2016/11/21

魂の学び

みなさん、こんにちは!
なんと今年ももう後、残すところ1ヶ月チョイになってしまったんですねー。
速いような、ジャストなような。今年はいろいろなことがあったな〜(しんみり)

最近、一周りぐらい年下の人と話していても「いいこと言うな〜」とか「ずいぶん人間できてるな〜」と感じることがよくあります。そう思うたびに、「ますます精進しなきゃな」と気を引き締めます。
私は割と、年下だからとか年上だからとかそういうことに関係なく、年下の人でも「いいこと言うな〜」と思えば素直にそれを聞くし、年上の人でも「何か違う気がする」と思えば従わない方なのですが、中には「年下」「若い」というだけで、その人の言っていることも「若い」と思ってしまう人もいるようです。

時間が関係する次元で生活していると、今より前か後かという考え方になり、自分よりも前に生まれた、後に生まれたということで、経験や知識に差があり、故に若い人の意見や話は年配の人よりも重みがないと思われガチなのではないでしょうか。
スピリチュアルな考え方では、ある次元には時間という概念はなく、未来も過去も現在も同時に存在します。最近では、科学の世界でもこうした理論があるようですね。この世界の「時間」とは関係ない世界のものが、この「時間」の世界に顕現するとした場合、若いとか年上とか関係なく、魂と魂(←時間と関係ない世界のもの)の関係性の方が重要なのかなぁ、と思います。言いたいことよくわからないですよね、きっと。どう表現するかちょっと難しいです。
なんというか、例えば自分よりも若い人であっても魂の関係性としては、その若者があるところでは自分の先生みたいなものである可能性があり、また、時間が関係ないから、自分が物理次元に生まれでた後から先生がこの世に登場するということも折り込み済みで自分はこの世に誕生し、とある時期が来たらその若者に出会い、学ぶというような。要はいつ生まれたとか何をやっているとか、そう言うことは関係なく人生の中で出会うものから魂が学ぶ(必要な変化を起こす)のかなぁ、という感じです!

それから、私たちの高次の自己(ハイアーセルフ)という存在は、この物理次元では個々の物体(肉体)に紐づいているようですが、他の次元ではもっと大きな存在で、個というよりも全体の一部という考え方があることを踏まえると、「今ここで誰かに言われたこと」は、「時間も個体とも関係ないもの・あるいは存在などが、単に今目の前に存在した物を使って、物理次元の「私」という存在に伝えたこと」とも考えられないでしょうか。

不老不死の聖者ババジの逸話で、ババジが「そろそろ消えようかな(→この世からの意味)」的なことを言ったら、別の聖者(たぶん聖者だった)が「まだ行かないで」的なことを言って引き止めたときに「神の口がそういうなら、まだ残ろう」とババジが言った、というのを読んだことがありますが(相当私が概略化した内容ですが 笑)、私がこれを読んだ当時「神の口が言ったってどういうこと?」とよくわからなかったのを覚えています。
ババジが言ったのと同じ意味かどうかはわかりませんが、上記の高次の自己の考え方も似ている感じがするなと思いました。

ということで、魂にとって学ぶことがあるのかどうかはさておき(笑)、人と人との出会い、あるいは人だけではなく様々なものとの関係が、高次の世界とのつながりに関係していると考えると、私たちの日常を奥深〜い到底考えが及ばないようなものと感じられるのではないでしょうか。
全てがわかりきった、目に見えるものだけのことだと考えると、なんだか閉塞感を感じることがありますが、こうした見えないものもあるかもしれないと考えるのが私は好きです。

みなさんはどうですか?
ではまた次回!

0 件のコメント:

コメントを投稿