2011/12/31

次のピナクルへ向けて



数秘でいうと、第2ピナクルの最後の年の最後の方を迎えているのですが、12月は中旬くらいに風邪らしきものをひいてから、なんだかずっと尾を引いて今日まできていました。

風邪か・・・それとも、花粉じゃないけどなんらかのアレルギー反応なのか・・・などと思いつつ、ただゴロゴロとしていました。

一昨日に今年最後のフラワーエッセンスの遠隔リーディングを終えたときに、なんだか愛のエッセンスがたくさんで、新しさを感じさせるものばかり選ばれたのがうれしくって、ヒッサシブリに自分のためにエッセンスを選んでみることにしました。

だがしかし、自分のエッセンスには別に愛とかなく・・・。いや、いんですけどね。

だけどそのエッセンスときたら、キーワードが「保護」「豊かさへの同調」「解放」「自由」「再生」「開拓」「男性エネルギー/女性エネルギーのバランス」とかそんなんで、なんか、9の年の最後で、次1ですから・・・って言われているような感じがしました。
私的には。

ということで、ハッ!と「この風邪って、停滞してるってこと!?」と何となく思ったので、「具合が悪いから」とサボっていた瞑想をがっつりやったところ、今日にはほぼ回復して、たまたま予約がとれたスパに行ってデトックスしてもらったら調子良くなりました。

停滞してたのね〜。鼻。鼻炎。エッセンスの「再生」も活躍してくれたかも。

エッセンスを飲んでいるせいか、なんだか新しい方向性やらおもろいことなどが思い浮かんで、ワクワク。

実は1つのピナクルの最後にあたるので、10月頃からすご〜く「終わった感」があり、11月12月と終わった感は色濃くなるばかり。というよりも11月末ゴロからは、終わった感というか、もう終わったね、という感じだったので、よし!では次のピナクルではどうするか考え始めよう!時間はまだ十分ある、ゆっくり構えて考えよう、とあぐらをかいて座ったまま早1ヶ月。新しいピナクルへのビジョンもなく、濃厚な「終わった」「終わってる」という雰囲気の中にどっぷり埋まってしまっていました。
で、風邪ひいて。それを理由に片付けもほっぽらかし。

・・・典型的な停滞パターンやん!

ということで、神の助け、お客様の助けで、エッセンスを選んでみる流れとなったので、なんとか停滞を抜け出せたようです。

次のピナクルのテーマは4。ちなみに今のピナクルのテーマは8。そう、4は8の2分の1です。エリ佳さんによると、8「力、構築する、達成、成功」というテーマの年で得たものを、4「現実的、安定、着実さ、成果」は具体的に形にしていくときということで、超ストーリーできてるね〜って感じです。誰の人生でもそれなりにストーリーがあるものですね。しかも、次のピナクルの課題となるナンバーは3。つまり創造性と自己表現です。このあたりを意識することで、現実的に、安定した、着実な、成果が得られるかもしれませんね。


とりあえず、来年のテーマも自分なりにピンとくるものが見つかったので、そこをヒントにあと1ヶ月、9の年の最後を堪能したいと思いまする。

まずは大掃除だ〜!(遅い)

2011/12/21

八卦掌その後



20日以上もブログを書くのをサボると、いざ書こうかなと思ってもいったい何きっかけで書こうかなんて考えちゃって、ついついまたサボってしまいますね。

という言い訳はさておき、、、

そういえば、コンマリちゃんの片付けの特集がTVでも放映されていましたね。おかげで、本だけではわからなかった靴下や下着のたたみ方や、片付けの途中で疑問になっていたことが解決されました。ラッキッキ。

でもまだ片付け終わってませんけど。先日ようやく書類が終わったところで・・・。いや正確にいうと、書類を捨て終わったところで、整理はこれから・・・。最後まで年内に終わりたい。

太極拳では、陰陽をはっきり分ける、「虚実分明」を教えられるのですが、片付けを行うことで虚実分明の特訓になったことは以前にも書いた通りで、これにより普段の生活でも陰もあり陽もあるということを意識できるようになってきました。なので、物事に対してある種のあきらめというか、今は陰だが陽の場合もあるだろうとか、今回は陽だが陰もまたあるだろう、などとあまり執着なくやり過ごせるになってきています。

太極拳や太極剣の話ばかりで、で、ところで八卦掌は?とお思いの方もおられることでしょう。

八卦掌を初めて早三ヶ月。歩く禅とも言われる八卦掌。確かに練習しているとトランス状態のような不思議な感覚になることがあり。中国4千年の歴史を感じます。

八卦掌も上級になると結構早い螺旋の動きでクルクルとスネークのように動き回るのですが、初級では逆に超スローな動作で基本の型をひたすら繰り返します。だがしかし、この「超スロー」というのがすごく良いのです。
都会生活では、何かとせかせかとしたリズムで過ごしてしまいますが、「超スロー」に意図的にペースを落とすことで、今まで感じられなかった世界が広がる感覚があります。これは、なぜか座って行う瞑想では味わえなかった感覚です。
ん〜、やっぱり座って瞑想していても頭の回転を留めたり、スローにすることって結構上級にならないとできないんだと思うんです。それが体をスローに動かすことで、体の動きに意識を向けることができ思考が消えて、気がつくと無心になっている、つまり集中しているんだと思うんですが、そんな感じです。

八卦掌の練習でこのスッと空白になったような感覚を毎度味わっていることで、それが脳回路にインプットされ座って行う瞑想でも同じ状態に早く入れるようになりました。
これこそまさに相乗効果や!

そして、なんと日常生活中にもそんな真っ白な心というか「ス・・・」という感じの空白な状態にいつでもなれるようになってきました。(特訓中)

この「ス」になれると、「氣をどこかへ向ける」という感覚もわかるようになってきました。氣をひざへやってみる、とか、氣をのどにやってみるとか。

この「ス」の効果は他にもいろいろあるんですが、長くなってきましたので、今回はこのへんで。(・・・大して長くもないが)

2011/12/01

みなさんのおかげ


私はつい数年前くらいまで、自分ががんばったおかげで今の状態が得られている、すべては自分のおかげで、他の誰のおかげでもない、という考え方でした。

自分より年齢の若い人の話を聞いているときに、よく同じようなことを言っているのを耳にし、「あ〜、そういや私もそんなこと言ってたな〜」と振り返ります。

今はというと、「誰ががんばったからじゃない。自分のおかげで今の自分がある」という気持ちは消え去り、みなさんのおかげで今の自分がある、という気持ちです。ピュアに。

この心境の変化がいったいなぜ起こったんだっけな〜と思い起こしてみると、おそらく、幼い頃から現在に至るまでの人生でのさまざまな因果関係について気づきが起こったことがきっかけだったように思います。

どんなささやかな出来事や登場人物でさえ、よくできたドラマのように、後々のアレのためだった、これの元となったとか、1つのできごとが無数のできごとに絡んでいたりと、自分の人生はものすごく手の込んだストーリーになっているということがわかると、自ずと自分の部分じゃない他の人物の働きや我が人生への絡みが見えてきて、自分だけで成し遂げたことなど実はないのだなぁと感じたわけです。
とはいえ、自分がせっせとそのストーリーの中を生きてきたから、達成できた部分もあるので、自分の働きも重要です。
すべての登場人物や舞台がどれも等しく重要で、どれが欠けても今の状態はないかもしれないのです。

人生に対して、生命に対してある種の俯瞰した視点を持てたとき、ひとつエゴが落ち、みなさんのおかげ、という気持ちになれるのかもしれません。

それがさらに極まっていくと、「生かされている」という、有名な境地に至るのかなぁと思います。タオですなぁ。