2011/08/29

風邪を活用


いやはや・・・

先週末から久しぶりに風邪をひいて寝こみました・・・。
風邪なんてもう何年ぶりか思い出せないくらいですが、のど、鼻、熱で「THE 風邪」という感じです。

このところ体の偏りが気になっていたので、早めに・・・と思い整体に行ったのですが、明らかにそれが引き金となって風邪、つまり全身調整が始まってしまいました。整体受け始めてすぐから喉がおかしくなりはじめたので、きっとそうだと思います。

それにしても、風邪で熱が出るなんて久しぶり、というか私史上めったにないことなので、やりたかったことを試すべくここでも人体実験を。

野口晴哉によれば、風邪は一定以上の偏り/アンバランスが体に生じたときにそれを元に戻すために起こるもの、ということで、風邪をひけるということは良いことで、風邪をひかないから健康というわけではなく、むしろ体が鈍ってる、と捉えます。

私もずっと風邪をひかなかったから鈍いのかな、と思いましたが、以前に整体に行った時に、「風邪ひきましたね」と全く風邪ひいた自覚がないときに言われたことがありました。聞くと、風邪をひいてもひどくならないうちに治ってしまっている無自覚の風邪、要するに全身調整が起こっているようです。
そう考えると、鈍いのではなく、超敏感と思いたいところです。

そんな私でも、今回は何日も続く風邪状態、特にのど/鼻という呼吸器に出ているので、日頃の、のど/鼻の疲れたるや思い知らされるところです。
鼻といえば、タッチフォーヘルスを受けたときに、自分のにおいにまつわる価値観を変えたというか、一歩前進した体験をしたので、それにより、バージョンアップを図るべく、大風邪をひいているのではないかと思ったり。

風邪をひいたときに試してみたかったのが、足湯/脚湯。野口晴哉の風邪の活用法のところに、風邪をひいたら足湯か脚湯をするとスッと風邪が抜けるとあったのでいつかは試してみたいと思っていました。

思えば、野口晴哉の本でこの足湯/脚湯を知ってから、宵越しの風邪をひかないでここまできてしまったので、試す機会がなかったのです!

いったいどうなるだろうと、ワクワクしながら足湯を試してみました。
私の場合は、呼吸器系の風邪なので足湯の方です。
足湯は、入浴温度よりも2.5〜3度くらい高い温度のお湯にくるぶしまでつけ、6分ほど待つ。そして足を出してみて、どちらか赤くなっていない方の足だけ追加で2分ほどお湯につける、という方法です。

足湯すると鈍ってる方の足が赤くならないのですが、私の予想は右でした。というのも、整体に行ったときに「右が鈍くなっている」と言われ、確かにそのときは右半身の感覚がぼやっとしていたからです。
ですが、そんな予想を裏切り、足湯で発覚した鈍っている方は左でした。きっと、アノ時整体でドタバタと調整され、右側がスッキリ整ったが、左が追いつかず、風邪ひいた・・・仮説ですが、そんなことなのではないかと思いました。通常は左のが鈍っているのが私なので、整体で整えてもらったことで、右と左の差が激しくなり、風邪で最終調整しているのかと思います。
これで風邪を経過すれば、体はすっきりバージョンアップし、リフレッシュされることでしょう。

で、足湯を終え、すぐ就寝。寝ている間に汗をばーっとかくと本に書いていましたが、それはありませんでした。でも、足湯をしただけで、なんだかスッキリしてよく眠れました。翌朝起きると、熱は下がっていました。まだ本調子ではないものの、もうまもなくするとスッキリしてくるかと期待。

足湯や脚湯については「整体入門 」に簡単に書かれているので参考にしてみてください。

ズバリ「風邪の効用」という本もありますが、まだ読んだことないので足湯について書いてあるかわかりません。今度読んでみます〜。

2011/08/23

感情的に関わりをもたない、ということ


タッチフォーヘルスでは、ごく簡単な方法で感情の解放をするやり方や、トラウマのケア方法を学びます。

どうやらレベル1では今嫌だと思うことへの対応、レベル2では未来、レベル3では過去、という感じで学べるようです。

レベル1を学んだときに、「それでは試しに何かの感情を解放してみましょう!」ということで、一緒に習っていた方と、適当に嫌なことをみつくろって試してみました。

私はといえば、このところしばらく頭を悩ませていた人間関係の問題について試してみました。
この問題については、瞑想でも解消を取り組んでいたし、自己ヒーリングもしたし、なんやかんやと一応はやりましたが、なんというかいまいち癒しが訪れず、困っていました。とある人物ともう関わりを持ちたくない、なるべく距離をおきたい、という悩みでしたが、これがなっかなかうまくいかなかったんですね。やればやるほど近づいてくるみたいな(笑)

で、早速その問題でタッチフォーヘルスの感情の解放を試してみたところ、ほんの2〜3分で自分の中の何かがガラっと変わるのがわかりました。
頭の中で「もうこの件に関わるのを止めればいいんだ」という閃きがあり、すんなりその閃きに自分のエネルギー全体が従うことができたんです。

その閃きが訪れ、関わるのを止めると決めると、毎日毎日頭をよぎっていたその人のことがスッキリと頭から離れ、考えなくなっていることに気づきました。そして何より興味深かったのは、実際にはその人との関わりはなくなっておらず、感情の解放をする前と後でも会ったり話したりする機会の量は変化していないにもかかわらず、「気にならなく」なっていたんです。

以前は、話しかけられたりするたびに、いちいち相手にイライラしたり、つれない態度をとってしまったりという感じだったのですが、感情の解放の後では、普通に会話したり、むしろこちらから話しかけたりと、ふつーの人間関係を築くことができました。

いったい何が起こったのでしょうか。

詳しいメカニズムはわかりませんが、私が感じたのは、「止めたい」とか「関わりたくない」と思っていても、実際にそれらとの関係を続けているのは自分の方であった可能性が高い、ということです。
もちろん、私自身の意識下においては、避けても避けても近づいてくるのは相手の方であったりするのですが、無意識下においては、そんなふうに相手との架け橋を取り除かないでいたのは結局自分の方だったのではないかということです。一旦その架け橋をとってしまえば、エネルギー的にこちらの岸と向こう岸になるわけで、物理次元的には肩を寄せあう距離であったとしても、決して交わることのないものになれたようです。

うまく言えませんが、なんかそんな感じです。

関係を持つ、絶つ、ということには物理的/肉体的なことというよりも、感情的なことの要素の方が大きいのかなぁなどと思いました。往々にして、感情的な関わりを絶つために、物理的な距離をとって対応するみたいなところがありますが、物理的な距離を取れない場合でも、感情的な距離ができるだけで、十分解消されるようです。そういう意味では、感情的な距離がいつまでも作れないと物理的な距離をいくら作ってもダメ、ということも言えるのかもしれません。

不思議ですね。
簡単ですが非常に効果を感じられる実験でした。

2011/08/19

人に歴史あり


これまでのいろいろな自分超越体験を踏まえて考えると、やはり今の自分というのは「過去の積み重ねの産物」であると言えるのではないでしょうか。

毎度不快に感じたり、逃れたいと思うことに遭遇すると気づく自分の中にあるパターン。さらに、そのパターンを生み出している原因を探っていくと、小さい頃からの経験から創りだされた、ある種のオリジナル信念体系が見えてきます。

結局小さい頃って、体験したことなんてまだまだ少なく、どんなに大人ぶったって、ほんの数年の人間経験なわけですから、その少ない経験から編み出された、自分を守り発展させる術は、さまざまな経験を重ねて来た者(こちらも同じ自分なのですが)には、あまりにもへぼい術となっていたりします。

だけど、それを創りだした頃からその術を使いまくって習慣化して自分と一体化しているため、へぼいをへぼいと思わず使用していることが多々あるようです。

そうした使い古した信念体系を「こんなもん、使いものにならんのじゃ!」とバッサリ切り捨てることもできますが、最近そういう過去の自分の片鱗を見つけると、なんだか愛おしく、「アノ頃はこれが精一杯だったんだなぁ。がんばってたなぁ。」などと思ってしまいます。

そんなことを感じながら、ふとまわりを見渡すと、不器用にも自分なりのやり方で人生をサバイヴしてきたみんながいるわけで、そうなると、どんなに腹立たしいことをされても、小さい頃から今まで生きてきて必死で身につけた術なのだなぁ・・・とか思って、心の深い部分では相手を愛おしく思います。
・・・深い部分じゃないところでは、当然ムカつきますけど・・・(´△`)

どんなに不器用で、他人から見たら生きにくそうに見えても、本人がそう感じていなければ、ヒーリングした方が良いとは私は思いません。
自分が心地よく感じるオリジナルメソッドで今のいままで生き抜いてきているわけですから。

本人が、なんだか生きにくい、つらい、なんかもっといい感じになれそうなのに、と思ったとしたら、本人の中の深い部分で、別の自分の存在に気づいたということであり、そっちの自分の方に変わっていこうかなぁと思い始めたということなのかな、と思うので、そんな方にはヒーリングをオススメします。
もしかしたら、賢明にがんばっていた小さな頃の自分を誉めてあげて、認めてあげて、ありがとうと言って、過去を過去に戻してあげる時期がきたのかもしれません。

今の自分は、過去の自分の体験によって創りだされているもの。
悪いも、まずいも、キモイもなく、価値ある貴重な存在です。
そして、自分の力でサバイヴするパワーと智慧を持っている。
不器用でもブスでもいい。過去の自分を受け容れるということは、今のそのままの自分を受け容れるということにつながりそうですね。

2011/08/11

タッチフォーヘルス



8月はサロンはお休みで、私はさぞのんびり過ごしていることだろう、とお考えかもしれませんが、そういうわけではありません。

先日、タッチフォーヘルスというキネシオロジーを学んできました。

タッチフォーヘルスは、簡単な筋反射テストを行うことで、体のバランスの乱れを発見し、かつ簡単にその乱れを整えることができるという、セルフケア法みたいなものです。

クリアサイトの通訳のKちゃんが「一緒にやろうよ〜」と熱く誘ってきたので、全然やる気がなかったのに「なんか習ってもいいかも」と心が揺り動かされ、習うことにしたところ、Kちゃんは結局来ず・・・。なんでや(゜д゜)

ま、いいとして、タッチフォーヘルスは東洋医学と西洋医学が融合したような内容なので、フェイシャルリフレクソロジーや骨盤調整で学んだことがこのタッチフォーヘルスを学ぶことで、また一段と深まりました。

実習で、肩こり/首こりなどを調整してもらったのですが、「こ、これだけで!?」という超簡単な手法で、気づくと、「あれ?肩こり軽減してる・・・」という感じで目ん玉転げ落ちそうでした。

てっきり、パソコンの使い過ぎとかそんな感じのある種の肉体疲労として肩こりになっていると思っていたのだけど、使い方の偏りにより、経絡、神経、血流、リンパなどの流れが乱れて、それにより痛みを感じていたようです。
なので、それらの流れを取り戻すと、揉んだりしてないのに痛みまで軽減してしまったので、人間の体って・・・って感じです。不思議です。
痛みっていったいなんなのでしょうか。偏りのお知らせ機能なのでしょうか。

そしてなんといってもビックリしたのが、そうやってバランスをちょちょっと整えただけで、翌朝お肌がプリップリになっちゃってたことです。

フェイシャルリフレクソロジーでも、骨盤調整でもプリプリになりますから、やっぱり全身の流れという流れのバランスをとることが、体の内側からキレイになる秘訣のようです。

骨盤調整といえば、姿勢の調整ですが、タッチフォーヘルスでも姿勢の調整もできるんです。でも、骨がどうとか、筋肉の使い方がどうとか、そういう難しいことなしに、相も変わらず、経絡やリンパ、血流、神経の流れをちょちょっと整えるだけで、右肩下がりな私の姿勢もあっという間に両肩まっつぐな私になっちゃったんですよ〜。
姿勢って、筋肉って、骨って・・・。って思っちゃいますよね〜。

その上で、骨盤調整体操もやってみたら、いつもよりもシュッと背筋がして、効果倍増って感じでした。やっぱり流れがよくなってるところで、今だ!って感じでグイグイやることで、いつもより終わった後、爽快感がありました。

いや〜、不思議だね〜。楽しいね〜。深いね〜。

2011/08/05

自由

自由って何だろう?どういうことだろう?

最近そんなことを考えています。

というのも、先日以前にコーチング講座でお世話になったコーチに再会する機会があり、お話していく中で「タンジーさんが心から渇望していることは何?」と尋ねられ、パッと出たのが「自由」だったんです。

水瓶座族といえば、ただでさえ、自由な感じに見られる星座なのに、私なんて輪かけてもっと好き勝手やってそうな印象らしいんですが、私の心の声は自由を渇望してるようなんですね。

・・・でも。

たとえば、「結婚したい〜♪」とか「そろそろホント彼氏ほし〜♪」なんていう気持ちは、私の思い描く自由像とは感覚的に遠い感じのことなんですね。だから、どっちかの望みが「偽造」という可能性があるわけです。

はて?じゃあ、求めてるものってホントに自由なんだろうか?
(そっちに偽造の疑いかけたんだ・・・って感じッすよね・・・)

私の描く自由像ってどんな何だろう?
とモクモクと哲学していると、アカに言われた言葉が頭にひょっこり。

「この世界(物理次元)では、私たちは一つ一つの肉体に分かれているから、別の次元でみんなが一つのときとは少しはなしが違うのよ。」

ふ〜む。

などと振り返りつつ、瞑想していると、過去世?と思われる画像がひょっこり。

どうやら、暗闇の洞窟に解脱のための修行に行くところのよう。要するに、もうその真っ暗な穴蔵に入ってミイラみたいになるまでやるってヤツのようです。暗闇の中にいると、肉体があるのかないのかも段々わからなくなって、意識だけが空間にあるような感じになり、やがてその自分と思われる意識も喪失し、空気と融合してただ存在する・・・。

そんな画像でしたが、肉体から離れることって自由っぽいイメージですけど、エネルギーの次元でみんな一緒になってしまうことはもはやそれは私の望む自由像とは少し違うんですよね。その世界って自分がないわけですから、自由なんてものが、なんていうか、ナイんですよ。

ということは、やっぱり、この「不自由」で「窮屈」とか言われちゃうことがある、「肉体」という枠の中に居てこその自由の追求ということになるのかなぁと思いました。

基準、枠・・・そういったものがあってこそ感じられるものが「自由」。
ホントの自由は自由を超えたところにあるわけで、一般的な「自由」を味わうならこの世界でしかできない、、、ってことなのかなぁと哲学。

さらにいうと、物理的な次元では自由って結構難しいことなのかも。
心の中、エネルギーとしての感覚を呼び起こすことで、すべてのものと関係ない広がり、超越した感じを味わう、そんな状態を保ちつつ、物理次元での生活をする、それが自由を感じながら地球上の生命体「人間」をエンジョイするということなのだろうか、

などと、ややこしいことを考える今日この頃であります。
きっとこれも、海王星が戻ってきたせいであります。

2011/08/03

フランスで人気の南部鉄器

20代くらいまでは、ロンドンとかニューヨークとかそういう都市にいる人風にしようとしていましたが(おしゃれとか雰囲気とかのことです)、30代になり、ナチュラル系みたいな、ジャパニーズ女子っぽいゆるカジになりました。

そして今、時代はフランス女。女も30代中頃からはフランス女だな!ということで、フランス風がマイブームです。
さらにいうと、もっと歳とったら、イタリア女風になると思います。ソフィア・ローレンみたいな。ちなみに今は、エマニュエル・べアール?カトリーヌ・ドヌーヴ?ジェーン・バーキン?って感じです。今のところ、私のこの雰囲気感じ取れる人、皆無ですけど。

フランス風、、、フランス・・・ということに敏感になっていたので、パリスタイルフラワーアレンジメントも習っていたわけですが、その流れで、フランスで人気の南部鉄器ポットを購入してしまいました!

別に必要なかったんですが、これを持っていたらオシャレだし、フランスっぽいという理由だけで。
今は暑いのであまり出番がないですが、ちょっとゆったり過ごすときにこのポットで紅茶や中国茶、日本茶など、なんでも入れて飲んでいます。
まろやかな味になるような気がします。

寒くなったらこのポットでサロンのお茶出しをしようかな〜と思っていますが、なんせ重いので、かつ、超熱くなるの
で注意が必要です。
お盆で持っていくのは不可能かもしれません。対策を今から練っておく必要があるかもしれません。

こんなの1個あれば十分ですが、かわいくて何個も欲しくなっちゃいますよね〜。