。 
太極拳でも最終的には天人合一(→マイブームなのでしつこく登場)、自然の本質そのものと一体となることを目指しているわけですから、ヨガの目指すところと大体同じと言えるでしょう。

確かにヨガではいまいちピンとこなかった「無になる」でしたが、この陰陽の考えは私にはとてもわかりやすく、陰陽ということへの理解が深まるほど、陰陽以前のことについても理解が進んでいます。

ところで、この無極から太極へという考え方って、カバラの生命の樹に似てますよね。ケテルという第1のセフィラがありますが、その前はアイン(無)→アインソフ(無限)→アインソフオウルときて、ケテルで樹が始まりコクマー、ビナーと左右に分かれた図になりので、なんとなく発想が似てる。カバラのが詳しい感じですけどね。 無か有かしかない陰陽的発想に比べると・・・。(陰陽思想ももっといろいろあるんでしょうけど・・・) 


まー、とはいえ、みなさんがいう「無になる」ってどういう感覚を指しているのか私にはよくわからない部分もありますけど、これも太極拳の先生の話ですが、先生はある時、この世界の全てのものは祝福されているんだ!と感じたそうです。最初はよく意味がわかりませんでしたが、最近私も瞑想中にその感覚を得ることができました。 

先生と同じものかわかりませんが、確かに、喜びのような感覚だけの世界という感じで、それは今この瞬間どこにでもあるといえます。私の感覚では、この喜びのみの世界は他の次元の感覚です。これは、たとえではなく、この世界は縦横奥行きの3次元と時間をプラスして4つめの次元を主に感覚の主流としていますが、同時に他の7次元くらいがあるという説があります。少なく見積もっても5次元めの世界はあると見られているので、我々の主流な感覚で感じられる世界以外の世界があと1次元はあると考えられます。

その次元に感覚を合わせると、肉体以前の感覚というか、全体がつながっているメッシュのような世界という感じがあるのですが、そのゆらめきは喜びと至福であり、時間のない永遠の世界といった感じです。 

この感覚とつながったまま、3次元世界を見る、というのが当面の私の目指すところかな、といったところです。ときどき、3次元のみに振り回されてしまい、この感覚と離れてしまうと、なんとも空虚な、無意味な感覚になってしまいます。

 太極拳(太極剣ですけど・・・)に触れることで、単にストレス発散で剣をバッサバッサと振り回す以外に、いろいろと学びを得られて、やってよかったぜよ〜と思っています。 


またもや、よき師に出会えましたな。

2011/11/08

je veux





知ってます?Zaz・・・。

わたしに吹いてたフランスの風ブームとき、ハマってました。
ご紹介しましたっけ?・・・忘れてる・・・。
紹介しようしようとは思っていましたが。




zazの曲の中でも「je veux」はみんなハマるはず。
歌ってるこのザーズさん?女の子がほんとフランスの人って感じしちゃう。なんかセクシーだよね。あと歌っている姿が気持ち良さそうなのがいいのよね〜。声を出すことに快感を覚えているような感じが聞いていて観ていて心地いいんですよー。

「je veux」は歌詞がこれがまたイケてるんですよ。日本語訳の歌詞はこちらの方のブログにありますのでご覧ください。


最近はめっきり2NE1色に染まっている私ですが、秋の風が吹くと少しフランス風も吹く・・・ということで、最近はザーズザーズ2NE1みたいな感じです・・・♪



2011/11/07

人生がときめく片づけの魔法



知ってる人からしたら「今さら!?」って感じなのかもしれませんが、コンマリちゃんの「人生がときめく片づけの魔法」に出会っちゃいましたよ〜。別の本を買いにいったときにレジ前にあって、帯にあったコンマリちゃんらしき女の子がかわいかったので、「もう年末だし片付けっしょ」ということで。

コンマリちゃんの片付けの肝は「ときめくかどうか」なんですが、ときめかないものは基本的にさよならし、ときめくものだけ残します。

このある種の乙女チックな手法、ときめくだけではやっていけないという人も多数いるようでamazonの評価の星1個しかつけてない人のコメントなどを見るとすごい評判悪いです。(私はamazonの評価は基本的には悪い方の意見ばっかりしか見ません。良い評価のは最後に目治しに少し読む程度。)
だがしかし、今ここに至った私にはこの「ときめき基準」が妙にしっくり。
半年前なら私も星1個だよ。たぶん。

「ときめき」とはなんでしょうか。
「ときめき」を感じられるんだろうか、と不安に思いつつ、試しに衣服の整理を始めてみると、「ときめく」という感じがはっきりわかりました。というか、ときめかないときがあってこそ、ときめくがわかるのですが。1枚1枚の衣服を拾い上げて「ときめき」があるのか確認していると、段々、不思議なことに気づきました。
「ときめき」だけでなく、「私をもう捨ててください」と言っているような気がする衣服が登場したことです。それは大概、大好きすぎて破れても着ていたり、破れていないまでもいささかくたびれた感のあるものなどでした。
「でもまだ私あなたといたい!だって好きなんだもん!」というとその服は従順にもわかりましたいいですよ、という感じになるのですが、なんだかもう旅立とうとしている人に無理言って一緒に居てもらっている感じがして、最後には「少しさみしいけど、私あなたを旅立たせる準備ができました」と、その服とバイバイしました。

と、こんな感じで、「ときめき」を確認したかっただけだったのに、物と会話できる能力が開花してしまいました。コンマリちゃんの本には、家にもありがとうと言おうなどという話が出て来て、そういうのを受け付けない人もいるようですが(amazon評)、私は逆にコンマリちゃんの感覚がわかった感じがしました。

では、物に魂、なんやら神みたいなものが宿っているということなのでしょうか。
それについてはよくわかりませんが、ひとつ言えるのは、それがなんだろうと、私たちの潜在意識は物のエネルギーと繊細なやりとりをしてそれを認識できるということです。
タッチフォーヘルスをやったときに、意識では全く知らないことを既に体は知っていて正確に反応を示していることを知りました。なので、ときめくかどうか、ということは、そのものに対し自分の体がどんな反応をするのか、ということで、実はとても奥深く、そして大切な基準なのではないかと思っています。


数年前、セドナに行って帰ってくるとエネルギーが変わったのか妙に片付けたくなり、「ガラクタ捨てれば自分が見える」を読んで片付けたのですが、このときも相当捨てたものの捨てることが苦痛でした。

でも今回の「人生がときめく片づけの魔法」でのときめき・・・というか、もはや物との会話を通じて整理すると、お互いの間にある種の理解みたいなものがあって、ある種の役割が終わり私ともう一緒にいれないもの、まだ一緒にいるものが分かれる感じなんですね。この感覚、まるで前のボーイフレンドと別れたときみたいだわ!アッハッハ!
なので、捨てる前に、「ホントにありがとねー。そしてサヨナラ・・・」とギュっとゴミ袋を抱きしめ、ご挨拶してバイバイします。そうすることにより、縁切りの儀式が終わるようです。人間でも物でも、きちんとさよならの儀式は必要のようです。

そうして、服だけでも相当お別れしましたが、服よりもすごかったのが本・・・。量という意味では服のが断然旅立ちが多かったですが、本は何がすごいって、過去の自分と今の自分が恥ずかしいほど見えちゃうんです。
ときめき基準で本を整理していると、残る本は・・・ハリーポッターと聖おにいさんと、解剖学の本少々と野口晴哉関連の本と数秘の本とその他ちょろり・・・って感じで私の頭のなかって・・・って感じでした。でもこれが、過去がそぎ落とされた今の私ってことみたいです。
旅立ちを決めた本の多くはスピリチュアルな本でした。あと、昔おしゃれを気取っていた時に買ったオシャレ人が読みそうな本たち・・・。デザインとかアートの本とかね・・・。
思えば、今年はヌメロロジーの第2ピナクルが9の年で第2ピナクル9年間の締めくくりなんですね。第1ピナクルが睡眠期だとすると、第2ピナクルはスピリチュアル期と命名できるのではないかというどっぷりスピッた歳月でした。そんな中、エンジェルやら妖精やら、ワンネスやらマナやら自然療法やらオーラソーマやらクリスタルやらとありとあらゆるものを物色しました。どこかに私の居場所があるんじゃないか、どこかに私の知りたかったことが書いてあるんじゃないか、答えを知っているのはどれなんだろう・・・みたいな感じで。結果、青い鳥は自分の家にいたってことですよ。

今回の大片付け(おそらく年末まで続く・・・)をして気づいたことがまたひとつ。
私は、好きだからというものより「使えるから」という理由で自分の周りに置いているものが多いということ。「ツカエル」というのは魔法のような言葉ですが、ツカエルものがたくさん身の周りにあることで、好きだけど多少不便なものが少ないのは幸せを感じられるのかと考えると、長期的にみれば満足度は下がるように思いました。そういう視点で見ると、ものだけでなく、自分自身が選んでいるいろいろなこと、環境やら人間関係やらも、もしかたしたら「好きだから」よりも「ツカエル」を優先してしまっているのではないかと少しゾッとしました。

太極拳の先生が教えてくれたのは、天人合一の境地に至るためには、まずは太極を知るということから始めましょう、ということ。太極を知るための方法のひとつには、自分が好きなものと嫌いなものをはっきり分けてみること。今回、ときめきという手段を通じて太極につながることができたような気がします。好きとキライを知ることで、どちらにも通ずる無極を感じることができる、ような気がします。

これからは、ツカエルよりトキメキを基準にしてみようかなと思います。
ツカエルはThinkだけど、トキメキはFeelってことのようですしね。

2011/11/01

行動タイプ

ひょんなことから、「就職活動生モチベーション調査」というものを目にしました。


まったく興味ありませんでしたが、調査した会社がリンクアンドモチベーションという会社で、私の先輩が働いていた会社であったため、なんとなくその調査結果を見ていました。

ふーん、最近の若者はうわさどおり不安感が強くて、仕事観が多様化しているのね・・・などとペラペラみていると、「思考行動特性を捉えた「行動タイプ」で有意な特徴が見られたため、この行動タイプ別に就労観を把握することとした」とのこと。

その行動タイプというは、

・アタックタイプ(達成支配指向) ~勝負や敵味方にこだわり、目立ちたいという欲求が強いタイプ~

・レシーブタイプ(維持運用指向) ~支援や貢献にこだわり、喜ばれたいという欲求が強いタイプ~

・フィーリングタイプ(審美創造指向) ~感覚や美醜にこだわり、楽しみたいという欲求が強いタイプ~

・シンキングタイプ(論理探求指向) ~因果や論理にこだわり、解明したいという欲求が強いタイプ~

の4つです。

これらのタイプについての真意はわかりかねますが、みなさまこれらをみて何か感じることはありませんか・・・。

そう・・・もうお気づきですね。体癖タイプじゃね?ってことです。

アタックタイプは勝負や敵味方にこだわるわけですから、ねじれ体癖。
フィーリングタイプは感覚や美醜にこだわる、つまり感覚、感情、好き嫌いを重視しているとすると、左右体癖。
シンキングタイプは当然、考えることが大好きな上下型。もしくは9種(閉型)かなと。

と見えるわけです。
でもレシーブタイプだけよくわかりませんでした。支援したがるということで開閉型の開型体癖の方かな〜、そういや損得にこだわる前後型がないけど、シンキングタイプに集約されているのかもな〜などと考えつつ、がぜん興味が沸いたので調査結果をさらに読み進めると・・・

タイプ別のさまざまな結果が出ていました。
たとえば、
どれくらいの規模の会社で働きたいか、どんな雰囲気の会社で働きたいか、などなど。

どれもそれぞれのタイプごとに、まーそうだよね〜と思う結果だったのですが、「将来どの役職まで出世したいか」という問いに、

基本的には無難に「こだわらない」とみんな回答しているのだけれど、そんな中アタックタイプは社長を目指す割合が4タイプの中で高いということで、結構笑えました。完全にねじれっぽい。
その他は「役員」を目指すというのが多かったのですが、レシーブタイプだけ「部長」というのが役員より高い・・・。これを見た瞬間、なんとなく不自然さを感じたというか。ピンと来たというか。
このレシーブタイプって、損得タイプ/前後型体癖じゃないすか?
前後型体癖の損得タイプはいつも損得基準で考えているので、表面に出してくるのは「無難」なもの。一番高いアクセサリーはつけていかないのが損得タイプ。そう考えると、社長とかいっちゃうねじれ体癖はおいといて、みんなが役員という自分の中では結構いいかなと思う一番のものを差し出してきているのに、部長とかいっちゃうこの姑息さ・・・。これこそ損得体癖の象徴であるように見えてきました。

そう考えると、レシーブタイプの回答すべてが姑息以外に見えなくなってきて、見れば見るほど損得タイプに思えてきました。
いずれにせよ、レシーブタイプが損得タイプだとすると、大枠の体癖は出そろうわけで、損得であればおもしろいナ〜などと思いながら、調査結果を楽しませていただきました。

しかし、リンクアンドモチベーションも、知らず知らずのうちに体癖分類しちゃって。・・・って、もしかして知ってたのかしら?体癖論・・・。


2011/10/26

自己暗示


先日、大好きな「ホンマでっかTV」を見ていたら、細かいことは忘れましたが、心理学の植木さんが何かの解決方法として、「手が重くなる、重くなる」と自分で言ったり考えたりすることで、手が重くなり、重くなると温かくなり、眠くなるだかリラックスするだかとお話していました。

それを聞いていたマツコが実際にやっていたようで、その場ですぐ右手が重く、そして温かくなったと、ワーキャー盛り上がっていました。(マツコは「右手が重くなる」と念じたらしい)

知人の心理学博士に聞いたところ、これは自律訓練法とも言われるものでワリカシ有名なものだそうです。

ですが、重要なことはそんなことではなく、「右手が重くなる」なんつーことをたかが数回程度思っただけで、実際になってしまうということです。

ということはつまり、繰り返し考えたり言ったりすることが、暗示となり、実際の肉体的な現象となって現れている、といえる、ということです。

私の例で言いますと、「あ〜、また太っちゃったな〜」とかほぼ毎日つぶやいたり、また、鏡を見るたびに「ありえねぇ〜。デブってる。なんだ、この三段腹は・・・」と考えると、それが暗示となり、痩せるどころか、逆に「太ってる」という体を創り上げている可能性がないともいえません。

同様に、「老けたな〜。」「あ〜、もう年だな」「たるんできたかしら」なんてことを四六時中気にしていたりすると、それが暗示となり、自らその姿を創り上げている可能性があるわけです。

なんと従順な体なのでしょう。

ですから、私はもうそのような悪い点を指摘したり批判する思考をするのはやめ、「今日は昨日より引き締まってるな」「今日もスタイルがいい感じだ」とか、「お肌が内側から輝いているようだわ」などと考える、もしくはつぶやくようにし、自らの体を暗示によりキラッキラにするよう持っていきたいと思います。

ブスだ、ブスだとぶーぶー言ってると、自分が本当にブスにしか見えないという暗示にかかってしまうので、いいね〜とか、美しすぎると考え続けるようにしましょうぞ!

野口晴哉は私たちがたくさんの催眠術にかかっている状態にあるようなものだから、それらを解いてあげるのが自分の仕事だと言っていたそうです。
こうした自己暗示だけでなく、社会的なことやその他いろいろなことにおいて、私たちは数えきれないほどの暗示にかかっているのかもしれませんね。
常識という名のもとに。

2011/10/20

目標をガリガリと


来年、イワクつきの年、2012年がもうすぐそこに・・・。

ということで、先日神戸のKさんたちとお会いしたときに、発売後すぐに「星ダイアリー」をゲッツしたと言っているのを聞いて、「・・・もう、そんな時期だったか・・・」とうっかり10月とはどんな時期なのかを忘れていました。
最近は○○手帳的なものがたくさん発売されていて、人気のものは早々に売り切れてしまうそうだから、早く買いにいかないと・・・と思い本屋へ。

とはいえ、星ダイアリーも何年か使って、そろそろ気分を変えたいような、星の動きはもう体で感じられるから位置を確認しなくてもいいような、海王星の時期は終わりだからもっと「やったるで!」的なものがないものか・・・

などと考えながら、いろいろな手帳をペラペラみていると、数秘術を元にした手帳がひとつ見つかりました。

表紙とか見た目は私の好みとは最高にかけ離れたものでしたが、食わず嫌いをせぬよう、内容をじっくり見てみました。
それは「魔法の手帳」という手帳です。
中には数秘でみた今年のイヤーナンバーや、自分の今年のナンバーがわかり、2012年という年をどう過ごしたらよいかという指針となります。
また、それだけでなく、パーソナルマップという目標や夢を明確するためのものがついていて、それに書き込んでいくことで、実現させたいことの実現化を促すという。
全体的に、「目標達成、夢を叶える」あるいは「意識改革」という色合いの濃い手帳で、そのためのサポートとなる工夫が先に書いたもの以外にもいろいろあります。
中でも私が特に気に入ったのは、毎月のスケジュールのところに、その月の自分なりのテーマや目標を書く欄があること、毎日のスケジュールの欄には1日1感謝というか、その日のありがとうについて書く欄があること、などです。

これは・・・買いや!

ということで、2012年はこの数秘の手帳を使用してみることにしました。
なんせ、今年学んだ脳のバランス調整でも、タッチフォーヘルスでも「まずは目標を立てること」というのが大事でしたので、それを活かせるのが良かったです。
また、「魔法の王国オラクルカード 」をひくと、相当の頻度で「The Word Lord (言葉の貴族)」というおじいさんのカードが出ていたというのもこの手帳を選んだ理由のひとつとなっています。このおじいさんは「コミュニケーション、賞賛、不実」などを表すカードで、世界を賛美せよ、とかいろいろ書いてあるのですが、中でも「今こそ、アファメーションの訓練に取り組む時」とも書いてあるのです。なので、ちゃんとやってみようかと。

そういえば、私の来年のイヤーナンバーは1なんですが、1の人へのメッセージに「迷ったら一歩前進」というのがあるんです。・・・ま、私にこんなメッセージを言ったらかなり危険ですが(ただでも突っ走り系の癖があるので・・・)、それはさておき、ダイアリーに挟まってた出版社へのアンケートハガキに「あなたへの幸運のメッセージ」というのがついていたのですが、なんとそれにも「迷ったら一歩前進」と書かれていました。自分のダイアリーしかみてないので、全部に同じメッセージが書かれているのかどうかはわかりませんでしたが、こう何回も言われると・・・来年も突っ走れってことですよね。(だから「一歩」だって・・・)

幸せを呼ぶシール付きで、結構いたれりつくせりで気の利いた手帳なので、てっっっきりどこぞの働きものの女性が創ったものだろうと(名前からもそう想像した)思ったら、

オジサンでした。
ちょっとフ・ク・ザ・ツ(ー_ー)

2011/10/10

2NE1



HEY!HEY!HEY!に2NE1が出るっつーんで楽しみにしていたのに、パフォーマンス部分があまりないUGLYだったので残念。MステのときみたいにI AM THE BESTやってほしかったっす♡

私は偶然見てたMステで初めて2NE1を知って、ちょーかっこええ!と思ってyoutubeなどでMV見てみたら、さらにハマりミニアルバムも買っちゃった。ムフ。最近はずっとかけてます。
2NE1のMVを見るようなって、フランス女&パリの風ブームは、まさに風とともに去りぬし、すっかりこの個性的な感じの真似っ子してます。
アラフォーなので自制はしつつ。

2NE1は4人組で、みんな魅力的ですが、やっぱりリーダーのCL(金髪の子)とミンジ(黒髪のおかっぱ)が特に好きだな。踊りが上手。
顔はダラとボムのが韓国歌手っぽいカワイイ感じだけど、CLとミンジは目が離せない魅力を放つ。

2NE1のCDを買うなら、、、最近はダウンロードなのかしらね、韓国語版のが人気です。amazonだと日本語版すごい不評。でもLONEYとかは良さそうだったけど、確かにあとは韓国語のがかっこよく聞こえる感じする。
「2NE1 1st Mini Album」「2nd Mini Album」買いました。今度、「1集 - To Anyone 」を買う予定です。ノリが良いのがお好きな方には超オススメよ〜。

サロンのセッション中はさすがに2NE1をかけるとダメかなと思うので(あたりまえか)癒し系の曲にしていますが、寸前まで2NE1かけてます。オホホ。

みなさんも聞いてみて!

2NE1チャンネルに行くといっぱい見れるよ〜。是非見て〜。

2011/10/02

八卦掌





太極剣を通じて太極拳を学び始めたばかりの私ですが、ひょんなことから合わせて八卦掌(はっけしょう)という、これまた中国武術のひとつを学ぶ機会に恵まれました。

八卦掌についてはどんなものなのか生で触れたことがないため、まだ全くわかっていませんが、円やらせんの動きが特徴で、しなやかで優雅な印象を与えるもののようです。でも、強いみたいな。

八卦掌は、私の先生によると、
・全身の経絡の通りを良くする
・潜在的な能力を目覚めさせる
・自然の運動法則と一体となる
とのことらしいので、いつまで続くかわかりませんが、せっかくの機会ですので味わってみたいと思います。

太極拳が「動く禅」と呼ばれるのに対し、八卦掌は「歩く禅」と呼ばれるそうです。

じっと座って行う瞑想も味わい深いものですが、時々どうしても深く入って行けないときがあります。なんか自分のエネルギーのあちゃあちゃするというか。そういうときは、こういった動きのある瞑想法を行うともしかしたらまとまってくるのかなぁなどと思いました。

フェイシャルリフレクソロジーでも、タッチフォーヘルスでも陰陽の考えに触れているので、太極拳や八卦掌を通じてさらに陰陽極まりて0(ゼロ)となる世界、その一端にでも触れられたら・・・と思います。

そういえば、八卦掌は私にとってあまりにも唐突な贈り物だったので、懲りずにまた「魔法の王国オラクルカード」で見てみたところ、「物質的な豊かさを得ていた/追求していたこれまでから、世界とポジティブな交流をし賞賛することを通じて、すべてのものを聖なるものとし人生のすべてを瞑想とし、あらゆる行為を祈りとみなすようになる」といったようなカードが・・・。

あからさまなカードばかり出ましたが、要するに良さそうってことですよね。そして八卦掌が歩く禅ということもなんとなく納得できました。(まだやってないのに)

スタジオでやるヨガにもマンネリを感じていたところなので、八卦掌はちょうどよい新しい風となりそうです。

スタジオのヨガはどちらかというとリラックスとか自分の内へ内へと入って行くものなので、動きはあるものの静的な感じがするのに対し、太極剣の動きは、静でありながらも激しさを持っている感じがします。なので、私の中に渦巻く激しさと活動性を発散させるのには適しているのかな、と思います。
剣、八卦掌、ヨガを上手い具合に取り入れながら内面の自分の芯を見つけ、また世界を感じることに役立てられればな〜と思います。


めった斬り&刺しまくりの太極剣をご覧ください(笑)

2011/09/27

ものごとが実現するためには?

複数のフラワーエッセンスを選んでミックスボトルを作るときには、どんなボトルを選ぶのかをテーマや課題、目標によって決めます。といっても、私が決めるわけではなくて、エネルギーリーディングによってテーマにあったものが選ばれるということです。

サロンが出来た頃からずっとサロンMのフラワーエッセンスをご利用いただいているお客様がいらっしゃるのですが、先日久々にサロンにいらしたときに、あらためてフラワーエッセンスを選ぶテーマを作ってもらうことにしました。いつもは遠隔リーディングなので特段カウンセリングなどはなく、ご自身で決めたテーマを送っていただきお作りしているのですが、対面ですので、新方式のエナジャイズコンパス(→エンパワメントヒーリングより)のやり方でテーマをお作りいただきました。

エナジャイズコンパスでテーマや目標を作る場合には、いくつかのルールがあります。
例えば、ありがちですが、「〜なりますように」ではなく、「〜ている」という形の文にする、とか、ポジティブな言葉が使われているか、などなど。
これらを私がサポートしながらひとつひとつ確認していき、自分で本当〜にしっくりくるテーマ/目標を創りだすのです。

自分自身に制限が多かったり、自分と自分以外の誰かの考えが意識の中で混在していると目標作成に結構時間がかかるので、果たしてどれくらいで目標が創りだせるだろうか、、、などと思いつつ、確認作業を進めていましたが。

案外早く出来たような。通常の感じでテーマを考えていただくよりも、今回はすんなり出来たような印象でした。

そしてなんといっても出来上がった時にびっくりしたのは、良いテーマや目標ができると、なんというかその瞬間にもうそれが達成されたかのような爽快感があったりするのですが、それをご本人だけでなく私も感じることができたということです。
その人にとってスッキリ来ると、一緒に居る私までスッキリくる。
やっぱりエネルギーは相互に関係しているな〜と感じました。

目標ができあがっただけで、まだ実際には何かが起こったわけではないのに、望みのものをゲットしたかのように既にお客様がキラキラした感じの表情に変化しているのを見て、物事の実現化というのはこういう形で起こっていくものなのかなぁ、と考えたりしました。

よい展開になればいいなぁと思います。

2011/09/25

いったい何が見えているのか



先日「ぶっちゃけエネルギー見えていると思う」と書きましたが、その続きを・・・。

台風も過ぎ、晴れた気持ちの良い日に公園に瞑想しにでかけました。
そのついでに、「そういや例のアレ見えるかな」とまた見てみたら、キラキラ見えました。やっぱり外の方がキラキラしているので、太陽の光と関係しているのだ、と思いました。

このところソユーズの古川さんとお話しする宇宙系特番が多くありましたが、ソユーズから見た地球が映ると時折、キラッ!キラッ!と瞬くものが映ります。それは宇宙光線と太陽光線のなんやらのなんやらだ、とかで、まーとにかくよくある自然現象らしいのですが、地球上にいるとあまり目にしませんよね。

でも、私が見ている例のアレは時々似たような感じでキラッ!キラッ!としていることを発見しました。ということは、宇宙から降り注いでるさまざまな光線の一種を見ているのか!?という可能性が出て来ました。

うーむ、似ているなぁ・・・と思いながらじっとキラキラの動きを見ていると、時折グレーの丸い玉がふわーっとひとつふたつ落ちてくることに気がつきました。

なんだろう、あのグレーの玉は・・・と、キョロキョロ探しますがあまり見当たらず、またしばらくじっと見ていると、たまーに、1個ぽろんと落ちてきます。

・・・なんか見たことある気がする・・・なんだっけ・・・

と思いを巡らせていると、ひとつ思い当たるものがありました。

それは、雨が今にも降りそうな曇りのときに、周囲を見ると、あのグレーの玉みたいなのがいっぱい見えていたんです。それがいっぱい見えると、「あー、もうすぐ雨降りそう・・・」と思ったりしていたのですが(ちなみに雨がざーざー降っちゃうとあまり見えない。というか、まじめに見ようとしたことない)、アレのグレーの玉と同じでした。

・・・ということは、水のエレメント的なものというか、水分に近い何かのアレなのかなぁ、今は1個とか、2個とか数が少ないから、台風後で少し湿気があるからなのかなぁ・・・と思っていると、段々遠くの方から天気が曇ってきて、その日の夜は雨でした。

だから、やっぱりキラキラが太陽の光のアレだとすると、グレーの玉はそういう雨の分子的な感じかなぁと思いました。思い起こせば、ギリシャに行った時にエーゲ海に沈む夕日を見ていたところ、夕暮れも深まってきた時に海からプワプワと丸い何かが空へ上がっていくのを見た(気がした。当時はまだ透視の勉強を始めたばかり)ので、それも水の何かだったのかな、と今更思いました。

また、これも目の錯覚と思っていたのですが、時折、透明の波のようなものがユラ〜っと目の前を通り過ぎているのに気がつきました。最初の数回は「自分の目玉の故障だろう」と思って悲しかったのですが、目玉を動かさなくてもそれがユラーっと動いていったりしているので、何度かいろいろな見方で試しましたが、どうやらもしかすると目玉の故障ではないかもしれない、と思いました。

ちょうど「〜」←こんな感じのものが3本とか4本、まさに絵に描いた落書きの河や波線のような感じで空間をユラ〜っと通り過ぎるわけです。

太陽、水、と来たらきっとこれも何かの象徴的なエネルギーかもしれないな、と思いつつ、確信はないものの見た目から風的な何かじゃないかなとか思ったり。でも風はそのユラ〜に関わらず吹いていたような気もするので、何かの想念的なものとかかもしれません。よく見てませんが、ユラ〜は比較的自分に近いところだけで、遠くにはなかったように思います。グレーの玉やキラキラはそこいら中にうるさいぐらいにあるので、それとは少し違うような・・・。なんせ、最初は目の故障だと思っていたのでまじめに見ていませんでしたので、次にゆっくり見る機会があったらいろいろ検証してみたいと思います。

こんなのが見えても今のところあまり役にたっていませんが、雨が降りそうなときは先にわかるといえばわかるので(グレーの玉の量が増えると降る)、曇りのときなんぞは密かにそれを目安にしたりしています。
とはいえ、実際にはそれらが何なのか詳しくはわかりませんので、なんとなくの目安にしかならないのですが・・・。

またいろいろ検証できたらご報告します〜。



2011/09/20

ヨーガの味わい



ヨーガを定期的にやり始めて1年・・・。その前に家でDVDで始めた頃から換算するともう数年になりますが、ここにきて、私なりにヨガの味わい方が少しわかった気がしました。

クリアサイトで一緒だったヨガインストラクターのキミちゃんとバッタリ遭遇してから、たまにお茶したりして、いろいろなお話をする機会があったのですが、彼女がヨガを学ぶ道中で得てきたヨガの(というかインドの、なのかもしれませんが)、深淵な智慧を私に話してくれるので、私の中でもヨガに対する考え方が変わったのだと思います。

ヨガのアノ動きは、解剖学的にも大変良く考えられた動きであることはわかりますが、「・・・で?」って感じもありました。
私にとってはあのポーズ、動きができるようになると何かが整ってくるのかなぁ〜、インナーマッスルが鍛えられるのかなぁ〜、みたいに思っていました。また、あのポーズや動きができるようになると、なんか体のエネルギーの流れが整ってくるから、瞑想的になれるってことなのかなぁ〜とか。

でも、キミちゃんの話を聞くところによると、ポーズの完成度はあまり重要ではなく、むしろ大事なのは、型(ポーズ)と、型から自由になった時の感じ方の違いを知ること、感じることであるそうです。(ざっくり言うと)

つまり、ポーズとってると、どこかおかしな体勢になっているわけですが、そうすると当然苦しい、つらい、違和感あり、などなどいつもとは違う状態になるわけです。でも、そこを通過することで、何もしない状態になったときに自分という本来の姿を実感しやすくなる、内観に向かえる、むしろそこに醍醐味があるのであ〜る、というようなことらしいのです。

長年ヨガを実践されている方にとってはこんなこと当然のことなのかもしれませんが、私にとってこの考えは「へ〜」と妙にヨガを身近に感じ、そして深く受け容れるきっかけとなりました。
なぜなら、昔習っていた合気道の師範からも同じような話しを聞いたことがあったからです。型をマスターしてこそ、それを破り進んでいけるという「守破離」の教えです。(ざっくり言うと)
「守破離」は修行の道筋のことなので、ヨガのポーズとリリースとはニュアンスは少し違うかもしれませんが、私の中ではなんだかしっくり来てしまいました。

ヨガの呼吸法でも同じで、カウントしたり、片方の鼻ずつやったりと敢えて不自由なやり方を一度通すことにより、解放したときの感覚、自由な存在である本来の自分を感じるきっかけとすることが大事で、4で吸って4で吐くこと自体に本来の意味があるわけではないそうです。目的は内観、ということです。(間違ってたらごめん・・・)

で、そんな話を聞いて、シャバーサナ(屍のポーズ)をしていると、体の力が入っている部分に気づきます。自分ではリラックスしようとすればするほど力が入ってしまう部分。そっと意識を向けていると、やがて「ほっ」とその部分の力が抜けて正に死んだように脱力します。そうすると、また別のところに力が入ったり、また抜けて・・・という感じで、体の状態に気づきます。

「死んだらとたんに立っていられない。つまり人間は意識で立っているということだ」というようなことを野口晴哉が書いていましたが、逆にいうと、力が抜けないということは意識が残っているということですよね。
力が入っている部分はなんらかの意識がそこに力を入れているということなのかなぁと思い、今度はシャバーサナ以外でも自分の体が硬くてなかなか上手くできないポーズのときもただじっと痛みを感じている部分に意識を向けてみました。
すると、しばらくすると「誤解でした」と言わんばかりに急にフッと力が抜けて、前屈でももう1段前にいける瞬間がくるのです。

これはある意味では、痛みに脳が慣れてそれを無視するようになったのかもしれませんが、私の内側の感覚では、「痛い!これ以上行けない!無理無理!」という決めつけの気持ちや、「これ以上前に行ったら切れちゃう!怖い!」というような気持ちを、痛みを感じている筋肉やスジのところが訴えているわけですが、やさしくただじっと待っていると「え?痛くないの?切れないの?」という感じでオドオドと少し緊張をとってみたり、緊張してみたりという感じがあり、そして「な〜んだ!大丈夫なんだ」という感じでホッと緩まるんです。

おお!おもしろい!
だけど、普通のヨガだとシャバーサナ以外はそこまで一つのポーズに時間かけないので、じっくり試すことができないでいましたが、先日1つのポーズに約5分程度じっくり時間をとるという陰ヨガに参加して、実践してみました。

陰ヨガというのは、筋肉モリモリで行うものではなく、じわーっときくポーズをすることで筋肉のより深い部分、骨や筋肉をつなぐ結合組織に働きかけるヨガだそうで、陰陽五行などと組み合わせた感じでやったりするみたいです。私が参加したのは肝胆胃脾を解放する、という講座でしたが、つまりは、脚周りの肝胆胃脾の経絡が通っている部分を使うヨガポーズをじっくり行うことで経絡、エネルギーの流れを整えていこうというものでした。

初めての陰ヨガだったので上手にできなかったのかもしれず、肝胆胃脾の経絡になんらかの影響があったとは思えない出来映えでしたが(揉んだりさすった方が早い気もする・・・)、先に書いた体と対話して意識改革を行う、というのには大変適した時間でした。

やわい気持ちで抵抗している部分は、ちょっとじっとしているだけでふわ〜っと力が抜けて、「マジッすか!?」という感じでペターンと体が床についちゃったりしたのですが、頑固な部分というのがあるわけで・・・。
頑固なアイツは5分では対話さえできず・・・。アイツ・・・右の尻。

アイツとはこれからもじっくりやっていきたいと思います。

この体との対話は、みなさんも寝る時にでも試せると思うので是非やってみてください。

シャバーサナのように軽い大の字で寝て、全身の力を抜きます。といっても、抜いたつもりで抜けない部分があるのが常なので、その抜けない部分ってどこだろう、と探ってみます。右脚かな〜、肩だな〜、とかいろいろあると思いますが、どこか一カ所まず一番目立つところにちょっと意識を向けます。
意識を向けるというのは、そこに注意を向けるという感じで、別に「力抜けろ〜」とか念じる必要はありません。ただ「む、力入ってるな〜。なんでかな〜」などとぼんやり様子を見ているイメージです。
そうすると、たまに何かを思い出したり、何も思い出さなくても意識を向けると余計に力が入ったりとか変化してくる場合がありますが、それでも焦らずただ起こるままにそっとしておきます。

すると、あきらめたかのように、もしくは安心したかのように、急にストンと力を抜いてくれるときが来る、かもしれません。

お試しあれ。

☆インドの聖人のこととか書いてあっておもしろいキミちゃんのブログはこちら

2011/09/16

キラ度高



以前にも書いたかもしれませんが、ぶっちゃけ、私は自然の氣らしきもの、プラーナみたいなものが見えてると思います。

人の周りにあるオーラ、、、は、瞑想状態になって見ようとして見るのですが、氣はふつうにしててなにげなく見ることができます。

幼い頃、自分の目の中にある涙というか目の周りにある液体は自分で見えるのか、という実験をしたときに、自分では「涙が見えた」と思っていた水の流れのような、あるいは、小さなキラキラしたものが周り中をせわしなく動いているものは、どうやら涙じゃないらしい、ということにごく最近まで気づきませんでした。

こうして考えると、よくスピリチュアルヒーラーみたいな人の経歴にある「幼い頃から不思議なことがよく起こり云々・・・」というようなことは自分にはないと思っていましたが、「前からプラーナが見えてた」ということはスピリチュアルな人っぽい技能だぜ、と思いました。

私が見えてるものが実際は何なのかはわかりませんが、どこでもあるものですが、多いところ少ないところがあり、太陽の日差しが強いところでは特にうるさいほどチラついています。(目の病気ではないと思う)
今までで、量がすごいな、と思った場所は、沖縄の海の沖に船で出たときと、ギリシャからトルコまで船で移動している何?エーゲ海?の上と、両方とも海上で快晴というか、暑過ぎるくらいの天気でした。
だからといって、東京の家の中とかそういうところには全くキラキラがないかというとそういうことではなく、キラ度低って感じなだけであります。
だから、プラーナ的なものなのかな、と思ったわけです。

で、見える自慢をしたいわけじゃなく、今回お伝えしたかったのは、私は今まで人の周りにこのキラキラを見たことがなかったのですが、先日太極拳の先生とお話していたときに、ふと見ると先生の周りがすごくキラキラしていたんです。

まさか・・・と思い、一旦別のところを何気なく見たり、まばたきをパチパチしたりして、また先生に目を向けると、それは明らかに沖縄の海上で見たキラキラと同じものでした。しかも、結構すごいキラ度で、少しまぶしいと思うくらいでした。慣れてきて先生自身を見始めるとキラキラは気にならなくなるのですが、ふと見るとキラッキラしてて一瞬先生じゃなくてその周りのキラキラに「☆がキレイ・・・」という感じで目を奪われるほどでした。

オーラ?とも思いましたが、オーラではない?もしくはオーラが濃度を増してくるとこう見える?などとも思いますが、直感的に感じたのは、自然の氣とかなり近い氣を放っているのではないか、ということでした。

そう考えると・・・私もああなりたい!・・・と思わざるをえませんでした。

ウーム、太極拳がんばろっ。

「なりたい」と思うものは既に自分の中にあるもの。
心を解放すればすぐなれる、そう思います。

2011/09/11

氣を放つ


私は「男子ごはん」という番組が好きで結構見ているのですが、夏、男子ごはんを見ていると、かつて見たスイスに「アルプスの少女ハイジ」を探しに行く番組を思い出さざるをえません。
その番組では、確か知花くららちゃんがスイスを訪れ、ハイジにまつわるところを巡るのですが、ペーターというオヤジがやっているチーズ工房みたいなところを訪れるシーンがありました。そのチーズ工房では、昔から手作りでチーズを作っているとかで、チーズ作りの様子を見せてくれていました。
チーズ作りというのは熱いか冷たいかの違いで、豆腐作りの行程に似ている感じがするのですが、スイス人のオヤジが熱い鍋に手をつっこんで布か何かにチーズを集めてしぼるみたいな行程で、鍋に手をつっこんだオヤジの手がアップになったそのとき・・・。
なんと、オヤジの腕が毛むくじゃらだったのです。
オヤジは当然そんなことを気にする様子もなく、せっせとチーズをかき集めだか、かき混ぜだかしていましたが、私は「数本の腕毛が入っているに相違ない」と思ったのでした。
で、話は戻り「男子ごはん」を見ていると、半袖シャツから出ているケンタロウの腕がチラっと映ってしまうことがあるのですが、それを見ると、スイスのあのオヤジが思い出され、「きっと、今このケンタロウが手洗いしている麺や、手ごねしている肉には毛が入っているに違いない」と思ってしまいます。
そんな私は大脳型でしょうか。

それはさておき、私は最近太極拳(の一種)を習い始めたのですが、その太極拳の練習に参加するといつも氣について発見があります。
太極拳といえば、陰と陽の氣を操ることで陰陽のバランスをとり、宇宙と一体化する、というようなイメージがあると思いますが(え?ない?)、太極拳、というか、太極剣なのですが、太極剣の目指す境地は天人合一、なんですね。
自分の内の氣と天の氣(おそらく自分の外にある氣)とを一体化させることでえられる境地を目指すみたいなんです。
そのために、自分の内の氣を養うような気功動作みたいなことをやるのですが、あれって、「オラに元気玉をくれ〜」みたいな感じで、氣を集めたり、モミモミして増やしている、というようなイメージありません?

ま、確かにそういう部分もあるんですが、気功のようなあの動きは、氣を取り込み、自分のまわりの氣を練り練り動かすだけでなく、やがては、氣を放っていくこともするらしいんです。

なので、取り込んで、放って、取り込んで、放ってみたいな感じで行うことで、周囲の氣と合一していくってことみたいなんですね。

「(意図的に)氣を放つ」って感覚、なんだか忘れていた感覚でした。そういえば、そういうこともできるようねぇ、みたいな。

日本人の中には、常に静かな湖面のような意識でいる、平常心、というような、思想があり、誰しも思い浮かべやすいと思うのですが、その思想は割と、氣を収めるというような感覚に近く、氣を放つというのとは違う感じがしませんか?

でも、剣道やら柔道やらでも極めると、静かでありながら、氣を放つことで相手をしとめるわけですから、本来は両方あったのだと思うのです。だけどいつの日からか、氣を放つ部分の方はなんとなく忘れられてしまったように思います。(少なくとも私の中ではで・・・)

そこで、早速「氣を放つ」っていうのを試してみました。
道を歩いているときに、自分の前に氣を放って、自分の行く道から人がいなくなるかな、と試してみたんです。モーゼみたいな感じで。
すると、大体前方2メートル弱ぐらいまでは氣が放たれているらしく、そのあたりに来ると人が避けていったり、他へ逸れたりしました。私に対面して来る人だけでなく、私と同じ方向を向いて私の前方を歩いている人も急に逸れたりしたので、放った氣に反応したのではないかと思います。

なるほど、どうやら氣を放つということはあるな、と思い、今、いろいろな形で氣を放ってみています。

まだ、内の氣の強さがあまりない(丹田が弱小)&自分を解放できていない感じなので、物理的距離だとせいぜい2メートル弱ですが、もう少しパキっと放てるように特訓していきたいと思います。太極拳の練習にもあるし。

まずは丹田に氣を据える癖をつけることから、ですかね。


2011/09/07

アプライドフィジオロジー



タッチフォーヘルスを教えていただいたクミさんは、キネシオロジーのアドバンスド版とも言える、というか、私からしたら、キネシオロジーのオタクバージョンと言いたい、「アプライドフィジオロジー」というものをお勉強中です。

体験モニターを募集されているという話を聞いたので、早速体験してきました。2回も・・・。

アプライドフィジオロジーとはどんなものか、ということについては、詳しくはクミさんのHPでご覧いただけますが、私が体験して理解したことをざっと説明しますと・・・

例えば特定の目標や身体的な状態の改善をセッションのテーマとした場合(テーマはなくてもできるらしい)、そのテーマに対して肉体や非肉体に生じているアンバランスを筋反射を使って探り、またそのアンバランスを整えるための手法も筋反射を使って体に聞き、アンバランスがなくなるまで丁寧に調整していく、というものです。

私は2回とも精神的な面での目標を取り扱ってもらいましたが、両方ともどちらかというとメタフィジカル(非肉体)な部分にアンバランスが生じていていることが多かったです。もしくは、肉体と非肉体両方ともに働きかける8の字が選ばれることが多かったように思います。

そういや、1回目のセッションでは、「気持ち」という調整も行ったのですが、不調和を起こしている経絡に合ったアファメーションが用意されていて、それを任意の回数(体が良いというまで)唱えるんですね。
で、そのアファメーションの内容が、「自己中心的な考えを改める」といったような内容だったので、ギクリとしてしまいました。
ええ、ええ。そうですとも。自己中ですとも。
でも、もう大丈夫です。14回も唱えたので、それもバランスがとれました。

1回目のセッション後、マジ?!と思うほどの便通があり、また発作的に部屋を片付けたので、どうやら浄化が起こったようです。浄化が起こったというと何か汚いものがきれいになったというイメージですが、というよりも、停滞していた突っかかりが取り除かれたことにより、これまでせき止められていた部分がドッと流れ出した、といった感じです。
何か変化が起こっているということは感じていましたが、なんだかとても繊細な部分での繊細な変化であるようで、意識上で「これだ」とはっきり認識できるものではありませんでした。でも、こころなしか、行き詰まっていたいろいろな考えが展開して一様に理解へ向かったように思います。

そんな感じではあったものの、深い部分での大きな変化を潜在的に感じたのか、もう1回受けたくなったので、クミさんの優しさに甘えて、ずうずうしくも再度モニターさせていただきました。

2回目のセッションも精神的な目標でお願いしましたが、8の字や音叉に加え、フラワーエッセンスなども調整法として選ばれました。
不調和を起こしている経絡にあったフラワーエッセンスが用意されているのですが、私の場合はバッチのロックウォーターでした。完璧主義の方へのエッセンス・・・。
ええ、ええ。そうですとも。いつも他の人のやっていることを見て、「この程度でよくも『完成した』と言えるわね」とか思っちゃってますとも。
でも、大丈夫。これについても、再三調整し、ロックウォーターも飲みましたので。

2回目のセッション後、今回は浄化のようなことはなかったのですが、「あ、これがアプライドフィジオロジーの調整で起こる変化なのかなぁ」と感じられるものがありました。
言葉でなんと表現したら良いか難しいのですが、自分自身と調和がとれるというか、あるいは、自分と自分のまわりの世界との調和がとれる感じになる、という感覚があります。
そうして調和がとれると、急にふっと新しい考え方を受け入れられるようになったりするんですね。
私の場合は、急に「全てがこれで良いんだ」と全面的に自分自身及び、現在の自分の状況を受け容れられるようになりました。(完璧主義を解除されたって感じの感覚ですよね 笑)

肉体的な課題について(痛いとか具合が悪いなど)行うともっと顕著に変化がわかりやすかったのかもしれませんが、私は精神的、しかも、結構昔からある根深い課題を取り扱ってみたので、ちょっと繊細な感じの変化でしたが、確実に何かが変わっているのはわかりました。

非常に効率よく、的確にエネルギー調整できるので、肉体的であれ精神的であれ解決したい特定の課題を持っている方には特にオススメです。試してみる価値はあると思います。

クミさんのHPではモニターは終了となっていますが、9月いっぱいまで延長したそうなので、ご興味のある方はこの機会に体験してみてはいかがでしょうか。マッサージやヒーリングとは一味も二味も異なるキネシの世界を体験できますよ。ムフフ。

モニターについては
クミさんのサロン スペース・アオテアロアにお問い合わせください〜。


2011/09/06

学者の血が騒いでいる・・・のか



風邪が終わって体はぷよぷよしていつもより良さそうな状態にも関わらず、このところ胸のあたりがグングン押されるように痛みました。
ハンドヒーリングをしたり、経絡を整えたり、なんやかんやいろいろやりましたが好転せず、もうダメかもしれないと思いそうになったその前に、一応エネルギーリーディングしてみたところ(先にやれ)、先日もめた人のエネルギーがグイグイ押してきていました。。。
さっと取り除いてみたところ、あっさり痛みは治まりました。

こういうことって、やっぱりあるんですね〜。。。あらためて。

体の方の勉強をガリガリやっていると、こういうエネルギーでのやりとりみたいなのものも体の方からエイヤっとやることで整えることができるように考え始めてくるのですが、実際、こうしてヒーリングした方が早い場合もある。
何事にも原因によって適した対処法というのがあるということですね。

さて、少し話しは変わりますが、次のお勉強が始まる前に、今まで習ってきたことを総まとめをし始めています。

エネルギーヒーリングと、脳のバランス調整と、タッチフォーヘルス。
いったいどこの何を整えているのだろうか、それぞれはどうかかわり合っているのか。そんなことをブツブツ考えて、ひとつの概念図にまとめてみました。
我ながらよくまとまったと思ったので、再度自分の頭を整理するために、母に説明してみることにしました。

自分で描いた人体と外的環境の関係図を見せて、

AからBへいくのがCと同じで、うんぬんかんぬん、よって、このA反応をかえるには、イとロにCを行うという式が成り立ち、うんぬんかんぬん・・・

というような感じで図をペンで指しながら説明していたところ、母は最後まで大まじめな顔つきで聞いてくれましたが、あまり理解はしていないようでした。

ま、別に母に理解させるという目的ではなく、自分の頭の整理だったのでいんですが、説明し終えてみると、やはり、何か足りてない部分があると思いました。

そう、この概念図をより深いものにするには、「潜在意識」というものについても、今一度深堀りして考察してみなければいけないことがわかったのです。

ということで、何やらかにやらという感じと思われるでしょうが、今は潜在意識について再考しているところです。

ちなみに、(私の)人体と外的環境の関係図からすると、もっとも効率よく自分を良い状態にしておくには、「脳のバランス調整」をするのが手っ取り早いのではないか、と読み取れます。

脳のバランス調整はエクササイズで行うこともできますが、もっとわかりやすく巷に広まっているのは、いわゆる、「瞑想」です。
瞑想することで、脳のバランスを整えることができると思うので、それによりもっとも効率よく人体のバランスを保つことができそうです。

単なる自説ですけど(^^; 結構いいセンいってると思う。
図はいずれ。


2011/08/29

風邪を活用


いやはや・・・

先週末から久しぶりに風邪をひいて寝こみました・・・。
風邪なんてもう何年ぶりか思い出せないくらいですが、のど、鼻、熱で「THE 風邪」という感じです。

このところ体の偏りが気になっていたので、早めに・・・と思い整体に行ったのですが、明らかにそれが引き金となって風邪、つまり全身調整が始まってしまいました。整体受け始めてすぐから喉がおかしくなりはじめたので、きっとそうだと思います。

それにしても、風邪で熱が出るなんて久しぶり、というか私史上めったにないことなので、やりたかったことを試すべくここでも人体実験を。

野口晴哉によれば、風邪は一定以上の偏り/アンバランスが体に生じたときにそれを元に戻すために起こるもの、ということで、風邪をひけるということは良いことで、風邪をひかないから健康というわけではなく、むしろ体が鈍ってる、と捉えます。

私もずっと風邪をひかなかったから鈍いのかな、と思いましたが、以前に整体に行った時に、「風邪ひきましたね」と全く風邪ひいた自覚がないときに言われたことがありました。聞くと、風邪をひいてもひどくならないうちに治ってしまっている無自覚の風邪、要するに全身調整が起こっているようです。
そう考えると、鈍いのではなく、超敏感と思いたいところです。

そんな私でも、今回は何日も続く風邪状態、特にのど/鼻という呼吸器に出ているので、日頃の、のど/鼻の疲れたるや思い知らされるところです。
鼻といえば、タッチフォーヘルスを受けたときに、自分のにおいにまつわる価値観を変えたというか、一歩前進した体験をしたので、それにより、バージョンアップを図るべく、大風邪をひいているのではないかと思ったり。

風邪をひいたときに試してみたかったのが、足湯/脚湯。野口晴哉の風邪の活用法のところに、風邪をひいたら足湯か脚湯をするとスッと風邪が抜けるとあったのでいつかは試してみたいと思っていました。

思えば、野口晴哉の本でこの足湯/脚湯を知ってから、宵越しの風邪をひかないでここまできてしまったので、試す機会がなかったのです!

いったいどうなるだろうと、ワクワクしながら足湯を試してみました。
私の場合は、呼吸器系の風邪なので足湯の方です。
足湯は、入浴温度よりも2.5〜3度くらい高い温度のお湯にくるぶしまでつけ、6分ほど待つ。そして足を出してみて、どちらか赤くなっていない方の足だけ追加で2分ほどお湯につける、という方法です。

足湯すると鈍ってる方の足が赤くならないのですが、私の予想は右でした。というのも、整体に行ったときに「右が鈍くなっている」と言われ、確かにそのときは右半身の感覚がぼやっとしていたからです。
ですが、そんな予想を裏切り、足湯で発覚した鈍っている方は左でした。きっと、アノ時整体でドタバタと調整され、右側がスッキリ整ったが、左が追いつかず、風邪ひいた・・・仮説ですが、そんなことなのではないかと思いました。通常は左のが鈍っているのが私なので、整体で整えてもらったことで、右と左の差が激しくなり、風邪で最終調整しているのかと思います。
これで風邪を経過すれば、体はすっきりバージョンアップし、リフレッシュされることでしょう。

で、足湯を終え、すぐ就寝。寝ている間に汗をばーっとかくと本に書いていましたが、それはありませんでした。でも、足湯をしただけで、なんだかスッキリしてよく眠れました。翌朝起きると、熱は下がっていました。まだ本調子ではないものの、もうまもなくするとスッキリしてくるかと期待。

足湯や脚湯については「整体入門 」に簡単に書かれているので参考にしてみてください。

ズバリ「風邪の効用」という本もありますが、まだ読んだことないので足湯について書いてあるかわかりません。今度読んでみます〜。

2011/08/23

感情的に関わりをもたない、ということ


タッチフォーヘルスでは、ごく簡単な方法で感情の解放をするやり方や、トラウマのケア方法を学びます。

どうやらレベル1では今嫌だと思うことへの対応、レベル2では未来、レベル3では過去、という感じで学べるようです。

レベル1を学んだときに、「それでは試しに何かの感情を解放してみましょう!」ということで、一緒に習っていた方と、適当に嫌なことをみつくろって試してみました。

私はといえば、このところしばらく頭を悩ませていた人間関係の問題について試してみました。
この問題については、瞑想でも解消を取り組んでいたし、自己ヒーリングもしたし、なんやかんやと一応はやりましたが、なんというかいまいち癒しが訪れず、困っていました。とある人物ともう関わりを持ちたくない、なるべく距離をおきたい、という悩みでしたが、これがなっかなかうまくいかなかったんですね。やればやるほど近づいてくるみたいな(笑)

で、早速その問題でタッチフォーヘルスの感情の解放を試してみたところ、ほんの2〜3分で自分の中の何かがガラっと変わるのがわかりました。
頭の中で「もうこの件に関わるのを止めればいいんだ」という閃きがあり、すんなりその閃きに自分のエネルギー全体が従うことができたんです。

その閃きが訪れ、関わるのを止めると決めると、毎日毎日頭をよぎっていたその人のことがスッキリと頭から離れ、考えなくなっていることに気づきました。そして何より興味深かったのは、実際にはその人との関わりはなくなっておらず、感情の解放をする前と後でも会ったり話したりする機会の量は変化していないにもかかわらず、「気にならなく」なっていたんです。

以前は、話しかけられたりするたびに、いちいち相手にイライラしたり、つれない態度をとってしまったりという感じだったのですが、感情の解放の後では、普通に会話したり、むしろこちらから話しかけたりと、ふつーの人間関係を築くことができました。

いったい何が起こったのでしょうか。

詳しいメカニズムはわかりませんが、私が感じたのは、「止めたい」とか「関わりたくない」と思っていても、実際にそれらとの関係を続けているのは自分の方であった可能性が高い、ということです。
もちろん、私自身の意識下においては、避けても避けても近づいてくるのは相手の方であったりするのですが、無意識下においては、そんなふうに相手との架け橋を取り除かないでいたのは結局自分の方だったのではないかということです。一旦その架け橋をとってしまえば、エネルギー的にこちらの岸と向こう岸になるわけで、物理次元的には肩を寄せあう距離であったとしても、決して交わることのないものになれたようです。

うまく言えませんが、なんかそんな感じです。

関係を持つ、絶つ、ということには物理的/肉体的なことというよりも、感情的なことの要素の方が大きいのかなぁなどと思いました。往々にして、感情的な関わりを絶つために、物理的な距離をとって対応するみたいなところがありますが、物理的な距離を取れない場合でも、感情的な距離ができるだけで、十分解消されるようです。そういう意味では、感情的な距離がいつまでも作れないと物理的な距離をいくら作ってもダメ、ということも言えるのかもしれません。

不思議ですね。
簡単ですが非常に効果を感じられる実験でした。

2011/08/19

人に歴史あり


これまでのいろいろな自分超越体験を踏まえて考えると、やはり今の自分というのは「過去の積み重ねの産物」であると言えるのではないでしょうか。

毎度不快に感じたり、逃れたいと思うことに遭遇すると気づく自分の中にあるパターン。さらに、そのパターンを生み出している原因を探っていくと、小さい頃からの経験から創りだされた、ある種のオリジナル信念体系が見えてきます。

結局小さい頃って、体験したことなんてまだまだ少なく、どんなに大人ぶったって、ほんの数年の人間経験なわけですから、その少ない経験から編み出された、自分を守り発展させる術は、さまざまな経験を重ねて来た者(こちらも同じ自分なのですが)には、あまりにもへぼい術となっていたりします。

だけど、それを創りだした頃からその術を使いまくって習慣化して自分と一体化しているため、へぼいをへぼいと思わず使用していることが多々あるようです。

そうした使い古した信念体系を「こんなもん、使いものにならんのじゃ!」とバッサリ切り捨てることもできますが、最近そういう過去の自分の片鱗を見つけると、なんだか愛おしく、「アノ頃はこれが精一杯だったんだなぁ。がんばってたなぁ。」などと思ってしまいます。

そんなことを感じながら、ふとまわりを見渡すと、不器用にも自分なりのやり方で人生をサバイヴしてきたみんながいるわけで、そうなると、どんなに腹立たしいことをされても、小さい頃から今まで生きてきて必死で身につけた術なのだなぁ・・・とか思って、心の深い部分では相手を愛おしく思います。
・・・深い部分じゃないところでは、当然ムカつきますけど・・・(´△`)

どんなに不器用で、他人から見たら生きにくそうに見えても、本人がそう感じていなければ、ヒーリングした方が良いとは私は思いません。
自分が心地よく感じるオリジナルメソッドで今のいままで生き抜いてきているわけですから。

本人が、なんだか生きにくい、つらい、なんかもっといい感じになれそうなのに、と思ったとしたら、本人の中の深い部分で、別の自分の存在に気づいたということであり、そっちの自分の方に変わっていこうかなぁと思い始めたということなのかな、と思うので、そんな方にはヒーリングをオススメします。
もしかしたら、賢明にがんばっていた小さな頃の自分を誉めてあげて、認めてあげて、ありがとうと言って、過去を過去に戻してあげる時期がきたのかもしれません。

今の自分は、過去の自分の体験によって創りだされているもの。
悪いも、まずいも、キモイもなく、価値ある貴重な存在です。
そして、自分の力でサバイヴするパワーと智慧を持っている。
不器用でもブスでもいい。過去の自分を受け容れるということは、今のそのままの自分を受け容れるということにつながりそうですね。

2011/08/11

タッチフォーヘルス



8月はサロンはお休みで、私はさぞのんびり過ごしていることだろう、とお考えかもしれませんが、そういうわけではありません。

先日、タッチフォーヘルスというキネシオロジーを学んできました。

タッチフォーヘルスは、簡単な筋反射テストを行うことで、体のバランスの乱れを発見し、かつ簡単にその乱れを整えることができるという、セルフケア法みたいなものです。

クリアサイトの通訳のKちゃんが「一緒にやろうよ〜」と熱く誘ってきたので、全然やる気がなかったのに「なんか習ってもいいかも」と心が揺り動かされ、習うことにしたところ、Kちゃんは結局来ず・・・。なんでや(゜д゜)

ま、いいとして、タッチフォーヘルスは東洋医学と西洋医学が融合したような内容なので、フェイシャルリフレクソロジーや骨盤調整で学んだことがこのタッチフォーヘルスを学ぶことで、また一段と深まりました。

実習で、肩こり/首こりなどを調整してもらったのですが、「こ、これだけで!?」という超簡単な手法で、気づくと、「あれ?肩こり軽減してる・・・」という感じで目ん玉転げ落ちそうでした。

てっきり、パソコンの使い過ぎとかそんな感じのある種の肉体疲労として肩こりになっていると思っていたのだけど、使い方の偏りにより、経絡、神経、血流、リンパなどの流れが乱れて、それにより痛みを感じていたようです。
なので、それらの流れを取り戻すと、揉んだりしてないのに痛みまで軽減してしまったので、人間の体って・・・って感じです。不思議です。
痛みっていったいなんなのでしょうか。偏りのお知らせ機能なのでしょうか。

そしてなんといってもビックリしたのが、そうやってバランスをちょちょっと整えただけで、翌朝お肌がプリップリになっちゃってたことです。

フェイシャルリフレクソロジーでも、骨盤調整でもプリプリになりますから、やっぱり全身の流れという流れのバランスをとることが、体の内側からキレイになる秘訣のようです。

骨盤調整といえば、姿勢の調整ですが、タッチフォーヘルスでも姿勢の調整もできるんです。でも、骨がどうとか、筋肉の使い方がどうとか、そういう難しいことなしに、相も変わらず、経絡やリンパ、血流、神経の流れをちょちょっと整えるだけで、右肩下がりな私の姿勢もあっという間に両肩まっつぐな私になっちゃったんですよ〜。
姿勢って、筋肉って、骨って・・・。って思っちゃいますよね〜。

その上で、骨盤調整体操もやってみたら、いつもよりもシュッと背筋がして、効果倍増って感じでした。やっぱり流れがよくなってるところで、今だ!って感じでグイグイやることで、いつもより終わった後、爽快感がありました。

いや〜、不思議だね〜。楽しいね〜。深いね〜。

2011/08/05

自由

自由って何だろう?どういうことだろう?

最近そんなことを考えています。

というのも、先日以前にコーチング講座でお世話になったコーチに再会する機会があり、お話していく中で「タンジーさんが心から渇望していることは何?」と尋ねられ、パッと出たのが「自由」だったんです。

水瓶座族といえば、ただでさえ、自由な感じに見られる星座なのに、私なんて輪かけてもっと好き勝手やってそうな印象らしいんですが、私の心の声は自由を渇望してるようなんですね。

・・・でも。

たとえば、「結婚したい〜♪」とか「そろそろホント彼氏ほし〜♪」なんていう気持ちは、私の思い描く自由像とは感覚的に遠い感じのことなんですね。だから、どっちかの望みが「偽造」という可能性があるわけです。

はて?じゃあ、求めてるものってホントに自由なんだろうか?
(そっちに偽造の疑いかけたんだ・・・って感じッすよね・・・)

私の描く自由像ってどんな何だろう?
とモクモクと哲学していると、アカに言われた言葉が頭にひょっこり。

「この世界(物理次元)では、私たちは一つ一つの肉体に分かれているから、別の次元でみんなが一つのときとは少しはなしが違うのよ。」

ふ〜む。

などと振り返りつつ、瞑想していると、過去世?と思われる画像がひょっこり。

どうやら、暗闇の洞窟に解脱のための修行に行くところのよう。要するに、もうその真っ暗な穴蔵に入ってミイラみたいになるまでやるってヤツのようです。暗闇の中にいると、肉体があるのかないのかも段々わからなくなって、意識だけが空間にあるような感じになり、やがてその自分と思われる意識も喪失し、空気と融合してただ存在する・・・。

そんな画像でしたが、肉体から離れることって自由っぽいイメージですけど、エネルギーの次元でみんな一緒になってしまうことはもはやそれは私の望む自由像とは少し違うんですよね。その世界って自分がないわけですから、自由なんてものが、なんていうか、ナイんですよ。

ということは、やっぱり、この「不自由」で「窮屈」とか言われちゃうことがある、「肉体」という枠の中に居てこその自由の追求ということになるのかなぁと思いました。

基準、枠・・・そういったものがあってこそ感じられるものが「自由」。
ホントの自由は自由を超えたところにあるわけで、一般的な「自由」を味わうならこの世界でしかできない、、、ってことなのかなぁと哲学。

さらにいうと、物理的な次元では自由って結構難しいことなのかも。
心の中、エネルギーとしての感覚を呼び起こすことで、すべてのものと関係ない広がり、超越した感じを味わう、そんな状態を保ちつつ、物理次元での生活をする、それが自由を感じながら地球上の生命体「人間」をエンジョイするということなのだろうか、

などと、ややこしいことを考える今日この頃であります。
きっとこれも、海王星が戻ってきたせいであります。

2011/08/03

フランスで人気の南部鉄器

20代くらいまでは、ロンドンとかニューヨークとかそういう都市にいる人風にしようとしていましたが(おしゃれとか雰囲気とかのことです)、30代になり、ナチュラル系みたいな、ジャパニーズ女子っぽいゆるカジになりました。

そして今、時代はフランス女。女も30代中頃からはフランス女だな!ということで、フランス風がマイブームです。
さらにいうと、もっと歳とったら、イタリア女風になると思います。ソフィア・ローレンみたいな。ちなみに今は、エマニュエル・べアール?カトリーヌ・ドヌーヴ?ジェーン・バーキン?って感じです。今のところ、私のこの雰囲気感じ取れる人、皆無ですけど。

フランス風、、、フランス・・・ということに敏感になっていたので、パリスタイルフラワーアレンジメントも習っていたわけですが、その流れで、フランスで人気の南部鉄器ポットを購入してしまいました!

別に必要なかったんですが、これを持っていたらオシャレだし、フランスっぽいという理由だけで。
今は暑いのであまり出番がないですが、ちょっとゆったり過ごすときにこのポットで紅茶や中国茶、日本茶など、なんでも入れて飲んでいます。
まろやかな味になるような気がします。

寒くなったらこのポットでサロンのお茶出しをしようかな〜と思っていますが、なんせ重いので、かつ、超熱くなるの
で注意が必要です。
お盆で持っていくのは不可能かもしれません。対策を今から練っておく必要があるかもしれません。

こんなの1個あれば十分ですが、かわいくて何個も欲しくなっちゃいますよね〜。

2011/07/24

北の国から(エゲレス版)


あーあーああああああ〜あ(北の国からの歌)

とうとう終わりました。映画版ハリーポッター。

ダニエル・ラドクリフや、ルパート・グリント、エマ・ワトソンの成長を見守り続け、親戚のおばさんみたいな気分。
第二次性徴も無事乗り越え、みんな青年らしく育ち、良かった・・・。
最終回では、小さい頃からのいろいろなことが頭をよぎり、感慨無量。

木場では、金持ってる大人にはそれなりに払ってもらう、といわんばかりに、字幕版はIMAX3Dでしか上映していなかったので、3D初体験。
ヨーカドーのカードを出すと、いつもは200円引きになるので、2200円のところ、2000円ならいっか・・・と思っていたら、「3Dは一切割り引きはございません」といわれ、2200円も出すことに・・・。
こんなに払うならIMAX3Dとやら、やってくれるんだろうな!と期待感を持って上映に望みました。

トランスフォーマーとかの予告編から既に3Dになっているのですが、見ていたら少し気分が悪くなったので、このまま3D酔いが出て映画を見れなかったら2200円も払った意味なし!と思い、目をつむり、脳のバランス調整を行い、本編に備えました。

いよいよ、本編が始まり、ドキドキしながら3D体験しましたが、結論から言って、3Dじゃなくてもいんじゃね・・・っていう感じでした。

ディメンターがホグワーツのまわりを飛んでいる風景なんかは、「おお、3Dや」という感じでしたが、基本的に映画とかドラマって、しゃべってる人にフォーカスがあってて、それ以外はぼけてるじゃないですか。だから3Dになっている意味あまり感じないっつーか、主人公と背景の間に少し奥行きがあるようにみえなくもない、みたいなくらいで、ディズニーランドでキャプテンEO(古い)を見たときのような「お!あぶねー、こっち向かってきてる!」みたいなのはありませんでした。

だからといって、ハリーポッター自体がしょぼいのかというと、全然そんなことはなく、私はこういうCGを全編にふんだんに使っているものの中でハリーポッターの完成度にはいつも感服しています。

大概のCGが多く使われている映画って、演者とCGに一体感がなかったりして、わざとらしさを感じちゃうんですが、ハリーポッターだけはシリーズの最初から最終回まで、「みんなよくぞここまでがんばった」という思いでいっぱいです。

おそらく何もないグリーンバックの中で、必死の形相で「エクスペクトパトローナーーーーアムッ!」とか杖を持って叫んでいたと思われるダニエル、何もない空間にむかって「うわぁあああ!やめろ〜っ!」と叫んでいたと思われるダニエル、何もないところで箒にまたがり、「ひゃっほ〜!」と楽しそうに叫んでいたダニエル、そんなことを思いながら映画を見ていると、「私にはできない」と尊敬の念でいっぱいになります。俳優ってすごいね。

また、シリーズ途中でハーマイオニー役のエマが契約でもめたとかもめないとかそういう噂があったので、シリーズ後半は、主役のハリーの横にいつもハーマイオニーがいる、というダニエル&エマの構図が多く、ロン役のルパートがあまりうつらないというストーリーになっているのかな、などと裏事情まで頭をよぎりつつも、最終回のストーリーには感涙せざるを得ませんでした。

本を読んだ方は、「死の秘宝」のストーリーの中に第1巻からのいろいろなことを思い出してしまう、涙を流さずにはおれない、とあるキャストの愛の話があるのはご存知かと思いますが、映画版でもそのあたりがきちんと描かれていて、号泣!でも、3D眼鏡のせいで涙をぬぐうのも一苦労!私なんて、ふつうの近視の眼鏡の上に3D眼鏡をオンしているので、もう、わずらわしいったらありゃしませんでした。

ダニエルとかエマとか、ルパートも、もうこの先売れなくなったとしてもいいぐらいの収入は得てるんだろうな、と想像するけど、これからも私に成長をみせつけるべく、がんばっていってほしい。

ハリーポッターブルーレイ全巻セット、スペシャル魔法ボックス入り、みたいなのが発売になるんだろうなぁ〜。


はあああ、3Dじゃなくていいからもう1回みたいな〜。


2011/07/20

意識、無意識


以前から、自分の世界を創りだしているのは自分自身である、ということは書いてきましたが、最近また実感を深めました。

意識的であれ、無意識であれ、自分の意識が自分の目に見えている現実を創りだしているようです。

それは、単に受け止め方が変われば同じ出来事でも違って感じる、というレベルのことではなく、意識が変化すると人生の中に存在しなかったものが急に現れたり、急に消えたりする、ということです。

まるで舞台のように、急に新しい人物が舞台上に登場したり、舞台からはけたり、あるいは舞台セットが変わったりする、そんなイメージです。

とすると、無意識で舞台展開を進めるよりも、意識的に舞台に存在していたいと思いませんか。そりゃあ、何がどうなっちゃうのか、いったいどんな話なのかもよくわからないまま、舞台に立ち続けるのもスリリングで楽しいと感じる、というのもありますが(タオですね)、世間一般ではなかなか、スリリングを楽しむまでには至らない場合も多々あるわけです。

意識的に展開させている部分においては、誰しも自分にとって、ある意味、都合がよく、楽しかったり、居心地が良かったり、自分が気に入るように舞台セットを決めて、流れていくストーリーを楽しむ余裕さえあるかもしれません。

無意識に展開されている部分においては、自分にとって、それがなぜそこに存在するのか理由がわからないものがあったり、不愉快な雰囲気だったり、嫌いなものがあったりします。やだな〜、居心地悪いなぁ、なんで気持ちのよいものばかりじゃないんだろう、等と思うかもしれません。
でも、この不愉快シーンについても、実は自分の内なる世界の現れ、なんですね。

自分にとって快適な世界を創り上げたいなら、意識的に創ることが重要といえます。

では、意識的であるにはどうしたらよいかというと、私が思うに・・・、

1.自分は何が好きで、何が快適だと感じるのか好みを自覚する

これ、大事ですよね。何が好きなのか自分でわかっていなければ、それを自分のまわりに配置できないわけですから。

また、

2.自分が何を嫌っているのかを自覚する

というのも大切です。嫌いなものに無自覚だと、何を不要物として自分の舞台からはけさせるかを決められません。

往々にして、嫌なものは知っていても、好きなものの自覚がない場合が多いようです。そうすると、嫌なものをのぞくことにばかり意識がむいて、好きなものを配置できませんので、自分の世界のアラに気づくことはできても、好きなものに創りかえることができません。嫌なものを取り除くだけでは、自分にとって満足のいく世界にはならないでしょう。

嫌のものを消す = 好きなものだけになる

ではありません。
別ものですので、個別に活動をしましょう。

それから、

3.無意識に起こっていることに気づく

ということです。気づけばそれはもう無意識からの脱却・・・の第一歩です。

そして、

4.なってほしい世界に自分がなる

ということです。これは、笑いがあって親しみのある世界を求めるなら、自ら笑いと親しみを振りまきなさい・・・ということではなく、笑いがあって親しみのある世界を望むなら、自分のエネルギーを愉快で親しみのあるエネルギーに変えろ、ということです。
そうすると、自分のエネルギー状態と同じ世界に自然とまわりが変化する、ということです。


1〜4はバラバラに分解して書きましたが、どれもが絡み合っていて、1つのようなものです。

特になんの苦労もしなくても、自分のエネルギーに意識的になり、変化させることで自分の世界を創っているのだと、私は実感しています。

なので、まわりに嫌なものがあったとしても、それは自分の中の何かがそこに配置しているわけですから、ただブーブー言うよりも、受け容れるか、理由を探るかする方が賢明です。

一方、楽しいことや快適なことが起こったら、自分の中にそんな楽しいエネルギーがあるのだと自覚できます。

つまり、人生にタンジーのブログが登場しはじめたら、自分の中に結構オモローな面があると思った方がいいでしょう。

2011/07/16

SAMURAI


先日、母がポツリと・・・

「この間、夜、本を読んでいたときなんだけど」

と真顔で話始めました。

母は寝床に入ってから、よく遅くまで本を読んでいるのですが、その日もスタンドの薄明かりの中、夢中で本を読んでいたところ、背後に何やら気配を感じたそうなのです。

母は何気に私より、素で霊感あるので、以前も書いたと思いますが、「何か来てた」とか普通に言ってたりすることもあり、この話を聞いた時もきっと何か霊的な話だとピンと来ました。

夜中だったため、さすがの母も振り返るのがなんだか恐ろしく感じ、1度目はやりすごしたのですが、またしばらくすると、横になって本を読んでいるその背後から何かが自分を見ているような感じがしたので、おそるおそる振り返ってみたそうです。

でも、振り返るとそこには何もおらず、「気味悪い」と思って向き直ったその時。。。

母の耳元に「プ〜〜〜ン・・・」という音が・・・。

そう、蚊の羽音です。

なんと、蚊が母を狙っていたその気配を感じていたのです。

SA・MU・RA・I

そう思った夏の日でした。

2011/07/10

マジカルフェアリーオラクルカード

先日送られてきたクリアサイトタイムズと一緒に国際ブックフェアの招待状が入っていたので行ってみました。
国際ブックフェアは本が20%引きくらいで買えたり、バーゲンブックコーナーがあったりして結構楽しく、なんやかんやでいくつか関係ない本を買ってしまいまいした。

そんな中お目当てのJMAのコーナーを覗いてみました。
JMAのコーナーは本も少々ありましたがメインはオラクルカード。なんだかんだで結局買ってなかった「魔法の王国オラクルカード」を見てみたり、会場で先行発売されていた同じくコレットの「伝説の王国オラクルカード」を見たりしました。
新作の「伝説の王国オラクルカード」の方を買ってみようかな〜と思いましたが、なんだかピンと来なくて、かつ、新作のため定価販売だったのでおとなしく「魔法の王国オラクルカード」にしました。。。

会場では、いろいろなオラクルカードを使って無料のミニリーディングをやっていました。いわゆるドリーン系のエンジェルリーディングってやってもらったことなかったので、無料だし、やってもらいました。

私が見てもらったのは、SHOKOさんという方。やさしそうなほんわかした方でした。

リーディングで使ったのは「マジカルフェアリーオラクルカード」。SHOKOさんが選んでくれました。

何か見て欲しいことがありますか?と聞かれましたが、エンジェルリーディングを体験したかっただけで悩み事もこれといって特になかったので、SHOKOさんのご提案でエンジェルが伝えたいと思ってるメッセージを聞いてもらうことにしました。

3枚引きでしたが、途中で1枚飛び出てきて合計4枚でリーディング。
飛び出た1枚は、Walk awayとかいうカードで、今の環境から立ち去りなさい的なメッセージ。。。まー、今年はどの占いでも、今までのことをバスッと辞めて海外などへ勉強へ行ったりするかもしれないとか書かれているので、「またか」といった感じでした。本人自覚なし。

で、メインの3つは、確か・・・

You'll get the Power
Everything is Ok
癒されるべき人をヒーリングせよ(⇒これだけ日本語で覚えた)

みたいなメッセージでした。
要するに、大丈夫だから心配するな、とにかく癒せ。的な感じでした。

これだけ大丈夫系のカードが出るっつーのもしつこいよね。
いい加減、わかりましたからっ!とか言いたくなる。

でもこの「マジカルフェアリーオラクルカード」は絵がとってもかわいくて、間違ってこっち買いそうになりました。ドリーンのフェアリーカードは1個持ってるし。自制。でも20%OFFなんだから買っときゃ良かったかな・・・。ブツブツ。

これからオラクルカード買おうかな〜と思う方にはこの「マジカルフェアリーオラクルカード」はオススメかも。4枚しか見てませんけど。
アマゾンの評価もいいようですし。

私は「魔法の王国オラクルカード」で遊んでまふ。結構おもろい。


2011/07/09

エンパワメントヒーリング


新コース第1弾。

ワー!パフパフパフ!

は〜。燃え尽き症候群・・・

って燃え尽きるほど何かやったわけじゃないですが、暑いんで。ええ。

エンパワメントヒーリングってなんぞや、ってことですが、
エンパワメントとは自分の力を取り戻すという意味があり、その名のとおり、自分本来の力を取り戻すためのヒーリングコースです。

オーラ・チャクラヒーリングコースと何が違うのかな・・・と思う方もいらっしゃると思いますので解説いたしますと、私の中では、オーラ・チャクラヒーリングコースは癒し系の位置づけです。
つまり、傷ついたり、人間関係のゴタゴタなどで疲れ果てたのをとにかく回復したいという方向けです。

一方、エンパワメントヒーリングは、傷とかは別にないけど、もっとガンガンやっていきたい、もしくは、自分の力が発揮できてない気がする、楽しさが足りないなど、プラスアルファの何かを求め始めた方向け、といえます。

オーラチャクラヒーリングが、「ほっと心が温まる」という仕上がりであるとすれば、エンパワメントヒーリングは「キラーン!」という感じでしょうか。


とはいえ、エンパワメントヒーリングの中にも仕上げ的にオーラチャクラフルヒーリングが入っていますので、いらないのを取り除き、いるものを取りにいったるで!という・・・。

私の中での目玉は、「エナジャイズコンパス」。
これは簡単なアファーメーション作り、、、のような感じとも言えますが、それのもっとパワフル版です。スパーンとエネルギーがフォーカスされるような目標を作ります。
「目標」というと、私たち日本人はなんとなく重苦しい感覚を抱いてしまうのではないでしょうか。
私自身もこの目標設定を行う前までは、夢や実現したいことを言葉にして表現することにあまり意味を感じていませんでしたし、書き出したらそれを達成しなければ!という思いが芽生えてなんだか窮屈になる感じがして嫌でした。

でも、それらはやり方が間違っていただけで、きちんとしたやり方で行うと、自分で創った言葉で自分自身がモリモリ元気になるのが感じられました。

ひとたびやり方を覚えれば、いつでもどこでも誰でもできますので、是非体験してみてください。


・・・そんな言いながら、8月の予定が定かじゃなくてすみません。
少々お待ちくださいませー。近日中に更新しますー。


♡エンパワメントヒーリングコースはこちら

2011/07/07

嫌だ嫌だと思うより


嫌だな〜、早くこの状況から抜け出したいな〜・・・

と思っていても、いつまでも自分の状況が変化しないなら、停滞していると思ってほぼ間違いない!と思います。

多少なりとも変わってきていると感じられるのであれば、少しずつではあれど自分のエネルギーが変化してきているということなので、その調子で続ければいずれ打開するものです。

でも、お月様にお願いはするものの全然変化しない、なんて場合は、「乗り越えなければいけない課題」を無視し続けていて、そのため、自分のエネルギーがそれ以上変化できずに停滞状態にある範囲から抜け出せないでいるようです。

この場合の「乗り越えなければいけない課題」とは、言い換えると「受け容れなければ進めないこと」です。
つまり、自分が停滞している状態をぐるっと見回してみて、最も嫌だな、と思ったり、ムカつくとか、許せない、とか思うことなどがあれば、それを受け容れることで状況はすんなり変化します。

往々にして、そういう場合の葛藤は、「受け容れてしまったら、その状況のままになってしまうのではないか」とか、あるいは、「こんなことを認めてしまったらもっと悪く発展してしまうのではないか」というようなもので、受け容れまいという心理状況を創りだします。

しかし、そういった葛藤は、単なる受け容れまいとする言い訳にすぎないことが多く、その思考の声に負け続けると、状況は良くなるどころかもっともっと究極の状況に詰め寄ってきたりします。

ですから、嫌だ嫌だとずーっと思っているけれどその状態から抜け出せないでいる場合は、その嫌だと思うことを心底受け容れてみましょう。心から許し、認めてあげます。その状況に抵抗するのではなく、身を任せます。

そうすると、ビックリするほど早く、停滞していた状況に変化が怒り始めるでしょう。
受け容れると、自分自身のエネルギーがその状況と拮抗するのを止め、一体化します。状況と自分が同じ流れになります。
反対勢力であった自分のエネルギーがなくなることで、エネルギーはすんなり次のところへ進んで行けるのです。

心配しないで、状況を受け容れてみましょうよ。

2011/06/26

ジグソーパズル


まもなく2つほど新コースをアップしようというところまで来ています。
もうページもできあがっているんですが、なんか今日アップする感じしないな〜ってことで、良い気がくるまで待機です。


さて・・・

スピリチュアルなことを学び始めると、自分自身がとても大切で貴重な存在であると気づき始めると思います。

そうなってくると同じように自分以外の人も大切で貴重な存在であると理解し始めます。

このことをわかりやすい例で表現すると、
ジグソーパズルのような感じかなと思いました。

ジグソーパズルはひとつひとつのピースでは何がなんだかよくわからなくても、組み合わさって創り上げられる全体像ではパーツからは想像もしなかったような世界が出て来ます。

そんなような感じで、私たちはそれぞれが言わば世界というジグソーパズルの1つのピースであると言えるかもしれません。
ジグソーパズルのピースは1個でも欠けるとできあがりに穴が空いてしまうので、どれもが唯一無二の大事なものです。

そして、同じような形だからあっちのものをこっちにくっつける、なんてこともできません。似たような形であってもつなぎあえるものは決まっていて、決してどれかがどれかの代わりをすることはできないのです。

このように想像すると、自分自身や自分の今置かれている状況など全てが大切なパズルのピースであり、世界に二つとない大事な役割を果たしている・・・なんて思って、いかなることがあっても受け容れることができるようになりませんかね。

どうですかね。

2011/06/22

最近の夢


最近なんかふと、

「ぬいぐるみ作家」になろうかな。

と思いました。

急に思った割には、自分のエネルギーがムクムクとなんか活発な感じになってきて、こりゃだてじゃないかも。。。

と気持ちが抑えきれなくなったので、思わず母に、「私、ぬいぐるみ作家になろうかな〜」なんて気軽ふうに言ってみたところ、急な告白に母はぎょっとし、しばらく無言になりました。

そして、口を開くと、

「あなたが作るぬいぐるみって、あの刺繍みたいなやつばっかりなんでしょ。ママ恐い・・・」

と言いました。

「あの刺繍」っていうのは以前私が無性に刺繍がしたくなったときに初めてサンプル本にあったカワイイ「小鳥」という図柄を見ながら作った「怪鳥」のことです。(下写真)


今見るとそんなに恐くないじゃん!
でも、これを作ったときは、このなんともいえない3次元を無視した作りと、何かがおかしいけどよくわからないという不気味さ、そうして総合して「恐い」と言われ、この鳥と刺繍キットごと母に隠され、アレ以後2度と刺繍できてません。
絶対隠してる!刺繍キット!刺繍キットの話すると、そらぞらしいもん!

母は無下に「ぬいぐるみ作家になる」という私の気持ちを否定してはいけないと思い、なんとか思いとどまらせるような言い方はないかと考えたあげくの発言だったのだとは理解できますが、にしても、あの鳥のこと、まだ覚えてたんだ。そんなに恐かったんだ!トラウマ化してるんだね!

でも、ぬいぐるみ作家になる夢(突発的な夢)をあきらめきれなかったので、クォンタムヒーリングの実習に参加したときに試しに「なりたいんですけど、どうでしょうか?」と聞いてみました。

そうしたところ、「・・・単にカワイイというものじゃないですね。なんていうんでしょう。リアルすぎて恐い感じの、でもそこがカワイイみたいな、そんなぬいぐるみを作りたいみたいです。」とヒーラー・・・。

「恐い」って・・・。
ま、一般的に言ったらそうかもしれませんが、リアルではない。
確かに、リラックマみたいなものじゃなくて、サロンにあるへんてこなぬいぐるみみたいな方が好みです。目がどこ見てるかわからないようなやつ。

恐かわいい。そんなジャンルを目指せばいいってことかしら。

でも母みたいに、恐怖心の方が強くなっちゃう可能性もあるので気をつけないと・・・。ヒーラーなのに、トラウマを作るぬいぐるみ作ってたら・・・。

2011/06/20

夢見るトラウマケア


どうでもいいかもしれませんが、今日でホジュンが終わりました。
最後は針を手にしたまま死す・・・ホジュンらしい死といったところでしょうか。
にしても、ホジュン。ホジュン本人のセリフがあまりありません。
救命病棟24時の江口洋介なみに基本はダンマリ。
かつ、たまにしゃべったかと思うと、基本声が小さ過ぎて(ウィスパー)聞こえない。だけど、病人とか医書とかのことになると急に大声出して、こっちがビックリするよ!

だけど、同じダンマリでも江口洋介との大きな違いは、ホジュンは表情でトークすること。セリフがない分、平坦な感じにならないように俳優(朱蒙ではプヨの王様ね)ががんばったんかなと思います。そんな顔しなくても・・・と思うくらい、いろいろな顔を作って、ホジュンの気持ちを表現しています。
これはもはや、顔芸の域です。

ま、ホジュンの話はこれくらいにして。

ニューロフットコースのご予約をいただいて、そういや最近自分にニューロフットやってあげてなかったぁと思い、早速セルフでやってみました。
やっぱり久々にやると、ちょっとひどい・・・。状態が・・・。
自分の足なんで遠慮なしでグイグイやって、ついでにトラウマケアの調整もやったりしてスッキリして眠りにつきました・・・。

すると、また大きな地震が来て早く梁の下に行かなきゃ〜とドタバタしている夢を見ました。

もしかしてこれってトラウマケアやったせいで夢みちゃったのでしょうか。
ニューロフットのトラウマケアでは、感情的、または、思考的に大なり小なりトラウマとして残っているものがないか見て一番影響を与えていると思われるものに働きかけます。
私の場合は、トラウマの年代からして今回の震災とは関係ない時期のものをケアしたのですが、芋づる式に・・・ということかもしれません。
トラウマはどんなものハッキリ思い出せなくても、ニューロフットのトラウマケアをすることで、寝ている間に夢を見て解消してしまうとロネが言っていたけど、もしかしてこういうことなのかな、って思いました。
もちろん、覚えていない夢で見ちゃう場合がほとんどかもしれませんが。

今回の地震も結構大きな衝撃だったので、いわゆる”トラウマ”として心に残ってしまう人も多いかもしれませんが、私はもしかしたら多少解消されのかなぁ・・・。今のところ自覚なし、ですけど(^^;

すこーしケアしてあげると、いろいろな反応が出てきて、体っておもしろいですね。
そして、今日はその恩恵として脊椎のバランスが整ったらしく、足がすとーんとまっすぐに立ててる感じです。



無類の食器好き

昨日SalonM初めてのレイキティーチャーが誕生しました!
ワー!パチパチパチ!
おめでとうございます!
これからバンバン伝授してレイキを深めていってくださいね〜。

レイキの伝授を受けにいらしてくださる方は何人もいるものの、ティーチャーになろうと思う方は少ないみたいです。
私はなんでもやる前から免許皆伝されるのかどうかを確認して受講するようなところがありましたが(若い頃の話しよ・・・)、みんなはそうでもない、ということが自分で伝授し始めてから発見したことです。

思い起こせば、私も私が伝授してもらった先生のところの初めてのレイキティーチャーだったので、ヒーリングができれば十分という方が多いんですね〜。

ところで、私は無類の食器好き。
インテリアショップなど皿が置いているところに行って、いろいろな食器を見るのが好きです。
和洋どちらも見ますが、どちらかというと西欧かぶれなので洋食器を見ることが多いかな。

見るのが好き・・・

なんて控えめに書きましたが、実際は見るだけでは自分の欲望が抑えられないことのが多く、買いまくります。

海外旅行に行っても、珍しい国では大体食器を買って帰って来ます。
メキシコに行ったときも、大皿、大きなサラダ用皿、小さなサラダ用皿などを買い、持って帰ってくるのも一苦労でした。手荷物です。手荷物。

アイルランドに行ったときも、キッシュ用皿(キッシュとか我が家では作りませんけど)、西洋風どんぶり2個を買い、持って帰って来るのが大変でした。手荷物でした。

そういやトルコに行ったときは、小さな小鉢を3つほど。
でもそのかわり後からトルコへ行った母が大皿を買って帰って来たので、「血」だな、と思いました。

・・・そういやニューヨーク・・・フランスだったかな?エスプレッソ用みたいなカップ&ソーサー買ったな。エスプレッソとか飲まないけど。それを買った同じ店をアイルランドのゴールウェイだったかで見かけたので入りたかったんだけど、閉まってて入れなかった。Aなんとかって店だったかな・・・忘れた。つぶれちゃったのかしら。

こんなに食器に目がないなんて、前世は食器商人だったな、と考えたこともあります。

中学ぐらいの頃かなにかに買ったコーヒー用のカップ&ソーサーがあるのですが、アートっぽいデザインで、ソーサーが手のひらになっているものでした。ちょうどカップを下から持っているような感じの形になっているんです。そういうへんてこなものも大好きなのでゲットしたのですが、実際にお茶を1回くらい入れて飲んでみたもの、それ以後ブームは去り、食器棚の置くの方に眠っていたのでした。

そんなカップ&ソーサーのことなんて忘却していたある日のこと、洗面所に見たことのある陶器の手が・・・。そう、これはあの手型ソーサー。
しかしそのソーサーが持っていたものはカップではなく、洗面所を洗うためのスポンジでした・・・。スポンジを持たされている手。




当然母の仕業ですが、「結構いいでしょ。何かないかとあさってたらちょうど良かったから。」とご満悦の様子。

なんかフクザツな気持ちでしたが、でもあのまま食器棚の奥で人目に触れることなく終わるよりも、スポンジを置くために使われる方がいいじゃないか!
とポジティブに考え、今ではすっかりおなじみの様子になっています。








スポンジなしだとこんな感じの手。薄暗さがまた物悲しい。
















そんな悲しくもおかしなエピソードにも懲りず、また食器を買ってしまいました。お茶を飲むのにちょうどよさそうなガラスのカップ&ソーサーです。ムフフのフ。うれしい。

2011/06/14

セラピストのエネルギー

私はマッサージやアロマトリートメントのようなものを受けるのが好きなので、良さそうなところには突撃で行ってみたりします。

当たりあり、はずれあり。

当たっても人気でなかなか予約がとれなかったり。

こういうボディワークを受けたあと、たまに、セラピストのエネルギーが私の体中を取り巻いていたり、しつこく勧誘していたりすることがあります。

そういうときどんな風かというと、なんかいつまでもそのセラピストのことを思い出したり、気持ちが引っ張られているような気がしたりします。
もしそんな状態になっていることに気づいたら、シャワーを浴びるなどして自分のエネルギーからスッキリさっぱり浄化した方がいいですね。
稀にしつこいエネルギーの人もいますが・・・。
自分もそんな風にお客様にエネルギーをくっつけないようにしないといけませんね。

また、先日受けたアロマトリートメントで気づいたのですが、必ずしもセラピストが感じたことが自分の体やエネルギーの状態ではない、ことがある、ということです。

どういうことかというと、トリートメントが終わったあとに大体、体がどういう状態だったかとか、スピリチュアルっぽいところだとエネルギーがどんな感じだったかなどのフィードバックしてくれる時間がありますよね。
そのときに先日は、「体から怒りのエネルギーを感じた」と言われたのですが、私にはまっっったく心当たりがありませんでした。
でも、私も素直なので、「怒り・・・。あるといえばあるし、ないといえばない。」などと、自分のエネルギーのなかにある「怒り」を探し始めちゃったわけですね。
そりゃあ人間ですから、探せばどっかに怒りの片鱗はあるわけです。

現在は思い当たらない怒りエネルギーを深い部分から見つけて持ち上げてきてしまうと、停滞しちゃうことがあります。もしくは、親切すぎる場合、その状態に(この場合怒ってる状態)に自分をあえてする場合があり、これも停滞しちゃうことがあります。気をつけてくださいね。(私の実体験 ^^;)

自分にとって、現在メインの課題となっていることを指摘された場合は、多くの場合「確かに」と自分でも思いあたる部分が探さなくてもすぐに出て来ます。
たまにそのときはよくわからなくて、半年後ぐらいにジワジワ実感してくることもありますが、そんなときは、私の経験ではどちらかというと「思い当たらない」という感覚よりも、「言ってる意味がよくわからない」という状態になります。
そのときは言ってる意味がよく理解できなかったけど、しばらく経つと「あのときすごく大切なこと言われてた」とか急にわかってきたりするわけです。

このあたりの見極めは難しいんですけどね。私もまだ難しいです。

ただ、セラピストから言われたことってわりと素直に受け入れがちじゃないですか。でもそれがかえって自分を停滞させてしまうアドバイスである可能性もあるし、私(トリートメントを受けてる人)のエネルギーが蜃気楼のように鏡となって、セラピスト自身がセラピスト自身のエネルギーを見て/感じて、それを私のエネルギーだと勘違いしてアドバイスしている場合もある、・・・ということを知っておくことも大切だと思います。

自分を守るちょっとしたTipsですね。

セラピーやトリートメントを受けるときにも、まずはセラピストがどんな人なのか、観察して、そしてそれを踏まえてアドバイスを受け止める、ぐらいのことをしてもいいかもしれませんね。いちいち面倒ですけど・・・。
セラピストも人間ですから。

2011/06/12

言葉の力

私が最近癒されたいときに見る画像です。⇒猫のどんぐりの写真
この写真、つっこみどころ満載です。

私は以前猫を飼っていたのですが、猫のようにしなやかで悠々自適に生きたいものだね、といつも思っていました。今もその気持ちは変わりません。
猫といえば、犬と比較されますが、猫のようになりたい!とは思いますが、犬にはなりたくありません。犬もカワイイところはありますが、自由な感じがしないところがいまいち私が惹かれない理由かもしれません。繋がれてたりするし。飼い主と一緒じゃないと散歩に出れないし。
それに、このどんぐりのような体勢で寝ている犬を見たことない。この無防備な、「あ〜あ」と言いたくなるような感じ。
猫万歳!

ところで、みなさんは自分が元気になったり、誰かを元気にさせる言葉を使っていますか?
最近自分が体験したいろいろなシーンで、「こんな風に言わなくてもいいのにな・・・」という言われ方を何回かされました。いずれも、先生というか、少し立場が上の方が生徒のような人たちに言っている言葉だったのですが、相手の不足点や欠点など、要するにネガティブポイントを指摘する言葉でした。

透視リーディングなどでも、リーダーはわりとネガティブポイントを指摘しますが、私はそれってあまりよくないな、って最近感じています。
先日まで学んでいたスキルで、言葉の持つ力を再発見したのもあり、どのような言葉で考え、どのような言葉を語り、どのような言葉を聞くかってすごく自分に影響を与えていることを知ったからです。

言葉は有効に使いたいですよね。
自分の考えること、話すこと、聞くことで自分のパワーがモリモリ沸いてくるような、そんな風に活用するのが得策だと感じています。

欠けているの部分を消して完全な○に近づこうとするよりも、とんがったりへっこんだりしているけど、楽しい!ワクワクする!アハハ!っていうのが、私は好きです。そっちが最近のマイブームです。ちょっと前までは前者でしたけどね(^^

言葉の影響、自分にパワーを与える使い方についても、新プログラムで共有できたら、と考えています。

2011/06/07

Feelの練習

ホジュンが出世して御医(王様の主治医)になりました。
・・・そんなこと、どうでもいいですよね。すみません。

そんなことより、シンクロにシンプルに従うようにしていると、何気に予定がどんどん埋まってしまって・・・。とりあえず7月までお遊びの予定はいっぱいです。それ以後も断続的に9月いっぱいまではチョロチョロ予定が入っていて、もしかしたら11月にはまたイベントが発生するかもしれない感じがふんわり漂っています。

エリ佳さんも言ってたけど、シンクロはそのとき理由がわからなくて、頭で考えると「こんなことするなんて意味ない」と思うことでも、あとからつじつまがおもしろいようにあってくるというところがあります。

シンクロがあった時に考えすぎずにシンプルに従えるかどうかは、自分の頭の使い方によるところもあると私は最近感じています。
アカのいうように、ブルースリーが言ったように、Don't think,Feelであるためには、感じなきゃ感じなきゃと「考えて」いてもダメなんですな(笑)

私は、感じなきゃ感じなきゃと考えて、「つまり、感じるってこういうことだよね」と理論付けしてしまう論理的思考をよく使ってしまうタイプでしたが、先日まで学んでいたスキルでこの偏りをセンターに戻すことができるようになりました。
そうなると、感じなきゃと考えることはなくなり、何も考えられなくなる現象が起こったりしました。空白・・・みたいな瞬間ですね。
久々に感じるという感覚を取り戻したときの感動といったらないですね。
体中の細胞が全部自分になった感じです。(もともと全部自分なんですけどね)ちっちゃい自分がいっぱいいてきゃーきゃー遊んでいるみたいな。

私にはわかりませんが、逆に論理的思考を使っていなかった人がそこが使えるようになると、どんな感動があるのでしょうね。
なんだかぼんやりしてはっきりしなかった「感覚」的なものが、「それってつまりコレ!」とわかるようになるのかなぁ。

何にせよ、忘れていた感覚を取り戻すというのはテンションがあがることです。みなさんにも体験してもらえるように、新プログラムでは工夫したいと頭をひねっているところです。

2011/06/06

白飯のような存在、ホジュン。

は〜。すがすがしい毎日ですね〜。梅雨とはいえ。

晴れた日もまだ初夏らしいすがすがしさあり、雨の日は雨の日で木々の葉が白谷雲水峡のようにしっとり美しい。

が、今年の夏は節電対策必須ということで、扇風機買ってみました。
本当は計画停電に備え、充電式の扇風機にしようかな〜と思いましたが、機能がへぼかったので、普通の扇風機にしました。普通のっていっても最近の扇風機の機能といったらすごくて、第一リモコンがついててビックリしました。
今のところまだ出番はありませんが、これで熱帯夜でも安心です。

ところで、今「ホジュン」という韓国歴史ドラマを見ています。
私ってホント、韓ドラは歴史ものしかみないのよね〜。
「ホジュン」は、ハッキリ言ってそんなにおもろーではないですが、なんていうかこう・・・白飯のような存在。。。なくてもいいかな、なんて思うけど、いざないとなるとやっぱりちょっとさみしい。結果毎日食べちゃう、みたいな。

ホジュンのおもろーなところはただひとつ。知ってる俳優がたーくさん出ているところ。ウォーリーを探せ的に(古い・・・)楽しめる、ストーリーはもはやどーでもよい。

大体、ホジュン役の人も朱蒙でプヨの王様だった人だし、御医さまはチャングムでもイサンでもおなじみの悪役の人だし(ホジュンでは悪とも良ともわからぬ、ぬるい存在)、ホジュンの仲間はチャングムではチェ一族だったおじさん。今始まったばっかりのトンイでも活躍中。朱蒙のヒョッポも出てる。もう死んじゃったけど、チャングムの王様役だったイムホも出てたし、王様といえばホジュンでの王様はチャングムの父。この方はファン・ジニでも王様だった。
そしてなんと今日、「この人もしや・・・」と思った人はやはり、朱蒙でテソ役だった方でした。朱蒙では父と息子の役だったホジュンと光海君・・・。ここでも競演してたんだね〜。

などと、私の見ている韓国歴史ドラマはほぼ同じ俳優たちが毎回似たような役で別の時代を演じているので、段々どこの誰なのかがわからなくなりつつあり。(といってもこれだけ記憶している)

我が家では、韓国歴史ドラマを通じて朝鮮半島の歴史を知りつつあります。
母なんぞは私よりももっと韓国歴史ドラマをくまなく見ているため、とうとう朝鮮の歴史年表と対応するドラマが一覧できるサイトを見つけて、参照してるとか。

大体吹き替えで見てますので、日常的にも韓国歴史ドラマのセリフを取り入れて楽しんでいます。

母に対して「下がるがよい」と言ってもゲラゲラ笑っていられるのも、韓国ドラマがあってこそ。ふつーに言ってたら恐すぎるよね〜。アハ。
何か止めて欲しいときには「どうかお考えなおしください、王様〜」と言います。
ミスをしたときは「どうか不忠な私を罰してください」もしくは「私を殺してください。王様」が決め台詞です。

ホジュン、もうすぐ終わってしまいます。
どうなったらホジュンにとってめでたしなのかが全く読めないドラマ・・・。
でも宮廷医官への道という副題なわけですから、宮廷医官になったら終わりなのかな・・・ってもうなってるし!とっくの昔に!
いったいどうなったら終わりなんだ、ホジュン。
最終回は見逃せないな。

2011/06/05

NEWプログラム、できそう!

震災でしばらく東京を離れていたお客様が、戻られてまたサロンに来てくださいました。

いろいろお話をうかがうなかで、ふと、お客様がお話されていることが、最近私がブツブツと思案していた「サロンM NEW プログラム」のヒントであることに気づきました。

こんなにビンゴなことを言ってくださるなんて・・・とちょっと感動でした。
せっかくヒントをいただいたのだから・・・と、早速NEWプログラムの概案をまとめ、今日に至ってはほぼほぼできあがり、といって良いところまでになりました。
あとは少し寝かせて熟成させて、味付けしてできあがり、となることでしょう。

・・・で、サロンMニュープログラムってなんじゃい!

ってことだと思いますが、それは、私のこの第2ピナクルで学んできたさまざまなことの集大成とでも言える、1dayか2dayのレッスンプログラムです。

今年1月〜5月まで学んできたことも早速使っています。

からだのこと、こころのこと、エネルギーのこと。
ぜ〜んぶ知りたい、ぜ〜んぶなんとかしたい、という方にもってこい。

私の座右の銘・・・のようなもののひとつに、

人生は本来、楽しく、快適なもの

というのがあります。
逆にいえば、楽しくなくて、心地よくないなら、それはウソ。本当じゃないということをいつも目印にしています。楽しめないがまんや苦痛が発生するものは、ウソものだと思うのです。
ですから、これまで私は、楽しくて、快適に過ごすための私にとっての「真実」を探し、その秘術を集めてきました。まだまだ途中かもしれませんが、とりあえず一旦それらをみなさまにも共有したいのです。

人生にワクワク・ドキドキ・クリエイティビティーを呼び込み、こころも体も快適でリラックスしていて、自分が理想とする自分になれる、

想像しただけでステキじゃないですか?
ぜひ、想像してください!

そしてもう少しお待ちくださいね。

2011/05/28

光る小石を見つけるように

小さい頃、「ヘンゼルとグレーテル」という童話が好きでしょっちゅう読んでいました。

皆さんご存知のように「ヘンゼルとグレーテル」は、森の奥に捨てられそうになったところ、予めそれを察していたヘンゼルが白い小石を集めてあったので、森の奥へ行く時にポトポトと小石を目印に落としておきます。そしていざ、森の奥においてけぼりになっても、月明かりでキラキラと光るその白い小石をたどってなんとか家に戻れた・・・という。
で、パン屑でやったときは鳥かなんかに食べられちゃって目印なくなっちゃったんだよね。

それはさておき、アカのセッションで「シンクロに気をつけなさい」と言われ、シンクロねぇ〜か、シンクロねぇ〜か(なまはげ風)と日夜探している私ですが、シンクロに素直に従って自分の活動を決めていくと、結構おもしろい。
その結果何がどうなるのかはわかりませんが、あのキラキラ光る白い小石のように、ひとつ進むとその先に「あ?あそこにまたある!」みたいな感じで見つかっていきます。
そのときは、「なんだ、うっかり間違えたところに来ちゃったな〜」と思ったことでも、その先の小石を見つけるための重要なポイントだったりするんです。

そんな小石たどりで行き着いたのが、「HIROのアートセッション」。

HIROさんと言えば、クリアサイトで一緒だった画家さん。
こりゃサプライズで行くっきゃないでしょ!
と、いたずら心モリモリで、即申込。偽名で申し込もうと思ったところ、うっかり本名で申し込んでしまったので、先に名前で「来るんだ・・・」ってバレちゃってましたが、それでも結構サプライズだったみたいで、やりがいあった。(何を・・・)

HIROさんに私のエネルギーを絵にしてもらうのは2回目ですが、今回は守護神となる女神も描いてくれるっつーことで、ドキドキちょっと緊張。
私のサプライズに「やりにくい。やりにくい。」と連発していたHIROさんでしたが、セッションが始まると、じっくりリーディングし、ササッ&パパッと絵ができあがり。

私の女神はイシス神でした。イシスと聞くと、なんか強そうなイメージを受ける私。思わずガッツポーズ。・・・にしても、死と再生を司る女神か・・・う〜むまたか。

TRUSTというメッセージもいただきました。このメッセージは私にとってはよく言われるメッセージですが、今までとは捉え方が少し異なりました。「信じなさい」というのではなく、「今の感じであってます」という風に受け取れました。

真ん中の丸いのはオーラの色だそうです。「HIROさん、私自分でいうのもなんですけど、最近、超慈愛ッすよ」というと、それもちゃんとオーラに表れているということでした。単なる思い込みじゃなかったようで良かったッす。
全体を彩るブルーが、私の今の感じとピッタリです♪
セッションは6月にもあるそうなので、気になる方は是非受けてみては?
エンタテイメントとしても結構おもしろいです。

2011/05/16

タオる

タオリン1000mg配合!
・・・それはタウリンや!

私は最近すっかりタオッちゃって、全て自然の流れのままにあるので、良きも悪きもなく、非常にenjoy life です。

これもやっぱり震災の影響です。
あれを体験し、その後のいろいろある中で、結果TAO(タオ)になりました。

このタオの心境について語るとそれはそれは長くなるので差し控えますが、タオるきっかけとなったのは、震災後ある人の姿を見たときでした。

そのお方は、なんとも神々しい光を放っているような、菩薩様ってこういう感じなのかなぁ〜というような、やさしいような強いような、父のようで母でもあるような、思わず手を合わせてしまうような雰囲気を持っていました。

どうしてこの人はこんなオーラなんだろう・・・とチラとオーラを見てみると、今までのその方の体験がオーラの中にたくさん見えましたが、それらがすっかりその方自身と調和しているというか、その方自身となっているように感じました。要するに、この方が自分の全てを受け入れているのだな、と感じました。

自分のこれまでのこと、これからのこと全てを受け容れるって、考えているよりもずっと手強いことだけど、この方はそれをしたんだなぁと感じました。つまり、今生での天命を受け入れたってことなのかなって思いました。

天命・・・「五十にして天命を知る」というけれど、天命を知れば自分もあの人のようにやさしいオーラになれるかなぁ・・・などと考えて、自分の天命ってなんだろう・・・と思いを巡らせたら、ふと、この人生こそが天命そのものなんだな、とわかりました。

天命って特別なことではなく、自分の選んできたこと、これから選ぶことが天命なのではないかなぁ、と感じました。
自分が天からどんな命を受けているのか知りたければ、後ろを振り返ればいい。自分の歩いてきた道こそが自分の天命を表している。
先には道はなく、これから自分が好きなように進んで行けばいい。
道は常に後ろにしかできないものなのです。

なんかそんな風に感じ、以後私も天命を受け入れ、タオってます。
でもまだあの人のような見るだけで合掌したくなるようなオーラは放ってませんけど(^^

「五十にして天命を知る」
まで来たから、
あとは耳順って、心の欲するところに従えども、矩を踰えないようになるのを待つ。もうすぐだなぁ〜。

2011/05/08

You find yourself !

今日は、ハレアカ・イオラニ、通称アカさんのセッションを受けてきました。

アカさんは簡単にいうと、ハワイのスピリチュアルな人です。ハワイのサイキック、神官、神主、ってとこですかね。
このページがステキかな。
ここ

明日までで消されちゃうかしら。
これとかもステキかな。


アカさんのことほとんど知らなかったんですが、何かハワイだし・・・ということで、縁合って、あっさり個人セッションが受けれることになったは良いものの、特に聞きたいこととかもなく、どーしよーかなーと思いつつ、たまには恋愛ネタについてでも聞いてみようかな〜とか考えながらセッションへ向かいました。

着くとまだ前の人のセッション中でした。聞くとはなしに聞いていると・・・泣いてる!?そうだよね〜。なんせ、アカの愛は普通じゃないってことらしいし・・・。私も感涙するかも・・・などとドキドキしながらしばし待つ。

やっとこ私の時間になり、こんちは〜とアカさんに挨拶するなり、彼女に

「あなた!ステキな髪型!すっごくよく似合ってる!誰かに切ってもらっているの?だとしたら、その人はあなたのことを知り尽くしているわね!顔の型から何からすべてに絶妙に合っているわ!」

となぜか髪型を絶賛。間接的に私の担当美容師さんを絶賛。
まずは見た目から!?何!?
・・・だが、ヘア〜絶賛のアカさんでさえ気づかなかったろう。このヘア〜はツートンカラーになっていて、風が吹いたときだけ違う色が現れる仕様になっていることを・・・。

それはさておき、まず見た目を誉められ、少し私の心も和んだところで、何か質問を言えばいいのかな〜とか思ったら、質問の必要はなく、アカさんが勝手に必要なことを言ってくれる形式の模様。

私の手を見て、ムー(レムリア)とアトランティスのマークが両方ともある、とのこと。ふーん。両方とも居たって言われたことあるけど、ここでも言われるとやっぱり居たのかなぁとか思っちゃいますね。
アカさん曰くは、エリ佳さん曰くと同じで、要するに今私は境目にいるっていうこと。今までのことをとにかくぜーんぶ捨てなさい、生まれ変わるときという死を表すカードが出ました。・・・やっぱな。

現在を表すカードで(マナカード使ってました)、ソウルメイトがまもなく現れる的なことを言われたので、すかさずソウルメイトワークショップに出なくてもいいように(アカさんのワークショップ)聞いてやろうと思っていた私のソウルメイトについて聞いてみました。
だが、アカさんは大声で「あなたは探しに行っちゃだめ!You find yourself!(自分を見つけなさい)」と言われ・・・。要は、自分を見つければ、向こうからTHE BESTがやってくるということで、ソウルメイトだけでなく、とにかく自分からは探しにいかなくていいそうです。
へ〜い。わかりました〜。

今やるべきことのカードで、相変わらず「浄化」が出たので、アカさんが「あーたはいつもどんな浄化をしているの?」と聞くのでとっさに思いつかず、「特に何も・・・」と言ったところ、「オー!ノー!」的な感じでため息をついて、バッグからアカさんのマイ浄化スプレーを出してシュッシュしてくれました。セージの香りでスッキリしました。
こういうの自分で作ってちゃんとやんなさい、と言われました。
明日からがんばります。

通常の時間を30分もオーバーして(たまたま次の人がいなかったのでアカさんしゃべりすぎた)アドバイスしてくれたのは、考えないで感じること、シンクロに気を配ること、でした。
なんでも、私は今までは一般の社会人としても認められる及び理解できる範疇のことだけを自分の世界の中に入れてきたが、これからはそうはいかず、見えない世界のものともっと触れ合うことになって、別の次元に足を踏み入れることになるとか・・・それってどこ!?
そして、多くの人と出会い、多くの人を助けることになるって。。。チャ、チャングム!?チャングムっすか!?

・・・まー、どういったかたちでこの話が現実化してくるかどうかはわからないですが、長年疑問だったことなんかもわかりやすく教えていただき、アカさんに会った後はすごい自分の感覚が研ぎすまされているのがわかりました。話の最後の方には話しているだけなのにオーラもクリアになってきたし。(スプレー前でもね^^)

じゃ、終わりです〜と帰ってくださいムードになったけど、アカさんと言えば、ハグが名物らしいので、「あの、せっかくなんでハグいいですか」とアカハグを体験。なんでも、アカさんのハグは「人から得られる安心感とは別次元の「愛」そのものでありアカにハグされると幸せになるという噂まで」あるということですから一応やっとかないと。

確かにあのムニュふわーんという肉感というか、あれは巨大なぬいぐるみを抱いたときのような癒され感。硬いところ一切なし。それが「愛そのもの」だったかどうか私ごときには判別不可能でしたが、とにかく、しっかりムぎゅーっと抱きしめてくれました。それだけでもうれしいよね。アカさんはハートウォーミングな癒し系・・・豪快系の方でした。
このハグで私にますますの幸せが訪れんことを願います。(自分でか!)

2011/05/06

ごぶさたしちゃって

や〜だ、ごぶさた〜。・・・キャハ(照笑)

4月末で1月から始まった勉強が1つ終わり、残るは5月末までのもう1個だけ・・・。すでに終わった感がふつふつと沸き出し、ややマッタリモードです。

震災からもうすぐ2ヶ月だけど、この間に私的には初めて「シフトした」と言えるようなシフトをしました。これまでは、「シフトだよね〜」とかまわりから言われることはあっても自分ではあまりシフト感なく通常の変化の一環の程度だった感じだったんですが、今回ばかりは自分でもシフトしたと思う・・・って感じです。
もうみんなの知ってる私じゃないかもしれません。アハハ。

そんなこんなで今はポチポチ勉強したりして過ごしているんですが、震災後に遠隔ヒーリングもろもろでお世話になったエリ佳さんのところにお礼がてら遊びに行ってみました。
エリ佳さんところは姉妹なんですが、私はこの姉妹とは縁が深いようで、初めてクリアサイトに行ったときの隣の席に座ったのが、エリ佳姉でした。その後、なんとなくクォンタムコースまでずっと同じクラスっていう・・・。

結局、お礼がてら・・・なんてよく言えたもんだよ!というぐらいのもてなされぶりで、姉妹代わる代わるのいたれりつくせりのサービスに、あたしゃぁホントぬくぬくなキモチでした。

エリ佳さんちを訪れたのには、お礼(まだ言うか)以外にも理由があり、それはエリ佳さんにクリスタルヒーリングをしてもらうことでした。
エリ佳さんはキャサリン・クラコリーチェのヒーリングコースに参加しているので、キャサリンおすすめの石を使ったヒーリングをしてくれるっつーことで、楽しみにしていました。
なんせ、エリ佳姉がヒーリングを受けたときに高熱が出て倒れたという話を数年前に聞いていたので、オレもそうなるんじゃねーかとドッキドキのおっかなびっくりでした。

まずはヌメロロジーの対面リーディングを改めてやってもらい、私の今、そしてこれからについてお話しました。
私は今第2ピナクルの最後「9」に来ているのですが、ということは来年は第3ピナクルの最初「1」なんですね。ですが、この間に実は「0」にあたる期間があって、その期間は次のピナクルへ向けての準備期間ということ。今年ももうすぐ半年となるので、勉強もその頃にはちょうど一段落しますし、6月くらいからはボチボチ「0地点」に行くのかな〜と感じています。すでに0の香りがぷんぷんしてるぜ。
そういや、自覚は全くないですが「カリスマ性が出て来ている」と言われましたよ。
フッ。今年のテーマが「カリスマとは何か」だっただけあるぜ。

ということで、古いものは落としちまおうぜ!ということになり、それ用のクリスタルを使ってグリッドを作ってもらい、中におさまることしばし。ん〜、温泉みたいで気持ちいいわね〜。ほっこり。

クリスタルグリッド温泉ですっかりほっこりしたところで、間髪入れずにフルヒーリング。
あ〜癒されちゃった。

私はキャサリンからは石との話し方と簡単クリスタル浄化法を教わりましたがヒーリングは習っていないので詳しいことはよくわかりません。でも、エリ佳さんがやってくれたのを見ていると、おそらく、みんながイメージするクリスタルヒーリングより、すげーシンプルだけどパワフルだと思います。だって、そもそも使う石が違うしね。(名前忘れたけど・・・)

エリ佳さんの遠隔ヒーリングやフルヒーリング(クリスタルヒーリング付きらしい)を体験したい方はこちらからどうぞ・・・。
ちなみにエリ佳姉は、書家でっせ。

2011/04/11

私の先生

私が先生と慕う人たちの一人に、当然、レバナ先生がいます。

私のレバナ先生との出会いはホント偶然で、レバナのレの字も知らず、唐突に学校に入ってしまってから、数年間の付き合いの中で先生との出会いは運命的なものだったなぁ〜と思うに至ります。

とはいえ、学校を卒業してしまってからはあまり先生に会うこともなく、ともすれば、先生ってどんな感じだったっけ?とか思っちゃうくらいでした。

この震災直後に、先生からのメッセージをもらって、そのメッセージからゆらゆらとやってくる先生の愛のエネルギーで正気を取り戻し、やっぱりこういうときにいつも見守ってくれている先生がいるっていいなって思えたし、メッセージくれてほんと助かりました。

そんな風に思っていると、ココリラというサイトのメルマガで、霊能者たちのメッセージが届きました・・・というのがありました。
その中にレバナ先生もいたので、どれどれ・・・とメッセージを読むと、ふむふむ。なるほど・・・と、なんだかすごく理論的、現実的かつ、安心できるものでした。

ついでに・・・と、他にもたくさんメッセージを送ってくれたという名だたる霊能者たちのを見てみましたが・・・

・・・どれも私に響くものではなく・・・

あー、私ってやっぱり先生とバッチリ波長があってる人なんだわ〜とこの後に及んでまた納得。

先生のこと、好きだな〜とつくづく思いました(^^

2011/04/05

ただいま勉強中・・・

一時的に海王星が水瓶座を出た・・・。
海王星が自分の星座からいなくなるとこんな感じなんですね〜。
・・・うーむ。まだよくわかりませぬ。

さてさて、震災後からしばらくブログを書いていませんでしたが、調子を崩していたわけではありません。・・・みなさんは調子はいかがですか?

かねてより予告していたスキルアップの勉強が震災後すぐから何気に通常通り開始されたため、宿題に追われ、単に忙殺されていました。

4月末までは続くので今月はセッションのご予約は受けられそうもありません。
こんな時期ですのに・・・と思う反面、なんかみんな大丈夫そう・・・とも感じたり。
そんなことないのでしょうか。
まだ揺れてる感じがしていたり、常時不安ですか?
どうしてもヒーリングが必要!と思うときは、ご遠慮なくご連絡ください。遠隔ヒーリングならいくぶん対応はできますので。
ということで、サロンでのセッションは5月以降となりそうです。

海王星が出て行ったせいなのか、それとも、今年がヌメロナンバー9の年だからなのか、その他諸々の因子のせいなのかはわかりませんが、今年に入ってからものすごい勉強してます。いろいろな。

短期講座に通ったりしているのもありますが、単に専門書で勉強したりとか、なんだか自分でもキモいですが、こういうのはやる気があるときしかできないので、今を好機にと思い、興味を持ったものを片っ端からやっています。

中でも、今回かなりまじめにやりなおしているのが、解剖学/解剖生理学。あー、もうやりたくない・・・。
スキルアップのために通っている学校でも解剖学をやらなきゃいけないので、この際と思い、少し突っ込んで勉強していますが、キライではないけど、気合いがいるな。気合いが。なんせボリュームがあるから。テキスト開くのにも気合いがいる。

でもおかげで体のこと、だいぶわかってきました。以前から何回か解剖学を学ぶ機会はあったのですが、今回再度、いや再々度ぐらいなので。復習。

今、猛烈に勉強していることが今後みなさまに還元していけたらいいな〜と思っています。

震災に遭遇して、みなさんにも価値観に変化が起きていませんか?
私も震災前と後では、価値観に大きな変化がありました。というか、もともとそちらの方向に向かおうとしていたのでさらに勢いづいた、という感じかもしれません。

今回、あらためて実感したのが、やっぱり自分で自分をケアできないとダメってことでした。
私は、私のところに来てくれた方たちにはやがて自分で立ち、自分自身をケアできるようになってほしいし、そういう風になっていくサポートをしたいと思っています。
ヒーラーやセラピストにはいろいろなタイプがいますが、私は「困った時には私に頼ってほしい」、というよりも、「困った時は私が話したことや教えたことを実践してほしい」、と思います。私がいなくなったとしても、ずっと大丈夫であってほしいと思います。

こう思うのには、以前に話したかもしれませんが、私がフラワーエッセンスのプラクティショナー試験の勉強をしているときの体験にさかのぼります。

そのとき、友人数名にフラワーエッセンスのセッションを受けてもらっていました。
3回受けてもらって変化をレポートにまとめるという課題だったのです。
それぞれの友人がわずか3回の期間に大きな変化を遂げ、私は大変満足し、レポートのためのセッションを終えました。
その後1ヶ月ほどしたころでしょうか。そのときの友人の一人が訪ねてきて、またセッションをしてほしいと言ってきました。私は鼻も高々になり、やっぱり効果が出たからかな〜などと思ったのですが、その友人の話を聞いているうちに、なんだか少し気分が変わってきました。なぜなら、その友人は完全に私に身を任せてしまっているように感じたからです。自分の問題を自分で解決する力を持っていないかのように、もしくは何かの中毒患者かのように、ひどく依存的に見えました。

「何かに困るたびに私のところにくるの?私がいなくなったらどうするの?」とその友人に訪ねました。
友人もそんなこと言われて迷惑ですよね(^^; 
最初に体験セッションを頼んだのは私のほうだったわけですし、単にもう少し続けたかっただけだったのでしょうから。

友人は軽い気持ちだったのかもしれませんが、このときの気持ちが私の胸の中にずっとあって、私がいなければクライアントがダメになるなんてセラピストとしてウソだ!という、ある種の指針のようなものができたんですね・・・。

なので、もちろん、今も常々私自身は、みなさんに徐々にでもより長い期間自分でトライしてもらえるように心がけています。
ちなみに、この指針は、私のセラピストやヒーラーを見る目としても役立っています。
どんな名医や名セラピストだったとしても、この指針にのっとっていないと感じると、私の目指すものとはちょっと違うかな〜と思ってしまいます。
そういう意味ではレバナ先生とは、ほんと価値観が似てるなぁと思います。

ということで、この思いが今回の震災体験でさらに強いものとなり、自分自身でケアできる方法をさまざま勉強している、というわけです。よって解剖学もなんのその・・・。なんのなんの・・・。(; ̄Д ̄)


この時期、勉強よりもヒーリングじゃないか!?と葛藤しつつ・・・。
まいしんぐ〜です。

2011/03/17

グラウンディングを強めよう!

私も人のこと言ってる場合じゃなかったんですけど(^^;、みなさんも今、今回の災害のこともあり、どこにお住まいの方でもグラウンディングがヒョイっとはずれてしまい、頭の方にばかりエネルギーがいっている可能性があります。

頭の方にばかりエネルギーがいってしまって、グラウンディングが弱いと、不安感や不安定な気持ちが強まり、安心感から離れてしまいます。
グラウンディングを意識するだけで、意識もはっきりし、まさに地に足のついた状態になって、むやみに周囲に振り回されたり、不安感に圧倒されることも解消されていきます。

こんな時期は、クリアサイトの生徒たちがレバナからもらったメッセージにもありましたが、とにかくグラウンディングしない状態になりやすいし、「現在」にいなくて過去に意識をおいたままにしていることが多いです。

なので、いつもよりも頻繁に地に足着き度を確認しましょう。
私もレバナからのメッセージを受けて、頻繁に確認するようにして、気分もどっしりしてきました。

先にご紹介したブレインジムのフックアップをやってみた方はわかると思いますが、かなり私たちグラグラ状態だと思います。
目をつむりフックアップの状態で立っていることが難しかった方もいるのでは?私も最初、「えー!?」というほどグラグラでしたが、何回かやっているうちにだいぶぐらつかなくなってきました。

しかし、フックアップはグラウンディングを強めるというよりも、センタリングの方ですね。フックアップをした上で、意識が「今、ここ」にあるように意識してみましょう。そうすると、少し過去においてけぼりになっていた意識を今に戻せると思います。
で、それはそれでやっていただき、グラウンディングは下記のようなかたちでやってみてはいかがでしょうか。


まず足裏の土踏まずをげんこつでよく叩いて刺激する

隣り合う足指を手でそれぞれつかんで、足の指と指を前後するようにして指の付け根から動かすようにする。同じように全部の指を動かす。

今度は1本ずつ足指をつかみグルグル回す。右回し、左回ししたら、ぎゅーっとひっぱってポンっと手をはなす。
これを全部の指にやる。

足の指と指の骨の間を足首に向かって手の指を使ってグイグイ押していく。
(足の甲の骨の間のこと)

足首をよく回す

段々足自体の意識がハッキリしてきたでしょうか?

ふくらはぎの腱の部分をよく揉む
とにかく少し痛いくらいの刺激を与えてマッタリ感から覚ます感じにすると良いかもしれません。


下腹から力が抜けているような、力が入らないような感じがする場合は、しこを踏むような体勢になり下腹に力を入れる

少し下半身の血の巡りがよくなってきたかな〜と思ったら、今度はイメージでもグラウンディングしてみます。

骨盤がたつように椅子に姿勢良く座り下腹に力をいれる。

足の裏がぴったり床につくようにする

足の指をばっと広げてからぐっと床をつかむにする
足もぷらんとなんとなく床につけているのではなく、グッと意識をすることが大事です。

床に足が吸い付いているようにイメージする
そうすると、ふくらはぎやふとももの内側にもクッと力が入る感じになり、腰や下腹にもなお力が入ります。

足裏に大地の感覚を呼び起こす

目をつむるか半眼で、自分が大樹になったイメージをする。
地球の奥深く中心部まで根がのびてしっかり根づくようにイメージする。
思い浮かびにくい場合は、何かイメージできる大きな樹などの写真や絵をみると良いと思います。


こんな感じでだいぶいいんじゃないでしょうか。
深く根をはる大樹のイメージと、足裏の大地の感覚、ぎゅっと大地をつかむように立つことを意識するといいと思います。

下腹に力を入れて立つとおのずと脚もぐっと力がはいり足裏もピッタリ床についてくるようになるので、先にご紹介した内観の法をやりつつ、日常的に下腹のパワーを意識してみてください。

あと、ベチバーなどのグラウンディングをイメージさせるアロマを使うのも良いと思います。

2011/03/15

あなたにこころのケアを

大震災から数日が経ちましたが、みなさまどのようにお過ごしでしょうか。
周囲のみなさま含め、ご無事でいらっしゃられることを祈るばかりです。

私の方は今日まで無事に過ごしています。

TVで被害状況や原発の状況、地震の警告などが流れるたびに、ドキドキしたり、胸が締め付けられるような思いをしています。
このブログを長らくお読みいただいているみなさまはご存知と思いますが、私は弱虫で、軟弱です。恐がりですし、すぐ不安になります。
無価値感や無力感を感じやすいです。そして完璧主義です(笑)

だけど、こういった心がバネになり、これまでいろいろなことを学んだりして、相変わらずではあるものの少しは成長できているかなぁ・・・、と思います。


クリアサイトのヒーラーたちは、この状況を愛と光で満たすべく、ヒーリングしています。

私もヒーラーの端くれですので、TVでの報道で自分がドキドキしたり、不安に感じたり、無力感を感じた分だけ、光のエネルギーを送り、お祈りしています。

東北の被災地の方々に比べ、関東の方々は被害状況が軽く済んでいる場合が多いため、ご自身のこころよりも、もっと過酷な状況下の方々を思い、感じている恐れや不安、悲しみを発散できずにいる方が多いのではないでしょうか。

私たちが感じた恐怖は、個々人においてもおそらくこれまでの中でも相当なものであり、癒し/ケアが必要なものです。

実際私も、11日当日は緊急避難などでアドレナリンが出っぱなしだったので、肉体やメンタルも緊張状態であまり疲れや不安定さを感じませんでした。ですが、急激なアドレナリンの放出のせいか、反動でその後体の震えが続き寒くなったあと、今度は全身が火照って熱っぽくなったりして、そして体も筋肉痛が出たりして、結構な反応が出ました。
これらは少し力が抜けてきているからこそ起こったことかもしれません。まだまだ油断ができない状況下におられる方は、緊張状態のままいらっしゃられるかもしれません。

こんな風になって、あまりにも自分がふがいなく思っていたのですが、つい先週から読み始めていた「白隠禅師―健康法と逸話」という本に、こころと体の両方に良い瞑想法が紹介されていますので、同じように少しこころも体も不安定に感じる方のためにも、今日はそれをご紹介したいと思います。

道具も何も必要ありません。続けていくと、肉体的不調の緩和やこころの不安定な状態を自然と一体になって生きているのだという、自分も大自然の一部なのだという、究極的な大安心の状態へ変化させていくと紹介されています。

私も先の記載した不調になった際に、これを行い、改善されました。
簡単な方法ですので、お時間があるときにみなさんやってみてください。

「白隠禅師―健康法と逸話」に紹介されているものを以下に簡単に記載します。

■内観の法
体のへそのまわりからへそした、脚、腰、足の裏に氣を満たしていく瞑想です。
丹田(下腹部)は武道などあらゆるものでも、元気の源とされ、氣をそこに静めることにより安心感と安定感が得られると言われます。

1)座っていても横になっていてもいいから、一度全身の力を抜くようにする。

2)次に、腰から下に力を入れるように脚を踏みそろえ、しばし呼吸。

3)少し氣が整ったな〜と思ったら、ゆっくりと息を吸い、少し止めて、ゆっくり吐き出す。吐き出すときに、体内に入った氣を下腹にぐーっと押し込む感じで吐きます。

4)そうすると、下腹に力が入った感じになるので、それを保つようにしながら続けて呼吸し、これを続けます。

5)あんまりうまくできないな〜と思う場合は、それでも構いませんので、吐く時に上半身の氣を足の裏、脚、腰、下腹にぎゅーっと押し込んでいくようにイメージすると少しやりやすくなるかもしれません。

6)次第に脚の方がポカポカしてきたりして、気がつくと眠ってしまっていたりします。

7)何回かこれを試すと段々気力が戻ってきて、短い時間の睡眠でも割とスッキリ目覚められます。


■軟酥(なんそ)の法
こちらは、自律神経を整えたいときに良さそうです。あとは、しばらくリラックスできてないな、と思うときにも。
アーユルベーダのシロダーラみたいなイメージかと思います。

1)頭の上に卵大の軟酥(なんそ)の秘薬の塊が乗っているとイメージする。

2)しばらくすると、それがバターのように溶けてきて、ポタリポタリと垂れてくる。(のをイメージする。)

3)軟酥(なんそ)の秘薬が溶けたものがポトポト頭の上からどんどん垂れてきて、全身のあらゆるところに染み込んでいくのをイメージする。
頭の上から足の方に垂れていくイメージを持つこと。
皮膚だけでなく、骨や内臓、細胞などすべてにジュワーっと染み込みながら次の場所へまたポタポタ垂れていくイメージを持つ。

4)最終的に足まで垂れていく。足まで垂れていった軟酥(なんそ)の秘薬はそこにどんどん溜まっていって、腰まですっかり浸ってしまうようにイメージする。

終わるとき少しぼんやりしちゃうと思いますので、しっかり下腹に力を入れて意識を頭に戻すようにしましょう。

私はこれをやると、すぐ寝てしまうので(すぐ寝てばっかりですけど)、いつも上の方までしか染みてない感じで嫌だったので、翌日は続きからやったりしました。
頭にいろいろな考えが浮かんでしまうときにもオススメです。

これをやって逆に疲れてもナンなので、できる範囲でやる程度でもやらないよりいいと思います。
本にはもっといろいろなことが書かれていますので、興味を持たれた方は後日読んでみてください。

あともうひとつ。
これは白隠の本とは関係ありませんが、メンタルのバランスをとる簡単な体操をお伝えします。
ブレインジムと言われるもので、脳の動きのバランスをとる体操がいろいろあります。
こういうパニックのような、強い不安や恐怖に出会うと、私たちは脳幹という部分が強く働くそうです。脳幹は原始的な生き残りの本能があるそうで、脳幹の働きが偏りすぎると「戦うか、逃げるか」というストレス状態に陥るといいます。

脳幹の働きのバランスをとることで、脳幹の機能をポジティブに働かせることができます。
とっても簡単ですので、ちょっと動揺してるかな、というときなどにもどうぞ。簡単なのでいつでもどこでもできます。
四六時中やりましょう。

■フックアップ
1)立っても座っててもいいので、片方の足をもう片方の足とクロスする。座っている場合は脚を組むのではなく、足首どおしをクロスするイメージ。

2)手の指と指を絡めてクロスし胸の前に回す。じゃんけんするときに、どれどれ〜?と探る時にやる形です。胸の前に回さずクロスして指を絡めるだけでもOKです。

3)このままの状態で舌を上あごにつける

4)目をつむり、しばし楽に呼吸する。肩に力が入らないように。
30秒〜1分。

5)手と足のクロスをほどき、両手の指と指を胸の前であわせる。
右の第2指と左の第2指、といった具合で。

6)目を閉じ30秒から1分間楽に呼吸する。

ブレインジムを考案したポールデニッソンによると、フックアップをすると、私たちは体の中心、核となる姿勢筋と生命維持に不可欠な臓器に注意を集中させることになり、また上あごに舌をつけることで中脳と脳幹をつなぐなどし、これにより、脳は整然とした状態になり、今起こっていることを考え、気づくことができ、前頭葉を活用することができるようにあるとのことです。

やり方の写真が掲載しているサイトを見つけましたので参考に。
こちら

無事であったものたちは、何もできないと思うよりもまずは自分のこころを整え氣力を蓄えることをしてはどうでしょうか。
そうすることにより、これからますます増えるであろうサポートを求める人たちへ備える第一歩になるのではないでしょうか。
いてもたってもいられないときは、小さなことでも気がついたことをやってみる。
まわりの人に思いやりの言葉をかけることからでも。

2011/03/02

旅をする木

「旅をする木」

この本を知ってから、実際に手にするまで、果たして約1年ほどの時間が経ってしまった。

まだ読んでないです。


昨年末に ”神戸の” Kさんが(私のブログにはあらゆるKさんが登場しているが全部別人ですから^^)、「お正月にでも読んでくださいまし」と送ってくれた本が、「アラスカの詩 めぐる季節の物語」だったのですが、なんか手が伸びずに、最近まで手つかず状態でした。

ここにきて急に読みたくなって本を開いてみると、星野道夫の言葉が雪解け水のようにしゃっきりひんやり心を洗ってくれるようでした。

「なんじゃあこりゃあ!」とこの方の世界観にビックリしたので、まだこちらを読み終えていないのに「旅をする木」もゲッツしてしまいました。

「旅をする木」は昨年屋久島に行ったときにガイドしてくれた加地さんが好
きな本ということで、機会があったら読んでみよ〜と思って時が経ったわけです。

こんな風な心の変化は一見、アラスカに引っ張られているような感じですが(星野道夫の本はアラスカのことが書いてあるので)、実際は屋久島に引っ張られているようです。

なぜなら、今日おやつを買おうとコンビニ風のしゃれた洋菓子なんかを売っている店をウロウロしていたら、なんと!「げたんは」を発見したからです。

「げたんは」は、「旅をする木」をオススメしてくれた加地さんがくれたおやつで、あまりの素朴な美味におみやげに買って帰ったものでした。
鹿児島地方の伝統的なお菓子ということで、あっちではスーパーなどで気軽に手に入りましたが、東京ではげたんはを置いているところはなく、今日に至っては、げたんはのことなんて忘れかけていました。

が、おしゃれな洋菓子を物色していたときにふいにげたんはを発見し即買い。「なんで、げたんは置いてたんやろか〜」と思いつつ、こりゃ屋久島がオイラを呼んでるぜ、とか思っちゃったり。

また行っちゃおうかねぇ。この時期。

2011/03/01

もしタンジーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

読まねーな。
以前のボーイフレンドが自分が読み終わったドラッカーを「タンジーも読みな」といつもくれた(強制的に)ので、何気にドラッカーはシリーズ全巻持ってましたが、結局読まずに捨ててしまいました。

・・・文字が小さかったし。マネジメントとか興味ないし。。。(ブツブツ)

でも、ドラッカーにまるで興味がないわけではなく、大体読まなくても、読み終わった彼が簡略化して話してくれたりしたので、もしかしたら潜在意識に既にドラッカー魂が刻まれているかもやもしれぬ・・・。
本人は読んでないからそれがドラッカー魂とは気づいていないだけで・・・。


とはいえ、空前の大ブーム「もしドラ」はちょっと興味ありで、本屋に行くたびに手に取ろうかと毎回思っていましたが、「手に取ったら負けだ!」と思い、今日に至ります。
そんな私でも「もしドラ」を楽しめる日がまもなく!
なんと、NHKでアニメ化されるのです〜。どんな感じなのかはわかりませんが、私なんぞはアニメの方がかえって良いです。
アニメで、私の中の眠れるドラッカー魂を確認することにします。

ドラッカードラッカー言ってますが、リーダーを目指す方に私はドラッカーよりも、韓国ドラマ「朱蒙(チュモン)」をオススメします。

チャングム、イ・サンとここにきて全部最終回を迎えてしまいましたが、まだ朱蒙だけはかろうじて民放でやっている。私の楽しみ・・・。

朱蒙は少し古い、といってもチャングムよりは後ですが、結構以前に放送されていた韓国歴史ドラマで、高句麗を立国した朱蒙大将の話です。

最初はのらりくらりと宮中で過ごしていた朱蒙ですが、実の父が叶えられなかった夢を叶えるべく、何もないところからがんばるわけです。

朱蒙の人柄から仲間がどんどん増えていくのですが、朱蒙のリーダーシップといったら、すばらしいことこの上なし。下々のものにも公平に温かく接するし、みなを尊重しながらまとめていきつつも、みんながワヤワヤもめそうになるとリーダーとしてビシっと決めてくれるし。
強いし、意思決定能力あるし、頭切れるしで。ちなみにドラマだからか、顔もいいしね。
惚れるね。


一方、敵対するプヨ国の王や第一王子は、怒りっぽくて何かっつーと茶碗割ったり、料理をひっくり返してみたりと怒りで我を忘れがち。こりゃ完全捻れ体癖の一族だね、と思ってしまいます。そして怒りに任せてとりあえず戦ったりするので戦略が甘くて浅薄さが目立ち、部下を物のように扱うときたもんだ。
朱蒙と対照的。
朱蒙は9種の前後型かな、とか思いつつ。

王様といえば、イ・サンもそれなりのリーダー像を描いていましたが、ちょっと変わった王だったので、やっぱり男気と色気がムンムンの朱蒙の方が良いと思います。セクスィー大将ですな。

最初の方は何の話なのかわからなくてただ漫然と見ていましたが、「この国を高句麗と名付けようと思います」なんつー話になって、やっと「え?その時代?」と気づいた次第です。

リーダーたるもの、そしてこれからリーダーを目指すものは、まず朱蒙を見よ。

「もしドラ」よりも「もしチュモ」です!
「もしタンジーが韓国ドラマ朱蒙を見たら」、ですよ!(・・・単なる日常の一コマだな)

2011/02/22

ヒアアフター


昨年、中途半端に「あの人変わってる」とか「ちょっとS」とか思われるくらいなら、むしろ「野犬」と呼ばれるくらいになってやりたい・・・と思ったことがありましたが、TVでリビアのカダフィ大佐が「砂漠の狂犬」とか「アラブの暴れん坊」と言われているというのを見て、「野犬」より「狂犬」のが強そうでかっこいいな、と思いました。

何せ、狂ってるわけだし。

私も「狂犬」と称されるようになってこそ、だな。(なんでや)

「木場の狂犬」
「江東区の暴れん坊」

・・・すごさに欠けたのは、地域に壮大さがないからだろうか。

砂漠やアラブに比べたら、木場なんて・・・。木場の狂犬ごとき、別に・・・って感じ!

もう少し広いものと・・・。広い・・・ひろーい・・・。

ひろ〜い、ひろ〜イ 海へ 出るがじゃよ (誰か福山さんを龍馬から脱皮させてあげて・・・)

ヒーリング業界とかがいいかな。

「ヒーラー界の狂犬」
「ライトワーカーの暴れん坊」

少しかっこよくなったけど、ヒーラー界の狂犬ってどんな人物だ!?

ヒーラー界の狂犬 TANZI

狂犬からもっと独自性を出すとしたら、私のこのPOISON TONGUE(毒舌)にちなんで、、、

「木場のハブ」もしくは「木場のHABU」(また木場に戻ったんか!)

とか。ハブとマングースのね。ハブってすごい毒なのよ〜。

「江東区のマングース」。。。これだとなんとなくカワイイとさえ感じちゃう。

もう少し素直に・・・、

「木場の毒蛇」

これでどうだ!結構強そう!

「ヒーラー界の毒蛇 TANZI」

悪そう!タトゥーしてそう!

・・・

・・・それはさておき、クリント・イーストウッドの最新作「ヒアアフター」を観てきました。
来世を扱った映画だっていうのと、マット・デイモンが主演っつーので、まー観てみようかなぁ〜となんとなく思ったので、観賞しましたが、結構良かったスよ。私は好きでした。

来世についてとか言われていましたが、もっといろんなこと、たとえば「どう生きるか」とか「人生って」みたいなことについてクリントは語っていたのかなぁ〜と思ったり。むしろ来世はちょこっとしか出て来なかったな。終わり方も「え?」って感じでしたが、でも、好きでした。マットが良い演技してたよ〜。

マット・デイモンが私は案外好きで、ボーン・アイデンティティ、ボーン・スプレマシー、ボーン・アルティメットと、シリーズ全部観た。
ボーンシリーズの何がいいって、絶対的に強いところが好きで、24のジャックなんかは、ダイハードのブルース・ウィルス的にやられたりやったりしながら、最終的に「オッサンまだ生きてるぞ〜!」って感じですが、ボーンは「ボコ」とか「バン」など、結構1激でやっつけてくれます。
また、まさかここには来てないだろ・・・いたーっ!みたいなかっこよさ、最後の方の作品になってくると、やや手こずるシーンもありますが、それでも死にそうになることはなく、最終的には相手の首を折るなどしてあっさり勝つのが良いです。暴力が多いわりに、血なまぐさい感じがないのが良いところかもしれません。

にしても、ボーンシリーズのマットは主役なのにも関わらず、救命病棟24時の江口洋介なみにダンマリです。ほとんどセリフありません。
以前インタビューで、「無言の演技が多いから演じるのが大変ではないか」と聞かれたマットが「ただ黙って立っていれば監督が何か考えたり悩んだりしているように撮ってくれるので僕は楽だ」というようなことを言っていました。
そのときは「ふーん」とあっさり受け入れてしまったものの、今回の「ヒアアフター」でのマットをみて、ダンマリもやっぱり演技していたんだな!(当たり前だけど)と、改めて認識しました。
「グッドウィルハンティング」のときから注目してたけど、マットはなかなかやるな、と思います。ベンがハリウッドのチャラ男的存在になっちゃった感があるのに対し、マットは硬派だわよね。

話を「ヒアアフター」に戻すと、映画の中で、いろいろなチャネラーが出てくるのですが、ある意味勉強になります(ーー;
ああいう人たち、いる。
私もマーカスと同じ気持ちだわよ。

でもなんだか、もう1回観たくなるような感覚を覚える映画でした。悲しい映画じゃないですよ。ちょっと泣けるシーンもありつつ、見終わった後にさわやか系の気持ちになれます。(おそらくな)

・・・まー、私こういう時9種体癖が出て来て、気が済むまで何度でも観れちゃうタイプだからかもしれませんけど。DVDが出たときにでも暇つぶしに見てみてくださいまし。木場の毒蛇のオススメです(^^