2010/08/31

頭は使いよう


・・・今日も試されたな・・・

・・・それはさておき、
少し前に、ふと腑に落ちたことがありました。

それは、直感と思考の関係です。

よくこういうスピリチュアルな世界では、思考っつーのは邪魔者で、直感の方を重要視するのですが、それというのは、我々が直感というものにあまりにも疎くなってしまっているからそう言われているだけで、思考が直感より大事じゃない、という意味ではないのでは?と私は常々思っていました。

でも、大体直感的にピンときたことを、思考でこねくりまわしているうちに、好機を逃したり、全然関係ないほうへ行ってしまったりと、そんなことばかりで、思考が働くと確かにろくなことはありませんでした。

ですがあるとき、ふと、「思考の使い方を間違っているのではないか」という考えが頭に浮かびました。考えといっても、これは直感って方ですね。

どのように間違っているのかというと、私は大抵の場合、直感でピンときたことを評価したり、それが正しいのか間違っているのかを検査や調査するために思考を使っていました。
ですが、本当は、直感でピンときたことを、どのようにして実現化したり、実行したりするか、ということを考えるのが思考なのではないかな!と思ったんです。直感で。

そんな風に思うようになったら、直感が降りてきても、あんまりそれ自体に疑いの目を向けることもなくなり、それはそれとして捉えて、「んじゃ、どうしようか」ということを考えるようになりました。そのほうが建設的だし、前向きな感じで、さらに現在に立っている気がして、気に入っています。

疑いやら、判断やら、批判やらのために思考を使う癖がついていたので、直感で得たものを現実化する足かせになっていたようです。
直感には思考のもつような体系だったものが欠けているので、直感と思考をバランスよく使うことにより・・・まさに鬼に金棒やがな!

みなさんも、思考の良い面を全面に引きだして使ってあげてくださいましね。

2010/08/29

試しの使者


6月にフェイシャルリフレクソロジーヒーリングコースを受けていただいたお客様より、その後の激動の数ヶ月についてのメールが届きました。
フェイシャルリフレクソロジーは、肉体からエネルギーに働きかけるセラピーだと私自身は考えていますが、ご本人の変化の後押しとなれたようで大変うれしいです!

フェイシャルリフレクソロジーを受けていただいたその他のお客様からも感想をいただいておりありがとうございます!マニアックな肉体と事後反応の詳細レポートは私にとって大変参考になります。今回は激動ぶりが大変印象的だったYさんの感想を掲載させていただきました♪

→「お客様の声」よりご覧ください♪


さて、話は変わり・・・

最近発見したことがあります。
・・・といいつつ、もしかしたら以前にも発見していてブログに書いているかも・・・。歳をとると何度も同じ話をしてしまう、ということで既知でしたらお許しを・・・。


で、何を発見したかというと、「決意すると試される」ということです。

先ほどのYさんの感想でも、「一旦決めてみたら、周りの環境がまるで舞台装置が切り替えられるようにごろごろんと変わって」とありましたが、「こうしよう!」と選択して決めると、このように変化が顕著になるのはよくあることです。

私の場合は、こういうスパっと切り替えることがあんまりできていないのか、「よし!こうするんだ!」と思っていても、幾分かまだ未練や迷いを残しているようです。でも、理性とか意志の多くの部分では、「もう戻らないんだ!」としっかり踏ん張っています。

こういう状態のとき、私が手放そうとして今勇気を持ってゴミ箱へポイッと捨てたものに対して、あたかもそっちのほうが価値があるのだ、というように言ってくる人たちが現れるのです。

これを最初に実感したのは、屋久島旅行のときでした。
屋久島での旅では「自分の選択に責任を持つ」ことがテーマでもあったのですが、「一人で屋久島に行った」こと自体が私のひとつの選択だったわけですね。

で、今から思うとくだらない感じさえしますが、「一人で来て本当によかったのか?いや、これいいはずだ・・・。でも・・・」と、モジモジグダグタ考えていたりしたわけです。
とはいえ、テーマは自覚していたので最終的に腰が引けつつも「いいんだ!これで!」と自分に言い聞かせていた訳です。

すると、旅の最初の方の行程では、なぜか、私が一人で屋久島へ来たことに否定的なことを言う登場人物が何人か現れました。
バス停で一緒になった地元のばあちゃん。女の一人旅完全否定。
ま、ばあちゃん、島から1回も出たことないっていうから、女の一人旅が信じられないのはあたりまえかもしれないのですが、「ありえない」と言われると、ユラユラ私の心はその度に揺れちゃうんですね。
でも頭では、「ばあちゃんだから仕方ない」と自分に言い聞かせるわけです。一人旅なんて普通よ、見て!周りを!と周りを見渡すと、偶然、周り中、カップルやグループで、一人の人0%。マジ!?あれ?旅の情報ウソ!?とか思って、またユラユラ。

山で会ったオッサンたちにも、「ありえない」と否定され、その度に「マジ!?ダメだった!?」「間違ってた!?」とかドキッとしましたが、段々、「ええい!うるさい!あなたと私は違うんだからいいんだ!」と腹がようやく座るようになってきたわけです。

そうすると、不思議なことに、その後は、一人旅を肯定するような人物ばかりが目の前に登場してきたのです。

なんかそのとき、「・・・もしかして、試されてた?」と思ったんです。

で、そんなことがあったのですが、最近も、停滞していると思われる大きな2つのことにようやく手を付け始めたのですが、「少しスムーズになってきたな」と思うや否や、またもや試す者が出現したのです。

そのときは屋久島でのことを忘れていたので、一瞬、「・・・え?やっぱり私間違ってる?」とまた思いそうになりましたが、「・・・ていうか、試されてる!?」とハッと気づいたわけです。

私の近くには、エネルギーの変化に妙に敏感な「母」という存在がいるので(本人の自覚なし)、私が密かにエネルギーを変えていると、母がなぜかその話題を話し始め、今回はその試しの使者になっていました。

試されている → もうすぐ変化がうまくいく

ということが経験済みなので、試しの使者が現れると、「おっしゃ!来たな!」と、もっといったるで〜!という気持ちになれるようになりました。

私の前に出現する試しの使者は、大体私がやろうとしていることと反対のことを支持してきます。私が特にその話をしていなくても、自動的にそういう話題が出て、「こういうのって絶対こうだよね〜」とか聞いてもいないのに言ってきたりします。

わかりやすく反対のことを言ってくるので、使者だな、と段々すぐわかるようになってきました。

みなさんにももしかしたら同じようなことが起こっているかもしれませんので、気をつけて観察してみてください。おもしろいですよ。


2010/08/24

望みを叶えたいなら


望みを叶えたいとき、いったいどうしたらよいでしょうか。

私が最近思う、望みを叶えるためにもっとも大事なことは、「何を望むのかをハッキリさせる」ことです。

「これはやだ」とか「あれじゃない」などとはキッパリ思うものの、では何が良いのか、具体的にどうなってほしいのか、と考えると、案外ぼんやりしか思い浮かばなかったりします。

もしくは、「他の誰かが前に考えたおアツラエ向きのこと」がすぐに頭に思い浮かぶかもしれませんが、実際はそれは自分自身が本当に望んでいることとは違っていたりします。

私の場合は、望みがハッキリしてくるまで少し時間がかかります。

まず最初には、「これじゃないんだよな〜」という感覚が生じ、
「こうなってほしい」という考えがすぐに思い浮かぶのですが、それは実際には自分の本当の望みとは少しズレていて、反射的に出て来た「これじゃない」と思ったものと反対のことです。
で、やっぱり「でも、ちょっと違うかな〜。えーとえーと・・・」と日々思いをめぐらせて、余計な考えを取り除いたり、ぼんやりしている部分を具体的にしていていきます。

そうやってしばらくやっていると、自分が望んでいることをシンプルにハッキリと表現できるようになります。

そうなって初めて、宇宙や世界やワンネスやハイアーセルフとか、自分が願いを叶えてくれると信じているもので良いですが、それにスパッと伝えます。

そうすると、割とすぐに叶います。実現化してきます。
もちろん、グラウンディングしておくことや、自分のエネルギー体を自分の肉体と一緒にしておくことなど、そういうごく基本的なことはやっている前提ですが。

で、このスパッとシンプルにハッキリと望みを表現できないで、ぼんやりしたままお願いしても、全然叶って来ない・・・。というか、もしかしたら実現化してるのかもしれませんが、自分の本当の望みでなかったり、実現化されたものもぼんやりしているので気づかないのかもしれません。

自分が本当に望んでいることを知ることは、意外と難しいです。

自分が何を望むのかすぐにハッキリしてこなくても焦らないこと。
自分のことなんですから、ゆっくり冷静に考えればわかるはず。

慌てず焦らず、ゆっくりじっくり自分を見つめればわかってくるでしょう。

2010/08/22

恐れ


マイブームのチャック・スペザーノの「ヴィジョン心理学」。
そのどういうところが気に入っているのかというと、ほんわりした精神世界の知識を、理論だった心理学をベースにチャックが上手に整理してくれているところです。
今までバラバラのピースで存在していたものが、ひとつの絵のどの部分にあたるのかよくわかるようになり、非常に勉強になります。

そのおかげで、罪悪感とか競争心、完璧主義、犠牲、などなどいろいろな事柄についてより深く理解することができました。

チャックの考え方としては、私たちの性質として、なぜか変化を恐れるという傾向があると言います。成長を恐れる気持ちがあるのです。
「変化(成長)した結果どうなるのか教えてくれれば(成長)する」というスタンスの人が結構いるのではないでしょうか。ですが、大概変化というのは、先が見えない曲がり角のようなもので、曲がってみなければ先に何があるのかわかりません。

で、大体の人が「ということは、何か恐ろしいことが待ち受けている可能性がある」と思うようで、「ということは、幸せが待ち受けているかもしれない」と思う人はあまりいないようです。

この「変化への恐れ」が大枠全てのベースになっていて、この恐れを無視しようとしたり、見ないようにしたり、気をそらしたりするように、表面的ないろいろなものが出て来ているのだと思います。

たとえば、

「私は強烈な劣等感があり、そのせいでいつも人間関係がうまくいかない」

と思っている人は大抵、この「強烈な劣等感」を解消しようといろいろなワークをやると思います。
それは間違っていないことだと思います。

でも、もう一歩踏み込むと、「強烈な劣等感がある限り、私は変化(成長)することを免れる」という気持ちがある可能性があります。

その場合は、「もし、この劣等感が解消されたら、次のステップはいったい何なのだろうか」ということに思いを巡らせてみます。

すると、もし劣等感がなくなったら、今までうまくいかなくても劣等感のせいといって逃れられていた人間関係に真正面から向き合わなくてはならなくなる、ということがあるかもしれません。

ということは、劣等感を解消しつつも、「新しい人間関係を創ることと真正面から向き合うことへの恐れ」も解消することが遅かれ早かれ必要になってくるということです。

こういう観点でみてみると、自分が認識しているうまくいっていない部分というのは、大概その先のステップへと進むことへの恐れがあるようで、いつまでも「言い訳」を創っては、停滞した状態でいることを自分で選択しているように思えてきました。

今はなんとかやっているのに、今はしあわせなのに、変化したら不幸になるかもしれない

これ自体も変化しないための言い訳にすぎません。

今幸せなら、自分がどんどん次の段階へすすめば、今の自分には想像もできないほどの喜びと幸せが自分のもとへとやってくるでしょう。

今幸せと感じていなくても、それは同じことです。

チャック曰く、「幸せでなければ、それは真実ではない」そうですから、基本私たちは「幸せ」であるはずです。

だから、恐れの罠に引っかからないように注意してください。
目の前にもっともらしい深刻な事態がチラついたら、それが自分の言い訳じゃないか、よく確認してみましょう。

人はごまかせても、自分はごまかせない、とよく言いますが、
案外自分もごまかされていることがありますよ(笑)

選択するということ



いつもお世話になっていて、ブログを楽しみにしてくださっているお客様から、直々に・・・メールで・・・「ブログを更新してください」とご要望をいただきました。

・・・すんません。更新せず。

毎度の言い訳ですが、水星の逆行のせいです。

あれ?最近更新ないな?ってときは、そろそろ水星が逆行するのかもしれない、と思ってください。

ブログ更新の直訴のついでに(直訴のほうがついでかな^^)、フェイシャルリフレクソロジーとニューロフットリフレクソロジーの感想を送ってくださいました。

フェイシャルリフレクソロジーを受けていただいてから数ヶ月経っていたのですが、受けて以後から怒濤の変化を体験し、今に至るとのこと・・・。とてもすばらしい体験をされたようでした。(ご本人は体験中は大変でしたでしょうけれど)

いただいた感想の中に、

「一旦決めてみたら、周りの環境がまるで舞台装置が切り替えられるようにごろごろんと変わって、」

と書かれていました。

「決める」「そうするのだと選択する」というのは、物事を変化させていく上でとても重要なことのようです。

以前にもお話したかもしれませんが、現在の自分及び自分の周りの状況は「自分が選択して創っているもの」です。

だから、現状にブーブー文句を言うにしても、ブーブー言わなきゃいけないのは自分に対してだったりするんですね。

でも、自分で創っているわけですから、現状が嫌なら、好みの感じのものを創りだせばいいわけです。そのときに使うのは、特殊な霊能力というわけではなく、「選択」です。
「あっちじゃなくて、こっちにする」という選択を自分ですれば良いだけです。

マイブームのチャック・スペザーノの本にも、選択の重要性が書かれています。
選択は一見したところ、とても簡単そうに思えます。
実際問題、それ自体は難しいものではないですが、難しくさせているものがあります。
それは「恐れ」です。

恐れがあって、選択することを邪魔しているのです。

この「恐れ」というものについて、私は最近ようやくわかってきました。
今までわかっていたつもりでしたが、恐れのさまざまな姿に惑わされて、恐れなんて案外ないな、なーんて思っちゃってました。
でも、実際は、私の心の奥底には恐れがたっぷりあって、発見の仕方のコツを掴むと、あっちからもこっちからもその恐れを簡単に見つけることができて楽しいです。お!みーっけ。これも恐れだな!的な。
(そのコツについてはまた次回書きますね。)

とにかく、
一瞬一瞬、自分が今何を選択して、その結果が何なのか。
それは自分の周りを見回せばすぐにわかることです。
深いところでは、いかなる選択も自分自身がしています。
だからといって、もし現状が自分の理想とかけ離れていても、自分にがっかりするのは止めてくださいね。
さっきも言ったように、選択すれば変えることができるのですから。
自分の創りだしてきた過去にいつまでもがっかりしているよりも、これからどうしたいのかを決めることの方が創造的だと思いませんか?

そんな感じで、「選択」ということをこれからもう少し自覚的に行うようにすると、自分の人生というものの輪郭が徐々にハッキリ見えてきて、自分が今ここに生きていて物事を変化させている、という感覚をよりハッキリと感じられるようになってくると思います。






2010/08/21

ヤギ


遅ればせながらTVで紹介されているのを見て、初めてこのヤギの存在を知りました。

疲れたり、腹が立っているときに、一緒に叫ぶと癒されます。(一緒に叫ばなくてもいいけど)
私の中では、このモノマネするのがマイブームです。
絶対、わーって言ってるよね・・・。



2010/08/08

関係性の罠


先日ふと思ったことがありました。

私にも一応人並み程度の悲しい出来事の経験があるのですが、それが原因で人と人との関係に対してとても悲観的な一面があるなぁと。

私は自称とっても繊細な・・・これは霊的に繊細なというよりも、精神的にナイーブな、といった方が正しいですが、そういうところがあったので(過去形?)、人並み程度の悲しい出来事を非常に重く受け止め、いつしか深い人間関係を避けるようになっていたようです。

私の言い訳としては、「もう何も失いたくない」という気持ちがあったからなわけですが、「失わない」最良の方法は、「手に入れないこと」だったわけですね。

なので、誰とも親密にならないし、そうこうしているうちに、自分が「もう何も手に入れない」と決めたことさえ忘れてしまっていました。
例によって(^^

ですが、最近「そういや、そんなこと決めたっけなぁ」と思い出しました。思い出したので、当然ヒーリングしたわけです。

ヒーリングしている途中も、それはそれは恐ろしかったものです。これをヒーリングしてしまったら、また失うことを体験するハメになるのではないかと・・・。

でも、それでも勇気を振り絞ってヒーリングしていると、それが単なる自分が創りだした幻想であるような気がしてきました。

つまり、こうです。

「失うことへの恐れ」を理由に、誰かとの関係をブチ切っていたのは自分の方であると。
思い返してみると、私とさらなる関係を深めていきたいと手を差し伸べてくれていた人たちはたくさんいたように思いますが、どうやら私はめんどくさかったようです。
そして、どうやら「親密になること」の方を恐れていたようです。
誰かと親密になり、自分のより深い部分を見つめることになったり、世界のもっと深い部分を理解することを潜在的に恐れていたのだと思いました。

「何かを失う」ということはもしかしたら本当に幻想なのかもしれません。
少なくとも人間関係においては?

続けたければ続けられる。

距離が離れていても。

相手が霊的なエネルギーに変わってしまったとしても。

もし相手に拒絶されたとしても。

自分の深い部分にある、根深い恐れを知ることは大事なことですね。


2010/08/07

透視リーディングについてなど

8月は透視リーディングのキャンペーンということで、少し透視リーディングについて書きたいと思います。

SalonMには、透視リーディングコースとオーラ・チャクラヒーリングコースというのがありますが、オーラ・チャクラヒーリングコースにも透視リーディングを使います。

肉体的、エネルギー的に不調を起こしている原因について透視リーディングで見ていき、それぞれの原因にあったヒーリングをしていきます。

一方、透視リーディングでは、ヒーリングは行わず、主にお客様がみてほしい何かを見るという感じでした。

なので、私自身も「ヒーリングコースの方が結局透視リーディングもあるし、ヒーリングもあってお得じゃない?」と思うところもありました。

ところが最近、コレット・バロン・リードの「直感能力者が伝える人生の真実」という本を読んで少し考え方が変わりました。

コレットは以前紹介した「魔法の王国オラクルカード」を創った方でもありますが、有名な霊能者です。自分もオラクルカードを使ってリーディングもするようですが、実際はカードから何かを読み取っているというよりは、カードは「見てもらう側」のためにあるようなもので、自分は勝手に降りてくる情報を相手に伝えているという感じのようです。

コレットはこれまでに何人もの悩みをその直感能力を使って解決に導いてきたわけですが、彼女自身はヒーリングは特に行っていません。
というよりむしろ、この「霊的なメッセージ」こそがヒーリングを起こしているように思いました。

「霊的なメッセージ」は、ときに長い間悩んでいて、自分ではどうにもこうにも外に出られないと思っていることや、受け入れられないできごとなど本当にさまざまなことに対して、奇跡的な癒しを引き起こすことがあります。
それはなぜかというと、ひとつには、「霊的なメッセージ」を得ることにより、悩みを抱えていた人々に「深い理解」が訪れるからではないかと私は思っています。

なぜこんなことが起こっているのかわからない、という状態だと人は割とジタバタあがいて、気がついたら自分で自分に縄をグルグル撒きにしていたりするものですが、なぜだかわかると、急にその状況にあらがわなくなったりします。

肉体的な現象に例えていうなら、ずっとお腹が痛かったりすると、何か恐ろしい病気が自分に起こっているのではないかと不安になったり、もっとひどいと、勝手に「自分はもうダメなんだ」と思い詰めて、悲しみのどん底に落ちていったりしますが、病院に行って結果「便秘です」などと言われると急に元気が出て来たりする。便秘を解消するために、何かを始めようとしたりするかもしれない。
そんな感じと似ているのではないでしょうか。

だから、必ずしも「ヒーリング」という「行為」自体が必要なのではないのだなぁと思いました。
「ヒーリング」とは「変化を起こす」ことであるわけですから、メッセージだけでも十分起こりうるわけですね。いずれにせよ、「ヒーリング」を起こす側はヒーラーではなくヒーリングを受ける側ですから、本人にとって変化を起こすきっかけとなればなんでもいいわけですね。
道端の花を摘んでみた、とかでも大きなヒーリングが起こる場合もあるということです。

というわけで、透視リーディングのすばらしさを改めて実感したので、今月はキャンペーンにしてみました(笑)

よろしければ是非体験くださいませ。

SalonMの透視リーディングコースについては→こちら


2010/08/06

エネルギーが変わると・・・

なんやかんやで、2年くらいなんとなく足踏みしてたような、もしくは牛歩だったような気がしてましたが、昨年から急激に私の世界が動き始め、この8月に至ります。

私が「う〜む。ようやく自分のエネルギーが変わってきたのだな〜。」と実感したことの1つには、「行きたいところができたこと」があります。

あちこちウロチョロ行っているのはみなさんにもブログからわかると思いますが、とはいえ、何気に同じとこだったりするわけですね。

なぜ同じところばかり行っているのかといえば、「好きなものはとことん吸い尽くす」性分だからで、じゃがりこが気に入れば10年じゃがりこ一筋であることからもわかると思います。
それに、他に行きたいところが思いつかなかったんですね。
なので危うく、セドナ、バリ、ハワイを何度もウロチョロしてしまうところでした。

ですが、8月に入り、なんとなく「次に行くなら・・・

ニュージーランド
とか
ユタ
とか
ヨセミテ
とか

だな!」

とか思い始めたわけです。たぶん、絶対行くと思います。
※もちろんフィジーも。

パスポート無意味に10年更新してよかった♡ 高かったからね〜。

こうして、好みが変わってきたのも天王星が移動してしっくりしてきたせいかもしれませんが、なんにせよ、切り替わりがハッキリしてきているのかもしれませんね。
私にとっての今回の天王星の位置は、「好みが変わる」という位置になっているので、なるほど・・・といった感じです。
それに、最近結構、潜在意識下にあった古いエネルギーを急ピッチで浄化しているので、それも影響しているのでしょう。
卵が先か鶏が先か、といった感じですが、これも全て生まれるときに計算済みのことなのかもしれませんね。

そして、もうひとつ。

我が家に地デジ対応テレビとブルーレイHDDレコーダーが来た〜!
ひゃっほー!遅いぜ〜!ぎりぎりセーフ!

「地デジなんて、ケっ!」

と思って踏ん張っていましたが、とうとうテレビの調子が本格的に悪くなってきたのでこれを気に買いました。それになぜか、ハワイに行っている間に再放送が終わってしまった「私の名前はキムサムスン」の放送が8月だと勘違いしていて(ハイアーセルフにそうされた気がする)、「再放送までにブルーレイかわなきゃ!」と思ってあわてて買った次第です。

キムサムスンは録画できませんが、地デジテレビではBSなどのいろいろなドラマを観れたり、録画方法もかつてのVHSに比べものすごい簡単なのでむやみに録画してみたりして、もうテレビの前から離れられません。

私がテレビを真剣に操っているところを母が見て「小さい頃ファミコンやってたときと同じね」とつぶやきました。

アラフォーですが、まだ少女の頃の心を失わずにいれたようです!

といった感じで、惑星の影響が如実に現れ始め、私の世界がまた一段と色鮮やかになってきております。

2010/08/01

借りっていいね

「借りぐらしのアリエッティ」観ました。
志田未来ってホントただモノじゃないね。すごい。
全然違和感なかったな〜。アリエッティとして受け止められました。

今回は駿は、企画と脚本のみで、監督は若手ということで、どうかな〜と思いつつ見に行ってみたところ、結構いい感じでした。私はこういう乙女チックなの、好きです。
見終わった後に心があったか〜くなるような、ステキな映画でした。

小人の映画ですが、私はてっきり「妖精」の映画かと思っていて、間違えていました。妖精について少しは勉強になるかしら、と思って観に行ったというのもあったのですが。小人っす。

よく、「寝ている間に小人がやってくれる」とか言いますが、小人っていうのはやっぱり見られちゃいけない人たちなんですかね。この辺にはいないだろうな〜。隠れるところないしな〜。私から借りていいから、多少部屋を片付けて欲しい。(希望)

この映画の中では「借りっていいね〜」みたいな台詞があるんですが、最初「狩り」かと思って聞いていましたが「借り」でした。

一般的には、借りたらなるべく早く返す、のが常識かと思いますが、私は自分が何かを貸した場合「いつ返してくれるんだろう」ということがすぐ気になっている方でした。なんかセコくて嫌だったんですよね〜。

でも、先日ハワイに行ったときに買ってきたぬいぐるみに「このぬいぐるみの性格」みたいな紙がついていて、「この子は必ず借りたら返します。でも、返すのは100年後かもしれませんが。」というようなことが書いてありました。

・・・なるほどね。なんか、そう考えると、あまり借りたとか貸したとか気にならないな〜と思いました。特に誰かに何かを貸したときも、「ま〜、遅くとも1,000年以内には返ってくるだろう」と思うと、のんびり待っていられるようになりました。物理的なものでも、そうでないものでも(^^

私に何かを貸してくれる人も、そのようにノンビリ構えていただけると幸いです。