2010/10/31

骨の歪みをなおしてまう


ちょっと調べものをしていたときに、「図解手を添えるだけで、骨のゆがみがなおる!」という本にバッタリ出くわしました。
Amazonのレビューなんぞを読むと好評価で、内容も私の好みっぽい。。。
だからといって、、、ブツブツ。。。
と1週間ほど悩みましたが、結局買ってしまいました。

レビューにあったとおり、サラっと読み終われるライトな内容ですが、早速ここに書かれている「骨盤の歪みを治す」というのをやってみました。

・・・治った!

という実感などが一切ない程度のソフトなタッチングで行うため、骨盤の歪み自己調整というのが終わっても「・・・果たして調整されたのだろうか?」とよくわからず、「実感」を求めて、引き続き、顔の歪みを治したり、捻挫を治したり、目の疲れをとってみたり、背骨を調整してみたり、まー、平たくいうと書かれていたのを大体やってみましたが、「・・・これでいいのかな?」という感じで、ズレが治ったのかはわかりませんでした。

こういうときは、とりあえず寝れば変化が起こるはず・・・と思い、ひとしきり調整したあと、昼寝してみました。からだは寝ている間に調整するものぞ。

数時間眠り、起きると・・・

い、痛い。からだ・・・た、す・・・け・・・て・・・。

中高生時期の成長期のときのように、骨という骨が軋み、うずいている〜。
あー、どーにもなんねー。ぎゃー。

ということで、一応調整されているようです。

骨盤調整したあとは、簡単に片足立ちできるようになる、と書かれていたので、早速やってみると、確かにすっとできました。

感動のあまり、母に「見て!調整したら片足立ちしてもぐらつかないわ!」と見せたところ、母が、「私もできるわよ!」と調整もしてないのにさっと片足立ちして見せたので、なんか骨盤調整のせいじゃないのかな、とかも思いました。毎度萎えさせる女だよ。あたしの母。

とはいえ、これだけ骨がきしむってことはなんらかの変化が起こっているということだとは思うので、引き続き人体実験し、歪みを調整してみたいと思います。
でもこの本では主に、上下方向の骨盤の歪みの調整法(右が上がってるとか左が上がってるとか)しかないのですが、私は捻れているわけで、これはどうしたらよいかわからないのですが、なんとなくそれっぽくやってみたいと思います。

とりあえず週1くらいかな。やりすぎると地獄を見るからな。

2010/10/28

かもめ食堂


最近HPを少し変えようかな〜と、時間ができるとポチポチ試してみています。より今の自分にあったものにしてみようかと。


そんなことを考えていると、最近ハマっている「かもめ食堂」で、主人公のサチエが言った言葉を思い出します。

かもめ食堂のことは食パンのCMを通じて知ってはいたのですが、映画は観てませんでした。本も読んでません。
少し前にTVで放送したのを初めて観たですが、何がとはうまく言えないものの、とにかくその空気感に惚れてしまって、ことあるごとに何回も観ています。観るたびに、何か心が・・・なんともいえぬ・・・「は〜(^^)」みたいな感じになるんですよね〜。
私は気に入ると何回でも同じのを観れるタイプなので、ある意味経済的。あと少なくともきっと10年くらいは楽しめます。

で、主人公のサチエはヘルシンキで一人で食堂をやっているのですが、そこに片桐はいり演じるミドリがジョインしてきます。食堂は全然お客さんが入らないので、ミドリがガイドブックに載せようと提案してくるわけです。
するとサチエが、なんかそういうのは「この店のにおいと違うと思う」と言うんですね。

なんかそれって大事なことだな〜と、観るたんびに思うんですよね。
私もそろそろ、そういうのを嗅ぎ分けていかないとな。

嗅ぎ分けるといえば、サロンMはどんなにおいだろうと考えてみました。サチエは「におい」って実際の匂いのことを言った訳ではないでしょうけれど、ここでは敢えて実際のにおいをイメージすると・・・。

木のにおい
湿った土のにおい
浜辺のにおい
太陽で乾かした洗濯物のにおい
魔女の家のにおい
セドナのにおい
ふとんのにおい
ふかふかの毛布のにおい
フレーバーティーのにおい
いれたてのコーヒーのにおい
コットンのにおい
草系のハーブのにおい
ストーブつけたときのにおい
レモン水のにおい
アイルランドのにおい
ヨーロッパの一般家庭のにおい
ハチミツのにおい
パンケーキっぽい焼き菓子(あまり甘くなさそう)のにおい
他人の家のにおい
スープのにおい
ハンバーグのにおい
かすかに花のにおい

・・・うーん。こんな感じかな〜。

必ずしも「ハンバーグのにおい」がしているというわけではなく、するとしたら、ステーキよりもハンバーグのにおいかと。
そんな感じです。

9が来てる・・・

来年は私にとって、ヌメロナンバー「9」の年。
でもまだ8の年のはずなんですが、さすが既に今年を振り返り済みだけあり、すでに「9」の予告編のようなことが身の回りに起き始めています。

先日も言ったように「8」が財、パワーを表しますが、「9」は1〜8まで全部の要素が入っていて、総仕上げ的な年なのだと思われ。

大いなる流れに従う、ということを表すとも言われますが、タロットでいうと、ランタンを持って暗闇を照らしている人物がそれに当たるわけです。

要するに暗闇を照らして皆を先導するという役割ですね。

でもそれは、有名な絵画のように群衆に対して「こっちじゃ!」と手をあげて導くのではなく(西欧のあの絵ね、アノ絵)、私が歩いてたら勝手に後ろついてきとるやん!的な導きです。

「気づいたら勝手にうしろに人続いとるやん!」みたいなことって日常的に遭遇することって普通だとあまりないですが、最近このような象徴的な出来事が頻発してきました。「来年9ですから、こんな感じでよろしくッス」ということでしょうか。

9は私の誕生数ですので、あまり出現しない8よりは馴染みやすく、早くも居心地良い感じです。

しつこいですけど、9の年の前に「ニュー・アース」読んどいてよかったです。まだ読み直してますけど、引き続きすごく、ためになってます。

・・・でも急に飽きる日がくると思うのであしからず。ブームなんで。ブーム。

・・・チャックは飽きたわけじゃなくて、既に身の一部に吸収されたんですよ・・・。

さて、ご自分の来年のナンバーはなんでしょうか。

2+1+1+自分の誕生日を分解した数

ですよ。11月27日生まれなら

2+1+1+1+1+2+7 ッすね。

15なのでさらに1+5で6と。この人の2011年のナンバーは6となるということです。

やってみるとおもしろいですよ。

2010/10/26

好雪片片不落別處


「好雪片片として別処に落ちず」

舞い落ちる雪のひとひらひとひらは、落ちるべきところに落ちている

という意味です。

最近この言葉が気に入っていて、思い出してはなんだか安心しています。

2010/10/21

修行せよ



肉体疲労がMAXに達したため、先日プレムクリニックへ行ってきました。

すると先生から「2010年を振り返るの早すぎるでしょう。」とツッコミが。

そうは言いますが、私は大体いつもこれぐらいの時期になると、一年を振り返ってしまうのです。でも、ブログに書くと早いかな〜と思うので、これまでは振り返った内容をメモしておいて、年末に書いたりしてました。だから、振り返りの振り返りだったわけですが、「自分の流れでええやんか」が極まりて、もう振り返りました。ハイ。ありがとうございます。(なんのこっちゃ)


先日テレビで映画「陰陽師」をやっていました。私は野村萬斎が好きなので、前にも見ましたがまた見ちゃいました。IIの方を見ていたら、晴明が中井貴一に、時が経てば全ては消えてなくなるものだ、というようなことを言っていました。

野村萬斎をガン見していた私でしたが、その台詞に、ハッとしました。「ニュー・アース」に書いてあったな、と。(もう、ニューアースネタいいよ、って感じですか?)

チャック後、チャック前と同様に、ニュー・アース前とニュー・アース後では、自分の中では何かが大きく変わったのですが、要するに晴明が言うように、全ては幻想。消えてなくなるものだと、改めて悟ったわけです。

だから、振り回されずに、のほほん行こう!ということですよ。

この世の幻想に振り回されないためにはどうするか。

修行です。修行する必要があります。
別に瞑想じゃなくてもいいんです。瞑想すると、幻想がわかりやすいだけで、自分にあったやり方で良いと思いますが、とにかく日々修行です。

・・・なんていうと、なんかイニシエ風ですけど、現代風にいうと、要は、「メンタルトレーニング」です。

少し前に、ダライ・ラマのしゃれた名言集を集めた、「抱くことば」という本を読んだのですが、その中に、

「・・・(省略)・・・アドバイスしたいことは、ほんとうの満足感や心の安らぎは、メンタル・トレーニングによってのみ得られるもので、・・・(省略)」

とありました。

仏教系には疎い私が(ていうか、何でも疎いけど・・・)ダライ・ラマのことが結構好きなのは、雰囲気がただのオジサン(つか、もうおじいさん?)ぽくて親しみがあるからと、説明が上手だからです。


ラマの言葉を翻訳したものを読んでいるので、多少は翻訳者の力もあるでしょうが、以前DVDで見たラマもそんなに難しいことを難しくいっている感じはしませんでした。

現代風にわかりやすく言ってくれる、表現できるのが、彼のすばらしいところで、そのせいで尚親しみを感じるのかなぁと思ったり。


話がそれましたが、ダライ・ラマも言うように、メンタル・トレーニングってやつですよ。自分が幻想に惑わされちゃってる瞬間に気づくことがまず最初です。大概気づきません。
修行していると段々気づけるようになってきますので、しぶとくがんばることが大事です。

「抱く言葉」文字も結構大きく、すぐ読めちゃいますが、おススメです。結構良いこと書いてあります。
なんせ、冒頭が「人生の目的は幸せになることです。」ですから。

最近、なんせ が口癖になっちゃったな〜。


2010/10/17

2010年を振り返って


来年用の星ダイアリーをすでに購入しました。

今年は浮気して、某有名な方が作った似たような手帳にしたのですが、結構一般的な感じのものだったので、水瓶座の風変わりな思想を満足させることはなく、結局年の途中からほとんど見ないという・・・。

ということで、初心に返り、というか、何度見ても案外楽しめる星ダイアリーに戻りました。

来年の予報を先読みしていると、このところ10年以上水瓶座に滞在していた海王星が来年いよいよ移動するという。

・・・だからかな。

だから、最近自分というものの捉え方に変化が起こってきているのかな、と思ったり。

海王星が第1室にいると、本当の自分というものが見えにくくなったりするらしいので、これがいよいよ移動し始めるっつーことで、自分自身というものの捉え方に早くも変化を感じつつのあるのかもしれません。

なんせ人の1.3〜1.5倍ぐらい先取りなので、超ゆっくり移動するこの星のうねりは既に私が感じられる範囲に来たのでしょう。

来年はヌメロロジーで勘定すると第2ピナクルの9の周期の年にあたり、その年に海王星が自分の星座から移動するというのは、なんだかとても象徴的で計算されつくしているような気さえしますね。

今年は私にとって8の周期の年で、ヌメロロジーでいっても、西洋占星術でいっても、財やパワーの年でした。

早くも振り返ってみると・・・。

7の年に比べ、よくわからないことも多く。
というのは、私のヌメロチャートの中に8が登場しないことが理由かとも思うのですが(7はある)、とはいえ、ここにきて、自分が本当に満足することとは何なのか、ということがハッキリしてきたような感じはします。

そんな風に自分にとっての大切なものが浮き彫りになってくるまでには、自分が「これを手に入れたら幸せがやってくるに違いない」と信じていたものを手に入れ尽くしたからこそです。

以前にも言ったと思いますが、私が「これを手に入れれば幸せになれる」とか「きっと自分は満ち足りるだろう」と思っていたものはいずれも私を満足させてくれはしませんでした。

所詮は自分が抱いていた幻想であったことがハッキリしたんですね。
それにより、「ハテ?ではいったいどうしたら?」と改めてじっくり自分の奥深くに入り、今ようやく、「足るを知る」とはどういうことなのか、少しわかりかけたような感じです。

これが、私にとっての8の周期で得た大きなものなのかもしれません。

2010/10/11

野生の証明

以前にも何度かカミングアウトしていますが、ヒーラーで透視リーダーでありながら、私は案外エネルギーに疎い方です。

ヒーラー仲間の中には、「ここ、変な感じがするから嫌だ」とかそういうのをパッと察知して、その場から退散する人もいます。
そういうときも私は、「え?そうなの?」という感じでよくわからないけど、一緒に退散したりします。念のため・・・ね。

先日、セイクリッドアロマカードの原画展に行ったときのこと。
アロマカードの絵を描いたヒロさんとお話していたら、ヒロさんも今年の5月ごろにハワイ島に行ってきたとのこと。やっぱ、ハワイ島いいっすよね〜、なんていう話をしていると、ヒロさんは、「ハワイ島のエネルギーってさ〜」と、ハワイ島がなぜ良いと感じるのか、ハワイ島のエネルギーについて語ってくれました。

「どう?そう思わない?」的に聞かれ、私は思わず「・・・私はそういうのは、感じないんですよね〜。ただなんとなく好きなだけで・・・。」というと、ヒロさんは「おめぇーまたかよ」風のあきれ顔でしたが(私がわからないのは毎度なので ^^;)、一緒に行っていた友人が「なんとなく好きならそれがいいんだべ」と言ってくれました。

この北海道出身の古馴染みの友人は、特にヒーラーでもリーダーでもない単なるオッサンですが、建築家のオッサンです。なので、クリエイティブなことには、多少の意見はあるようで、「理由なんてよくわからないけど、とにかくカッコいいと感じる」とか「良い」とかそういういわゆる、「フィーリング」っていうのが大事だと思ってるとのこと。

そう言われて自分を振り返ってみると、好きなことわざが「牛に引かれて善光寺まいり」だけあり、自分では意図していなかったけど、結果ラッキーだった、とか、結果いい感じだった的なことが結構あります。

でも、これって透視リーダーとしてどうよ?

とか思っていたんですが、「ニュー・アース」に(また読んでんのか!?)、「2004年の津波災害でも野生動物には事実上被害はありませんでした。」とあり、「人間よりも全体と触れ合っているから見たり聞いたりするよりもずっと早く津波の襲来を知って、高台に逃げることができたんです。いや、これも人間の目から見た言い方でしょうね。動物たちはただ高台に移動した、それだけかもしれない。」と書かれていたのを読み・・・

わ、わかるわ〜。その(動物たちの)キモチ。

きっと私もこの野生動物と一緒で、あまりにも全体と触れ合っているため、理由とかよくわからないけど、ただ行ってみたとか、気づいたらやってた、的な部分が多いんだわ!

・・・とニューアースのおかげでまたポジティブに自分を受け止めることができました。

めでたしめでたし。

2010/10/06

エゴと離れよう!


先日紹介した「ニュー・アース」を一度読み終わったにも関わらず、またすぐ読み返しています。
読めば読むほど、なるほどとエゴについて再発見することが多いです。

エゴのまやかしに惑わされることなく、自分の本質的な部分にいつも気づいている、そのまま(本質のまま)でいることができれば、マジでいろいろなことが解決されます。

私も日夜練習中ですが、この「エゴのまやかしに気づく」トレを始めてから、段々自分のエネルギーが変わっていくのがわかります。

内側からビカーンって光るのが時々なんとなくわかります。
目をつむって瞑想しているのに、「ま、まぶしい・・・なんだこの光は・・・」と思って目を開けそうになります。・・・ま、それが自分の内側の光かどうかはさておき・・・。

「ニュー・アース」を読む前から、何度か似たようなことをお話したことがありますが、自分の本質的な部分に接触すると、「何もやらないでいいや」とか思っちゃうんですよね〜。私は。

つまり、逆説的にいえば、私が普段やろうと思っていることなんて、所詮は何かの補償行為(罪悪感のあまりやっていることとか)だったり、エゴのまやかしの同一化でやっていることばっかりだということになりますな。ワハハ。

エゴと距離ができると、何かになる必要も、手に入れる必要もないという感覚になるので、毎日なんとなく楽しければいいや!みたいになっちゃうんですよね〜。ほんと欲がなくなって、平安です。ある種、平凡でヒマな生活です。
そして、それでいいんだと思っています。

「ニュー・アース」には自分の本質に気づいた状態でいれるようになってくると、エゴでやろうとしてたことはやらなくなるけれど、そのかわりに、突き動かされるような衝動で突然何かをやり始める場合がある、と書かれていました。そうでない場合もあるとも書かれていますけど。
ある種のヴィジョンみたいなものが浮かぶという・・・。
当の著者も、そういう衝動でこういうスピリチュアルなことをやっているという・・・。

・・・そういう衝動がナイ方の場合だな。私は。

超気づきの状態になると、「何もやらなくていいや」と思うのですが、気づきの状態から離れてしまうとすぐに、「次はアレをやろうかな」とうっかり考えています。「・・・これが衝動!?」とか一瞬思いますが、私の場合はそうではなく、「何かやってないといけない」という癖のようなもので、やる対象がなくなると、次から次へと提案してくるエゴのまやかしであると気づきました。

あぶねーぜ。また騙されるところだった。

と思いつつ、眠ったある日の明け方、夢を見ました。

目が覚めたとき、「あー、超楽しかった!」と思ったその夢は非常に興味深いものでした。

楽しかった夢の中で私がやっていたのは、女の子どうしで、あーでもないこーでもないとアクセサリーとか洋服を選びっこすることでした。

なんかこういう、チマチマした、いかにも女の子っぽいことが実は私の楽しみなのだなぁ、と我ながら驚きつつ、この夢の楽しい感覚を現実化するよう、がんばってみようと思いました。

とりとめのない内容になっちゃった。