2011/07/20

意識、無意識


以前から、自分の世界を創りだしているのは自分自身である、ということは書いてきましたが、最近また実感を深めました。

意識的であれ、無意識であれ、自分の意識が自分の目に見えている現実を創りだしているようです。

それは、単に受け止め方が変われば同じ出来事でも違って感じる、というレベルのことではなく、意識が変化すると人生の中に存在しなかったものが急に現れたり、急に消えたりする、ということです。

まるで舞台のように、急に新しい人物が舞台上に登場したり、舞台からはけたり、あるいは舞台セットが変わったりする、そんなイメージです。

とすると、無意識で舞台展開を進めるよりも、意識的に舞台に存在していたいと思いませんか。そりゃあ、何がどうなっちゃうのか、いったいどんな話なのかもよくわからないまま、舞台に立ち続けるのもスリリングで楽しいと感じる、というのもありますが(タオですね)、世間一般ではなかなか、スリリングを楽しむまでには至らない場合も多々あるわけです。

意識的に展開させている部分においては、誰しも自分にとって、ある意味、都合がよく、楽しかったり、居心地が良かったり、自分が気に入るように舞台セットを決めて、流れていくストーリーを楽しむ余裕さえあるかもしれません。

無意識に展開されている部分においては、自分にとって、それがなぜそこに存在するのか理由がわからないものがあったり、不愉快な雰囲気だったり、嫌いなものがあったりします。やだな〜、居心地悪いなぁ、なんで気持ちのよいものばかりじゃないんだろう、等と思うかもしれません。
でも、この不愉快シーンについても、実は自分の内なる世界の現れ、なんですね。

自分にとって快適な世界を創り上げたいなら、意識的に創ることが重要といえます。

では、意識的であるにはどうしたらよいかというと、私が思うに・・・、

1.自分は何が好きで、何が快適だと感じるのか好みを自覚する

これ、大事ですよね。何が好きなのか自分でわかっていなければ、それを自分のまわりに配置できないわけですから。

また、

2.自分が何を嫌っているのかを自覚する

というのも大切です。嫌いなものに無自覚だと、何を不要物として自分の舞台からはけさせるかを決められません。

往々にして、嫌なものは知っていても、好きなものの自覚がない場合が多いようです。そうすると、嫌なものをのぞくことにばかり意識がむいて、好きなものを配置できませんので、自分の世界のアラに気づくことはできても、好きなものに創りかえることができません。嫌なものを取り除くだけでは、自分にとって満足のいく世界にはならないでしょう。

嫌のものを消す = 好きなものだけになる

ではありません。
別ものですので、個別に活動をしましょう。

それから、

3.無意識に起こっていることに気づく

ということです。気づけばそれはもう無意識からの脱却・・・の第一歩です。

そして、

4.なってほしい世界に自分がなる

ということです。これは、笑いがあって親しみのある世界を求めるなら、自ら笑いと親しみを振りまきなさい・・・ということではなく、笑いがあって親しみのある世界を望むなら、自分のエネルギーを愉快で親しみのあるエネルギーに変えろ、ということです。
そうすると、自分のエネルギー状態と同じ世界に自然とまわりが変化する、ということです。


1〜4はバラバラに分解して書きましたが、どれもが絡み合っていて、1つのようなものです。

特になんの苦労もしなくても、自分のエネルギーに意識的になり、変化させることで自分の世界を創っているのだと、私は実感しています。

なので、まわりに嫌なものがあったとしても、それは自分の中の何かがそこに配置しているわけですから、ただブーブー言うよりも、受け容れるか、理由を探るかする方が賢明です。

一方、楽しいことや快適なことが起こったら、自分の中にそんな楽しいエネルギーがあるのだと自覚できます。

つまり、人生にタンジーのブログが登場しはじめたら、自分の中に結構オモローな面があると思った方がいいでしょう。

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