2011/06/26

ジグソーパズル


まもなく2つほど新コースをアップしようというところまで来ています。
もうページもできあがっているんですが、なんか今日アップする感じしないな〜ってことで、良い気がくるまで待機です。


さて・・・

スピリチュアルなことを学び始めると、自分自身がとても大切で貴重な存在であると気づき始めると思います。

そうなってくると同じように自分以外の人も大切で貴重な存在であると理解し始めます。

このことをわかりやすい例で表現すると、
ジグソーパズルのような感じかなと思いました。

ジグソーパズルはひとつひとつのピースでは何がなんだかよくわからなくても、組み合わさって創り上げられる全体像ではパーツからは想像もしなかったような世界が出て来ます。

そんなような感じで、私たちはそれぞれが言わば世界というジグソーパズルの1つのピースであると言えるかもしれません。
ジグソーパズルのピースは1個でも欠けるとできあがりに穴が空いてしまうので、どれもが唯一無二の大事なものです。

そして、同じような形だからあっちのものをこっちにくっつける、なんてこともできません。似たような形であってもつなぎあえるものは決まっていて、決してどれかがどれかの代わりをすることはできないのです。

このように想像すると、自分自身や自分の今置かれている状況など全てが大切なパズルのピースであり、世界に二つとない大事な役割を果たしている・・・なんて思って、いかなることがあっても受け容れることができるようになりませんかね。

どうですかね。

2011/06/22

最近の夢


最近なんかふと、

「ぬいぐるみ作家」になろうかな。

と思いました。

急に思った割には、自分のエネルギーがムクムクとなんか活発な感じになってきて、こりゃだてじゃないかも。。。

と気持ちが抑えきれなくなったので、思わず母に、「私、ぬいぐるみ作家になろうかな〜」なんて気軽ふうに言ってみたところ、急な告白に母はぎょっとし、しばらく無言になりました。

そして、口を開くと、

「あなたが作るぬいぐるみって、あの刺繍みたいなやつばっかりなんでしょ。ママ恐い・・・」

と言いました。

「あの刺繍」っていうのは以前私が無性に刺繍がしたくなったときに初めてサンプル本にあったカワイイ「小鳥」という図柄を見ながら作った「怪鳥」のことです。(下写真)


今見るとそんなに恐くないじゃん!
でも、これを作ったときは、このなんともいえない3次元を無視した作りと、何かがおかしいけどよくわからないという不気味さ、そうして総合して「恐い」と言われ、この鳥と刺繍キットごと母に隠され、アレ以後2度と刺繍できてません。
絶対隠してる!刺繍キット!刺繍キットの話すると、そらぞらしいもん!

母は無下に「ぬいぐるみ作家になる」という私の気持ちを否定してはいけないと思い、なんとか思いとどまらせるような言い方はないかと考えたあげくの発言だったのだとは理解できますが、にしても、あの鳥のこと、まだ覚えてたんだ。そんなに恐かったんだ!トラウマ化してるんだね!

でも、ぬいぐるみ作家になる夢(突発的な夢)をあきらめきれなかったので、クォンタムヒーリングの実習に参加したときに試しに「なりたいんですけど、どうでしょうか?」と聞いてみました。

そうしたところ、「・・・単にカワイイというものじゃないですね。なんていうんでしょう。リアルすぎて恐い感じの、でもそこがカワイイみたいな、そんなぬいぐるみを作りたいみたいです。」とヒーラー・・・。

「恐い」って・・・。
ま、一般的に言ったらそうかもしれませんが、リアルではない。
確かに、リラックマみたいなものじゃなくて、サロンにあるへんてこなぬいぐるみみたいな方が好みです。目がどこ見てるかわからないようなやつ。

恐かわいい。そんなジャンルを目指せばいいってことかしら。

でも母みたいに、恐怖心の方が強くなっちゃう可能性もあるので気をつけないと・・・。ヒーラーなのに、トラウマを作るぬいぐるみ作ってたら・・・。

2011/06/20

夢見るトラウマケア


どうでもいいかもしれませんが、今日でホジュンが終わりました。
最後は針を手にしたまま死す・・・ホジュンらしい死といったところでしょうか。
にしても、ホジュン。ホジュン本人のセリフがあまりありません。
救命病棟24時の江口洋介なみに基本はダンマリ。
かつ、たまにしゃべったかと思うと、基本声が小さ過ぎて(ウィスパー)聞こえない。だけど、病人とか医書とかのことになると急に大声出して、こっちがビックリするよ!

だけど、同じダンマリでも江口洋介との大きな違いは、ホジュンは表情でトークすること。セリフがない分、平坦な感じにならないように俳優(朱蒙ではプヨの王様ね)ががんばったんかなと思います。そんな顔しなくても・・・と思うくらい、いろいろな顔を作って、ホジュンの気持ちを表現しています。
これはもはや、顔芸の域です。

ま、ホジュンの話はこれくらいにして。

ニューロフットコースのご予約をいただいて、そういや最近自分にニューロフットやってあげてなかったぁと思い、早速セルフでやってみました。
やっぱり久々にやると、ちょっとひどい・・・。状態が・・・。
自分の足なんで遠慮なしでグイグイやって、ついでにトラウマケアの調整もやったりしてスッキリして眠りにつきました・・・。

すると、また大きな地震が来て早く梁の下に行かなきゃ〜とドタバタしている夢を見ました。

もしかしてこれってトラウマケアやったせいで夢みちゃったのでしょうか。
ニューロフットのトラウマケアでは、感情的、または、思考的に大なり小なりトラウマとして残っているものがないか見て一番影響を与えていると思われるものに働きかけます。
私の場合は、トラウマの年代からして今回の震災とは関係ない時期のものをケアしたのですが、芋づる式に・・・ということかもしれません。
トラウマはどんなものハッキリ思い出せなくても、ニューロフットのトラウマケアをすることで、寝ている間に夢を見て解消してしまうとロネが言っていたけど、もしかしてこういうことなのかな、って思いました。
もちろん、覚えていない夢で見ちゃう場合がほとんどかもしれませんが。

今回の地震も結構大きな衝撃だったので、いわゆる”トラウマ”として心に残ってしまう人も多いかもしれませんが、私はもしかしたら多少解消されのかなぁ・・・。今のところ自覚なし、ですけど(^^;

すこーしケアしてあげると、いろいろな反応が出てきて、体っておもしろいですね。
そして、今日はその恩恵として脊椎のバランスが整ったらしく、足がすとーんとまっすぐに立ててる感じです。



無類の食器好き

昨日SalonM初めてのレイキティーチャーが誕生しました!
ワー!パチパチパチ!
おめでとうございます!
これからバンバン伝授してレイキを深めていってくださいね〜。

レイキの伝授を受けにいらしてくださる方は何人もいるものの、ティーチャーになろうと思う方は少ないみたいです。
私はなんでもやる前から免許皆伝されるのかどうかを確認して受講するようなところがありましたが(若い頃の話しよ・・・)、みんなはそうでもない、ということが自分で伝授し始めてから発見したことです。

思い起こせば、私も私が伝授してもらった先生のところの初めてのレイキティーチャーだったので、ヒーリングができれば十分という方が多いんですね〜。

ところで、私は無類の食器好き。
インテリアショップなど皿が置いているところに行って、いろいろな食器を見るのが好きです。
和洋どちらも見ますが、どちらかというと西欧かぶれなので洋食器を見ることが多いかな。

見るのが好き・・・

なんて控えめに書きましたが、実際は見るだけでは自分の欲望が抑えられないことのが多く、買いまくります。

海外旅行に行っても、珍しい国では大体食器を買って帰って来ます。
メキシコに行ったときも、大皿、大きなサラダ用皿、小さなサラダ用皿などを買い、持って帰ってくるのも一苦労でした。手荷物です。手荷物。

アイルランドに行ったときも、キッシュ用皿(キッシュとか我が家では作りませんけど)、西洋風どんぶり2個を買い、持って帰って来るのが大変でした。手荷物でした。

そういやトルコに行ったときは、小さな小鉢を3つほど。
でもそのかわり後からトルコへ行った母が大皿を買って帰って来たので、「血」だな、と思いました。

・・・そういやニューヨーク・・・フランスだったかな?エスプレッソ用みたいなカップ&ソーサー買ったな。エスプレッソとか飲まないけど。それを買った同じ店をアイルランドのゴールウェイだったかで見かけたので入りたかったんだけど、閉まってて入れなかった。Aなんとかって店だったかな・・・忘れた。つぶれちゃったのかしら。

こんなに食器に目がないなんて、前世は食器商人だったな、と考えたこともあります。

中学ぐらいの頃かなにかに買ったコーヒー用のカップ&ソーサーがあるのですが、アートっぽいデザインで、ソーサーが手のひらになっているものでした。ちょうどカップを下から持っているような感じの形になっているんです。そういうへんてこなものも大好きなのでゲットしたのですが、実際にお茶を1回くらい入れて飲んでみたもの、それ以後ブームは去り、食器棚の置くの方に眠っていたのでした。

そんなカップ&ソーサーのことなんて忘却していたある日のこと、洗面所に見たことのある陶器の手が・・・。そう、これはあの手型ソーサー。
しかしそのソーサーが持っていたものはカップではなく、洗面所を洗うためのスポンジでした・・・。スポンジを持たされている手。




当然母の仕業ですが、「結構いいでしょ。何かないかとあさってたらちょうど良かったから。」とご満悦の様子。

なんかフクザツな気持ちでしたが、でもあのまま食器棚の奥で人目に触れることなく終わるよりも、スポンジを置くために使われる方がいいじゃないか!
とポジティブに考え、今ではすっかりおなじみの様子になっています。








スポンジなしだとこんな感じの手。薄暗さがまた物悲しい。
















そんな悲しくもおかしなエピソードにも懲りず、また食器を買ってしまいました。お茶を飲むのにちょうどよさそうなガラスのカップ&ソーサーです。ムフフのフ。うれしい。

2011/06/14

セラピストのエネルギー

私はマッサージやアロマトリートメントのようなものを受けるのが好きなので、良さそうなところには突撃で行ってみたりします。

当たりあり、はずれあり。

当たっても人気でなかなか予約がとれなかったり。

こういうボディワークを受けたあと、たまに、セラピストのエネルギーが私の体中を取り巻いていたり、しつこく勧誘していたりすることがあります。

そういうときどんな風かというと、なんかいつまでもそのセラピストのことを思い出したり、気持ちが引っ張られているような気がしたりします。
もしそんな状態になっていることに気づいたら、シャワーを浴びるなどして自分のエネルギーからスッキリさっぱり浄化した方がいいですね。
稀にしつこいエネルギーの人もいますが・・・。
自分もそんな風にお客様にエネルギーをくっつけないようにしないといけませんね。

また、先日受けたアロマトリートメントで気づいたのですが、必ずしもセラピストが感じたことが自分の体やエネルギーの状態ではない、ことがある、ということです。

どういうことかというと、トリートメントが終わったあとに大体、体がどういう状態だったかとか、スピリチュアルっぽいところだとエネルギーがどんな感じだったかなどのフィードバックしてくれる時間がありますよね。
そのときに先日は、「体から怒りのエネルギーを感じた」と言われたのですが、私にはまっっったく心当たりがありませんでした。
でも、私も素直なので、「怒り・・・。あるといえばあるし、ないといえばない。」などと、自分のエネルギーのなかにある「怒り」を探し始めちゃったわけですね。
そりゃあ人間ですから、探せばどっかに怒りの片鱗はあるわけです。

現在は思い当たらない怒りエネルギーを深い部分から見つけて持ち上げてきてしまうと、停滞しちゃうことがあります。もしくは、親切すぎる場合、その状態に(この場合怒ってる状態)に自分をあえてする場合があり、これも停滞しちゃうことがあります。気をつけてくださいね。(私の実体験 ^^;)

自分にとって、現在メインの課題となっていることを指摘された場合は、多くの場合「確かに」と自分でも思いあたる部分が探さなくてもすぐに出て来ます。
たまにそのときはよくわからなくて、半年後ぐらいにジワジワ実感してくることもありますが、そんなときは、私の経験ではどちらかというと「思い当たらない」という感覚よりも、「言ってる意味がよくわからない」という状態になります。
そのときは言ってる意味がよく理解できなかったけど、しばらく経つと「あのときすごく大切なこと言われてた」とか急にわかってきたりするわけです。

このあたりの見極めは難しいんですけどね。私もまだ難しいです。

ただ、セラピストから言われたことってわりと素直に受け入れがちじゃないですか。でもそれがかえって自分を停滞させてしまうアドバイスである可能性もあるし、私(トリートメントを受けてる人)のエネルギーが蜃気楼のように鏡となって、セラピスト自身がセラピスト自身のエネルギーを見て/感じて、それを私のエネルギーだと勘違いしてアドバイスしている場合もある、・・・ということを知っておくことも大切だと思います。

自分を守るちょっとしたTipsですね。

セラピーやトリートメントを受けるときにも、まずはセラピストがどんな人なのか、観察して、そしてそれを踏まえてアドバイスを受け止める、ぐらいのことをしてもいいかもしれませんね。いちいち面倒ですけど・・・。
セラピストも人間ですから。

2011/06/12

言葉の力

私が最近癒されたいときに見る画像です。⇒猫のどんぐりの写真
この写真、つっこみどころ満載です。

私は以前猫を飼っていたのですが、猫のようにしなやかで悠々自適に生きたいものだね、といつも思っていました。今もその気持ちは変わりません。
猫といえば、犬と比較されますが、猫のようになりたい!とは思いますが、犬にはなりたくありません。犬もカワイイところはありますが、自由な感じがしないところがいまいち私が惹かれない理由かもしれません。繋がれてたりするし。飼い主と一緒じゃないと散歩に出れないし。
それに、このどんぐりのような体勢で寝ている犬を見たことない。この無防備な、「あ〜あ」と言いたくなるような感じ。
猫万歳!

ところで、みなさんは自分が元気になったり、誰かを元気にさせる言葉を使っていますか?
最近自分が体験したいろいろなシーンで、「こんな風に言わなくてもいいのにな・・・」という言われ方を何回かされました。いずれも、先生というか、少し立場が上の方が生徒のような人たちに言っている言葉だったのですが、相手の不足点や欠点など、要するにネガティブポイントを指摘する言葉でした。

透視リーディングなどでも、リーダーはわりとネガティブポイントを指摘しますが、私はそれってあまりよくないな、って最近感じています。
先日まで学んでいたスキルで、言葉の持つ力を再発見したのもあり、どのような言葉で考え、どのような言葉を語り、どのような言葉を聞くかってすごく自分に影響を与えていることを知ったからです。

言葉は有効に使いたいですよね。
自分の考えること、話すこと、聞くことで自分のパワーがモリモリ沸いてくるような、そんな風に活用するのが得策だと感じています。

欠けているの部分を消して完全な○に近づこうとするよりも、とんがったりへっこんだりしているけど、楽しい!ワクワクする!アハハ!っていうのが、私は好きです。そっちが最近のマイブームです。ちょっと前までは前者でしたけどね(^^

言葉の影響、自分にパワーを与える使い方についても、新プログラムで共有できたら、と考えています。

2011/06/07

Feelの練習

ホジュンが出世して御医(王様の主治医)になりました。
・・・そんなこと、どうでもいいですよね。すみません。

そんなことより、シンクロにシンプルに従うようにしていると、何気に予定がどんどん埋まってしまって・・・。とりあえず7月までお遊びの予定はいっぱいです。それ以後も断続的に9月いっぱいまではチョロチョロ予定が入っていて、もしかしたら11月にはまたイベントが発生するかもしれない感じがふんわり漂っています。

エリ佳さんも言ってたけど、シンクロはそのとき理由がわからなくて、頭で考えると「こんなことするなんて意味ない」と思うことでも、あとからつじつまがおもしろいようにあってくるというところがあります。

シンクロがあった時に考えすぎずにシンプルに従えるかどうかは、自分の頭の使い方によるところもあると私は最近感じています。
アカのいうように、ブルースリーが言ったように、Don't think,Feelであるためには、感じなきゃ感じなきゃと「考えて」いてもダメなんですな(笑)

私は、感じなきゃ感じなきゃと考えて、「つまり、感じるってこういうことだよね」と理論付けしてしまう論理的思考をよく使ってしまうタイプでしたが、先日まで学んでいたスキルでこの偏りをセンターに戻すことができるようになりました。
そうなると、感じなきゃと考えることはなくなり、何も考えられなくなる現象が起こったりしました。空白・・・みたいな瞬間ですね。
久々に感じるという感覚を取り戻したときの感動といったらないですね。
体中の細胞が全部自分になった感じです。(もともと全部自分なんですけどね)ちっちゃい自分がいっぱいいてきゃーきゃー遊んでいるみたいな。

私にはわかりませんが、逆に論理的思考を使っていなかった人がそこが使えるようになると、どんな感動があるのでしょうね。
なんだかぼんやりしてはっきりしなかった「感覚」的なものが、「それってつまりコレ!」とわかるようになるのかなぁ。

何にせよ、忘れていた感覚を取り戻すというのはテンションがあがることです。みなさんにも体験してもらえるように、新プログラムでは工夫したいと頭をひねっているところです。

2011/06/06

白飯のような存在、ホジュン。

は〜。すがすがしい毎日ですね〜。梅雨とはいえ。

晴れた日もまだ初夏らしいすがすがしさあり、雨の日は雨の日で木々の葉が白谷雲水峡のようにしっとり美しい。

が、今年の夏は節電対策必須ということで、扇風機買ってみました。
本当は計画停電に備え、充電式の扇風機にしようかな〜と思いましたが、機能がへぼかったので、普通の扇風機にしました。普通のっていっても最近の扇風機の機能といったらすごくて、第一リモコンがついててビックリしました。
今のところまだ出番はありませんが、これで熱帯夜でも安心です。

ところで、今「ホジュン」という韓国歴史ドラマを見ています。
私ってホント、韓ドラは歴史ものしかみないのよね〜。
「ホジュン」は、ハッキリ言ってそんなにおもろーではないですが、なんていうかこう・・・白飯のような存在。。。なくてもいいかな、なんて思うけど、いざないとなるとやっぱりちょっとさみしい。結果毎日食べちゃう、みたいな。

ホジュンのおもろーなところはただひとつ。知ってる俳優がたーくさん出ているところ。ウォーリーを探せ的に(古い・・・)楽しめる、ストーリーはもはやどーでもよい。

大体、ホジュン役の人も朱蒙でプヨの王様だった人だし、御医さまはチャングムでもイサンでもおなじみの悪役の人だし(ホジュンでは悪とも良ともわからぬ、ぬるい存在)、ホジュンの仲間はチャングムではチェ一族だったおじさん。今始まったばっかりのトンイでも活躍中。朱蒙のヒョッポも出てる。もう死んじゃったけど、チャングムの王様役だったイムホも出てたし、王様といえばホジュンでの王様はチャングムの父。この方はファン・ジニでも王様だった。
そしてなんと今日、「この人もしや・・・」と思った人はやはり、朱蒙でテソ役だった方でした。朱蒙では父と息子の役だったホジュンと光海君・・・。ここでも競演してたんだね〜。

などと、私の見ている韓国歴史ドラマはほぼ同じ俳優たちが毎回似たような役で別の時代を演じているので、段々どこの誰なのかがわからなくなりつつあり。(といってもこれだけ記憶している)

我が家では、韓国歴史ドラマを通じて朝鮮半島の歴史を知りつつあります。
母なんぞは私よりももっと韓国歴史ドラマをくまなく見ているため、とうとう朝鮮の歴史年表と対応するドラマが一覧できるサイトを見つけて、参照してるとか。

大体吹き替えで見てますので、日常的にも韓国歴史ドラマのセリフを取り入れて楽しんでいます。

母に対して「下がるがよい」と言ってもゲラゲラ笑っていられるのも、韓国ドラマがあってこそ。ふつーに言ってたら恐すぎるよね〜。アハ。
何か止めて欲しいときには「どうかお考えなおしください、王様〜」と言います。
ミスをしたときは「どうか不忠な私を罰してください」もしくは「私を殺してください。王様」が決め台詞です。

ホジュン、もうすぐ終わってしまいます。
どうなったらホジュンにとってめでたしなのかが全く読めないドラマ・・・。
でも宮廷医官への道という副題なわけですから、宮廷医官になったら終わりなのかな・・・ってもうなってるし!とっくの昔に!
いったいどうなったら終わりなんだ、ホジュン。
最終回は見逃せないな。

2011/06/05

NEWプログラム、できそう!

震災でしばらく東京を離れていたお客様が、戻られてまたサロンに来てくださいました。

いろいろお話をうかがうなかで、ふと、お客様がお話されていることが、最近私がブツブツと思案していた「サロンM NEW プログラム」のヒントであることに気づきました。

こんなにビンゴなことを言ってくださるなんて・・・とちょっと感動でした。
せっかくヒントをいただいたのだから・・・と、早速NEWプログラムの概案をまとめ、今日に至ってはほぼほぼできあがり、といって良いところまでになりました。
あとは少し寝かせて熟成させて、味付けしてできあがり、となることでしょう。

・・・で、サロンMニュープログラムってなんじゃい!

ってことだと思いますが、それは、私のこの第2ピナクルで学んできたさまざまなことの集大成とでも言える、1dayか2dayのレッスンプログラムです。

今年1月〜5月まで学んできたことも早速使っています。

からだのこと、こころのこと、エネルギーのこと。
ぜ〜んぶ知りたい、ぜ〜んぶなんとかしたい、という方にもってこい。

私の座右の銘・・・のようなもののひとつに、

人生は本来、楽しく、快適なもの

というのがあります。
逆にいえば、楽しくなくて、心地よくないなら、それはウソ。本当じゃないということをいつも目印にしています。楽しめないがまんや苦痛が発生するものは、ウソものだと思うのです。
ですから、これまで私は、楽しくて、快適に過ごすための私にとっての「真実」を探し、その秘術を集めてきました。まだまだ途中かもしれませんが、とりあえず一旦それらをみなさまにも共有したいのです。

人生にワクワク・ドキドキ・クリエイティビティーを呼び込み、こころも体も快適でリラックスしていて、自分が理想とする自分になれる、

想像しただけでステキじゃないですか?
ぜひ、想像してください!

そしてもう少しお待ちくださいね。