2018/05/14

My World = My Mind ?

みなさん、こんにちは!
全然関係ないですけど、
私は晴れている日より、曇りや雨の日の方が
ジャック・ジョンソン日和です。

さて。
突然ですが、私たちはみんな自分独自の価値観の中で生きています。
もちろん、「独自の価値観」の中には、社会や家族、地球の生き物としてなどの、
「集合的な価値観」を一部踏襲しているものもあるかと思いますが、
実際には、「集合的な価値観」の解釈も人に寄って違ったりするので、
独自であると言っても差し障りはないのではないでしょうか。


家族や恋人、仲の良い友人などとでは、価値観が「似ている」ところが多く、
あたかも「同じ」価値観に基づいて生活しているかと錯覚することがありますが、
ふとしたときに「アレ?」と思う体験をしたことが、
誰にでもあるのではないでしょうか。



以前に、知人が、
電車に乗っているとマナーが悪い人がいて、そういう人にはすぐ注意する、
と言っていました。
マナーが悪いって、たとえば?と聴くと、
混んでいるのに、リュックを背負ったままだとか、
抱えている鞄が自分(知人)にあたっているのにおかまいなしだったとか、
そんなようなことです。

もちろん、マナーは大事です。
集団生活では、社会性や協調性が大切だと思いますし、
大人のたしなみとして、きちんと周りに気を使える人でありたいと
私も常々反省しています。

ですが、一旦そういう「常識的なこと」は横においておいて、話すとすると、
ワイル博士のうつが消えるこころのレッスン」のなかに、
以下のようなエピクテトスの言葉が紹介されていました。


きみに投げかけられた悪口や傲慢が非道なのではなく、それを悪口や傲慢だときめつけるきみの判断が非道なのだということを忘れてはならない。だから、だれかの言動に怒りを感じたときは、怒らせたのは自分自身の思考なのだと知りなさい。それゆえ、おのれが抱いた印象におのれ自身の足をすくわれることのないように努力するのだ


私たちは、主に幼いころからの経験や学習したことをベースに自分の価値観を築いています。
そして、その価値観に基づき、物事を判断しています。
さらには、誰しも自分の価値観が「ほぼ正しい」と思って生活しているのではないでしょうか。

社会生活において「正しい」とは、「大体みんな同じような価値観を持っている」ことを指すと思われ、何か絶対的に一つの正しい価値観なるものが存在するとはいえないのかもしれません。

自分で勝手に「ほぼ正しい」と誤解している価値観に基づいて、
物事や他者を判断し、時には批判したり、誉めたり、怒ったり、うらやんだり、
しているわけです。

自分の価値観を創ったのは、自分の脳みそです。
もっと言うと、自分の思考、なのだと思います。

十人十色とはよく言ったもので、人それぞれ、生まれてからの経験や学習したこと、
学習したことを処理する回路も異なっているわけですから、
長年かけて自分の頭の中に集めた、思考の方程式も違うことは容易に想像でき、
それゆえ、各自が価値観が異なる独自の世界に住んでいるのです。


自然と調和した、自由で、いきいきとした気持ちになるためには、
そうした自分の世界から一旦離れて、
中立な、ある意味「無価値観」の状態になって物事を観てみることも大切です。
すると、その事柄ひとつひとつに宿る、ある種の美しさが見えるかもしれません。

その上で、自分が、あまたある価値観からどの立場をとるか、決めればいいのです。


常識外れになれ、と言っているわけではありませんので、あしからず。
人間界、社会で生活するためには、一定のルールや集合的価値観に則り生活することは大切なことです。

しかし一方で、
自分の思考の中の世界は、自分の一部ではあるかもしれませんが、
自分の全部ではないことを覚えておくことも大切です。

物事の捉え方は一つではありません。
そして、宇宙には、正しいも間違っているもありません。
ですから、時には、自分の思考の世界に捕われ過ぎずに、
自分が常識と思っている枠を一旦離れて物事を観てみると、
今まで全然理解できなかった人の気持ちがわかるかもしれませんし、
自分にとって受け入れられなかった状況に寛容になれたり、
思わぬ解決策や横道、自分にとっての嬉しい道筋が観えて来るかもしれません。

ちょっと練習してみてはいかがでしょうか。
ではまた次回!

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