2014/04/20

うんざりすること

先週1週間は、多くの人に会う週でした。
会合が3つも・・・。おかげでブログも更新できず。

・・・言い訳ですけど。

たくさんの人に会うと、人それぞれいろいろな考え方を持ってるなぁ〜とあらためて気づかされます。そして私は中でも批判的な考え方を持っていると(笑)
これが私のおもしろい辛口トークにいきているとも言えますが、もう少しソフティで前向きにスイッチできるようにしておかないと、場がやばくなるときもあるなと(笑)思いました。最近辛口な人、あんまりいなくなっている?

さて、このところよく思うのは、人って、とことんうんざりしないと変わろうとしない、ということ。主に自分のことを振り返ってそう思いました。「変わりたい」とか「現状に不満だ」とか「なんとかしたい」などと言っても、実は心の底から本当に現状を変えたいと思っている・・・というわけではないことが多いのです。
確かに「嫌だ」「不快だ」とは思っているんです。でもきっと、そのことにうんざりするほどではないのはないでしょうか。
私の場合、すぐ愚痴るタイプなのですが、最初は愚痴を言うとすっきりするので、何か嫌なことがあるたびに愚痴る。嫌なことがあると愚痴る、嫌なことがあると愚痴る、、、この繰り返しにある時うんざりしてしまうのです。愚痴ることさえ面倒になってくるんですね。こうなって初めて、「もう”嫌なことがあって愚痴る”をやりたくない」と思って、嫌なことが合っても愚痴らなくなるし、さらには、「嫌なこと」と感じることさえ面倒になっている場合は、その嫌なことを嫌だと感じることさえやめるんです。無視するとかして。

そうすると、嫌なことも愚痴ることもなくなって、本当にスッキリ。でもここまで至るには一度心底うんざりしないとダメで、なんていうかもっと手前のところでコチョコチョ何かを変えてたりするんですけど、根本的には変わらないんです。

みなさんは、「もう本当にうんざり!」と思うことはありますか。
あったら今が変われるときです。

2014/04/10

アンチ その2

昨日の続きです。

ということで、ひとつにはグラウンディングの感じについての違和感があったということでした。

ふたつめは、気がついたら10年近く透視リーディングやヒーリングをやってきた中で感じたことです。自分自身へのヒーリングや浄化活動(笑)も含め、最終的になんとなく実りがないような気がするようになりました。

実りが無いという表現がしっくりくるわけではないのですが、どういうことかというと、スピリチュアルなんとか、といった場合のヒーリングや浄化の場合、大概、問題となっていることを浄化したり癒します。今の自分が不幸なのは、過去の自分のせい。。。とか、他の人のエネルギーのせい、とか、そんな感じで。

で、すっかり浄化されたなぁ。。。と思っても、また新たな不幸があったりして、そうすると今度は、無意識の領域にブロックがあるとかなんとか、となってきたりする。。。

こうなってくると、イタチごっこというか、もはや自分のことでありながら、自分ではどうともできない、ということになってしまうのです。どんなに浄化していっても、何か起こると、まだ気づいていない物があったとか、カルマだとか、云々となるのです。キリがありません。そんなことやっているうちに、幸せ感じないまま一生終るような気がします。

自分がこの10年でとことん自己浄化や自己ヒーリングし続けても、「きりがない」と思いましたし、お客様をヒーリングしていても、「これで本当に幸せになるのだろうか」という違和感を感じることがありました。
歳も当然とったので、そのせいもあってか、そろそろ道具の修理ばかりしてないで、実際にその道具を使って遊ばなくちゃ!という気になってきたのかもしれません。

こういう話をとある人にお話したときに、このような言葉をもらいました。

「不幸じゃないことは、幸せであることとイコールではない」

なるほど、と思いました。

日本人は特に、ということがあると思いますが、不幸を消していけば幸せになれるという発想をしている部分が多いのではないでしょうか。
今の私としてはつまり、「それは一旦横に置いておいて、まず幸せ感じるようにしていこうよ」、という気持ちが強いのです。

ということで、SalonMのネクストステージは「幸せ、感じる」がテーマなんです。




アンチ

私の30代はスピリチュアルなものでした。
レイキをはじめとした各種ヒーリングを習得するだけでなく、エネルギーについての知識やその他のいろいろな”スピリチュアルなこと”について知りました。

そうした中で、ある時から「スピリチュアルなことに関する違和感」を感じ始めていました。自分の中に初めからあったとも、途中から感じ始めたともいえるものですが、具体的にその違和感が何から来ているのかは、なかなかはっきりとはつかめずにいました。

この数年、私個人としての大きな変化の時期であったということもあり、ようやく今になってその「違和感」がなんだったのかわかってきました。

その違和感とは、いろいろあるんですが、まずは、世の中のライトワーカーと言われるような人たち、ヒーラーとかもそう、グラウンディングをしっかりしてる人が少ないと見えること。現実的に活かせない夢みたいなことばかり言ってるような気がして違和感感じてたのだろうというのがあります。
そういう意味では、レバナ先生という人は、1にも2にもグラウンディングの大切さを教えてくれたような人で、最後に受けた個人セッションでは「きちんとグラウンディングできているし、かといって夢を描くだけの余裕もある」といわれました。当初は、全然グラウンディングできていなかった私ですが、今ではすっかり心配ありません。

以前にお客様に、なぜそんなにグラウンディングが大切なのかを訊かれたことがあります。人それぞれ理由は違うのかもしれませんが、私にとってしっくりくる理由は、地球にいるから、といったところでしょうか。地球で暮らす以上、エネルギー界のいろいろなものを物理次元に顕現させることができる方が便利です。そのための変換ツールがグラウンディングだと言えるでしょう。グラウンディングしてなければ、単なる空想にすぎませんが、グラウンディングしていれば、それが現実化することが容易になります。

当初の私はグラウンディングこそへぼかったですが、「現実的な考え」を重視するようなタイプだったため、いろいろなスピリチュアルなセッションを受けたり、本を読んだりしても、フワフワしたいい感じのことは言ってくれるけど、今目の前にある生活に一切役立たないこと言われると、「だから?」とか思っちゃうところがありました。それは自分自身がスピリチュアルな知識が少ない、ライトワーカーとして未熟だからそう感じてしまうのかと思って、精進しましたが、結局は生来の気質的にそう感じてしまうみたいで、よって、そうしたライトワーカーたちと同じようにはなれないと感じるようになりました。

だから、SalonMのネクストステージはこれまでの”スピリチュアル”とはちょっと変わる予定です。でもきっと、みんな気に入ると思います。

つづきはまた今度。

2014/04/06

32のチャクラ

今年の1月でクリアサイトジャパンは終了したんですが、レバナ先生アメリカへ帰るということで、サヨナラセミナー?的なものが開催されたんです。

そのうちの1つ「32のチャクラ」という1dayセミナーに参加しました。
セミナーのタイトルって誰が考えてるのかわかりませんが、レバナ先生のセミナーはキャッチーな名称がついていることが多いように思います。パッと見ただけで興味津々になっちゃうものが過去にも多かった気がする。マーケティング上手なのかしら。

卒業してから個人セッション以外でクリアサイトのセミナーに参加することも稀になっていたので、ちょっとドキドキしながら行ってみました。しかも、昨年1年間はサロンも開店休業状態みたいにしていたので、透視リーディングもあまりやっておらず、ちゃんと見えるのかしら。。。という不安もありました。

行ってみたら、そんな不安もどこへやら、逆に「私、結構イケてるかも(透視リーダーとして)」という自信さえ持つほどに(^^; 自画自賛は健在。

で、32のチャクラについて詳しく教えてもらえるのかと思って、ワクワクしながら参加したものの、相も変わらず時間配分が・・・って感じで、前半皆さんもよく知る代表的な7つのチャクラの背面側(チャクラには前と後ろがあって、役割が異なるんですよ)の浄化について多くを割いてしまい、結局メインの第13以降のチャクラについて(第12チャクラまでは別の先生の講座があったのでセミナーの範囲外だったと思われる)は、いくつかはピックアップしてワークしたけれども、「あとは同じ感じで自分でやってください」ということで終った・・・。
先生、相変わらず・・・。

でもレバナ先生の明るい感じっていうのは、他のどの先生にもない感じのもので、私は会うだけで(もしくは先生なら、なんて言うだろうと想像するだけで)元気をもらえます。
私も誰かにとってのそういう存在でありたいものです。

急ぎ足でのチャクラ巡りだったけれど、一つ一つのチャクラを観察すると、自分をとりまいている数々の「思い込み」や「ルール」などを見つけることができます。チャクラからダイナミックなエネルギーが流れ込むのを制限しているのは、誰でもない自分であることが多い。蛇口につながっているホースのうえに自分で石を置いて、先端側で「水が出ないなんて!ついてない!」といっている。自作自演も甚だしい、それが多くの人の人生であるといえるのかもしれません。
自分がどんな自作自演をしているのか、うっすら気づいていても、それを認めるのはなぜだか案外難しいものです。
私の場合は、今までずっとそんなくだらない自作自演をしてきたなんて、あまりにも多くの時間を無駄に過ごしてしまったような気がして、「自作自演じゃない!私はそんなことはしていない、きっと誰かのせいだ」、と思いたくなることがよくあります。
でも、そうしてごまかしていると、増々無駄に時間を使ってしまうので、あまり細かいことを考えずにゴミ箱に捨ててしまうのが一番だと思います。これはゴミなのかな?なんて見る必要さえ、もう、なく。なんだかわからないものは、いらないもの、として捨ててしまう方が手っ取り早いのかもしれません。

32のチャクラ講座からは少し時間がたってしまったけど、講座ではワークしなかったチャクラについて自分でワークしてみました。
手始めに、「実現化」と「楽しみ」に関するチャクラについてやってみましたが、普段無意識に受け容れている自分の「古くからの考え」を見つけて、今の自分に合うものに変えていくというのは、時代遅れの服から肌触りの良いかっこいい服に着替えるようなもので、やり終わると気持ちよいものです。力がみなぎるような気さえします。

今はメニュー入れ替え中で、ヒーリングもお休みしていますが、まもなく再開したときには、こうした観点も取り入れてヒーリングできそうで、ワクワクしています。






2014/04/03

毎日にアートを


これまでの人生を振り返ると、なんとなくであるけれども、アートと少しは縁のある生活をしていたように思う。

というのは、「アート」=おしゃれ と思われていた時代に青春を過ごしてきたからかもしれない。アートかぶれ的な感じだった。

今から思うと、大して興味もないのに、美術館にいろいろ足を運んでさまざまな絵画をみたり、インタラクティブアートのようなものを体験したり、名だたる人たちが作った椅子ばっかり展示してあるのを見に行ったり、アートっぽい人たちと付き合ったりと。。。完全にかぶれてた。

それに比べると今はカブレてないけれど、あの時より今の方が自分のアート感は高まっている気がする。アート感とはどういうことかというと、自分らしいこだわりをもつ、というようなことだろうか、なんかそんなことだ。

日々にアート感を持つと、急に毎日が心を揺さぶられる作品に変わる。どれもまた捨てがたく、貴重な物という感覚が芽生える。

そうした感覚を感じながら過ごすというのは、人生というものを存分に堪能し、味わうこととも言えるだろう。

それはとても満たされた感覚だ。豊かさとはこういうことをいうのではなかろうか。

どうやったらアート感をもてるのか。

それについてはまた今度お話しますね。