2011/09/20

ヨーガの味わい



ヨーガを定期的にやり始めて1年・・・。その前に家でDVDで始めた頃から換算するともう数年になりますが、ここにきて、私なりにヨガの味わい方が少しわかった気がしました。

クリアサイトで一緒だったヨガインストラクターのキミちゃんとバッタリ遭遇してから、たまにお茶したりして、いろいろなお話をする機会があったのですが、彼女がヨガを学ぶ道中で得てきたヨガの(というかインドの、なのかもしれませんが)、深淵な智慧を私に話してくれるので、私の中でもヨガに対する考え方が変わったのだと思います。

ヨガのアノ動きは、解剖学的にも大変良く考えられた動きであることはわかりますが、「・・・で?」って感じもありました。
私にとってはあのポーズ、動きができるようになると何かが整ってくるのかなぁ〜、インナーマッスルが鍛えられるのかなぁ〜、みたいに思っていました。また、あのポーズや動きができるようになると、なんか体のエネルギーの流れが整ってくるから、瞑想的になれるってことなのかなぁ〜とか。

でも、キミちゃんの話を聞くところによると、ポーズの完成度はあまり重要ではなく、むしろ大事なのは、型(ポーズ)と、型から自由になった時の感じ方の違いを知ること、感じることであるそうです。(ざっくり言うと)

つまり、ポーズとってると、どこかおかしな体勢になっているわけですが、そうすると当然苦しい、つらい、違和感あり、などなどいつもとは違う状態になるわけです。でも、そこを通過することで、何もしない状態になったときに自分という本来の姿を実感しやすくなる、内観に向かえる、むしろそこに醍醐味があるのであ〜る、というようなことらしいのです。

長年ヨガを実践されている方にとってはこんなこと当然のことなのかもしれませんが、私にとってこの考えは「へ〜」と妙にヨガを身近に感じ、そして深く受け容れるきっかけとなりました。
なぜなら、昔習っていた合気道の師範からも同じような話しを聞いたことがあったからです。型をマスターしてこそ、それを破り進んでいけるという「守破離」の教えです。(ざっくり言うと)
「守破離」は修行の道筋のことなので、ヨガのポーズとリリースとはニュアンスは少し違うかもしれませんが、私の中ではなんだかしっくり来てしまいました。

ヨガの呼吸法でも同じで、カウントしたり、片方の鼻ずつやったりと敢えて不自由なやり方を一度通すことにより、解放したときの感覚、自由な存在である本来の自分を感じるきっかけとすることが大事で、4で吸って4で吐くこと自体に本来の意味があるわけではないそうです。目的は内観、ということです。(間違ってたらごめん・・・)

で、そんな話を聞いて、シャバーサナ(屍のポーズ)をしていると、体の力が入っている部分に気づきます。自分ではリラックスしようとすればするほど力が入ってしまう部分。そっと意識を向けていると、やがて「ほっ」とその部分の力が抜けて正に死んだように脱力します。そうすると、また別のところに力が入ったり、また抜けて・・・という感じで、体の状態に気づきます。

「死んだらとたんに立っていられない。つまり人間は意識で立っているということだ」というようなことを野口晴哉が書いていましたが、逆にいうと、力が抜けないということは意識が残っているということですよね。
力が入っている部分はなんらかの意識がそこに力を入れているということなのかなぁと思い、今度はシャバーサナ以外でも自分の体が硬くてなかなか上手くできないポーズのときもただじっと痛みを感じている部分に意識を向けてみました。
すると、しばらくすると「誤解でした」と言わんばかりに急にフッと力が抜けて、前屈でももう1段前にいける瞬間がくるのです。

これはある意味では、痛みに脳が慣れてそれを無視するようになったのかもしれませんが、私の内側の感覚では、「痛い!これ以上行けない!無理無理!」という決めつけの気持ちや、「これ以上前に行ったら切れちゃう!怖い!」というような気持ちを、痛みを感じている筋肉やスジのところが訴えているわけですが、やさしくただじっと待っていると「え?痛くないの?切れないの?」という感じでオドオドと少し緊張をとってみたり、緊張してみたりという感じがあり、そして「な〜んだ!大丈夫なんだ」という感じでホッと緩まるんです。

おお!おもしろい!
だけど、普通のヨガだとシャバーサナ以外はそこまで一つのポーズに時間かけないので、じっくり試すことができないでいましたが、先日1つのポーズに約5分程度じっくり時間をとるという陰ヨガに参加して、実践してみました。

陰ヨガというのは、筋肉モリモリで行うものではなく、じわーっときくポーズをすることで筋肉のより深い部分、骨や筋肉をつなぐ結合組織に働きかけるヨガだそうで、陰陽五行などと組み合わせた感じでやったりするみたいです。私が参加したのは肝胆胃脾を解放する、という講座でしたが、つまりは、脚周りの肝胆胃脾の経絡が通っている部分を使うヨガポーズをじっくり行うことで経絡、エネルギーの流れを整えていこうというものでした。

初めての陰ヨガだったので上手にできなかったのかもしれず、肝胆胃脾の経絡になんらかの影響があったとは思えない出来映えでしたが(揉んだりさすった方が早い気もする・・・)、先に書いた体と対話して意識改革を行う、というのには大変適した時間でした。

やわい気持ちで抵抗している部分は、ちょっとじっとしているだけでふわ〜っと力が抜けて、「マジッすか!?」という感じでペターンと体が床についちゃったりしたのですが、頑固な部分というのがあるわけで・・・。
頑固なアイツは5分では対話さえできず・・・。アイツ・・・右の尻。

アイツとはこれからもじっくりやっていきたいと思います。

この体との対話は、みなさんも寝る時にでも試せると思うので是非やってみてください。

シャバーサナのように軽い大の字で寝て、全身の力を抜きます。といっても、抜いたつもりで抜けない部分があるのが常なので、その抜けない部分ってどこだろう、と探ってみます。右脚かな〜、肩だな〜、とかいろいろあると思いますが、どこか一カ所まず一番目立つところにちょっと意識を向けます。
意識を向けるというのは、そこに注意を向けるという感じで、別に「力抜けろ〜」とか念じる必要はありません。ただ「む、力入ってるな〜。なんでかな〜」などとぼんやり様子を見ているイメージです。
そうすると、たまに何かを思い出したり、何も思い出さなくても意識を向けると余計に力が入ったりとか変化してくる場合がありますが、それでも焦らずただ起こるままにそっとしておきます。

すると、あきらめたかのように、もしくは安心したかのように、急にストンと力を抜いてくれるときが来る、かもしれません。

お試しあれ。

☆インドの聖人のこととか書いてあっておもしろいキミちゃんのブログはこちら

0 件のコメント:

コメントを投稿