2019/02/10

何事も望んだとおりに物事が進むようになるコツ

みなさん、こんにちは!

さて、前々回のブログ「瞑想を続けると起こる「ある事」について話すとみんなが引く理由」の続きです。


何でも思った通り、望み通りになると聞くと、
「大丈夫?そんなバカみたいなこと言って…」
と言わんばかり心配されるのは、なぜでしょうか。

答えは簡単です。

「何事も思った通りになるわけがない」、と信じているからです。

でも、実際は何事も思った通りになっています。
瞑想して自分がクリアになってくると、それがわかりやすく実感できるようになります


少し極端な例かもしれませんが、私の体験をお話ししましょう。



以前知人から、酒粕のお味噌汁が美味しいということを熱烈に説明されたことがありました。
私は、酒粕のお味噌汁を飲んだことがなかったので、
是非我が家でも作ってみたいなぁ、と思ったものの、
酒粕ってどこで買うのかもわからず、どうしたもんかな、と思っていました。
その夜、酒粕が欲しいなぁ、と思って眠りにつきました。

次の日、
当時働いていた職場に行き、いつものように仕事をしていると、
営業部の男性がウロウロとやってきて、言いました。

「誰かこれもらってくれませんかね?自分、いらないんで。」

差し出されたのは、何と酒粕でした。
何でも、彼が前の日に行った飲み屋で、ご主人が突然お客様みんなに酒粕のパックを配ったとのこと。

もちろん、私がありがたく頂戴しました。



こんなこともありました。
同じくオフィスでの出来事です。



夕方、お腹が空いてしまって、
コンビニでパンケーキを買ってきて食べたところ、
甘くて、コーヒーも飲みたくなっちゃったんですね。

でも、また買いに行くのが嫌だったので、
コーヒー飲みたいなぁとポソッとつぶやきつつ、我慢していました。
すると、
私の隣の席のBさんのところに、用事でやってきた女子が、
Bさんに「日頃のお礼です」と言ってラージサイズのコーヒーを置いていきました。
お礼なので、コンビニのではなく、もう少し洒落た美味しいコーヒーです。
(最近はコンビニのコーヒーもすごい美味しいですが)

そうしたら、女子が去った後、
Bさんが私に「コーヒーいる?」と言ってきました。

せっかく貰ったものなので、遠慮したのですが、
何でも先程コーヒー飲んだばかりで、こんなにいらない、ということでしたので、
それでは、ということで、半分頂きました。

女子に聞こえるような大声で「コーヒー飲みたいな!」と言ったわけではありません。
女子は私がコーヒーを飲みたいと思っていることは当然知りませんでした。

と、こんな感じで、食べ物系ばかりの、しかも物質的なことに偏った事例ですが、
わかりやすく言えば、こんな感じに、望めば大体そのようになって来ます。



こんな例を知ると、
いいなぁ〜。自分も欲しいものがすんなり手に入るようになりたいな〜と
ワクワクするかもしれません。
実際こういうワクワクするようなことも、望み通りになることのうちの一つですが、
そう。

「何でも」

というからには、

「こうなって欲しくないな」

ということも実現します。
だから、自分が何を考え、何を思うか、ということには、注意が必要です。
意識的な部分にも、潜在的な部分にも。

怖い!じゃあ、クリアにならなくていいや!
と思うかもしれませんが、
クリアにならなければ、思った通りに実現しないのかといえばそうではありません。

はじめに言ったように
「瞑想して自分がクリアになってくると、それがわかりやすく実感できるようになります。
ということですので、
自分の思った通りになっているのかいないのかを自分がわかる度合いが変わるだけで、
誰でも自分の世界は自分の思いで創っていますし、自分の思った通りになっているんです。


でも、自分が何を思い、何を創りたいのかに無自覚だったり、明確になっていないと、
その曖昧模糊としたものが自分の世界にポイポイ出て来ており、
自分の望みどおりになっているとは、よもや思えないということでしょう。

たとえて言えば、
「かわいい●●飼いたいな」
と思ったとします。
「●●」の部分は自分でもまだなんだかはっきりしてません。
でも、その思い通りに物事は運びますので、
こんなのが目の前に出て来たりします。



そうすると
「キモい。嫌なことが自分に起こった。自分はツイてない。」
などと思います。

そして、寝るときに
「あーあ。自分はなんてツイてない人間なんだ。」
と思って眠りにつきました。
そうすると、そう。
もちろん、「ツイてない人間」を実現するような出来事が起こります。

しかし、少々救われるのは、その「ツイてない人間像」も曖昧なので、
映画のように、いわゆる不幸が連続することは少ないかもしれません。
何だかよくわからない出来事の連続の中に、ツイてないことが何回かある程度かもしれません。
だから、思ったとおりになっているとも自覚しづらいことが多いといえます。


瞑想すると、
自分が何を考え、
何を感じているか、
何を意図しているのかに敏感になりますので、
「思ったこと」も自覚していますから、それが実現したときにも「わかる」わけです。
なので、意図的に「思い」を使えば、望み通りに物事が動きます。
自分の深い部分と表面的な部分の意見が一致していることも望み通りに動かすコツですが、
もちろん、私たちは、なかなかクリアになりきれませんから、
100発100中というわけにはいかないかもしれません。


でも、そのうち、
「自分の望み」は、
自然、別名宇宙、別名世界、別名大いなる流れと呼ばれるようなものと調和したものになってくるので、
日常生活で、「思い通りになっていない」と思うこと自体が少なくなってきます。
自分にとって嫌だなと感じることがあったとしても、
自然においてはそれが調和であることを理解するようになってきて、
受け入れるようになるのでしょう。

でも、私ごときはなかなかそれを受け入れられないときもあるので、
そういう場合は、「ああなれ」「こうなれ」と思ってしまいますが、
そういう我欲的な思いは叶わないかといえば、実感的にはそうではありません。

「何でも」思ったとおりになります。

むしろ、自然は取捨選択しません。
しかし、そういう風にしていると自分が不調和状態になってきますので、
苦しくなってしまうものです。

そんな感じで、ながーくなってしまいましたが、
何事も思った通りになる、ということをなんとなくわかっていただけましたでしょうか。
クリアな自分になって、実感してみてください。

どうやってクリアになっていくかは、
また今度お話ししたいと思います。

では、また次回!
長文お読みいただいた方、ありがとうございました&お疲れ様でした😆

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