2011/11/20

はじめてのYoga瞑想

最近、本とか歌とかの紹介ばっかりですが、秋・・・ということで。お許しを。

以前から何度かブログでも登場しているヨガのキミちゃんの新刊が出たということで、読んでみました。
「はじめてのYoga瞑想」という本で、タイトルの通りヨガの瞑想方法についてわかりやすく紹介されています。 ヨガの・・・といっても、大体瞑想は同じようなものを目指していたり、手法だったりするので、瞑想に興味がある方にはわかりやすくてオススメです。 

先日レイキの伝授を受けてくださったお客様が、「瞑想というと無になるとか言って意味がよくわからないし、難しそうと思った」というようなことをおっしゃっていました。このヨガ瞑想の本にも瞑想の最終的なゴールは無になる(=自然界を司る意識と同格になる)と書かれています。 

無・・・がどういう状態かわからない、ということでしょうかね。 この本によると無はゼロではなく完全だそうです。大いなるもの、とかと一緒でしょうか。

 私もヨガでのいわれについては詳しくないので無についてはあまりよくわかりませんが、太極拳の先生が非常に興味深いことを話していました。 

先生は、インド人は無をゴールとしてヨガや瞑想をしているが、やっぱり一般人には難しい面もあるので、中国人は無の前のステップとして、陰と陽に分けて考えられるようにした、と言っていました。 陰陽という二つになると割とわかりやすく、こっちが陰でこっちが陽だね〜、なんていうことを理解していくうちに、それらが実は右手と左手を合わせて合掌すればひとつになるように、つながる・・・というか、元は一つのものという理解ができ、陰陽という太極から無極(分かれる前の状態)の境地へと近づけるようになる、ということだそう。

 この無極がヨガでいうところの無と同じことらしいです。 先生は練習中にいつもこういうことをサラッと話すのでうろ覚えですが、大体あってると思います(^^;。 
太極拳でも最終的には天人合一(→マイブームなのでしつこく登場)、自然の本質そのものと一体となることを目指しているわけですから、ヨガの目指すところと大体同じと言えるでしょう。

確かにヨガではいまいちピンとこなかった「無になる」でしたが、この陰陽の考えは私にはとてもわかりやすく、陰陽ということへの理解が深まるほど、陰陽以前のことについても理解が進んでいます。

ところで、この無極から太極へという考え方って、カバラの生命の樹に似てますよね。ケテルという第1のセフィラがありますが、その前はアイン(無)→アインソフ(無限)→アインソフオウルときて、ケテルで樹が始まりコクマー、ビナーと左右に分かれた図になりので、なんとなく発想が似てる。カバラのが詳しい感じですけどね。 無か有かしかない陰陽的発想に比べると・・・。(陰陽思想ももっといろいろあるんでしょうけど・・・) 


まー、とはいえ、みなさんがいう「無になる」ってどういう感覚を指しているのか私にはよくわからない部分もありますけど、これも太極拳の先生の話ですが、先生はある時、この世界の全てのものは祝福されているんだ!と感じたそうです。最初はよく意味がわかりませんでしたが、最近私も瞑想中にその感覚を得ることができました。 

先生と同じものかわかりませんが、確かに、喜びのような感覚だけの世界という感じで、それは今この瞬間どこにでもあるといえます。私の感覚では、この喜びのみの世界は他の次元の感覚です。これは、たとえではなく、この世界は縦横奥行きの3次元と時間をプラスして4つめの次元を主に感覚の主流としていますが、同時に他の7次元くらいがあるという説があります。少なく見積もっても5次元めの世界はあると見られているので、我々の主流な感覚で感じられる世界以外の世界があと1次元はあると考えられます。

その次元に感覚を合わせると、肉体以前の感覚というか、全体がつながっているメッシュのような世界という感じがあるのですが、そのゆらめきは喜びと至福であり、時間のない永遠の世界といった感じです。 

この感覚とつながったまま、3次元世界を見る、というのが当面の私の目指すところかな、といったところです。ときどき、3次元のみに振り回されてしまい、この感覚と離れてしまうと、なんとも空虚な、無意味な感覚になってしまいます。

 太極拳(太極剣ですけど・・・)に触れることで、単にストレス発散で剣をバッサバッサと振り回す以外に、いろいろと学びを得られて、やってよかったぜよ〜と思っています。 


またもや、よき師に出会えましたな。

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