2010/11/30

笑う門には福来る


先日、ものすごーく久しぶりに大学時代の友人たちと食事をしました。

久しぶりに会ったみんなはなんだかえらくなっている、、、というか、地位が結構上がっているというか、、、年月を感じました。

とはいえ、ちょっぴり白髪頭になっていたり、おっさん風のヒゲが生えていたりする以外は学生の頃と全然変わらない。それは馬鹿さ加減が変わらないという意味ではなく、顔の部分だけ見ると昔のままなのだ。

なので、「毛染めさえすれば、大学時代とおんなじだね〜」などと言って、「だろ〜。だからあえて毛染めしてないんだよ。若く見られて舐められちゃうし。でも、おまえも全然変わらないよ〜」と言い返されたりして、盛り上がりました。心の底から「(見た目が)全然変わらないな」と感じたんです。
むしろ、内面的には少し大人になったかもしれない。

・・・だが、その話を母にしたところ、「あ〜。そうよね〜。私たちも、全然変わってないね〜って、みんなに会うといつも言ってるもん。」・・・と。

え?「私たち」ってもうすぐ70歳のあなたたちのことですか?
・・・ぜってぇー変わってるべよ。

「そこは変わってるでしょ!」とツッコむと、「いや、ところが変わってないと思うのよね〜。不思議ね〜。そう思ってるのは自分たちだけってことよ。」と最終的にコチラに対しても攻撃され。

そうか。みんな「変わらないよね〜」って思うんですね。
年をとるほど、細かいことが気にならなくなるから、「(多少白髪なだけで)昔と変わらないよね〜」とか、「(多少中年太りしただけで)全然変わらないよね〜」ということになるのでございましょう。

ひろ〜イひろ〜イ うみに 出るがじゃよ〜。(by福山龍馬)
※全然関係ないけど急にモノマネ。

まー、歳で目はやられちゃってたみたいですけど、笑いの勘はみんな冴えており、久しぶりに笑いすぎて泣きました。号泣です。

会に行くときは偏頭痛で体調が悪かったのですが、笑って笑って泣いたら、帰るころには体がスッキリ。。。

笑いって大事〜、って思いました。
お笑いテレビでの笑いは瞬発的な感じですが、やっぱり生の掛合いでの笑いは持続性があるため、体力も消耗します。軽い運動したあとと同じ感じですね。

こんなにエネルギーが軽ーくなるんだから、笑う門には福も来るわな〜。

2010/11/26

レイキ伝授


一時はリコネクションなどにその地位を奪われたかのように思われたレイキでしたが(そうだったのか!?)、今年は弊サロンはレイキ伝授祭りといっても過言ではない一年でした。

年明けから年末までまんべんなくレイキ伝授しました。
例年とは比べ物にならないくらいの方々に伝授し、今年だけで一体何人のレイキヒーラーを産み落としたんや〜!レイキヒーラーの宝石箱や〜!という感じです。

伝授された方々、ちゃんと活用してくださいましね。

レイキは私がこの道(スピリチュアル道)に入るきっかけとなったもののひとつです。初めてスピリチュアルに触れたのがレイキだった、といえるでしょう。

レイキを伝授された当時は、マスターに教わったことも「ふ〜ん」もしくは、「ケっ(→斜に構えた感じ)」ぐらいにしか思っていませんでしたが、最近みなさまに伝授するたびごとに、「ああ、レイキって本当にスピリチュアルの基本が学べるなぁ」と感じています。

レイキ伝授の際にお伝えする内容は、主に「レイキについてのこと」としてお伝えするのですが、実際はヒーリング含めどんなスピリチュアルなことにも共通していることだと私は思っています。
なので、「レイキ」の伝授とはいえ、レイキ伝授は「スピリチュアル概論」とも言えそうです。

サロンMのレイキ伝授はおおらかで適当なのが持ち味ですが(ウソです)、今年レイキ伝授希望者が増えたのはそんな噂が広まったからというわけではなく、やはり世界のエネルギーの変化をみなさんが敏感に感じ取っているからなのかなぁ・・・と思っています。

なので私にとっても今年は第2のレイキ元年というか、レイキを大いに楽しみ、そのパワーを再確認した年となりました。


・・・終わった風ですけど、今年もまだ受け付けてますから・・・。

2010/11/18

合う人、合わない人


友だち・・・というのともチョット違うのですが、なんか一緒にいて居心地の良い人というのがいます。性別問わず。

そういう人は、おそらく、「波長が合っている」状態なのかなぁと思います。

この「合う人」というのは、自分の変化や相手側の変化で移り変わるもので、先日まですごく居心地が良かったのに、今日はなんだかもう満腹な感じがする、ということも私なんぞは多々あります。

昔から知っている人でも、これまではむしろ合わないと思っていたのに、ふとしたことで再会したら、なんだかいい感じだなぁと思うこともあります。

「古くからの友人」というのは、うまくしないと結構クセものであることがあり、ハッキリ言ってもう合わなくなっているのに、なんだかそれを認められずにいつまでもつきあいを持つことがあります。とはいえ、そこに楽しさがなかったりするんですよね〜。

私の知り合いで、ある時期に「古くからの友人」とのつきあいをバッサリと切った人がいます。
理由としては、「もう思い出したくないのに、いつまでも学生の頃の自分に戻らされる」ということでした。

確かに、学生時代の友人にあうと、なんだか当時の自分という立場や関係性に引き戻される感覚になることがあるように思います。本当だったら、成長した現在の自分たちにあった関係性に成長させれば良いのかなぁとも思いますが、なんかそうならないですよねぇ。。。学生時代のつきあいって。

で、そのバッサリ切った人は、まあその後しばらくは、誰とも付き合いがほとんどない状態でしたが、一人でいる方が無理に古い友人たちといるよりも楽だったので苦にはならなかったようです。そうこうしているうちに、ヒョンなことから新しい友人ができたりして、その友人の方が今の自分に合った感じでとても楽しくつきあえて良いと言っています。

かと思うと、バッサリ切ったうちの一人から急に連絡があって、なんだか復活愛ならぬ、復活友情みたいなものが生じたりもして。

こういう人間関係の移り変わりは、自分のエネルギーの変化によって引き起こされているのだと思いますが、とても興味深いです。これらは自分の「外部環境」にあたるわけですが、そこに登場する人物たちを見ているだけでも、現在の自分のエネルギーがどんななのかわかります。
合う人にのんびりした人間が増えたとか、愚痴が出ない人ばかりだとか・・・。
一方、嫌だなぁと思う人には、セコい人が増えたとか、威張る人が増えたとか・・・。


来ては去り、来ては去りという、、、
人間関係もその他の「物」となんとなく同じですね。

2010/11/12

脳からさらに・・・


脳について書いていて、ふと思ったのですが、脳が社長だとすると、「オーナー」という存在がいることになります。

多くの企業では社長=オーナーという感じですが、実際はイコールでなくてもいいわけです。社長だとわかりにくければ、店長とオーナーとして考えるとしっくりくるかもしれません。

成長した企業だと、社長を左右する存在として、「株主」というものが出て来たりしますが、これはオーナーとは異なり、身体でいうところの、「自分の外側」ということになるでしょう。

株主が出て来た場合、株主・・・特に影響力の強い大株主の意見に企業が左右されてしまうことがありますが、これは自分以外の影響力の強い人だったり物だったり信念だったりに自分を渡してしまうことに似ているかもしれません。
自分で決めないで誰かが代わりに決めちゃってそれに従うって感じですね。

そうすると、段々社長も不満が溜まってきて、その企業を営むことが苦痛になったり、つまらなくなったりすることもあるのではないでしょうか。(そんなこと口が避けても言わないでしょうけど)

そういう状態が、私たちでいうところの、毎日がつまらないとか、自分の人生じゃない気がするとか、そういう感覚なのかもしれません。言うなりはよくありませんが、かといって、はねのけるのも発展的ではない感じがします。やはり、お互いの意見を尊重しつつ、新しいものを創り上げるというのが理想的ですよね。社長がんばれ!

オーナーの話に戻りますが、そうなるとオーナーというのは、魂ということになるでしょうか。オーナーの意志に従って社長に会社を運営していって欲しいと思ってますが、オーナーと社長の関係があんまりよくないと、そうもいかない。
するとオーナーは、強い態度に出て社長の制御がきかないところで、方針変更をしてしまったり、社長以外の従業員をオーナー派にすることで企業に不協和音を起こすかもしれません。
オーナーと社長のコミュニケーションは重要だと言えるでしょう。

一方、このオーナーは資金は豊富なのかもしれないので、もしかしたらこの会社がダメになってもまた次作ればいいや、という節もあると思われ。
あるいは、潰れても潰れなくてもあまり気にしてない可能性もあり、ある程度社長の自由にさせていることもあるかもしれません。

この「オーナー」の意識に近づくというのが、私たちのいう覚醒意識ということなのかなぁと思いました。

脳について その2


クリアサイトで言うところの、「オーラの画像」というのは、結局のところ脳の神経プログラミングの状態のことかな、と思いました。

脳は電気信号みたいのを発してますよね。その電気エネルギーを感じ取る力が人間にはあって、それをビジュアルに変更して表現したものが「画像」と言っているものではないかと思いました。
過去世と言われるものについては、その人が持っている観念傾向を過去に自分が体験したかのようにストーリー化したものを「画像」として見ている場合もあるでしょうし、実際に古い時代の電気エネルギーがその人の中に存在し、現在に影響を及ぼしているということがあるのだと思います。
その人の魂が実際に体験したとかしないとかということはあまり重要ではなく、そういう風に処理させているエネルギーが現在その人の中に存在しているということに着目することが重要かもしれません。

体中で行われている活動は電気エネルギーを発しているので、それが「オーラ」といっているものでしょうから、オーラを見れば、その人の状態や考えていることがわかるというのは事実でしょう。ですから、オーラを見ることは数学の公式のようなもので、やり方を知れば誰でもできるテクニックということになりますね。

では、身体の外側との関係はどうかというと、身体を取り囲んでいる電気エネルギーどおしが出会うと(自分以外の何かや誰かと出会う)、プラスとマイナスなどのように極が違うものだとくっつきやすかったり、同じ極だと反発しあったりというような反応があるのだと思います。

場合によったら、反応しあって新しいエネルギーが生まれたり、元のエネルギーが変化したりすることもあるかもしれません。


また、エネルギーには強い/弱いもあるでしょうから、弱いエネルギーは強いエネルギーに影響され似たようなエネルギーになったり、全部じゃなくても一部の弱くなっている部分にそのエネルギーが何らかの影響を及ぼすなんてことが、「他人のエネルギーが自分のオーラに入ってきている」なんていうことになるのかなぁと思いました。うまく変化できれば、そんなこと気にならないことですからね。

で、この身体の周りの電気エネルギーに起こっている反応は身体の各部門を通して脳にフィードバックされ、脳のエネルギーにも変化が起こり、身体にも影響を及ぼしたり、脳が創りだしている思考や感情にも変化が起こったりするのではないでしょうか。

案外重要なのが、「各部門は脳にフィードバックする」ということで、これがあるから、ボディワークをすることで考え方の偏りが改善されたり、感情に影響をしたりすると思われます。

だがしかし、大きな役割を担っているとはいえ、実は脳も全体の一部でしかなく、最終的には脳の余計な働きを静めることが心の平安をもたらすことにつながるんですよね。

でも脳の余計な働きを静めるには、脳をバランスよく使うことが助けになるわけで・・・。

ということで、脳のケアもおざなりにはできないわけです。

・・・ってこんなこと、当然!って感じでみなさん感じてましたよね。
私もこれまでぼんやりは思ってましたが、最近ようやく整理ができてきたようです。


脳について その1


スピリチュアルなことに触れる前から、私は何気に「脳」のことには興味がありました。

一時などは「脳」主義とも言えるくらい、脳が全てだと思っていました。

スピリチュアルなことに触れ始めると、「脳じゃなかった」と思いましたが、最近また脳が復活してきています。

以前みたいに「脳が全て」とまでは思いませんが、「脳を侮る者は脳に泣く」くらいに思い始めています。

こんな風に思い始めたのは、フェイシャルリフレクソロジーを学んだせいもあるかと思います。また、ブレインジムやらNLPやら、勉強はしていないもののその理論を聞いたりしてみると、やっぱ脳だな、と思ってしまいます。

脳は言わば、企業でいうところの社長のような存在ではないでしょうか。

脳は社長で、身体のその他の部分は社員です。
大企業ともなれば、社長がいちいちしゃしゃり出て、一般社員にまで指示を出したりしないように、脳も大枠の指示を出し、あとの細かいことは各部門の部長などに任せます。

部長にあたるのが、例えば他の臓器だったり、各器官で、器官を作っている細胞やら何やらが一般社員。場合によったら、課長にあたる部分や係長、主任、などもあるかもしれません。

各部門の一般社員の側も、大概のことは社長に一から百まで報告はせず、せいぜい直属の部長に報告するくらいです。
なので、末端の細胞などがいろいろやっていることも、もしかしたら直属の部長どまりで脳まで到達していないものもあるかとも思いました。

とはいえ、任せきりすぎてもだめで、脳(社長)も、部長たちに任せっきりだと、いざという時に全然指示したとおりにならなかったり、知らないところで大事件が勃発してしまったりするので、ある程度全体を掌握している必要があるわけです。

でも、現代人の私たちの脳の使い方は大体偏っているので、思いどおりにならないことがあったり、思う前に勝手にやってしまっていたりするということです。

フェイシャルリフレクソロジーでは、脳のありとあらゆる部分に刺激を与えていくので、偏りが修正され、これまで注目していなかった部門にも目がいったり、負荷をかけすぎていた部門にテコ入れしたりと、社長自体が万遍なく会社全体を見れるようになるため、活き活きとした企業になっていくわけです。

やっぱり社長のかざしたビジョンに向かって社員が一丸となってやるべきことをやっている会社は(ビジョンがへぼくなければ)ふつう成長していきますよね。

あそこの部署は社長のお気に入りだけど、どーせうちはお荷物部門だよ!・・・なんて考えのところがあると、大概企業全体(身体)がなんだかブーブー文句を言っているような雰囲気になることがありますが、そういうお気に入りとかそうでないとかいうものがなくなり、「みんなで一つ、がんばろう!」と脳がバランスの取れた活動をするようになれば、健やかになり、物事もスムーズに進んで行き、望むこと(ビジョン)の実現にもつながっていくのかなぁと思いました。

2010/11/09

脱・しあわせ

現代人が強く感じるストレスは、「孤独」とよくいわれていますよね。

確かに、右を見ても、左を見ても、私を見ても「孤独」という言葉に振り回されて、さみしー、さみしーと言っている人はたーくさんいるように感じます。

「孤独」とはいつ訪れるのでしょうか。

一人になったときでしょうか。
二人でいても心が通じ合わないときでしょうか。

私は、「孤独」を意識したときに「孤独」を感じ始めるのではないかと思いました。

つまり、一人だろうが、二人以上だろうが、なんだろうが、孤独とかそういうことを意識してなくて、例えば何かを夢中でやっているとか、集中しているとか、要するに「孤独」に気づいてない、「孤独」から気がそれているときは、孤独を感じないわけです。

ハタ!と、「もしかして孤独!?」と思っちゃったときから孤独が始まるのではないでしょうか。
そういう風に考えると、孤独は自分の内側にはなく外側にあるものなのかなぁと思いました。

そんな風に考えていくと、

「じゃあ、幸せも『幸せ』って気づいたときにやってくるものかしら?」

と思った訳です。

・・・ま、そうでしょう。じゃあ、「幸せ」ってどんどん気づいていけばいいじゃん!とも思いましたが、

でも、そこでさらにわかりました。

「幸せ」って意識した瞬間に、背後に「幸せ・・・でない」ができあがります。簡単にいうと「不幸」ですかね。

そうです。ここは二元論の世界なのです。

だから、「幸せ」ができあがると、「幸せじゃない」も同時にできあがるのです。

じゃあ「幸せ」ってないの!?

ま、ないでしょう。
私たちが普段「頭で考えている」ようなものは。

幸せとは、それを自覚しない状態であること。
孤独と同じで、何も意識してない、幸せを意識してない状態であることが、「幸せ」なのだなァ・・・と、ちょっと哲学しちゃいました。

タロットでいうところの、「0」の愚者ですね。

なーるほど〜。

2010/11/07

第3次肉まんブーム

おそらく第1次ブームは中学校ぐらいの頃に母がどこぞのデパ地下で高級肉まんを買ってきてくれたときだと思う。

コンビニの肉まんとは違い、小さくてきゅっとした本格中華まん。ジューシーで美味しかったため、割高なのにバクバク食べてヒンシュクだったのを覚えています。

第2次ブーム。
それは、肉まん、あんまん、カレーまん、ピザまんのベーシックまん以外に、ホイコウロウまんやらなんやらと、コンビニオリジナルまんが充実したときのことだった。
普段行かないサンクスで見つけた、なんとかまん(既に忘れている)は、コンビニ中華まんの常識(当時)をくつがえす、なが細い形だった。
コンビニ中華まんといえば、丸が普通だったが、そのなが細い形に度肝を抜かれ、興味本位で食べてみたところ、あまりの美味さにそれからしばらく食べ続けたのを覚えている。
今でこそ、ディズニーシーの餃子まんがなが細いので、なが細かろうがなんだろうが、ああいう生地で包まれていれば「肉まん系」であると思われているが、ほんと衝撃だった。


そして今、第3次ブームが訪れた。

先日、ヨーカドーを流していた時、「肉まんいかがですか〜?今できたての肉まんどうぞ〜。」と、ヤマザキの肉まんの試食をやっていた。
肉まんに魅了されたわけではなく、空腹だったため、「どれ・・・」と肉まんを試食してみたところ、意外とジューシーでうまい。
母に「あの肉まん買って」とお願いし(アラフォーの発言と思えまい。)、肉まんあんまん2個ずつセットを買い、母とそれぞれ1個ずつわけることにした。

あんまん、というのは、若い頃の私には「中華まんが甘いなんて邪道!」と思われ、おばちゃんが肉まんと間違えてあんまんを入れた時以外は食べなかった。しかし、中年を迎えた今、なぜかあんまんも妙に魅力的に映り、まずは、あんまんから食してみた。

袋に書いてあるレンジでの温め方を見ると、「500W 35秒 1000W 20秒」だかと書いてあった。注意書きには、「やりすぎると、生地がパサパサになるので気をつけろ」と書かれている。調子にのってあっためれば良いというわけではないらしい。うちのレンジは800W。・・・大体25秒ぐらいかな・・・。ということで、やってみた。

微妙にあったまった気がしなかったが、こんなもんなのかもしれないと自分に納得させ、食べた。あんこが美味しかった。

続いて母が肉まんを食べるというので、ついでに私の分も温めてもらうことにした。母はこういう微調整に弱いので、1個25秒程度だとつげたが、案の定2個同時に温めたため、温まりが弱く、「じゃ、もう10秒くらい」と言って、温めた。私は内心ドキドキしていた。この10秒で皮が硬くなって、食べれる代物じゃなくなってしまったらと、うっすらとイライラしたりしながら、レンジがチンというのをまった。
取り出してみると、先のあんまんのような微妙なあたたまり具合だったが、これ以上やると皮が硬くなる!という恐れが私を包み込んだため、私は「あ、あったまったあったまった」と、あたかもこれができあがりの理想であるかのように食べ始めた。

ところが、食べるの大好き3種体癖の母は、このできあがりに納得がいかなかったらしく、「皮が硬くなる」という恐れすら感じていないかのように(たぶん感じてない)、肉まんにさっと水をかけてラップで包み、「あと30秒ね」と言って温め始めた。

「そんなにやったら皮が硬くなって食べれたもんじゃない」と思う気持ち半分、「こういうときの3種の感は鋭いから、案外美味しくできあがるのかもしれない」という気持ち半分様子をうかがっていると、なんと、ほっかほかの絵に描いたような「THE・肉まん」ができあがった。

「あつっあつっ」などと、ハフハフ言いながら食べる母を横目で見ながら、絶対に自分はあたために失敗したと思われたくなかったので、悔しさを内に秘めながら、「案外この肉まん、美味しいよね〜」と言ってみせた。

そして、今度こそは絶対ほかほかを食べてやる!という決意を胸にしつつ、しかし、それを悟られないように「良ければまた買ってきて」とさりげなく依頼した。

母は私の気持ちを知ってか知らずか、ほどなくしてまた肉まんあんまんセットを買ってきてくれた。

「肉まんあるよ」と言われても、すぐに温めを実践すると、あたかも「前回失敗したことを気にしている」と思われるといけないので、大して興味のないそぶりで、「あ、そ。」と言ってみたりした。

すると母が、「今回はおまけつきだった」というので、「何?」と聞くと、なんと、「肉まんあっため簡易蒸し器」だった。ヤマザキ!オレの悔しさを察してくれたんやな!

やはり、「あっためが難しい」というご意見がヤマザキに相当数寄せられていたと思われ、信じられないくらいのありがたい特典が実現したのだ!

早速やってみたい気持ちを抑え、興味があまりない風に「あっため器なんてヤマザキも気が利いてるね」と言ってみたが、油断するとついついあっため器の話題にしてしまったりしたので、気づかれたかもしれない。(何を!?)

母が早速あっため器で肉まんを温めてみるということで、何やらセットしたりしていたが、見ると興味あると思われるといけないので、ガラスに映る反射で様子を少し確認したりしながら、できあがりの具合を探った。

母のセットはあいかわらず適当みたいだったが、それでも上手に温まっていた。

早くやりたい!

と思いつつ、その日はお腹がすかなかったので翌日に持ち越すことにした。

夜、キッチンをふと見ると、肉まんあっため器が、無下に置かれていた。
「私も使うのに!」とわき起こる怒りを抑え、興味があると悟られまいと、気づかれないように、さっと洗い、あっため器を次回に備えて、準備しておいた。

早くあっためたい。

2010/11/03

お告げ

あー、骨盤いじってるせいか、顔の右側だけがツッてる感じがする・・・。

・・・とかいうと、恐いですよね。
気にしないでください。

最近、夢見がいいんです。・・・良いというか・・・おもしろくて。

先日なんぞは、とうとう、夢に、某有名な神・・・神の子といった方が正しかろうか。そう、○エスが登場し、私に「今やれることを精一杯やれば良い」と言ってくれました。

こんな風にいうと、「大天使ミカエルが私の夢枕にたちました!」的な感じにとられそうですが、私にはこの夢がその手のお告げ系でないことがなんとなくわかっています。

というのも、寝る前に「聖おにいさんの新刊そろそろ出ないかな」とふと思ってから寝たからです。
そのせいで、○エスが出て来ちまったな〜。

にしても、その夢で○エスに励まされたわけですが(励ましたわけじゃないかもしれないけど)、そのとき私は、「そうね。過去世で布教活動してたときは、なんでこれが大事なことなのか結構ブーブーだったけど、なんか今になって、わかる気がする!やれることをやれば良かったんだよね!」とか思ってるわけです。

・・・まったく、宗教にほぼ無関係だし、聖書の内容とかまっっったく知らない私の夢に○エスが出て来ちゃうなんて、なんかハバかられるね。みんなに平等なのね。彼。

次から次へといろんな神が出て来てお話できたらいいな♪
神についてあまり詳しくないから、神だってわからない場合もあるかもしれないけど。

ちなみに、新刊が出たお告げだったのかと思って本屋に行ってみたけれど、まだでした。残念〜。