先日紹介した「ニュー・アース」を一度読み終わったにも関わらず、またすぐ読み返しています。
読めば読むほど、なるほどとエゴについて再発見することが多いです。
エゴのまやかしに惑わされることなく、自分の本質的な部分にいつも気づいている、そのまま(本質のまま)でいることができれば、マジでいろいろなことが解決されます。
私も日夜練習中ですが、この「エゴのまやかしに気づく」トレを始めてから、段々自分のエネルギーが変わっていくのがわかります。
内側からビカーンって光るのが時々なんとなくわかります。
目をつむって瞑想しているのに、「ま、まぶしい・・・なんだこの光は・・・」と思って目を開けそうになります。・・・ま、それが自分の内側の光かどうかはさておき・・・。
「ニュー・アース」を読む前から、何度か似たようなことをお話したことがありますが、自分の本質的な部分に接触すると、「何もやらないでいいや」とか思っちゃうんですよね〜。私は。
つまり、逆説的にいえば、私が普段やろうと思っていることなんて、所詮は何かの補償行為(罪悪感のあまりやっていることとか)だったり、エゴのまやかしの同一化でやっていることばっかりだということになりますな。ワハハ。
エゴと距離ができると、何かになる必要も、手に入れる必要もないという感覚になるので、毎日なんとなく楽しければいいや!みたいになっちゃうんですよね〜。ほんと欲がなくなって、平安です。ある種、平凡でヒマな生活です。
そして、それでいいんだと思っています。
「ニュー・アース」には自分の本質に気づいた状態でいれるようになってくると、エゴでやろうとしてたことはやらなくなるけれど、そのかわりに、突き動かされるような衝動で突然何かをやり始める場合がある、と書かれていました。そうでない場合もあるとも書かれていますけど。
ある種のヴィジョンみたいなものが浮かぶという・・・。
当の著者も、そういう衝動でこういうスピリチュアルなことをやっているという・・・。
・・・そういう衝動がナイ方の場合だな。私は。
超気づきの状態になると、「何もやらなくていいや」と思うのですが、気づきの状態から離れてしまうとすぐに、「次はアレをやろうかな」とうっかり考えています。「・・・これが衝動!?」とか一瞬思いますが、私の場合はそうではなく、「何かやってないといけない」という癖のようなもので、やる対象がなくなると、次から次へと提案してくるエゴのまやかしであると気づきました。
あぶねーぜ。また騙されるところだった。
と思いつつ、眠ったある日の明け方、夢を見ました。
目が覚めたとき、「あー、超楽しかった!」と思ったその夢は非常に興味深いものでした。
楽しかった夢の中で私がやっていたのは、女の子どうしで、あーでもないこーでもないとアクセサリーとか洋服を選びっこすることでした。
なんかこういう、チマチマした、いかにも女の子っぽいことが実は私の楽しみなのだなぁ、と我ながら驚きつつ、この夢の楽しい感覚を現実化するよう、がんばってみようと思いました。
とりとめのない内容になっちゃった。
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