2011/11/07

人生がときめく片づけの魔法



知ってる人からしたら「今さら!?」って感じなのかもしれませんが、コンマリちゃんの「人生がときめく片づけの魔法」に出会っちゃいましたよ〜。別の本を買いにいったときにレジ前にあって、帯にあったコンマリちゃんらしき女の子がかわいかったので、「もう年末だし片付けっしょ」ということで。

コンマリちゃんの片付けの肝は「ときめくかどうか」なんですが、ときめかないものは基本的にさよならし、ときめくものだけ残します。

このある種の乙女チックな手法、ときめくだけではやっていけないという人も多数いるようでamazonの評価の星1個しかつけてない人のコメントなどを見るとすごい評判悪いです。(私はamazonの評価は基本的には悪い方の意見ばっかりしか見ません。良い評価のは最後に目治しに少し読む程度。)
だがしかし、今ここに至った私にはこの「ときめき基準」が妙にしっくり。
半年前なら私も星1個だよ。たぶん。

「ときめき」とはなんでしょうか。
「ときめき」を感じられるんだろうか、と不安に思いつつ、試しに衣服の整理を始めてみると、「ときめく」という感じがはっきりわかりました。というか、ときめかないときがあってこそ、ときめくがわかるのですが。1枚1枚の衣服を拾い上げて「ときめき」があるのか確認していると、段々、不思議なことに気づきました。
「ときめき」だけでなく、「私をもう捨ててください」と言っているような気がする衣服が登場したことです。それは大概、大好きすぎて破れても着ていたり、破れていないまでもいささかくたびれた感のあるものなどでした。
「でもまだ私あなたといたい!だって好きなんだもん!」というとその服は従順にもわかりましたいいですよ、という感じになるのですが、なんだかもう旅立とうとしている人に無理言って一緒に居てもらっている感じがして、最後には「少しさみしいけど、私あなたを旅立たせる準備ができました」と、その服とバイバイしました。

と、こんな感じで、「ときめき」を確認したかっただけだったのに、物と会話できる能力が開花してしまいました。コンマリちゃんの本には、家にもありがとうと言おうなどという話が出て来て、そういうのを受け付けない人もいるようですが(amazon評)、私は逆にコンマリちゃんの感覚がわかった感じがしました。

では、物に魂、なんやら神みたいなものが宿っているということなのでしょうか。
それについてはよくわかりませんが、ひとつ言えるのは、それがなんだろうと、私たちの潜在意識は物のエネルギーと繊細なやりとりをしてそれを認識できるということです。
タッチフォーヘルスをやったときに、意識では全く知らないことを既に体は知っていて正確に反応を示していることを知りました。なので、ときめくかどうか、ということは、そのものに対し自分の体がどんな反応をするのか、ということで、実はとても奥深く、そして大切な基準なのではないかと思っています。


数年前、セドナに行って帰ってくるとエネルギーが変わったのか妙に片付けたくなり、「ガラクタ捨てれば自分が見える」を読んで片付けたのですが、このときも相当捨てたものの捨てることが苦痛でした。

でも今回の「人生がときめく片づけの魔法」でのときめき・・・というか、もはや物との会話を通じて整理すると、お互いの間にある種の理解みたいなものがあって、ある種の役割が終わり私ともう一緒にいれないもの、まだ一緒にいるものが分かれる感じなんですね。この感覚、まるで前のボーイフレンドと別れたときみたいだわ!アッハッハ!
なので、捨てる前に、「ホントにありがとねー。そしてサヨナラ・・・」とギュっとゴミ袋を抱きしめ、ご挨拶してバイバイします。そうすることにより、縁切りの儀式が終わるようです。人間でも物でも、きちんとさよならの儀式は必要のようです。

そうして、服だけでも相当お別れしましたが、服よりもすごかったのが本・・・。量という意味では服のが断然旅立ちが多かったですが、本は何がすごいって、過去の自分と今の自分が恥ずかしいほど見えちゃうんです。
ときめき基準で本を整理していると、残る本は・・・ハリーポッターと聖おにいさんと、解剖学の本少々と野口晴哉関連の本と数秘の本とその他ちょろり・・・って感じで私の頭のなかって・・・って感じでした。でもこれが、過去がそぎ落とされた今の私ってことみたいです。
旅立ちを決めた本の多くはスピリチュアルな本でした。あと、昔おしゃれを気取っていた時に買ったオシャレ人が読みそうな本たち・・・。デザインとかアートの本とかね・・・。
思えば、今年はヌメロロジーの第2ピナクルが9の年で第2ピナクル9年間の締めくくりなんですね。第1ピナクルが睡眠期だとすると、第2ピナクルはスピリチュアル期と命名できるのではないかというどっぷりスピッた歳月でした。そんな中、エンジェルやら妖精やら、ワンネスやらマナやら自然療法やらオーラソーマやらクリスタルやらとありとあらゆるものを物色しました。どこかに私の居場所があるんじゃないか、どこかに私の知りたかったことが書いてあるんじゃないか、答えを知っているのはどれなんだろう・・・みたいな感じで。結果、青い鳥は自分の家にいたってことですよ。

今回の大片付け(おそらく年末まで続く・・・)をして気づいたことがまたひとつ。
私は、好きだからというものより「使えるから」という理由で自分の周りに置いているものが多いということ。「ツカエル」というのは魔法のような言葉ですが、ツカエルものがたくさん身の周りにあることで、好きだけど多少不便なものが少ないのは幸せを感じられるのかと考えると、長期的にみれば満足度は下がるように思いました。そういう視点で見ると、ものだけでなく、自分自身が選んでいるいろいろなこと、環境やら人間関係やらも、もしかたしたら「好きだから」よりも「ツカエル」を優先してしまっているのではないかと少しゾッとしました。

太極拳の先生が教えてくれたのは、天人合一の境地に至るためには、まずは太極を知るということから始めましょう、ということ。太極を知るための方法のひとつには、自分が好きなものと嫌いなものをはっきり分けてみること。今回、ときめきという手段を通じて太極につながることができたような気がします。好きとキライを知ることで、どちらにも通ずる無極を感じることができる、ような気がします。

これからは、ツカエルよりトキメキを基準にしてみようかなと思います。
ツカエルはThinkだけど、トキメキはFeelってことのようですしね。

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