2011/09/11

氣を放つ


私は「男子ごはん」という番組が好きで結構見ているのですが、夏、男子ごはんを見ていると、かつて見たスイスに「アルプスの少女ハイジ」を探しに行く番組を思い出さざるをえません。
その番組では、確か知花くららちゃんがスイスを訪れ、ハイジにまつわるところを巡るのですが、ペーターというオヤジがやっているチーズ工房みたいなところを訪れるシーンがありました。そのチーズ工房では、昔から手作りでチーズを作っているとかで、チーズ作りの様子を見せてくれていました。
チーズ作りというのは熱いか冷たいかの違いで、豆腐作りの行程に似ている感じがするのですが、スイス人のオヤジが熱い鍋に手をつっこんで布か何かにチーズを集めてしぼるみたいな行程で、鍋に手をつっこんだオヤジの手がアップになったそのとき・・・。
なんと、オヤジの腕が毛むくじゃらだったのです。
オヤジは当然そんなことを気にする様子もなく、せっせとチーズをかき集めだか、かき混ぜだかしていましたが、私は「数本の腕毛が入っているに相違ない」と思ったのでした。
で、話は戻り「男子ごはん」を見ていると、半袖シャツから出ているケンタロウの腕がチラっと映ってしまうことがあるのですが、それを見ると、スイスのあのオヤジが思い出され、「きっと、今このケンタロウが手洗いしている麺や、手ごねしている肉には毛が入っているに違いない」と思ってしまいます。
そんな私は大脳型でしょうか。

それはさておき、私は最近太極拳(の一種)を習い始めたのですが、その太極拳の練習に参加するといつも氣について発見があります。
太極拳といえば、陰と陽の氣を操ることで陰陽のバランスをとり、宇宙と一体化する、というようなイメージがあると思いますが(え?ない?)、太極拳、というか、太極剣なのですが、太極剣の目指す境地は天人合一、なんですね。
自分の内の氣と天の氣(おそらく自分の外にある氣)とを一体化させることでえられる境地を目指すみたいなんです。
そのために、自分の内の氣を養うような気功動作みたいなことをやるのですが、あれって、「オラに元気玉をくれ〜」みたいな感じで、氣を集めたり、モミモミして増やしている、というようなイメージありません?

ま、確かにそういう部分もあるんですが、気功のようなあの動きは、氣を取り込み、自分のまわりの氣を練り練り動かすだけでなく、やがては、氣を放っていくこともするらしいんです。

なので、取り込んで、放って、取り込んで、放ってみたいな感じで行うことで、周囲の氣と合一していくってことみたいなんですね。

「(意図的に)氣を放つ」って感覚、なんだか忘れていた感覚でした。そういえば、そういうこともできるようねぇ、みたいな。

日本人の中には、常に静かな湖面のような意識でいる、平常心、というような、思想があり、誰しも思い浮かべやすいと思うのですが、その思想は割と、氣を収めるというような感覚に近く、氣を放つというのとは違う感じがしませんか?

でも、剣道やら柔道やらでも極めると、静かでありながら、氣を放つことで相手をしとめるわけですから、本来は両方あったのだと思うのです。だけどいつの日からか、氣を放つ部分の方はなんとなく忘れられてしまったように思います。(少なくとも私の中ではで・・・)

そこで、早速「氣を放つ」っていうのを試してみました。
道を歩いているときに、自分の前に氣を放って、自分の行く道から人がいなくなるかな、と試してみたんです。モーゼみたいな感じで。
すると、大体前方2メートル弱ぐらいまでは氣が放たれているらしく、そのあたりに来ると人が避けていったり、他へ逸れたりしました。私に対面して来る人だけでなく、私と同じ方向を向いて私の前方を歩いている人も急に逸れたりしたので、放った氣に反応したのではないかと思います。

なるほど、どうやら氣を放つということはあるな、と思い、今、いろいろな形で氣を放ってみています。

まだ、内の氣の強さがあまりない(丹田が弱小)&自分を解放できていない感じなので、物理的距離だとせいぜい2メートル弱ですが、もう少しパキっと放てるように特訓していきたいと思います。太極拳の練習にもあるし。

まずは丹田に氣を据える癖をつけることから、ですかね。


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