2011/08/05

自由

自由って何だろう?どういうことだろう?

最近そんなことを考えています。

というのも、先日以前にコーチング講座でお世話になったコーチに再会する機会があり、お話していく中で「タンジーさんが心から渇望していることは何?」と尋ねられ、パッと出たのが「自由」だったんです。

水瓶座族といえば、ただでさえ、自由な感じに見られる星座なのに、私なんて輪かけてもっと好き勝手やってそうな印象らしいんですが、私の心の声は自由を渇望してるようなんですね。

・・・でも。

たとえば、「結婚したい〜♪」とか「そろそろホント彼氏ほし〜♪」なんていう気持ちは、私の思い描く自由像とは感覚的に遠い感じのことなんですね。だから、どっちかの望みが「偽造」という可能性があるわけです。

はて?じゃあ、求めてるものってホントに自由なんだろうか?
(そっちに偽造の疑いかけたんだ・・・って感じッすよね・・・)

私の描く自由像ってどんな何だろう?
とモクモクと哲学していると、アカに言われた言葉が頭にひょっこり。

「この世界(物理次元)では、私たちは一つ一つの肉体に分かれているから、別の次元でみんなが一つのときとは少しはなしが違うのよ。」

ふ〜む。

などと振り返りつつ、瞑想していると、過去世?と思われる画像がひょっこり。

どうやら、暗闇の洞窟に解脱のための修行に行くところのよう。要するに、もうその真っ暗な穴蔵に入ってミイラみたいになるまでやるってヤツのようです。暗闇の中にいると、肉体があるのかないのかも段々わからなくなって、意識だけが空間にあるような感じになり、やがてその自分と思われる意識も喪失し、空気と融合してただ存在する・・・。

そんな画像でしたが、肉体から離れることって自由っぽいイメージですけど、エネルギーの次元でみんな一緒になってしまうことはもはやそれは私の望む自由像とは少し違うんですよね。その世界って自分がないわけですから、自由なんてものが、なんていうか、ナイんですよ。

ということは、やっぱり、この「不自由」で「窮屈」とか言われちゃうことがある、「肉体」という枠の中に居てこその自由の追求ということになるのかなぁと思いました。

基準、枠・・・そういったものがあってこそ感じられるものが「自由」。
ホントの自由は自由を超えたところにあるわけで、一般的な「自由」を味わうならこの世界でしかできない、、、ってことなのかなぁと哲学。

さらにいうと、物理的な次元では自由って結構難しいことなのかも。
心の中、エネルギーとしての感覚を呼び起こすことで、すべてのものと関係ない広がり、超越した感じを味わう、そんな状態を保ちつつ、物理次元での生活をする、それが自由を感じながら地球上の生命体「人間」をエンジョイするということなのだろうか、

などと、ややこしいことを考える今日この頃であります。
きっとこれも、海王星が戻ってきたせいであります。

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