2011/02/22

ヒアアフター


昨年、中途半端に「あの人変わってる」とか「ちょっとS」とか思われるくらいなら、むしろ「野犬」と呼ばれるくらいになってやりたい・・・と思ったことがありましたが、TVでリビアのカダフィ大佐が「砂漠の狂犬」とか「アラブの暴れん坊」と言われているというのを見て、「野犬」より「狂犬」のが強そうでかっこいいな、と思いました。

何せ、狂ってるわけだし。

私も「狂犬」と称されるようになってこそ、だな。(なんでや)

「木場の狂犬」
「江東区の暴れん坊」

・・・すごさに欠けたのは、地域に壮大さがないからだろうか。

砂漠やアラブに比べたら、木場なんて・・・。木場の狂犬ごとき、別に・・・って感じ!

もう少し広いものと・・・。広い・・・ひろーい・・・。

ひろ〜い、ひろ〜イ 海へ 出るがじゃよ (誰か福山さんを龍馬から脱皮させてあげて・・・)

ヒーリング業界とかがいいかな。

「ヒーラー界の狂犬」
「ライトワーカーの暴れん坊」

少しかっこよくなったけど、ヒーラー界の狂犬ってどんな人物だ!?

ヒーラー界の狂犬 TANZI

狂犬からもっと独自性を出すとしたら、私のこのPOISON TONGUE(毒舌)にちなんで、、、

「木場のハブ」もしくは「木場のHABU」(また木場に戻ったんか!)

とか。ハブとマングースのね。ハブってすごい毒なのよ〜。

「江東区のマングース」。。。これだとなんとなくカワイイとさえ感じちゃう。

もう少し素直に・・・、

「木場の毒蛇」

これでどうだ!結構強そう!

「ヒーラー界の毒蛇 TANZI」

悪そう!タトゥーしてそう!

・・・

・・・それはさておき、クリント・イーストウッドの最新作「ヒアアフター」を観てきました。
来世を扱った映画だっていうのと、マット・デイモンが主演っつーので、まー観てみようかなぁ〜となんとなく思ったので、観賞しましたが、結構良かったスよ。私は好きでした。

来世についてとか言われていましたが、もっといろんなこと、たとえば「どう生きるか」とか「人生って」みたいなことについてクリントは語っていたのかなぁ〜と思ったり。むしろ来世はちょこっとしか出て来なかったな。終わり方も「え?」って感じでしたが、でも、好きでした。マットが良い演技してたよ〜。

マット・デイモンが私は案外好きで、ボーン・アイデンティティ、ボーン・スプレマシー、ボーン・アルティメットと、シリーズ全部観た。
ボーンシリーズの何がいいって、絶対的に強いところが好きで、24のジャックなんかは、ダイハードのブルース・ウィルス的にやられたりやったりしながら、最終的に「オッサンまだ生きてるぞ〜!」って感じですが、ボーンは「ボコ」とか「バン」など、結構1激でやっつけてくれます。
また、まさかここには来てないだろ・・・いたーっ!みたいなかっこよさ、最後の方の作品になってくると、やや手こずるシーンもありますが、それでも死にそうになることはなく、最終的には相手の首を折るなどしてあっさり勝つのが良いです。暴力が多いわりに、血なまぐさい感じがないのが良いところかもしれません。

にしても、ボーンシリーズのマットは主役なのにも関わらず、救命病棟24時の江口洋介なみにダンマリです。ほとんどセリフありません。
以前インタビューで、「無言の演技が多いから演じるのが大変ではないか」と聞かれたマットが「ただ黙って立っていれば監督が何か考えたり悩んだりしているように撮ってくれるので僕は楽だ」というようなことを言っていました。
そのときは「ふーん」とあっさり受け入れてしまったものの、今回の「ヒアアフター」でのマットをみて、ダンマリもやっぱり演技していたんだな!(当たり前だけど)と、改めて認識しました。
「グッドウィルハンティング」のときから注目してたけど、マットはなかなかやるな、と思います。ベンがハリウッドのチャラ男的存在になっちゃった感があるのに対し、マットは硬派だわよね。

話を「ヒアアフター」に戻すと、映画の中で、いろいろなチャネラーが出てくるのですが、ある意味勉強になります(ーー;
ああいう人たち、いる。
私もマーカスと同じ気持ちだわよ。

でもなんだか、もう1回観たくなるような感覚を覚える映画でした。悲しい映画じゃないですよ。ちょっと泣けるシーンもありつつ、見終わった後にさわやか系の気持ちになれます。(おそらくな)

・・・まー、私こういう時9種体癖が出て来て、気が済むまで何度でも観れちゃうタイプだからかもしれませんけど。DVDが出たときにでも暇つぶしに見てみてくださいまし。木場の毒蛇のオススメです(^^

2011/02/20

アガスティアの葉


ヨギニのKちゃんと最近偶然に再会しました。

ヨギニのKちゃんは年末にインドに修行に行ってきたばかりで、いろいろなおもしろい体験をしたということで、その話を聞いたりしました。
ヨギなので、ヨガの思想に詳しいのはもちろんのこと、インドにも何回も訪れているので、インドにいるいろいろな聖人についても教えてくれました。

パラマハンサ・ヨガナンダの自叙伝を読んだときにも、いろいろな聖人が登場しましたが、現代にも普通に聖人がいるんだナ〜と、また世界が広がる思いでした。

いろいろな話をしている中で、Kちゃんが「予言の葉っぱ」の話をしてくれました。「アガスティアの葉」というもので、太古の聖人アガスティアが、後にその葉を見ることとなる人たちの運命を記したもので、インドでは自分の葉っぱがあるか探してくれるところがあるそうです。
ネットで調べたら、一時期テレビでも取り上げられ、結構ブームになったようですね。

自分のアガスティアの葉を探すためには、いくつかのYES/NOで答えられる質問をされ、全部当てはまったらそれが自分の葉っぱとなるそうです。質問というのは、例えば、何年生まれである、とか、女である、とか、そういうオーソドックスなものもあるようですが、Kちゃんが実際に聞かれたりしたのは、「親の名前は●●である」みたいなことまで聞かれたそうで、それが全くそのとおりであったのでビックリしたそうです。

「親の名前や旦那の名前まで出てるって、それってどういうことだ思う?」と聞かれ、私は最近ちょうど「もしや、こうなのでは・・・」と思っていたことが確信に変わりました。

ちなみに、Kちゃんはアガスティアの葉を見つけたときには既に旦那様もいたので、未来の旦那の名前を知ったわけではなく、既に旦那である人の名前が葉っぱに書かれていたということです。

で、話を戻しますと、私は最近とある本で「発達途上の生物はあらかじめ準備された鋳型にそって生長している」ということを示すような実験結果があるということを知って、「ということは、何もかもが全て予め決まっていることなのかしら?」と感じていたからです。

そんな風に感じていたところに、このアガスティアの葉の話を聞き、親の名前まで太古の昔に書かれちゃってたとすると、あーもうこれは、やっぱり全ては決まっているのだなぁと確信したわけです。

自由意志や引き寄せなんていう話が近年では、我々日本人にもだいぶ浸透してきていますが、これらの考えと、最初から全部決まっている説というのは矛盾します。

だって、最初から全部決まっているということは、自由はなく、引き寄せたつもりでもそれも最初から決まっていたことなのですから。

現に、Kちゃんの話では自分の理想の旦那様を引き寄せた・・・つもりだったが、葉っぱに書いてあったそうですし。引き寄せたわけじゃなかったんじゃん!ってことなんです。

スピリチュアルなことを学び始めてから知った自由意志という考えですが、それを知ってからずっとことあるごとに、それってなんだろう?と考え続けてきました。

おそらく、自然とともに生きることが普通である私たち東洋人には、あまり馴染みのない発想であり、感覚なのではないかと思います。

孫悟空のように、自分の思い通りにやってやった!と思っていても、お釈迦様の手の中からは出ていなかったという、そういうことなのではないでしょうか。
私は、この考えが自分にはすごくしっくり来ました。

ここにきて、数年来の疑問がパッと解決され、なんだかスッキリ。

それにしても不思議なシンクロなのが、私が自由意志や大いなる流れについてインスピレーションを受けるときにいつも登場するのが、サイババです。

サイババ、、、アフロヘアの・・・覚えていますか?
一時ブームになりましたよね。

トルコで自由意志や大いなる流れのインスピレーションを受けた時に、一緒にいたSeikoに「そんなようなことサイババが言ってた」と言われ、ふーんと思いましたが、なんと今回Kちゃんが修行に行ったアシュラムは、サイババのところだったそうです。

ことあるごとに、登場するサイババ。
サイババについて全然知らないけど、ちょっとサイババの本でも読んでみようかナ〜って思いました。

2011/02/19

時の流れに身を任せ


ダメダメ人間になって1週間くらいたちましたが、ダメダメのすばらしさを実感しています。

それはさておきつつ、やっぱり昨日の獅子座の満月へ向けて自然とモヤっとしていたエネルギーが軽くなり始め、今となっては先日までのどんよりムードがウソのよう。

と、このように、我々は星周りというか、惑星の位置に影響されて過ごしているということをみなさまにも私を通してわかっていただけたかと思います。ハイ。

占星術的に、あの星がどの星座に移動したから、その星座が司る意味が影響してくるとかなんとか、という話を聞いているとまるで夢物語が現実化しているかのように感じてしまうこともありますが、
実際は、惑星が移動することにより、自分に当たっている各種の宇宙光線の角度が変わったり、強弱が出たりとかそういうことで、自分のエネルギーの波長に加わってくるストレス(負荷)が変化し、感情的だったり肉体的に変化が起こっているということがいえると思います。

なので、「時がすべてを解決してくれる」というのは、言えてるなぁ〜と思います。惑星がうごき、地球が回って、傾いて、というのを待つというのも、どうしようもないときにはひとつの手法でしょう。

というよりも、本当はそれがベストなのかもしれませんね。
大いなる流れに身を任せるとはそういうことを言っているのだと思います。

人生を楽に楽しく気持ちよく過ごすには、葛藤しないこと、抵抗しないこと、というのは大きな要素のうちのひとつと私は思います。

惑星や生命のバイオリズムの影響によって自分のまわりに起こってきていることに、変に抵抗したり、葛藤したり(葛藤も流れに抵抗することから起こるものですが)すると、現状がつらくなってしまいます。
とはいえ、ノーガード戦法(あしたのジョーにちなんで・・・)でも、楽しさや気持ちよさはほどほどなのかと思います。

というのは、マッサージなんかを想像していただくとわかると思いますが、痛気持ちいい、という状態は、気持ちいいくらいの抵抗や反発をかけているわけで、それがあることによって、「あー気持ちよかった」とか「スッキリした」と感じたりするわけです。
我々が日常的に活力を持って生活するためには、ストレス(抵抗・反発)が全くないのもダメと言われていて、ほどよいストレスがあることにより、活性化するといわれています。
筋力をつけるときも、体力を伸ばしていくときも、少しずつ負荷をかけていくわけですから。

活性化したり、休ませたりすることで、楽しく気持ちよさも増すような気がします。・・・まー、好みもあるのかもしれませんが。私はメリハリがあるほうが好きです。


ダメダメ人間になり始めのときに、ブラリと本屋へ行ったところ、以前から少し興味があった「パワーオブフラワーオラクルカード」が置いてあったので、買う気はなかったのですが見てみました。

カードを実際にひいてみたかったのですが、「サンプル」と書かれているわりにカードは箱から取り出せなかったので、説明冊子をガバッと開いてみて、本日の状態をひいてみました。

すると、「ケマンソウ(Bleeding Heart)」というカードのページでした。このカードは同名のフラワーエッセンスを選ぶためにも使えるもので、説明には、そのフラワーエッセンスについてと、ケマンソウという花について、この花(エッセンス?)の持つ元型イメージについてなどが書かれています。

で、ビックリしたのは、このカードの元型が「カイロン」だったことです。みなさまはカイロンが最近よく話題に出る(ジョナサンケイナーと石井ゆかりさんのところでは、ですが。)小惑星ということはご存知と思いますが、「傷ついたヒーラー」という元型エネルギーを体現するものとされているそうです。

このカードをひいたときは、そう、ダメダメ人間になり始めの頃で、それはつまり、(ゆかりさんによると)2006年から水瓶座にいたカイロンが魚座に移動したときでした。

それをうっすら覚えていたので、「マジ!?カイロンが移動する影響かよ!」ということで、改めて惑星が移動するときっていろいろな影響が出るものなのね、と思ったのでした。

とはいえ、ダブルチェックをかかしてはいけませんというレバナ先生の教えを守り、一旦「パワーオブフラワーオラクルカード」の本をとじ、他の本を見て用を済ませた後に、再度やってみました。
すると、また「ケマンソウ(カイロンのページ)」だったので、「・・・だよね。」ということで、しかとこのカードが教えてくれたことを受け取れました。

なんとなく、このカードのことが好きになったので、結局買っちゃいました。
てへ(照)。
(買った後どんよりしている間は、やるたびにカイロンでした・・・しつこいよね。)

今から思うと、少し長い間一緒にすごしたカイロンが去るということで、なんかある種の好転反応のような感じで、カイロン前の残り毒がゴボっと出て調整されたのかな〜と思います。

さよなら、カイロン。お元気で。

・・・海王星(1998年から一緒です)が去るときはどうなるのでしょうか。

でも、海王星は、最近ちょいちょい出て行ったり戻ったりして、慣らしてくれてるし。。。急にいなくなるよりはいいかも。


2011/02/13

ダメダメ人間あらわる

先日の水瓶座の新月から急になんか重〜いエネルギーに悩まされ続け、たぶん獅子座の満月までいっちゃうのかナ〜的な感じです。

いろいろ悩んでいる・・・というか、考えることはあるのですが、年に1回くらいは必ず出てくる「スピリチュアルバッシング」。

スピリチュアルとかばかばかしくなっちゃうんですよね〜。
ケッ!って感じで。

いつもは、そうはいってもなんだかんだで、やっぱスピリチュアルって大事・・・とかで落ち着いていたんですが、今度ばかりは最終段階だったらしく、スピリチュアルな自分を捨てることにしました。

・・・前にも捨ててたっけ!?・・・不安・・・。ま、また持ち直してたので再度になるかもしれませんが捨てました。

あー楽になった!

楽楽。

そういう自分をある種の立場に決めつけていたものを今どんどん捨てているので、そういうことから自由になってくると・・・。

そう、出ました!「どーでもえーわい」です。

で、どーでもえーわいの境地になったので、今まで自分を律してやっていたことも全部止めて、逆に結果的にがまんすることになっていたことを片っ端からやり・・・。

これってハタからみたら、ダメダメ人間!という感じのグータラ&堕落模様でしたが、「ダメダメで結構!」と強気姿勢でやり抜いています。
これからもしばらくは、一般的には「ダメダメ」の姿勢でいってみたいと思います。

ダメダメになってみると、いろんなことが気楽で良いです。
でもまだ慣れないので、ダメダメになっていることを忘れてしまいそうになりますが、「いいんだ。私はダメダメ人間なんだから。知〜らない!」とさまざまなことを済ませることができます。

完璧主義人間の成り行きはダメダメ人間だった・・・。

おいでませ。ダメダメの世界へ。
こっちは楽しいぞよ〜♪