2012/01/18
Doing 、 Being
コーチングを学んだときに、コーチとはDoingではなくてBeingだ!みたいなことを習ったような。
つまり、コーチとは「何かをする人」のことではなく、コーチという「在り方」なのだ!みたいなことだったような。
ふ〜ん。カッコイイこと言うね。と思ってなんとなく心に残っていました。
とはいえ、DoingとBeingがどこかオーラの第6層くらいで留まっていて、なんだかずっと理解が深まってはいなかったのですが、このところ深まってきた感があり。
常に、「人生を楽しく快適に過ごすには?」ということを追求している私ですが、やっぱり「何かをする」ことで得られる快感や喜びじゃなくて、「どういう状態であることが自分にとって喜びなのか」ということの方がホントじゃね?と気づき始めました。
たとえば、私の場合は、気持ちがリラックスして、体がまったり、日だまりでゴロゴロしているような、心がほほえんでいる状態、になりたいわけです。
で、こういう状態になるために「何かをする」、おいしいものを食べる、とか、好きな人と会うとかしなきゃ!、しなけりゃそういう状態になれない!などという思い込みがあり、そうしてきたのですが、結局自分の気持ちの問題というか、内的なもの、つまり自分自身のことなので、自分次第でどうとでもできる、、、のではないかと思ったんですね。
なので、試しに、何もしてないけど、望む気持ちになれるのか、やってみました。なりました。
せっかく良いこと発見した感じなのに、このDoingBeing問題をなんか上手く説明できずにモンモンとしていたところ、最近仲良くしている心理学者の先生と駄弁りんぐしている中で、やっぱ俺ら日本人はセロトニン系の幸せ求めてるんじゃね?みたいな話になりました。
ちなみに、セロトニンというのは、うつ治療などの話で出てくるものですが、心の安定をもたらすと言われるもので、セロトニンが不足するとうつになるとも言われています。一方、ドーパミンは快楽ホルモンと言われているものです。
学者先生と、私の「万年やる気なし」をどうやってもり立てるかということについて話し合っていたときに、タンジーさんの場合は、軽い神経障害で、ドーパミンが出にくいんだと思うよ、みたいな話になりました。なんでもドーパミンがあまり出ないと、やったー!とかきゃーうれぴー!とか、そういうキャッキャしたような喜び系を感じにくいらしいんです。だからいつでも割と落ち着いたというか、テンションは低いみたいな感じ。
だけど、そもそも本来的には我々は農耕民族だから、狩猟民族的な「やったどー!」みたいなビンビン系の喜びじゃなくて、まったりゆるゆる系の幸せ感じる〜っていうセロトニン系幸せ感が日本人的なのに、欧米化してドーパミン的な幸せが正になっちゃってるね〜なんて話になり。
これでピンときて、つまりDoingはドーパミン系だけど、Beingってセロトニン系だな〜と。
幸せ感には種類がある。
自分はDoingなドーパミン系幸せを求めているのか、それともBeingなセロトニン系の幸せを求めているのか、あるいは両方か。見極めが必要ですね。
私はメインがセロトニンで、ときどきドーパミン。って感じですかね〜。
そういうふうにわかってくると、必要以上に何かをやらなきゃという気持ちにもならず、セロトニン的な生活に重きをおけて、結果、より幸せ感じる・・・ていう良い循環になってきています。
ということで、みなさんも、今の自分は何系の幸せを求めているのか、ちょっと振り返ってみてはいかがでしょうか。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿