2017/09/11

「座って目を瞑っている」だけが ”瞑想” ではない!?

みなさん、こんにちは!

今回の季節の変わり目が、自分にとってもエネルギーの変化のタイミングにあたっているのか、考え方や価値観がぎゅんぎゅん変わって、おかげで部屋の片づけが始まってしまいました。

エネルギーが変わると、古いままのエネルギーの部屋にいられなくなって、自然と発生しちゃうんですよね。片づけが。・・・で、片づけって結構体力勝負なところもあり、全身が筋肉痛。。。つ・か・れ・た。


片づけグッズを買いに、近所のヨーカドーに行ったついでに本屋によったら、
こんまりちゃん(近藤まりえちゃん)のときめき片づけの本がマンガで登場していました。

どんな風にマンガ化されたのかな〜とパラパラ立ち読みしてみると、初めて読む人にはエッセンスがおもしろくまとまっているのかなぁという感じでした。

まだ「片づけの魔法」を読んだことがない人は、是非一度読んでみてください。
単なる部屋の片づけに留まらず、これはある種の「瞑想行為」に近いものがあると感じていただけるかもしれません。

余談ですが、「片づけの魔法」は全世界40カ国以上で出版が決まったみたいですね。
すごい。英訳だとどうなっているのかamazonで買ってみようかな。評価はすごい高かったですよ。


さて、以前に瞑想をする際のポイントについてご紹介しましたが(以下)、これらはいわゆる「じっと目を瞑り行う瞑想」をイメージしているものでした。

瞑想がうまくできない人にしてほしいこと 〜場所と時間〜
瞑想がうまくできない人にしてほしいこと 〜瞑想空間づくりの注意点〜
瞑想がうまくできない人にしてほしいこと 〜瞑想するときのポイント〜
瞑想がうまくできない人にしてほしいこと 〜呼吸やイメージを使う〜



実際に、じっと座って行う、いわゆる”THE 瞑想”をやってみた人は、
「難しい〜」と思う人も少なくありません。


でも、ご安心ください!


この 「THE 瞑想」 だけが、「瞑想」じゃない!
そんなことを、先日久しぶりにあった友人との話で改めて感じました。


その日は、友人のKの友人のTさんを一緒につれてきて、
三人で夜お茶(ていうか、ガッツリ食べたけど)。


そのTさんは、最近得度を受け、僧侶になったとのこと。

思うところあって・・・というよりも、急遽、実家のお寺をつぐことになったため、という理由で僧侶になったそうです。

得度という、いわゆる僧侶の合格通知というか、資格というか、そういうものらしいですが、それを受けるための修行と試験の話を聞きましたが、過酷でした。

修行の内容などは、宗派にもよるので、すべての宗派で同じではないのでしょうが、
Tさんの宗派の修行の話を聞くと、いわゆる、
テレビで芸能人が座禅体験している〜とか、
外国人が1ヶ月の修行に来ている〜
なんていうので受ける印象とはまるで異なり、体育会系そのものでした。

心技体が合一されていないと、邪心が生まれるということからなのか、
体の軸を作るような筋トレ(といっても、下駄で砂利道を歩くとか、100回五体投地するとか、そんなやつ)や、
お経を唱えるための歌の練習みたいなものとか、
あとはもちろん、何時間もぶっ続けでマントラをひたすら唱えるとか、
そんなようなことをやるわけですね。

で、
その修行の目指すところは結局何なんだろうか(僧侶になるためではあるんですが)、
という話になり、
その一つには、
やっぱり「集中力を鍛える」というものがあるのではなかろうか、
とまとまりました。


余計なことを考えられないくらい、ひたすらやり続ける。
余計なことを考えると間違えてしまうくらい、ややこしいことをやり続ける。


これにより、否が応でも集中しないとできないわけですね。

で、長時間ひとつのことに集中する力が鍛えられ、
それが他のことにも活かされる、ということなのかもしれないね、
なんて話していました。


だから、みなさんも、10分間座ってじっと目を瞑ってみても、全然うまくいかない、
なんていう場合は、何か別の方法で特訓してみてもいいかもしれません。


たとえば、そのとき一緒だった友人のKは、「糸紡ぎ」にハマっていて、
時間があれば、糸を紡いでいるそうです。

糸紡ぎの世界も深く、
その人の心や人間性が紡いだ糸に出てしまうとのことで、
自分磨きをしていかないと良い糸は紡げない、
とKは言っていました。

また、糸を紡ぐときは、テレビを見ながらやったりしてはダメで、
・・・ダメというかそれがそのまま糸に出てしまい、魅力的な糸にはならないので、
一紡ぎ入魂!ってな感じで、
無心もしくは愛、光、家族よ幸せであれ、
などと念じながら紡ぐということでした。

これもすごい集中するので、「瞑想」の一種になります。


こんな風に考えると、他にも身近な行為の中に瞑想となり得るものがありそうですよね。


毎日の料理だって、
ひとつひとつ「家族の健康、家族の健康」などと思いながら作れば、
十分に瞑想になりますし、
最初にお話したように部屋の片づけだって瞑想になり得ます。


あるいは、そんな生っちょろいことでは、アレコレ考えが巡ってしまって、一つのことに意識を向け続けながら行えないよ〜、という場合には、
もっとハードに体を動かして、
カーディオエクササイズとかボクササイズとか、
そういうものでやってみてはどうでしょうか。

「ツラすぎて何も考えられない。言われるままに、ひたすら体を動かすのみ・・・」
という状態で、実行することに集中できればそれも瞑想といえるでしょう。


大切なのは、「一心に」または「無心に」という状態を保つ、ということですね。


ところで、ジョギングは、案外走りながらいろんなこと考えてしまうので、
瞑想にはならないケースが多いように思います。
考える余裕が出ないほど、速めに走ってみるとか、そういうのならアリでしょうが、
体壊すといけませんので、ほどほどに。

ちなみに、テレビゲームやスマホゲームは、どんなに集中しても瞑想にはならないと思われます。
パチンコに近いんですかね。集中はするけれど、光と体の反復・反射運動的な要素があるのか、脳に依存的な症状を作り出してしまうように感じます。
あくまで、個人的な感想ですが。


ということで、じーっと座って目を瞑るだけが、瞑想じゃない!

瞑想にもいろいろあって、
やり方としては
動的な瞑想とか
静的な瞑想
などに分けられるでしょうし、

目的としては、
リフレッシュのための瞑想
願望成就のための瞑想
とか、いろいろあり、それぞれの目的に適した瞑想法があるのだと思います。

いずれにせよ、「長時間集中する力」を鍛えることで、
じっと座る「THE 瞑想」も、やりやすくなるかもしれません。

今の自分の生活で、瞑想になりそうな部分はありますか。
是非探してみてください。

ではまた次回!

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