みなさん、こんにちは!
ピョンチャンオリンピックも今日で終わり。
なんだかんだで結構見てしまいました。
印象に残っているのは、羽生くんの金もありますが、
私としては、フィギュア女子のメドヴェージェワの演技かな。
衣装も曲も、演技も全部ステキでした。
今回は、残念ながらの銀メダルでしたが、
まだまだ続けてほしいっ!
もっと見たい!
さて。
先日こんなことがありました。
昨年の11月頃に、本棚がいっぱいになってしまったので、
不要な本を捨てなきゃな〜と、いらない本を選抜していたときのこと。
「もう1回読んでから判断しよ」ということで、
すぐに取り出せるところに置いておいた本が2、3冊ありました。
でも、結局ずーっと読まずにそのまま置いてありました。
で、ほんと先日、
なんとなく気になって、そのうちの1冊を開いてパラパラやっていたら、
ちょうど必要としてた情報が、そこにピタッと書かれていました。
もし、数ヶ月前に、その本を「捨てる候補」として、
すぐ読めるところに出していなかったら?
私は、今この時、この本に書かれている情報が必要になることを潜在的に予知して、
ここに置いておいたのだろうか、
などと思うと、
とっても不思議な気持ちになりました。
ま、もちろん、この本が手元になければ、
また別の形で必要な情報は手に入ったでしょうけれど、
なんだか不思議に思いませんか?
過去の自分が、未来の自分のことをわかっていて仕掛けた感あるなぁ、と思いました。
物理的な次元では、時間は、
過去→今→未来
というつながりを持って進んでいます。
少なくとも、通常はそう認識できます。
ですが、これとは別の次元では、時間の「流れ」とは無関係に、
事象が同時に存在しているとしたら。
そして、その次元に自分も存在していて、自分のどこかでそれを感じ、
うまいこといじくっているとしたら。
過去の些細な出来事は、
ずっと先の未来のための伏線として、
自分で仕掛けている。
おもしろいですね。
どんなに、
しょーもない、へぼい、本意じゃない、などの事柄でも、
自分の未来のみならず、
どこかの、
誰かや何かのための、
大事な出来事なのかもしれません。
あなたの全てにムダはない!
すばらしい!
ということです。
・・・で、これと同じ事を前にも書いてました(^^;
書いてる途中で、既視感ある・・・と思って探したらありました。
以下に載せておきますので、よろしければ合わせてどうぞ。
では、また次回!
・運命について考える
・仕組まれた偶然
・「現在」は、未来から逆算されている?
・全てはすでに今ここにある
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