2017/12/30

ヒーリングは、魔法の治療法? パート2

みなさん、こんにちは!
もう12月30日!
何と速いことか!
この1年は後半加速した感じがあり、前半と後半でまったく別人になってしまったようです。


さて、今日は「ヒーリング」について、もう少しお話したいと思います。

前回、ヒーリングは「治すためのものではない」という私の考えをお話しました。

とはいえ、大概のとき、ヒーリングですっかり症状が良くなってしまうことがあるのも事実です。


たとえば、先日私の母が、どこかに肘をぶつけたとかで、
打ち身で肘を曲げたり伸ばしたりすると痛いとブツブツ言っていました。
ですので、「じゃ、ヒーリングしてあげよっか」ということで、
ちょっとやったところ、その夜。
「そういえば、肘があの(ヒーリング)の後から全く気にならなくなった」と申し。



こんな感じで、割とすぐ治るケースも多々あります。

肉体的な不調は、オーラやチャクラなどのエネルギーのどこかが、
何らかの原因で滞っているとか乱れていることにより、
ひとつの症状として出ていることが多いようです。

ですからそこが整えば、ウソみたいに症状は消える。
原因まで取り除ければ、同じことがもう一回起こることもないでしょう。

ですが、以前私の師であるレバナにこんな話を聞いたことがあります。

ある女性がレバナのところに相談に来ました。
その女性は長いこと癌を煩っており、
さまざまな治療をしたが思うように好転しなかったため、
最後にヒーリングを試してみようとレバナのところへ来たそうです。
レバナがその女性のオーラを視てみたところ、
悪さをしている霊的存在がオーラの中に視えたため、
それをオーラから出してあげたそうです。

その後、その女性は奇跡的にガンが体から消え、
治ってしまいました。
そして、退院できたため、車で出かけたところ、事故で亡くなってしまったそうです。

この話でレバナが言っていたのは、
「寿命を確認するのを忘れた」
ということでしたが、
要するに、
どうやって肉体の死を迎えるかは変えることができたけれど、
近々死を迎えるということ自体は変わらなかった、
ということのようです。

これと同じような話を、夏の終わりの夜の女子会にて聞きました。
そのとき話してくれた彼女は、インド占星術を学んでいるところ、ということでしたが、
インド占星術では、
変わる運命、変わらない運命、その中間の運命の3つがある、
と言われているそうです。

なんだかわかるところありますよね。
運命って、
変わらないなぁ〜と思うときと、
変わった(自分で変えた)ように感じるときと、
変えられたような、変えられなかったような気がするときと、
いろいろありますよね。

では、寿命は変わらない運命かというと、必ずしもそうではないらしく、
誰かとの出会いで寿命が変わったり、
自分の行いにより寿命が延びたりすることもあるみたいです。
でも、何回も何回もずーっとそうして延び続ける・・・ということもあるのかもしれませんが、
最後のところは決まっているとも言われています。

ヒーリングで治った〜とか、治らなかった〜などという場合でも、
先の3つの運命があるとすれば、
どの運命だったのか、という観点が必要なのかもしれません。

今の自分の状況が、果たして、
変わらない運命なのか、
変わる運命なのか、
中間なのか、
普段はよくわからないという場合がほとんどでしょうが(インド占星術で視てもらえばわかるのかな)
心を鎮めて感じてみることで、わかることもあります。
ただ、それを受け入れられないと、「わからない」状態が続くのだと思いますが。


ということで、ヒーリングといったって、
治る時は治る、治らないときは治らない、
そして、
変わる時は変わる、変わらない時は変わらない、
結局はそういうことです。

この理由は運命以外にも、あることが関係しています。
長くなったので、この話はまた来年!
それではまた!


2017/12/24

ヒーリングは、魔法の治療法?

みなさん、こんにちは!

今日はクリスマスイヴ。
最近では、クリスマスだからといって特別なことはしない人たちが多いそうですが、私の場合ではしないわけではなく、したいけど、・・・。という感じの状況でしょうか。
ま、いいでしょう!





さて、この数年、私自身としては、「ヒーリング」ということから少し距離を置いていて、エネルギーリーディングの方をメインにしていたんですよね。
というのもの、自分に治したい体の症状があったときに、ヒーリングによってあまり効果が出ていないような気がして、ヒーリングってどうなんだろうという疑問が生じたのがきっかけだったんですよね。
でも、結果的には、ヒーリングを自分でしたり、誰かにしてもらってたおかげと思われるさまざまな恩恵があったのも事実で、ヒーリング=似非 とはいえないのかなぁ、などという感覚もありました。
ヒーリングを全く信じていないというわけでもないけれど、「以前」のようには思えなくなっていました。

ということで、自分の中で納得できる答えがなかったので、そういう状態ではヒーリングしない方がよかろうと思い、誰かにヒーリングすることはあまりしませんでした。
自分にはしていましたけど(笑)

「以前」、私はヒーリングをどう思っていたか、というと、
やっぱり心のどこかで、「魔法の治療法」と思っていた節があったのだなぁ
と今では思います。

ウィリアム・レーネンが以下のように言っていました(「宇宙のエネルギーを呼び込む幸運数ブック」)

多くの人はヒーリングとは、医療あるいは代替医療を用いて、肉体的・精神的な状況を改善することだと思っていますが、癒しとは、目に見える改善以上に大きいものなのです。
病気やケガ、困難は”悪い”ことではなく、その人のたましいが必要としているから経験することです。人生に起きる出来事はどんなものであれ、必要だから起きて来るのであり、経験するのです。

私も、「そうだなぁ」と同意でしたが、とはいえ、自分の肉体的症状がなかなか好転しなかったとき、率直に言って「ヒーリングって役に立たない」と思ってしまいました。
ということは、上記のようなヒーリングに関する考えについて、
「そうは思っていたけど、実感はできていなかった」、ということだと思います。

ですが、自分の体験を通じて、ヒーリングとは、単に「病気を治す」とか「○○を良くする」というようなことではないなぁ、と思えるようになってきました。

自分に出ていた肉体的症状を好転、というか消し去ろうとしていたとき、
ヒーリングもまじめにやりましたし、
それ以外のリフレクソロジーやらキネシオロジーも試したり、
フラワーエッセンスもやって・・・と、
ありとあらゆることをやりましたが、
自分が「思い描いていた」ように、好転はしませんでした。

しかし、とあるヒーリングを受けたあとに、おまけでついてくるオラクルカードリーディングで出たメッセージを見て、何だが合点がいったんです。
そのメッセージは「受容」でした。
今の状況を受け入れてください、というメッセージ。

そのメッセージを見て、
「この病気は、経験をすることに意味がある」という、
既に自分のどこかで感じていたけど見てみぬふりしていたことが、
バッチリハッキリわかるように言われてしまったようで、
なんだか受け入れざるを得ませんでした。

そのときに、うっすら、先ほどのレーネンの言葉を実感しはじめていました。
が、まだまだ頑固で完全に受け入れるまでには至っていませんでしたけれど(笑)

あれから約2年。
その後もいろいろ経験し、最近ようやく「ヒーリング」についての考えを変えられるようになってきました。




私の考えでは、ヒーリングとは「変化を促進すること」。
実はこれは、ヒーリングを習った頃から私自身がずっと言っていたこと。
でもその頃は「変化を促進して、治すこと・好転させること」という感じだったんですよね。

今は「変化を促進すること」、
ただそれだけであることが段々受け入れられるようになってきました。

その結果として、何かが好転することもある、だけ。

「もののけ姫」にでてくる、シシ神様みたいなもので、
生きるかもしれないし、死ぬかもしれないけど、
物事がすーっと進む手助けとなる、というイメージです。

日常生活的な視点で見れば、
魔法のようにスッと良くなる、治る、軽くなるといった、
困難の解決がヒーリングに期待されていることが多いですが、
エネルギー的な視点でいえば、
苦楽はエネルギーのバイブレーションの違いのようなものでしかなく、
どちらが良い・悪いといった区別はないわけですね。

ですから、単にそれを通過して、次のエネルギー状態に変化することが、
エネルギー世界での目的というか道筋であると考えられます。

自分や誰かや何かを含む大きなエネルギー体としては、
その一部である自分に今起こっている変化は、
エネルギー全体を次の形へ進めるために必要不可欠で逃れられないものであるのかもしれません。
私たちは、エゴが強い生き物ですから、これがなかなか受け入れられないのでしょう!

とはいえ、一昼夜にしてはなかなか受け入れがたい考えかもしれませんが、
こうした視点も持ってみると、
普段の考えではどうにも経ち行かないとき、
心が休まる一つの拠り所となるかもしれません。

ではまた次回!

2017/12/10

さまざまな旅立ちが教えてくれること

みなさん、こんにちは!

またまた前回の更新から時間が経ってしまいました〜。
いや〜いろいろ忙しかったんです〜。
9月頃からなんだか自分の中で大きな変化を感じ始めていたのですが、
たぶん今はその変化の締めくくり、ぐらいのところまで来たのではないでしょうか。
あるいは中休み!?
いずれにせよ、ここにきて、少しゆとりがある状況です。

どうなんでしょう。
私と同じように9月くらいから何か変化を感じて、
自分や自分の身の回りの状況がドタバタ変わった人はどのくらいいるのでしょうか。

これが私の星回りのせいなのか、
とあるグループソウルに起こっていることなのか、
宇宙全体に起こっていることなのか、
不思議な気持ちで思いを馳せます。

この9月ぐらいから私の身の回りに起こった変化、いろいろあります。
まず、

家のキッチンが新しくなった!
そうなんです〜。
30年くらい前から使っていたキッチンで、
すべてにガタが来た状態だったのですが、
最新型キッチン(だと思う)にリノベーション。
我が家のキッチンは、家全体の中心にあるので、
キッチンを変えるってエネルギー的にも大きな影響があるような気がするなぁ、
と思っていましたが、
いや、ホント大変でした。
話すと長い、って感じなので、また機会があればお話しする、という感じにしたいと思いますが、ホント早々簡単には変わってくれない感じでした(笑)

でも無事、独り言を言いながらも独りで何でもやってくれるガスコンロを導入し、
今ではプチリッチな感じを味わっております。

次に、ちょうどこの頃、
30代にずっとお世話になっていた整体の先生が他界されていたことがわかりました。
亡くなったのは6月のようですが、
今年の4月の終わり頃に一度やりとりしていたので、
とてもビックリして、今でも信じられません。

そして10月、
良き仕事のパートナーであった人が、ネクストキャリアへ向けて旅立ちました。
めでたいことではあるけれど、とても寂しい分かれでした。

また、20年以上の付き合いである大事な先輩であり友人でもある方が、
重い病気で緩和ケアに入院したという連絡がありました。
今年の春先にあったばかりだったので、本当にビックリ仰天して首を痛めました(笑)

さらに11月頭、ついこの間笑顔で話したばかり、という知人が
自ら命を絶ったという連絡がありました。
こちらも、ビックリして全く言葉になりませんでした。
今でも信じられません。

そして11月末、入院中だった先輩が他界しました。

1年で身近な人たちがこんなに他界してしまったり、去ったのは、
私にとって初めての経験でした。
特に、3人もの人が亡くなったことは、
単に驚いた、ショックだった、さみしい、悲しい、以外の
なんらかのメッセージ性を感じざるを得ません。
すべての死に、頭で考えても決して解決されることのない
「なんで?どうして?」という思いが生まれます。

特に、約1ヶ月の入院後他界された先輩の死は、
私のみならず、先輩の友人・知人のみんなに、
感情的な悲嘆以外の大きな学びと成長の機会になったように感じています。

最後肉体を離れるまでの先輩の行いは、
今の私からはとても想像できないほど、
勇敢で愛に満ちたものでした。
こんなことできる人がいるんだ、って感じです。
もちろん、身近な人を病気でなくされた経験がある方達は、
去る人から、すでに私が感じたような、
大きな学びを得た経験があるのかもしれません。

しかし、お通夜や葬儀に参列し、その後のおまけ的な事柄も含めると、
とにかく、「すごい」の一言。

以前、数秘術でその先輩を見たことがあるのですが、
数秘でみる限りは、先輩はかなり古い魂。
私たちを教え、導く使命を持って転生してきているともとれるナンバーでした。

ですから、大なり小なり、以下のような責務をしっかりと果たされたのかなぁ
などと、感じいってしまいます。

その転生の歴史を間もなく終え、神の一部として戻っていくばかりの魂は、
今生で自らに非常に重くて苦痛に満ちた仕事を課す、と言われます。
いずれ時が経てば、
人生におけるすべての出来事は遠大な計画に基づく貴重なレッスンであり、
賢く、年齢を重ねた魂がその学びを完結させるために自らに与えているのだということがわかるでしょう。
そういう魂は恐らく、自分のカルマだけでなく、
人類全体のカルマの一部をも解消させるためにこの世に存在するのです。
そうする中で、私たちが何を見、何を変えなければいけないかを
彼らは世界に気づかせてくれます。
魂からの癒し チャクラ・ヒーリング」ブレンダ・デーヴィス 徳間書店



運命、人生、生きること、死ぬこと、生き方、死に方、受け入れること。
そして、愛、エネルギー・・・
くすぶっていたいろいろな思いが、
先輩をきっかけにググッとシフトしました。
(先に書いた、キッチンインパクトまで先輩のおかげで昇華しました^^;)

すごいことです。

私と先輩の今年のパーソナルイヤーナンバーは6。
そして先輩の運命数も6。
先輩からの壮大な教えと愛を噛み締める今日この頃です。

・・・と感慨にふけりつつも、
私の師であるレバナは、よく、
「自分の葬儀を見に来ている本人の霊体を良く見る」といっていたので、
こういうときこそ、今まで学んできたことが活きる、というもので。
葬儀でも探してみると確かに先輩の存在があり、
こんな時に備えて、というのも何ですが、
霊的存在とコミュニケーションをとる手段を学んでいたので、
肉体を離れた先輩とも、引き続きいろいろとお話はしています(^^
だから、肉体を離れるまでのさまざまな出来事を思うと、
胸がいっぱいになりますが、
一方で、普通に話して来る霊的先輩があるのも私にとっては事実で、
肉体を持った先輩に会えなくてさみしいような、
話していると普段どおりのような。
そんな感じです。

こうしたショッキングな出来事があったときに、
日常的な見方とは違った世界を知っているということは
大きな助けになります。
信じるも信じないも自分次第ですが(^^


今年も間もなく終り、
一年を振り返り、自分と身の回りを浄化し、整え、
輝く来年を迎える準備をしましょう!

ではまた次回!