現代人が強く感じるストレスは、「孤独」とよくいわれていますよね。
確かに、右を見ても、左を見ても、私を見ても「孤独」という言葉に振り回されて、さみしー、さみしーと言っている人はたーくさんいるように感じます。
「孤独」とはいつ訪れるのでしょうか。
一人になったときでしょうか。
二人でいても心が通じ合わないときでしょうか。
私は、「孤独」を意識したときに「孤独」を感じ始めるのではないかと思いました。
つまり、一人だろうが、二人以上だろうが、なんだろうが、孤独とかそういうことを意識してなくて、例えば何かを夢中でやっているとか、集中しているとか、要するに「孤独」に気づいてない、「孤独」から気がそれているときは、孤独を感じないわけです。
ハタ!と、「もしかして孤独!?」と思っちゃったときから孤独が始まるのではないでしょうか。
そういう風に考えると、孤独は自分の内側にはなく外側にあるものなのかなぁと思いました。
そんな風に考えていくと、
「じゃあ、幸せも『幸せ』って気づいたときにやってくるものかしら?」
と思った訳です。
・・・ま、そうでしょう。じゃあ、「幸せ」ってどんどん気づいていけばいいじゃん!とも思いましたが、
でも、そこでさらにわかりました。
「幸せ」って意識した瞬間に、背後に「幸せ・・・でない」ができあがります。簡単にいうと「不幸」ですかね。
そうです。ここは二元論の世界なのです。
だから、「幸せ」ができあがると、「幸せじゃない」も同時にできあがるのです。
じゃあ「幸せ」ってないの!?
ま、ないでしょう。
私たちが普段「頭で考えている」ようなものは。
幸せとは、それを自覚しない状態であること。
孤独と同じで、何も意識してない、幸せを意識してない状態であることが、「幸せ」なのだなァ・・・と、ちょっと哲学しちゃいました。
タロットでいうところの、「0」の愚者ですね。
なーるほど〜。
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