2016/03/22

洗練された人に見えるポイントとは その3

今日は春物に衣替えをしました。といっても今日なんてまだ寒いので春物で大丈夫かな、と思いつつ、もうウールの冬っぽいセーターを着る気分じゃないですしね。寒くてもなんとかごまかしつつがんばりましょう!

さて、今回は洗練された人に見えるポイントの内面的なことについてお話したいと思います。

どういう人が洗練されて見えるかといえば、さまざまな本などでも言われているように「自信を持つ」ことが大切なのはなんとなく誰しも感じますよね。
自分に自信を持って颯爽と歩いている人は、洗練されて見えるに違いありません。

ではその「自信」ってどういうものなのでしょうか。顔も良い、ボディも良い、センスも良いし、頭も良い。そんなことから生まれてくるものでしょうか。
金がある、地位もある、名声もある。そんなことからでしょうか。それとも、「私を愛してくれている人がいる」ということからでしょうか。
もちろん、これらのことから生じる「自信」っていうのもありますよね。そういう、現実的な努力や経験からくる自信も、洗練された人に見えるためのプラスの要素であると思います。

でも、私がステキだなぁと思う人から感じるのは、こういうものから生じる自信とはちょっと違うように感じています。
どちらかというと、全てを受け容れていることから生まれる「余裕」に近いのかもしれません。
自分の好きなところも嫌いなところも、人生における今の状態も何もかも、ぜーんぶ受け容れて「ええ、そうですね。それが”私”という存在なんです。ステキでしょ」という態度で、クスッと微笑まれた日にゃあ、「参りました」の一言ですね。それ以上は、何も言えねぇの境地です。

こういうのってなかなか難しいです。いや、とっても難しいです。そうそうできるものじゃない。でも、こういう人を見たことあります。私にはそう見えただけで、実際はその人の中でもモヤモヤした葛藤のようなものがあったり、自己肯定感がないと感じていたりするのかもしれませんが、私には「私も悩みはあるわよ。困っちゃうわよね(クスッ)」なんていう風に余裕のある態度に見えました。

「あるがままを受け容れる」なんていうフレーズをスピリチュアルな業界ではよく耳にしますが、魂というか自分の存在そのものをただ受け容れる自尊心。社会的価値や市場価値で自分を計るのではなく、ただ存在することにある、ある種”宇宙的”な価値。何もなくても、何かを失っても、そこに存在する自分の価値。それを感じられれば、心は満たされ、安らぎを感じ、そして余裕が生まれる。自分がただ在ることを感じ、宇宙の中の一片としての重要で、そして大して重要じゃないかもしれない自分を知る。

なんかそういう心持ちでいると、本当に洗練されて見えるのじゃないかなぁと思いました。
なんだか大掛かりな話になってしまいました。一昼夜にしてはそんな心持ちにはなれなそうですね!
さあ、特訓しましょう!