2011/09/27

ものごとが実現するためには?

複数のフラワーエッセンスを選んでミックスボトルを作るときには、どんなボトルを選ぶのかをテーマや課題、目標によって決めます。といっても、私が決めるわけではなくて、エネルギーリーディングによってテーマにあったものが選ばれるということです。

サロンが出来た頃からずっとサロンMのフラワーエッセンスをご利用いただいているお客様がいらっしゃるのですが、先日久々にサロンにいらしたときに、あらためてフラワーエッセンスを選ぶテーマを作ってもらうことにしました。いつもは遠隔リーディングなので特段カウンセリングなどはなく、ご自身で決めたテーマを送っていただきお作りしているのですが、対面ですので、新方式のエナジャイズコンパス(→エンパワメントヒーリングより)のやり方でテーマをお作りいただきました。

エナジャイズコンパスでテーマや目標を作る場合には、いくつかのルールがあります。
例えば、ありがちですが、「〜なりますように」ではなく、「〜ている」という形の文にする、とか、ポジティブな言葉が使われているか、などなど。
これらを私がサポートしながらひとつひとつ確認していき、自分で本当〜にしっくりくるテーマ/目標を創りだすのです。

自分自身に制限が多かったり、自分と自分以外の誰かの考えが意識の中で混在していると目標作成に結構時間がかかるので、果たしてどれくらいで目標が創りだせるだろうか、、、などと思いつつ、確認作業を進めていましたが。

案外早く出来たような。通常の感じでテーマを考えていただくよりも、今回はすんなり出来たような印象でした。

そしてなんといっても出来上がった時にびっくりしたのは、良いテーマや目標ができると、なんというかその瞬間にもうそれが達成されたかのような爽快感があったりするのですが、それをご本人だけでなく私も感じることができたということです。
その人にとってスッキリ来ると、一緒に居る私までスッキリくる。
やっぱりエネルギーは相互に関係しているな〜と感じました。

目標ができあがっただけで、まだ実際には何かが起こったわけではないのに、望みのものをゲットしたかのように既にお客様がキラキラした感じの表情に変化しているのを見て、物事の実現化というのはこういう形で起こっていくものなのかなぁ、と考えたりしました。

よい展開になればいいなぁと思います。

2011/09/25

いったい何が見えているのか



先日「ぶっちゃけエネルギー見えていると思う」と書きましたが、その続きを・・・。

台風も過ぎ、晴れた気持ちの良い日に公園に瞑想しにでかけました。
そのついでに、「そういや例のアレ見えるかな」とまた見てみたら、キラキラ見えました。やっぱり外の方がキラキラしているので、太陽の光と関係しているのだ、と思いました。

このところソユーズの古川さんとお話しする宇宙系特番が多くありましたが、ソユーズから見た地球が映ると時折、キラッ!キラッ!と瞬くものが映ります。それは宇宙光線と太陽光線のなんやらのなんやらだ、とかで、まーとにかくよくある自然現象らしいのですが、地球上にいるとあまり目にしませんよね。

でも、私が見ている例のアレは時々似たような感じでキラッ!キラッ!としていることを発見しました。ということは、宇宙から降り注いでるさまざまな光線の一種を見ているのか!?という可能性が出て来ました。

うーむ、似ているなぁ・・・と思いながらじっとキラキラの動きを見ていると、時折グレーの丸い玉がふわーっとひとつふたつ落ちてくることに気がつきました。

なんだろう、あのグレーの玉は・・・と、キョロキョロ探しますがあまり見当たらず、またしばらくじっと見ていると、たまーに、1個ぽろんと落ちてきます。

・・・なんか見たことある気がする・・・なんだっけ・・・

と思いを巡らせていると、ひとつ思い当たるものがありました。

それは、雨が今にも降りそうな曇りのときに、周囲を見ると、あのグレーの玉みたいなのがいっぱい見えていたんです。それがいっぱい見えると、「あー、もうすぐ雨降りそう・・・」と思ったりしていたのですが(ちなみに雨がざーざー降っちゃうとあまり見えない。というか、まじめに見ようとしたことない)、アレのグレーの玉と同じでした。

・・・ということは、水のエレメント的なものというか、水分に近い何かのアレなのかなぁ、今は1個とか、2個とか数が少ないから、台風後で少し湿気があるからなのかなぁ・・・と思っていると、段々遠くの方から天気が曇ってきて、その日の夜は雨でした。

だから、やっぱりキラキラが太陽の光のアレだとすると、グレーの玉はそういう雨の分子的な感じかなぁと思いました。思い起こせば、ギリシャに行った時にエーゲ海に沈む夕日を見ていたところ、夕暮れも深まってきた時に海からプワプワと丸い何かが空へ上がっていくのを見た(気がした。当時はまだ透視の勉強を始めたばかり)ので、それも水の何かだったのかな、と今更思いました。

また、これも目の錯覚と思っていたのですが、時折、透明の波のようなものがユラ〜っと目の前を通り過ぎているのに気がつきました。最初の数回は「自分の目玉の故障だろう」と思って悲しかったのですが、目玉を動かさなくてもそれがユラーっと動いていったりしているので、何度かいろいろな見方で試しましたが、どうやらもしかすると目玉の故障ではないかもしれない、と思いました。

ちょうど「〜」←こんな感じのものが3本とか4本、まさに絵に描いた落書きの河や波線のような感じで空間をユラ〜っと通り過ぎるわけです。

太陽、水、と来たらきっとこれも何かの象徴的なエネルギーかもしれないな、と思いつつ、確信はないものの見た目から風的な何かじゃないかなとか思ったり。でも風はそのユラ〜に関わらず吹いていたような気もするので、何かの想念的なものとかかもしれません。よく見てませんが、ユラ〜は比較的自分に近いところだけで、遠くにはなかったように思います。グレーの玉やキラキラはそこいら中にうるさいぐらいにあるので、それとは少し違うような・・・。なんせ、最初は目の故障だと思っていたのでまじめに見ていませんでしたので、次にゆっくり見る機会があったらいろいろ検証してみたいと思います。

こんなのが見えても今のところあまり役にたっていませんが、雨が降りそうなときは先にわかるといえばわかるので(グレーの玉の量が増えると降る)、曇りのときなんぞは密かにそれを目安にしたりしています。
とはいえ、実際にはそれらが何なのか詳しくはわかりませんので、なんとなくの目安にしかならないのですが・・・。

またいろいろ検証できたらご報告します〜。



2011/09/20

ヨーガの味わい



ヨーガを定期的にやり始めて1年・・・。その前に家でDVDで始めた頃から換算するともう数年になりますが、ここにきて、私なりにヨガの味わい方が少しわかった気がしました。

クリアサイトで一緒だったヨガインストラクターのキミちゃんとバッタリ遭遇してから、たまにお茶したりして、いろいろなお話をする機会があったのですが、彼女がヨガを学ぶ道中で得てきたヨガの(というかインドの、なのかもしれませんが)、深淵な智慧を私に話してくれるので、私の中でもヨガに対する考え方が変わったのだと思います。

ヨガのアノ動きは、解剖学的にも大変良く考えられた動きであることはわかりますが、「・・・で?」って感じもありました。
私にとってはあのポーズ、動きができるようになると何かが整ってくるのかなぁ〜、インナーマッスルが鍛えられるのかなぁ〜、みたいに思っていました。また、あのポーズや動きができるようになると、なんか体のエネルギーの流れが整ってくるから、瞑想的になれるってことなのかなぁ〜とか。

でも、キミちゃんの話を聞くところによると、ポーズの完成度はあまり重要ではなく、むしろ大事なのは、型(ポーズ)と、型から自由になった時の感じ方の違いを知ること、感じることであるそうです。(ざっくり言うと)

つまり、ポーズとってると、どこかおかしな体勢になっているわけですが、そうすると当然苦しい、つらい、違和感あり、などなどいつもとは違う状態になるわけです。でも、そこを通過することで、何もしない状態になったときに自分という本来の姿を実感しやすくなる、内観に向かえる、むしろそこに醍醐味があるのであ〜る、というようなことらしいのです。

長年ヨガを実践されている方にとってはこんなこと当然のことなのかもしれませんが、私にとってこの考えは「へ〜」と妙にヨガを身近に感じ、そして深く受け容れるきっかけとなりました。
なぜなら、昔習っていた合気道の師範からも同じような話しを聞いたことがあったからです。型をマスターしてこそ、それを破り進んでいけるという「守破離」の教えです。(ざっくり言うと)
「守破離」は修行の道筋のことなので、ヨガのポーズとリリースとはニュアンスは少し違うかもしれませんが、私の中ではなんだかしっくり来てしまいました。

ヨガの呼吸法でも同じで、カウントしたり、片方の鼻ずつやったりと敢えて不自由なやり方を一度通すことにより、解放したときの感覚、自由な存在である本来の自分を感じるきっかけとすることが大事で、4で吸って4で吐くこと自体に本来の意味があるわけではないそうです。目的は内観、ということです。(間違ってたらごめん・・・)

で、そんな話を聞いて、シャバーサナ(屍のポーズ)をしていると、体の力が入っている部分に気づきます。自分ではリラックスしようとすればするほど力が入ってしまう部分。そっと意識を向けていると、やがて「ほっ」とその部分の力が抜けて正に死んだように脱力します。そうすると、また別のところに力が入ったり、また抜けて・・・という感じで、体の状態に気づきます。

「死んだらとたんに立っていられない。つまり人間は意識で立っているということだ」というようなことを野口晴哉が書いていましたが、逆にいうと、力が抜けないということは意識が残っているということですよね。
力が入っている部分はなんらかの意識がそこに力を入れているということなのかなぁと思い、今度はシャバーサナ以外でも自分の体が硬くてなかなか上手くできないポーズのときもただじっと痛みを感じている部分に意識を向けてみました。
すると、しばらくすると「誤解でした」と言わんばかりに急にフッと力が抜けて、前屈でももう1段前にいける瞬間がくるのです。

これはある意味では、痛みに脳が慣れてそれを無視するようになったのかもしれませんが、私の内側の感覚では、「痛い!これ以上行けない!無理無理!」という決めつけの気持ちや、「これ以上前に行ったら切れちゃう!怖い!」というような気持ちを、痛みを感じている筋肉やスジのところが訴えているわけですが、やさしくただじっと待っていると「え?痛くないの?切れないの?」という感じでオドオドと少し緊張をとってみたり、緊張してみたりという感じがあり、そして「な〜んだ!大丈夫なんだ」という感じでホッと緩まるんです。

おお!おもしろい!
だけど、普通のヨガだとシャバーサナ以外はそこまで一つのポーズに時間かけないので、じっくり試すことができないでいましたが、先日1つのポーズに約5分程度じっくり時間をとるという陰ヨガに参加して、実践してみました。

陰ヨガというのは、筋肉モリモリで行うものではなく、じわーっときくポーズをすることで筋肉のより深い部分、骨や筋肉をつなぐ結合組織に働きかけるヨガだそうで、陰陽五行などと組み合わせた感じでやったりするみたいです。私が参加したのは肝胆胃脾を解放する、という講座でしたが、つまりは、脚周りの肝胆胃脾の経絡が通っている部分を使うヨガポーズをじっくり行うことで経絡、エネルギーの流れを整えていこうというものでした。

初めての陰ヨガだったので上手にできなかったのかもしれず、肝胆胃脾の経絡になんらかの影響があったとは思えない出来映えでしたが(揉んだりさすった方が早い気もする・・・)、先に書いた体と対話して意識改革を行う、というのには大変適した時間でした。

やわい気持ちで抵抗している部分は、ちょっとじっとしているだけでふわ〜っと力が抜けて、「マジッすか!?」という感じでペターンと体が床についちゃったりしたのですが、頑固な部分というのがあるわけで・・・。
頑固なアイツは5分では対話さえできず・・・。アイツ・・・右の尻。

アイツとはこれからもじっくりやっていきたいと思います。

この体との対話は、みなさんも寝る時にでも試せると思うので是非やってみてください。

シャバーサナのように軽い大の字で寝て、全身の力を抜きます。といっても、抜いたつもりで抜けない部分があるのが常なので、その抜けない部分ってどこだろう、と探ってみます。右脚かな〜、肩だな〜、とかいろいろあると思いますが、どこか一カ所まず一番目立つところにちょっと意識を向けます。
意識を向けるというのは、そこに注意を向けるという感じで、別に「力抜けろ〜」とか念じる必要はありません。ただ「む、力入ってるな〜。なんでかな〜」などとぼんやり様子を見ているイメージです。
そうすると、たまに何かを思い出したり、何も思い出さなくても意識を向けると余計に力が入ったりとか変化してくる場合がありますが、それでも焦らずただ起こるままにそっとしておきます。

すると、あきらめたかのように、もしくは安心したかのように、急にストンと力を抜いてくれるときが来る、かもしれません。

お試しあれ。

☆インドの聖人のこととか書いてあっておもしろいキミちゃんのブログはこちら

2011/09/16

キラ度高



以前にも書いたかもしれませんが、ぶっちゃけ、私は自然の氣らしきもの、プラーナみたいなものが見えてると思います。

人の周りにあるオーラ、、、は、瞑想状態になって見ようとして見るのですが、氣はふつうにしててなにげなく見ることができます。

幼い頃、自分の目の中にある涙というか目の周りにある液体は自分で見えるのか、という実験をしたときに、自分では「涙が見えた」と思っていた水の流れのような、あるいは、小さなキラキラしたものが周り中をせわしなく動いているものは、どうやら涙じゃないらしい、ということにごく最近まで気づきませんでした。

こうして考えると、よくスピリチュアルヒーラーみたいな人の経歴にある「幼い頃から不思議なことがよく起こり云々・・・」というようなことは自分にはないと思っていましたが、「前からプラーナが見えてた」ということはスピリチュアルな人っぽい技能だぜ、と思いました。

私が見えてるものが実際は何なのかはわかりませんが、どこでもあるものですが、多いところ少ないところがあり、太陽の日差しが強いところでは特にうるさいほどチラついています。(目の病気ではないと思う)
今までで、量がすごいな、と思った場所は、沖縄の海の沖に船で出たときと、ギリシャからトルコまで船で移動している何?エーゲ海?の上と、両方とも海上で快晴というか、暑過ぎるくらいの天気でした。
だからといって、東京の家の中とかそういうところには全くキラキラがないかというとそういうことではなく、キラ度低って感じなだけであります。
だから、プラーナ的なものなのかな、と思ったわけです。

で、見える自慢をしたいわけじゃなく、今回お伝えしたかったのは、私は今まで人の周りにこのキラキラを見たことがなかったのですが、先日太極拳の先生とお話していたときに、ふと見ると先生の周りがすごくキラキラしていたんです。

まさか・・・と思い、一旦別のところを何気なく見たり、まばたきをパチパチしたりして、また先生に目を向けると、それは明らかに沖縄の海上で見たキラキラと同じものでした。しかも、結構すごいキラ度で、少しまぶしいと思うくらいでした。慣れてきて先生自身を見始めるとキラキラは気にならなくなるのですが、ふと見るとキラッキラしてて一瞬先生じゃなくてその周りのキラキラに「☆がキレイ・・・」という感じで目を奪われるほどでした。

オーラ?とも思いましたが、オーラではない?もしくはオーラが濃度を増してくるとこう見える?などとも思いますが、直感的に感じたのは、自然の氣とかなり近い氣を放っているのではないか、ということでした。

そう考えると・・・私もああなりたい!・・・と思わざるをえませんでした。

ウーム、太極拳がんばろっ。

「なりたい」と思うものは既に自分の中にあるもの。
心を解放すればすぐなれる、そう思います。

2011/09/11

氣を放つ


私は「男子ごはん」という番組が好きで結構見ているのですが、夏、男子ごはんを見ていると、かつて見たスイスに「アルプスの少女ハイジ」を探しに行く番組を思い出さざるをえません。
その番組では、確か知花くららちゃんがスイスを訪れ、ハイジにまつわるところを巡るのですが、ペーターというオヤジがやっているチーズ工房みたいなところを訪れるシーンがありました。そのチーズ工房では、昔から手作りでチーズを作っているとかで、チーズ作りの様子を見せてくれていました。
チーズ作りというのは熱いか冷たいかの違いで、豆腐作りの行程に似ている感じがするのですが、スイス人のオヤジが熱い鍋に手をつっこんで布か何かにチーズを集めてしぼるみたいな行程で、鍋に手をつっこんだオヤジの手がアップになったそのとき・・・。
なんと、オヤジの腕が毛むくじゃらだったのです。
オヤジは当然そんなことを気にする様子もなく、せっせとチーズをかき集めだか、かき混ぜだかしていましたが、私は「数本の腕毛が入っているに相違ない」と思ったのでした。
で、話は戻り「男子ごはん」を見ていると、半袖シャツから出ているケンタロウの腕がチラっと映ってしまうことがあるのですが、それを見ると、スイスのあのオヤジが思い出され、「きっと、今このケンタロウが手洗いしている麺や、手ごねしている肉には毛が入っているに違いない」と思ってしまいます。
そんな私は大脳型でしょうか。

それはさておき、私は最近太極拳(の一種)を習い始めたのですが、その太極拳の練習に参加するといつも氣について発見があります。
太極拳といえば、陰と陽の氣を操ることで陰陽のバランスをとり、宇宙と一体化する、というようなイメージがあると思いますが(え?ない?)、太極拳、というか、太極剣なのですが、太極剣の目指す境地は天人合一、なんですね。
自分の内の氣と天の氣(おそらく自分の外にある氣)とを一体化させることでえられる境地を目指すみたいなんです。
そのために、自分の内の氣を養うような気功動作みたいなことをやるのですが、あれって、「オラに元気玉をくれ〜」みたいな感じで、氣を集めたり、モミモミして増やしている、というようなイメージありません?

ま、確かにそういう部分もあるんですが、気功のようなあの動きは、氣を取り込み、自分のまわりの氣を練り練り動かすだけでなく、やがては、氣を放っていくこともするらしいんです。

なので、取り込んで、放って、取り込んで、放ってみたいな感じで行うことで、周囲の氣と合一していくってことみたいなんですね。

「(意図的に)氣を放つ」って感覚、なんだか忘れていた感覚でした。そういえば、そういうこともできるようねぇ、みたいな。

日本人の中には、常に静かな湖面のような意識でいる、平常心、というような、思想があり、誰しも思い浮かべやすいと思うのですが、その思想は割と、氣を収めるというような感覚に近く、氣を放つというのとは違う感じがしませんか?

でも、剣道やら柔道やらでも極めると、静かでありながら、氣を放つことで相手をしとめるわけですから、本来は両方あったのだと思うのです。だけどいつの日からか、氣を放つ部分の方はなんとなく忘れられてしまったように思います。(少なくとも私の中ではで・・・)

そこで、早速「氣を放つ」っていうのを試してみました。
道を歩いているときに、自分の前に氣を放って、自分の行く道から人がいなくなるかな、と試してみたんです。モーゼみたいな感じで。
すると、大体前方2メートル弱ぐらいまでは氣が放たれているらしく、そのあたりに来ると人が避けていったり、他へ逸れたりしました。私に対面して来る人だけでなく、私と同じ方向を向いて私の前方を歩いている人も急に逸れたりしたので、放った氣に反応したのではないかと思います。

なるほど、どうやら氣を放つということはあるな、と思い、今、いろいろな形で氣を放ってみています。

まだ、内の氣の強さがあまりない(丹田が弱小)&自分を解放できていない感じなので、物理的距離だとせいぜい2メートル弱ですが、もう少しパキっと放てるように特訓していきたいと思います。太極拳の練習にもあるし。

まずは丹田に氣を据える癖をつけることから、ですかね。


2011/09/07

アプライドフィジオロジー



タッチフォーヘルスを教えていただいたクミさんは、キネシオロジーのアドバンスド版とも言える、というか、私からしたら、キネシオロジーのオタクバージョンと言いたい、「アプライドフィジオロジー」というものをお勉強中です。

体験モニターを募集されているという話を聞いたので、早速体験してきました。2回も・・・。

アプライドフィジオロジーとはどんなものか、ということについては、詳しくはクミさんのHPでご覧いただけますが、私が体験して理解したことをざっと説明しますと・・・

例えば特定の目標や身体的な状態の改善をセッションのテーマとした場合(テーマはなくてもできるらしい)、そのテーマに対して肉体や非肉体に生じているアンバランスを筋反射を使って探り、またそのアンバランスを整えるための手法も筋反射を使って体に聞き、アンバランスがなくなるまで丁寧に調整していく、というものです。

私は2回とも精神的な面での目標を取り扱ってもらいましたが、両方ともどちらかというとメタフィジカル(非肉体)な部分にアンバランスが生じていていることが多かったです。もしくは、肉体と非肉体両方ともに働きかける8の字が選ばれることが多かったように思います。

そういや、1回目のセッションでは、「気持ち」という調整も行ったのですが、不調和を起こしている経絡に合ったアファメーションが用意されていて、それを任意の回数(体が良いというまで)唱えるんですね。
で、そのアファメーションの内容が、「自己中心的な考えを改める」といったような内容だったので、ギクリとしてしまいました。
ええ、ええ。そうですとも。自己中ですとも。
でも、もう大丈夫です。14回も唱えたので、それもバランスがとれました。

1回目のセッション後、マジ?!と思うほどの便通があり、また発作的に部屋を片付けたので、どうやら浄化が起こったようです。浄化が起こったというと何か汚いものがきれいになったというイメージですが、というよりも、停滞していた突っかかりが取り除かれたことにより、これまでせき止められていた部分がドッと流れ出した、といった感じです。
何か変化が起こっているということは感じていましたが、なんだかとても繊細な部分での繊細な変化であるようで、意識上で「これだ」とはっきり認識できるものではありませんでした。でも、こころなしか、行き詰まっていたいろいろな考えが展開して一様に理解へ向かったように思います。

そんな感じではあったものの、深い部分での大きな変化を潜在的に感じたのか、もう1回受けたくなったので、クミさんの優しさに甘えて、ずうずうしくも再度モニターさせていただきました。

2回目のセッションも精神的な目標でお願いしましたが、8の字や音叉に加え、フラワーエッセンスなども調整法として選ばれました。
不調和を起こしている経絡にあったフラワーエッセンスが用意されているのですが、私の場合はバッチのロックウォーターでした。完璧主義の方へのエッセンス・・・。
ええ、ええ。そうですとも。いつも他の人のやっていることを見て、「この程度でよくも『完成した』と言えるわね」とか思っちゃってますとも。
でも、大丈夫。これについても、再三調整し、ロックウォーターも飲みましたので。

2回目のセッション後、今回は浄化のようなことはなかったのですが、「あ、これがアプライドフィジオロジーの調整で起こる変化なのかなぁ」と感じられるものがありました。
言葉でなんと表現したら良いか難しいのですが、自分自身と調和がとれるというか、あるいは、自分と自分のまわりの世界との調和がとれる感じになる、という感覚があります。
そうして調和がとれると、急にふっと新しい考え方を受け入れられるようになったりするんですね。
私の場合は、急に「全てがこれで良いんだ」と全面的に自分自身及び、現在の自分の状況を受け容れられるようになりました。(完璧主義を解除されたって感じの感覚ですよね 笑)

肉体的な課題について(痛いとか具合が悪いなど)行うともっと顕著に変化がわかりやすかったのかもしれませんが、私は精神的、しかも、結構昔からある根深い課題を取り扱ってみたので、ちょっと繊細な感じの変化でしたが、確実に何かが変わっているのはわかりました。

非常に効率よく、的確にエネルギー調整できるので、肉体的であれ精神的であれ解決したい特定の課題を持っている方には特にオススメです。試してみる価値はあると思います。

クミさんのHPではモニターは終了となっていますが、9月いっぱいまで延長したそうなので、ご興味のある方はこの機会に体験してみてはいかがでしょうか。マッサージやヒーリングとは一味も二味も異なるキネシの世界を体験できますよ。ムフフ。

モニターについては
クミさんのサロン スペース・アオテアロアにお問い合わせください〜。


2011/09/06

学者の血が騒いでいる・・・のか



風邪が終わって体はぷよぷよしていつもより良さそうな状態にも関わらず、このところ胸のあたりがグングン押されるように痛みました。
ハンドヒーリングをしたり、経絡を整えたり、なんやかんやいろいろやりましたが好転せず、もうダメかもしれないと思いそうになったその前に、一応エネルギーリーディングしてみたところ(先にやれ)、先日もめた人のエネルギーがグイグイ押してきていました。。。
さっと取り除いてみたところ、あっさり痛みは治まりました。

こういうことって、やっぱりあるんですね〜。。。あらためて。

体の方の勉強をガリガリやっていると、こういうエネルギーでのやりとりみたいなのものも体の方からエイヤっとやることで整えることができるように考え始めてくるのですが、実際、こうしてヒーリングした方が早い場合もある。
何事にも原因によって適した対処法というのがあるということですね。

さて、少し話しは変わりますが、次のお勉強が始まる前に、今まで習ってきたことを総まとめをし始めています。

エネルギーヒーリングと、脳のバランス調整と、タッチフォーヘルス。
いったいどこの何を整えているのだろうか、それぞれはどうかかわり合っているのか。そんなことをブツブツ考えて、ひとつの概念図にまとめてみました。
我ながらよくまとまったと思ったので、再度自分の頭を整理するために、母に説明してみることにしました。

自分で描いた人体と外的環境の関係図を見せて、

AからBへいくのがCと同じで、うんぬんかんぬん、よって、このA反応をかえるには、イとロにCを行うという式が成り立ち、うんぬんかんぬん・・・

というような感じで図をペンで指しながら説明していたところ、母は最後まで大まじめな顔つきで聞いてくれましたが、あまり理解はしていないようでした。

ま、別に母に理解させるという目的ではなく、自分の頭の整理だったのでいんですが、説明し終えてみると、やはり、何か足りてない部分があると思いました。

そう、この概念図をより深いものにするには、「潜在意識」というものについても、今一度深堀りして考察してみなければいけないことがわかったのです。

ということで、何やらかにやらという感じと思われるでしょうが、今は潜在意識について再考しているところです。

ちなみに、(私の)人体と外的環境の関係図からすると、もっとも効率よく自分を良い状態にしておくには、「脳のバランス調整」をするのが手っ取り早いのではないか、と読み取れます。

脳のバランス調整はエクササイズで行うこともできますが、もっとわかりやすく巷に広まっているのは、いわゆる、「瞑想」です。
瞑想することで、脳のバランスを整えることができると思うので、それによりもっとも効率よく人体のバランスを保つことができそうです。

単なる自説ですけど(^^; 結構いいセンいってると思う。
図はいずれ。