2016/04/24

期間限定コース「7層のオーラリーディング」やります!

前回お話した、オーラの色と意味と見ていく「オーラリーディング」を期間限定でサロンで行うことにしました!

オーラの各層にはそれぞれが司っているエネルギーがあります
ですので、それぞれの層の色と意味を見ていくことで、現在の自分の状態を深く知ることができます。ときには自分ではあまり気づいていないことにも知ることができます。
透視リーディングってどんなものなのかよくわからない方にも、オーラリーディングはオススメです。
この機会にぜひどうぞ。

★【期間限定】オーラリーディングコース 
受付期間:5月1日〜5月7日/5月14、15、21、22、28、29日
     ※いずれも13:00〜17:00開始まで
所要時間:1時間
料金:10,000円
事前予約制・女性限定

その他お問い合わせ、ご予約はこちらからどうぞ。

2016/04/21

ヨガのパーソナルトレーニングとオーラリーディング

知人が最近ヨガの先生になったので、いろいろ話を聞いていたところ、ヨガのパーソナルトレーニングをしてもらえることになりました。
私の希望と体や心の状態に合わせて大体90分くらいのプログラムを作ってくれるとのことで、聞いただけで超ワクワクでした。
マット1枚敷ければどこでも教えてくれるということで、狭いながらも家まで来てもらって教えてもらいました。
私が今回希望したテーマは「開脚前屈ができるようになる」でした。あと全身のバランスを整えたい、というのもプラスしました。

じっくりヨガの完全呼吸法から入り、いくつかのアーサナ(ヨガのポーズのこと)でバランスをチェックし、弱いところ強いところを確認。そして夢の開脚前屈へと移っていきました。私の夢は、上空から見たら「土」という字かと思ったっていう感じに、ベタっとなることですが、ああいう状態になるには柔軟性もさることながら、筋力が必要だそうです。私は押してもらったり、引っ張ってもらうと結構前屈できるのですが、自分の力では前へ倒れられない。これって筋力不足ってことみたいです。

特に右のお尻が相当サボっているらしく、先生が提案してくれた筋トレをやると、速効で筋肉がブッルブルになります。筋トレと私のためにチョイスしてくれたアーサナを続けて、「土」になれるようにがんばります。

で、このパーソナルトレーニングは、私のオーラリーディングとバーターにしてもらったので(笑)、ヨガレッスン後私はその知人のオーラをリーディングさせていただきました。
今回は、以前はサロンでもやっていたオーラの色とその意味を見る、というものをやらせていただきました。最近のサロンでは、「ライフパス透視リーディング」という形で、Q&A方式でエネルギーを見て答える形だったので、オーラの色見は久々でしたが、とても楽しかったです。
見てもらう方は気軽に「オーラの色みた〜い。しりた〜い。」という感じでオーラリーディングして!とお願いするのだと思うのですが、オーラリーディングって結構いろいろなことがわかり情報量がすごいので、リーディングし終わった後はみなさん圧倒されるというか、ぽかーんとしちゃうんですよね。
今回のヨガの先生もオーラリーディングをたいそう気に入ってくださり、リーディングの後は「すごい…すごい…すごいしか出てこない…」とお褒めの言葉(?)をいただきました。
オーラリーディングってこちらからすると、ある種手順が決まっているので(オーラの1層から7層までひたすら色とその意味を伝える)、なんか…飽きるっていうか…もっとフリーな感じで読みたい気持ちになるんですが、好評だったのでたまにはやってもいいかな、なんて思いました。

ですので、ゴールデンウィークとかしばらくはスペシャル企画で「7層のオーラリーディング」やろっかなぁと考えています。
自分のオーラを見てもらったことない方にはオススメです。透視リーディングってどんなのだろう、というのを体感できると思います。

詳細はまた次回お伝えしますね。

2016/04/20

全てはすでに今ここにある

以前、幼い頃から霊体が見える、という人に話を聞いたことがあります。その方は、肉体を持たない存在が見えたり、話しかけてきたりして困っていたみたいなのですが、一方でそうした霊体から普通だったら知り得ない情報を教えてもらうこともあったりして、お得感もあったみたいでした。

その方から「ワンネスはもう終っている」という話をされたことがあります。どういうことかというと、ワンネス自体はもう済んだ話というか、すでに完了していて、私たちはその完了への道筋をただ進んでいるだけだから未来も何もない、みたいな内容でした。少々うろ覚えですが。
その話をされたときに、一瞬それなら何をやっても無駄じゃん、という無力感を感じましたが、単に解釈の問題で霊体が言いたかったことは本当にそういうことなんだろうか、とちょっと考えてみました。
霊的存在においては、時間を超越していると思われますので、「未来はない」のは当たり前で、同時に過去もなく、全部今であり今じゃないみたいな、ただ「在る」状態と考えられます。ですから、「過去、現在、未来も含めて、起こりうるものはすべて今存在している」、と解釈すれば、無力感を感じるよりも、「おっしゃるとおりかもしれない」と納得感が生まれました。・・・私って前向きなんでしょうか!?

起こりうるものは全て今存在していて、それはつながりあっているとすれば、未来から逆算して「今」がある(前回のコラムのお話)ように見えるのもわかるような気がします。また反対に、「今」は過去の出来事からもピッチリつながっているということにもなります。過去の出来事から未来が出来上がってくるのは理解しやすいと思いますが、現在から過去を振り返ることで、過去の出来事の意味がより深く理解できることもあると思います。
では、過去と未来の真ん中にある「現在」とは何なのでしょうか。
これまでの考え方からすると、現在というのは過去と未来にがんじがらめになった変わり様のないものに思えませんか。

一つ例をあげて考えてみましょう。
私は最近海外ドラマをよく見るのですが、日本の一般的なドラマと異なり、人気のある海外ドラマはシーズン●●というようにどんどん続いていきます。1年に1シーズンぐらいなのでしょうか。スパンはわかりませんが、有名なCSI:科学捜査班などはもうシーズン15まであります。
よく見るといっても、私はテレビで放送されているのも見るぐらいですので、必ずしもシーズン1から見るわけではなく、シーズン15から見て、その後シーズン8を見る、なんていうこともあります。
最新シーズンを先に見て、その後にシーズン1から見たりすると、まるで、未来を知っていて過去を見ているハイアーセルフのような気分になります。
たとえば、シーズンの終わりに絶対絶命で死んだか!?となったとしても、「この人、先のシーズンで活躍してたから死なないな」などと安心して見ていられるわけです。付き合っていた二人が別れたとしても、「先のシーズンでは結婚していたから、今別れても大丈夫。むしろ、こういう別れが経験として必要だったんだな」「アレ?そろそろあの人が出てくるはずだけど…あ、そこで偶然的に出会うわけね」などと考えたりします。良くできているドラマでは、きちんと過去の出来事を踏まえて新しいストーリーが作られていますので、先のシーズンから見ても最初の方のシーズンで矛盾していることがなく見ていられます。

と、このように、普通の進行では、過去のひとつひとつのエピソードから今の話が作られるわけですが、未来から遡るとがなぜその出来事があったのか過去の出来事の深みが増し、どのシーンも重要であり外すことはできないと感じます。未来も過去も今既に出そろっていて、すべてがジグソーパズルのごとく、きっちり出来上がっているのです。

こう考えると、現在とは自由があるようでない、過去からも未来からもがんじがらめになった、きっちりと織られた一つの織り目のようなもので、不変な存在だとも感じます。さらに、この「過去」というのは、今生のもの以外の過去世も含めた全部であるし、未来も今生を超えたずっと先の未来も含んでいます。なんと果てしないのでしょう。

だから、この世界に生きる私たちのような分際は、何も心配せず、ただ自由にのびのびと思うがままに生きれば、それが正解! と思えませんかねぇ。(笑)
自分では間違いと思うことも宇宙からみたら正解なんですよ。きっと。

2016/04/19

「現在」は、未来から逆算されている?

ニューエイジ、日本でいうとスピリチュアル、な考え方では、私たちは一人ひとり固有のハイアーセルフ(高次の自己)とつながっていて、ハイアーセルフは日がな大変有益な情報を私たちにもたらしてくれています。
私の透視リーディングやヒーリングのときも、私自身のハイアーセルフに情報をもらうときもあれば、お客様のハイアーセルフに情報をもらうこともあり、また、肉体人格の私とは無関係にハイアーセルフどうしでコミュニケーションをとっていることもあります。

前回のお話の「仕組まれた偶然」のような場合は、前述のハイアーセルフどうしのコミュニケーションが行われていて、それにのっとり進んだ、と考えることもできます。
または、眠っている間に自分がエネルギー体になってウロウロしているときに、すでに話をつけていて、その通りに進んでいるというケースもあります。この場合でも、肉体に戻るとエネルギー体のときにしたことを覚えてることは少ないので(特訓すればはっきり覚えていられるようになるそうです)、ハイアーセルフからリマインドしてもらうと気づきやすいのかもしれません。

だとしても、ハイアーセルフはずいぶん昔からいったいいつまでを段取っているのかしら・・・なんて思いますよね。だってずーっと前の出来事が、急に今につながることがあったりしますから。
でもハイアーセルフは高次元の存在なので、私たちが普段生活している世界のありとあらゆる制限とは無関係ですし、時間とも関係ありません。時間を超えた世界では、過去も未来も現在も同時に存在しています。過去→現在→未来と方向性を持ってリニアにならんでいるわけではなく、ミックスしてごちゃごちゃに存在しているとイメージするとわかりやすいかもしれません。だからハイアーセルフには、「昔」という感覚はないのでしょう。

ところで、身近な過去・未来・現在がごちゃごちゃなもの、といえば、頭の中の思考と体の反応の関係も実は時間は関係ないといえるもののひとつです。というのは、過去や未来のことでも今の出来事のように感じて、不安になったり嬉しくなったり反応がでます。体は過去や未来のことを現在と区別せず、同じように反応しますよね。過去も未来も今目の間にないのだから反応しなくても良さそうなものですが、頭の中に浮かんだことは体にとってすべて今の現実であり、反応してしまうのです。
これに似た感じが時間のない世界なのかもしれません。

ですから、ハイアーセルフにとっては知人Bが知人Aと働くことはすぐ目の前にある、もしかしたら決定されたことだったのかもしれず、今私たちの「住む時間のある世界」に還元すると、時間的順番の中に「私が紹介する」というものがあったに過ぎないのかもしれません。
あるいはもっとその先にある(リニアじゃないので先にあるというのも変ですが)、ゴール・完成へ向けてのチェスの一手にすぎないとも言えます。

多くの霊的指導者は未来は未確定なものである、と言っています。
私もそう信じたいです。でもまだ自分自身の中から来る確信はありません。
ただ、ミクロの世界でみる未来は、ひとつではないとは感じています。複数ある未来からひとつを選んでいるような気もします。

一方で、仕組まれた偶然のような体験をすると、現在は「未来から逆算して存在している」ようにも感じることがあります。
とにかく、時間がある次元の中で時間を超えた次元のことを考えると、始まりが終わりで終わりが始まりだといったようなグルグル回るややこしいことになってしまって、よくわからなくなっちゃいますね。

こんがらがったついでに、時間についてもう少し次回お話したいと思います。

2016/04/18

仕組まれた偶然

前回は運命についてのややこしい考えを書きましたが、いかがでしたか。
頭がこんがらがったでしょうか。

今回はその続きです。

ところでなぜ「運命」の話を持ち出したかといいますと、先日「コレは何か(大きな存在など)に仕組まれたな」と思う出来事があったからなのです。

それは、こんな出来事でした。

年に何回か情報交換的に会う知人Aと、また会うことになりました。そうはいっても知人は多忙のため、実際の会合は10日くらい先の日に決定しました。
それからしばらくして、知人Aとの会合の数日前、それとは別の知人B(知人AとBはお互い全く関係がなく面識なし)と、たまにはゆっくり話そうかという話になり、知人Bの都合に合わせて、たまたま知人Aと会う日の次の日に会うことに決定しました。
このとき、知人Bに知人Aの話などは全くしていません。だって、お互いは知人でもなんでもないんですから。

知人Aとの会合の日、いつものごとく楽しい時間はあっという間に過ぎ、別れ際、知人Aが自分の仕事で今人材を募集していて、誰か良い人いませんか、と聞いてきました。
自慢じゃないですが知人が少ない方なので(笑)、即答で「いや〜・・・いないね。ごめん。」と返しました。社交辞令的に「ま、誰か見つかったら連絡するよ。期待しないでね〜」言っておきましたが、全く当てはありませんでした。
そして、次の日。知人Bとの会合です。知人Bは、今の仕事を辞めようかと思っているものの、次の仕事が見つからないのに辞めてよいものかどうか、と悩んでいると話していました。私としては無責任にも、仕事の区切りがいいなら今辞めたら〜?なんて言っていましたが、知人Aの話とは全く結びつかず、ただ「大変だな〜」などと知人Bの話を聞いていました。
知人Bの話がひとしきり終って、じゃそろそろ帰ろうかという雰囲気になったとき、まるで誰かに肩をトントンと叩かれて「ほら、あなたアレ忘れてませんか?」とせっつかれたような気がしたんです。で、ハッと急に、「知人Aの仕事のことを知人Bに言わなくては!」と気づきました。知人AとBは全く面識も何もなかったので、知人Aの話をしたところで、知人Bがどう思うのかなぁとも思いましたが、話してみたところ、知人Bのエネルギーが急に変化した感じがしました。そして、その日のうちに知人Bと知人Aは連絡を取り合い、その週のうちに知人Bは知人Aのところで働くことに決定したのです。

話がややこしいですが、伝わりましたでしょうか。この仕組まれた感。
知人どうしはまったく個別の私の知り合いでしたが、お互いがお互いのその日の話のメインテーマを知っていて予定を入れてきたかのような偶然の重なり。
これはもはや偶然ではなく、段取りどおりに流れた一つの例、と考えた方が納得できます。
こういうことって身近に結構ありませんか。「すごい偶然だね〜」なんて済ませてしまいがちですが、偶然というには虫がよすぎるような気さえします。

ここでのもうひとつのキーポイントに「私が知人Aと知人Bの繋がりに気づけたか」というのもあります。
これがミクロの世界の選択(※前回コラムでのお話)で、私が気づけなければ知人Aと知人Bは繋がらず、知人Aは別の人を雇い、知人Bは今の仕事を続けて、知人Aとは関係ない次の仕事が見つかってから辞めたのかもしれません。
ただ、もっと踏み込むなら、知人AとBの「つなぎ役」に私が ”選ばれた” のかもしれず、私が「気づかない」ということはなかったのかもしれなくて、ある種決まった台本のとおりに進まされた感覚があり、とっても不思議でした。約束されていたやるべきことをやった、という感覚がありました。
ちなみに、ここに至るずっと前からある知人Aと私の関係の歴史、知人Bと私の関係の歴史というのも、今回のつなぎの前提として大いに関係していたりして、今回の会合をひとつのゴール的出来事だとすると、まるで今回の会合よりずーっと以前からこのゴールへ向かって話が紡がれていたのかもしれないとも感じられるのです。

そうなってくると、選択肢はあるようでないような、ないと思っているけどあるのかもしれない、という、またまた頭がぐっちゃんぐちゃんになりそうな世界に入り込んでしまうわけです。

こうした仕組まれた偶然を理解するには、「時間」についても少し考察する必要があるのかもしれません。
これもまたややこしいですが、おつきあいいただけるとうれしいです。
続きはまた次回。

2016/04/17

運命について考える

たまにはスピリチュアルなことも書かないとヒーラーっぽくないので(笑)、今日はちょっとスピリチュアルなお話です。

もう3、4年ほど前になるでしょうか。私はギャラップ社のストレングスファインダーで自分の強みを興味本位でチェックしてみたことがあります。
ギャラップ社のストレングスファインダーというのは何かというと、ギャラップ社の質問に回答していくことで、同社が設定した34種類の強みの中から自分の強みと言えるものを5つピックアップしてくれる、というものです。

さあ、才能に目覚めよう」を買うと、ストレングスファインダーへのアクセスIDがついてくるので、チェックしたい方は本を買うか、IDを買うか、ということだそうです。
本自体が34の資質の解説になっているので、チェックして自分の資質以外のところも見たいなぁというときには役立つかもしれません。
特に若い方は仕事選びやキャリア開発、仕事をしていくなかでの自分の役割、活躍方法などの参考になるのではないでしょうか。
詳細はサイトをご覧くださいね。

私はある程度自分がわかってから、暇の興味本位でやりましたが、なるほどというところはありました。5つピックアップされた私の強みの中でも特に心に残っているのが「運命思考」という資質です。ざっくり解説しますと、「我々一人ひとりは自由意志をもった個別の存在ではあるが、もっと大きな存在の一部でもあるという考えがある」というものです。
はい、おっしゃるとおりです、という感想ですね(笑)こういう考えが私にはあります。

運命、というと、筋書きが決まっていてそれに従って全てが行われている、というような印象が私にはあります。そして、常々そう感じています。
でも、こういう話をすると、「全部決まっているなら、(自分の意志で)何をやっても無駄」「いろいろ考えてやっていることが、ばかばかしく感じてしまう」などと言う人がいるのですが、私からすると、たとえそういう発想をもっていても、やらないと言いつつやってしまったり、本当にやらなくなったりする、そのこと自体が運命のようにも思うわけです。頭がこんがらがりそうですよね。
ところで今書いていてふと思いましたが、運命とカルマとは同じようなものでしょうか。私の考えでは、似てるけれど違うものという感覚です。運命は変えられないものとすれば、カルマによる流れは変えようと思えば変えられるものだが、変えようとしない場合が多いからほぼ筋書きどおりに進行するもの、という感じです。私は何度か「これこそがカルマなのではないか」というシーンに居合わせたことがありますが、そのときの感想からこのような考えになりました。
そうなると、運命の中にカルマは含まれている、ということでしょうか。でも運命は変えられないものだとすると矛盾します。
ここで出てくるのが、マクロとミクロの考え方です。運命とはマクロ的にみたもので、カルマや自由意志というのはミクロの世界でのもの、とすると少しは理解ができそうではないでしょうか。
つまり、ゴールは変わらないけど行く道はある程度選べる、という感覚です。
身近な例をあげると、「今日の夜はカレー」ということは決定しているが、具や具の切り方、タイ風かインド風か日本風か、などについて自由度がある、という感じですかね(笑)
で、このゴールというのは、私たちの普段考えるような領域を遥かに超えたところにあるため、何に向かって今こうなっているのかを理解するのはなかなか難しい、といったことがあるのだと思います。また普段の生活では、とかく人間中心の考え方になりがちですが、人間も、宇宙というか「ある世界」のひとつの要素にすぎないので、人間中心のエゴから抜け出ないと、ますますゴールを感じることは難しいように思います。

本題に入る前に長くなったので、続きはまた次に。