2013/01/05

学び


毎年、お正月ムードが消え始めてくる頃には、「今年は肉体改造する!(特に柔軟性)」と思うもので、今年も寸分違わず思ってしまったのですが、毎年と違うのは「たぶん、1月いっぱいも続かねぇな」とすでに思っているところです。
あきらめムードから始まる感じですが、そういう方が案外うまくいくかもしれません。ハムストリングと股関節を柔らかくしたいんです。

さて、本日は「学び」について。

「学び」についての私の見解って以前にも書いたかな~。2013年バージョンってことで。
2013年バージョンといいつつ、私って本当にずーっと同じ行動パターン、つまり思考パターンの中にいるので、とある場所に行って、前回何したか、どこに何を置いたのかなどを忘れても、まっっったく同じ行動をするらしく、前回自分が置いた場所にまた何かを置こうとして、図らずも前回の行動が記憶によみがえったりします。
そんなとき、いつでも進歩のない行動パターンがとっても恥ずかしくなります。

でもまた語っちゃう!同じ思考パターンでもいいの!

私たちは人生の中でさまざまな「学び」に出会い、ひとつずつそれを学んでいくことで霊的に成長するのであ~る

などとよく言われますし、聞きまし、読みます。
そのたびに、

・・・ていうか「学び」ってなんだよ。

と、ちょっとイラっとします。してました。

なんでイラっとするかを自己分析してみると、

・なんでも「学び」って言えば済むと思ってる気がする
・学ばなきゃいけないと言われている気がする
・もっというと、学んでねーヤツを蔑む意識を感じる
・私は別に学びたくない
・世の中ってそんな真面目くさったもんなんだろうか

とかとかとか。。。
そんな気持ちが「イラっとする」に見え隠れしていました。

とはいえ、「学び」という言葉を何に言い換えると自分にしっくりくるのかわからず、人に話すときに自分でもめんどくさいので「学び」という言葉を使ったりしていました。でも使ったそばからイラっとしてたんですけどね。

先日、ようやく「学び」を言い換えるにふさわしい言葉を見つけました。

「学び」をタンジー語に言い換えると、それは「変化」です。

「変化」の方が私にはしっくりくる。

私たちはエネルギー体、単純化して考えるために化学的な見方をすると、いろいろな化学物質の集合体といえますよね。H2O、Mg、Feとかいろいろ。

それらの物質は、単品で安定しているけれども、何かと反応して新しい物質に変わったりしますよね。こういうことが、私たちが認識している上記の化学物質だけでなく、もっとミクロの世界でも毎瞬行われているとすると、私たちは一瞬一瞬変化している存在と言えるわけです。

で。いわゆる "学び" と言われるような出来事を化学反応に例えると、小学校の頃に理科の実験でマグネシウムがバッと燃えるやつありましたよね。ああいう、「わ!びっくりした!」みたいな変化が "学び" と言われるような人生における印象的な出来事と言えます。

要するに、「変化」するきっかけが起こり、大きく変化する場合もあれば、うまく変化しなかったり、一部だけ変化したり。「学び」というと、学ぶ前よりも学んだ後の方が上へ行っているような印象を受けたのですが、「変化」だと、前とは何かが変わったというだけで、良いも悪いもないから、なんかノビノビやれる感じしません?
ほっといても変化するし。

やらなきゃいけないことなんて、ないと思う。今日この頃。
だから、「変化」という方が、いいなぁ。




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